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2010-02-13 (Sat)
   

 作家柳美里は愛する男の子を妊娠する。だが相手の男性には妻がおり妊娠によって捨てられる。
 そんな彼女を励ましてくれたのが東由多加。
 彼は柳美里が劇団に属してた時の師で有りまたかつての恋人であった。
 だが彼は末期の食道ガンで八ヶ月の余命宣告を受ける。
 生まれ来る命、去り行くかも知れない命、命の誕生と再生の希望への物語。

 「命四部作」の第一幕

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 柳美里さんの作品は一時期夢中になって読んだが十数年以上ご無沙汰であった。
 彼女の作品は良い意味でも悪い意味でも独特の味付けなので、ようは食いすぎの胸焼け状態になったからである。
 暫く遠ざかっていた柳美里さんの作品を再び手に取ったのがこの「命」である。

 こういう言い方をすると本の帯に書かれているキャッチコピーになりそうだが「生」と「死」という二つの糸が物語を織り上げている。「生」と「死」という一見対極であり、またそれが故に背中合わせでもある二つの要素の絡みが物凄くクリアに浮かび上がって来る。
 「生まれてくる、そして誕生した命」と「死へ向かうかもしれない命」。
 今までガンの闘病記でその二つのコントラストで綴られた作品というのは読んだ事がない。
 東さんがおっしゃられた「誰か生まれて、誰が死ぬ」という人類当たり前の営みの縮図を見せられたような気がした。
 タイトル通りの「命」の響き合いに読んでいて凄く引き込まれた。

 読んでいると「生」も「死」も結局は同じなんだろうなあと思った、入口か出口の違いはあっても。この作品ではその境界線はない。「死」はゴールが見えた時にやってくるのではなく、「生」と共にいつもここにあるのだと感じた。

 柳さんの、 
 「ほんとうはすべてのひとの命が日々失われているというのに、そのことに鈍感になっている。いや、鈍感にならないと生きていけないのだ。しかし鈍感さが更に進むと、たいせつなものの存在が空気のように意識から抜け落ちてしまう」
 という言葉が凄い心に残った。
 自分も含めて愛する者も日々死へと向っている。何時か必ず愛する者との別れはやって来る。その事を普段は忘れているし、柳さんのおっしゃる通り鈍感にならなければ生きられない。でもその鈍感さが逆に大切な人をに対する思いを空気にする事を改めて思い知らされた。
 死を意識し続ける必要はないけど、死の存在をどこかの隅っこにでも置いておいた方が後悔しなくて済みそうである。

 読んでい作家というのは業の深い生物だなあとしみじみ思った。これ程プライベートな事を作品にせざるおえない創り手の業というものを感じた。書かずにはいられなかったんだろう。
 作品である以上必ずそこには作り手としての冷静な視点がある。そういう目がないとそれはただの感想文になってしまうからだ。
 様々な苦悩も喜びも書いている時にはそこに溺れず、それら突き放して再構築してを作品として仕上げる
 勿論それがいけないと言っているのではなくむしろたいしたものだと思う。自分の体験を血肉として作品を書けるのは選ばれた才能の持ち主だけだ。

 柳さんと再会出来て良かったと思った作品である。

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| 柳 美里 | COM(4) | TB(0) |















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