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2009-08-15 (Sat)
   

 この物語は「私は、かつて晩年を迎えたことがある」で始まる。

 10歳の夏休みに伯母の家で飼われていた「チロ」という犬に手を噛まれる。
 噛まれたことでもショックな私に更に追いうちをかけたのが、テレビで犬に噛まれた人間が半年後の潜伏期間後に狂犬病になって死ぬマンガを見てしまったこと。
 「私」は自分も狂犬病になって死ぬと思い込んでしまう。
 そして私の「晩年」が始まった。。。。
 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~   「ぼくは勉強ができない」の記事でも書いたけど山田詠美さんはタイトルの付け方は抜群だと思う。
 どのタイトルも彼女ならではのセンスの良さで、図書館で彼女の本のタイトルを目にすると、
 「お持ちかえり!!!」
 したくなる。今回お持ち帰りした本がこの「晩年の子供」である。

 この作品風に書き出すと、
 「私は、かつて晩年を意識したことがある」 

 「晩年」という程強いものではないけど、最初に「死」というものを自分に標準を当てて考えたのは「ノストラダムスの大予言」を知った時だと思う。
 恐らく1990年より前に生まれた人なら意識した人もいると思う。
 「1999年に地球は滅亡する」 

 単なる都市伝説に過ぎなかったけど、それでも子供時代にその予言の存在を知った時は、「私は27歳で死ぬのか。。。。」 とセンチメンタルになったものだ。死ぬには若すぎるとも思った。
 どなたかもおっしゃっていたけど、「ノストラダムスの大予言」を意識して育った世代とそうでない世代では何か決定的に違うものがあるというのは同意する。
 信じるとか信じないは別としても、その予言によって大なり小なり自分の「死」という意識を持たされてしまう。
 その意識は麻疹のような流行病っぽいけど、それでも何も知らない意識には戻れない。

 「晩年の子供」を読みながら久しぶりに「ノストラダムスの大予言」を思い出した自分に笑った。
 2000年代に入ってからはとんと思い出すことがなかったので。
 
 主人公の「私」が狂犬に噛まれてもうじき死ぬとと思い込み、自分を取り囲む小さな世界で悲しんだり、苦しんだり、いとおしんだりして心を使っている様はなんとも言えない懐かしさを感じる。
 そういえば子供の頃は本当にまだ未開拓な自分の狭い世界の中で些細なことであれこれと思い悩んだものだ。
 自分の世界が大きく開かれる前の子供時代というものは、ばからしさといとおしさの紙一重でもある。
 
  「私」が飼い犬に噛まれても予防注射を打っているので狂犬病になることはない事を知り、悩んだ数日間をバカバカしく思いとっととそんな記憶を脱ぎ捨て日常に還っていく様は子供の持つ現金さという感じだ。

  「ノストラダムスの大予言」が単なる与太話としか思わなくなってからは私はとっとと晩年の意識は脱ぎ捨てたけど、バカバカしいと思いつつも1999年を通り過ぎた時に妙に安心感を持ったのも事実である。
 
 私の本当の晩年の意識の終焉はミレニアムの夜明けと共である。

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| 山田 詠美 | COM(5) | TB(0) |















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