123456789101112131415161718192021222324252627282930
-------- (--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
| スポンサー広告 |
2009-08-08 (Sat)
 二本木真美と加賀祥子は小学校の頃からの付き合いで「親友」以上の仲であった。
 むしろ「運命」というべき出会いであり、それは祥子の持つ「念動力」という秘密を共有し合う事によってより強固なものになった。

 2人の共依存的的な関係はある出会いによって転機を迎える。
 それは藤原綾子というテレパスの力を持つ女性との出会いであった。綾子は人の心が読めるが故に、深い傷と人間に対する憎悪を抱いていた。
 真美と祥子、お互い不幸な家庭に育った2人は擬似母子的な関係であったが、綾子という存在によってそれまで見てみぬふりをしていた「ゆがみ」があぶりだされる。。。。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  
 掃除をしていて本を見つけるとどうしてつい読んでしまうのだろう。。。。

 この間部屋の掃除をしていたら「あなたにここにいて欲しい」の文庫本が出てきた。よせばいいのについ手に取り読んでしまい、案の定掃除は一旦中断である。この本が本棚に並んでいたら私は当分手にしてなかったと思う。
 「掃除をしていて見つけてしまった本」
 だからこそ読んだといえる。 これも何かの法則だろうか。

 新井さんの作品はびっくり箱という感じがする。
 とにかく独特の世界と感覚を持った作家さんで、読んでいて出てきた中身に驚かされることもしばしば。どうやったらこういう内容が思いつくのかとしみじみ思う。新井さんしか行けない世界のはしごをもっているみたいである。
 独特過ぎて合う、合わないがあるのだけど、合うと私のツボをぐっと押してくれるから読むのを止められない。 

 読んでいて一番染みた言葉である。
 「でも本当にー禍も、幸福も、糾った縄のようなものー」
 「一体何が禍で、一体どれが幸福なのか、果たして誰にわかるだろう」
 

 
 私は心の病になって本当に苦しんだし、つらかった。
 「ええい、もういいや」と全てを投げたしたくなった事が何度あったことか。

 でももし心の病にならなければ、今私が見ている世界の景色は随分違ったものになっていただろう。
 心を病むことがなければ「生きている」ということが本当は凄い事なのだという事は死ぬまでわからなかったと思う。
 病む前の私にとって「生きている」というのは最低限の当たり前のことだった。
 「生きている」事が当たり前と思うのか、奇跡と思うのか、どちらで捉えるかによって人生は随分違ったものになる。

 結局幸福も不幸も存在しているものではなく、選択するものなのだ。勿論「全ての事柄は気持ちの持ちよう」などと人生訓をたれるつもりはない。

 でも「選択する権利」は常にこの手にあるのは憶えておきたいと思う。

 ランキング落ちているので、ぽちっと押してやって下さい。 お願い致します。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
にほんブログ村
 
| 新井素子 | COM(4) | TB(0) |















管理者にだけ表示を許可する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。