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2010-10-30 (Sat)
 

 6つの癒しの物語。

「大川端奇譚」
 明美は物事を精進する意味での「ある道」を辿って生きてきた。それは「セックス」。
 とにかく彼女は相手が複数でも女性でも外でも薬を使ったりとあらとあらゆることをした。肝臓を壊してしまうまでのあるひとときの間そのことに情熱を傾けていた。
 そして明美はもうすぐ結婚をする。相手は葬式で出会った亡くなった人の息子で互いに一目惚れであった。
 新居となる住まいの側には大きな川があった。何故だか彼女はその部屋にいると何をしていても川の流れを気にしてしまう。それは自分が何かを忘れ去っているような感覚であった。
 明美の結婚を知ったかつての遊び相手と仲間からコンタクトがある。それは懐かしさと愛おしさを憶える女性からの祝福の電話と、同時に明美の結婚を非難する男性との再会であった。


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よしもとばななさんは今でも好きな作家さんの1人である。
 関西在住だが「よしもと」と聞けば「新喜劇」という言葉より「ばなな」さんの名前が浮かぶし、図書館で彼女のコーナーは必ず立ち寄る。
 ただここ最近彼女の昔の作品を幾つか読み返しているのだけど「昔は良かったなあ~」とふと遠い目をしたくなる。

 決して今が駄目というわけではない。
 私は最近の作品も幾つか記事に取り上げていているがやはり彼女独自の世界観は愛おしい。
 でも上手く説明出来ないけど、ばななさんのストーリーテラーとしての職人芸は「アムリタ」までだったんだろうなと解釈している。それ以後はストーリーという軸の面白さが弱くなったかなあ。
 物語の創り手としての才能と独特の世界観を構築する二つ才能のうち「アムリタ」以後は後者が濃厚になったせいか、作品がばななワールドという「型」若しくは「様式」的になり過ぎたせいか、「物語」としてのパンチが弱まったような気がする。
 
 随分前書きが長くなったけど、この「とかげ」は彼女のストーリーテラーとしてのエッセンスが味わえる短編集だと思う(「アムリタ」前の作品)。
 ばななさんのこういうボクシングで言えばジャブ的な作品は結構私は好きである。長編のどこか別世界へと連れて行くパンチ力もいいのだけど、短編のいい塩梅に力が抜けているような所がまた違った旨みを出していると思う。

 迷っている人達の希望へと世界が変わる瞬間が優しいタッチで描かれている。
 最近夜明けを迎えたばかりの私(多分夜明けだと思うしそう願いたい)には馴染みを感じる感覚である。そういってのって意外にあっさりなのである。非日常として組み込まれているといより日常の一コマとして「ある」感じ。
 文中に「何も考えたり苦しんだりしなくてもただどんどん流れては正しい位置に注ぎ込まれて行くのかもしれない」とあるが、「何も考えたり苦しんだりしなくても」とまでは思わないがたしかに「流れ」というものは最終的には正しいルートへ注がれるのかもしれないと今は思う。
 その正しい位置へと導くものは何かと問われたら、それはばななさんの言葉を拝借すならあとがき(この人のあとがきはいつも作品の一種かと思うような出来栄え)にある言葉「自分、という意識をとにかく続けて行く事」かもしれない。

 だから「大川端奇譚」は明美が一番自分という意識を続けている感じがして、この作品が一番お気に入りである。彼女の場合はちょっとその手段が普通ではないけど、それでいながら自分をブレさせない様が好きである。それは強さなんだろうけど、力むわけではない肩の力を抜いたような加減がイイ感じである。 
 
 遠い目をしないように目をパッチリ開いて最近の作品も読もうと思う。

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