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2009-07-25 (Sat)
   
 「おむすびころりん」

 多美の昼食は具の入っていない海苔を貼り付けただけの塩むすび一つだけ。
 彼女がダイエットを始めたのは、片思いの布川恭助の婚約者相馬絵里が美しく変貌した事に気づいてから。無理なダイエットのせいか嫉妬のせいなのか多美の頭の中では絵里が死ぬ想像が四六時中巡る。次第に膨れ上がる妄想に自分がおかしくなっていく恐怖に囚われてていくが。。。

 ふとしたきっかけで同僚の窓際族である島野と親しくなるが、ある時「私は死神」だと告げられる。
 そして三日後に想い人の布川恭助が死ぬと。半信半疑ではあったが多美は恭助の代わりに自分が死ぬ事を希望する。
 残された僅かな時間を想う時、女手で自分を育ててくれた母親に会いたくなり会いに行く。
 
 他一遍を含む。


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 死神と言えば鎌もった姿を想像するが、この本に出て来る死神はごく普通人の姿をしている。
 それが妙な親近感を抱かせてくれる。
 
 同じ死神をモチーフにした作品に伊坂さんの「死神の精度」がある。
 やはり読んでいるのでどうしても比べてしまうけど、あちらはユーモアがあって「死」というものを淡々と扱っている感じでそこが面白く、こちらは若干暗めで「死」というものにもう少し踏み込んだ感じである。
 評価としては「死神の精度」が良いみたいだけど、私的にはおむすびの具が違うと同じおむすびでもこうも味わいが違うもんだとどちらも美味だった。 

 多美が「死」というものを意識した時、彼女を取り巻く世界は姿を変える。
 ぐっと生きている時間の濃度が濃くなる。
 本当は人は生まれた時から「死」へのゴールに向かっているはずなのだけど、やっぱり普段はそれを忘れて生きているから普通の日常が薄くなるのは仕方ないのかもしれない。

 「死」というものの存在を再認識した時、「生」が愛おしくなる。
 そう考えると決して「死」という概念はネガティブなものだけではなく、もっと豊穣なものも有しているのだと思う。
    
 読んでいて思ったのは島野は死神というよりカウンセラーのようである。
 島野は多美に言う。
 「生きるということにおいて、本当に大事なことはひとつだけだと、私は思いますね。おむすびが転がりだした時、考えなくてはならないのは、そのおむすびを拾うこと、だけなんです。」 

  ようするに「おむすびを拾うこと」=「生きること」なんだろう。
  どうしても人間としてのクセなのか拾う前に色々考えてしまう。何故転がったのかとか、拾った方が良いのかとか。
 満たされないからこそ「生きる意味」を模索してしまうのだろう。
 おむずびを拾えばいい、拾えば。そしてそのおむすびの味を堪能すればいいのだ。  

 今私が手にしているおむすびがどんな具が入っているのかはわからない。 
 けれど自分が今手にしているおむすびの味をじっくり堪能したいと思う。

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| 柴田よしき | COM(2) | TB(0) |















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