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2009-03-29 (Sun)
   

 弁当屋で働く靖子のもとへ別れた元亭主富樫がまた金の無心にやってきた。
 相手にしなかった彼女だが、しつこく自宅まで押しかけて来てそこで悲劇が起こる。
 大喧嘩の末、娘の美里と共に富樫を殺害してしまうのだ。
 呆然とする母子に手を差し伸べたのは隣人に住む高校の数学教師である石神。
 それまで何の交流もなかった隣人の申し出に戸惑いもあるが、異常事態の最中結局は流されるようにその申し出を受け入れる。

 やがてこの事件に絡むのが天才物理学者の湯川。旧友の天才数学者である石神との殺人事件の事実と真実を巡るやりとりが繰り広げられる。。。。


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 私は天才フェチである。
 だから天才が出てくるものは堪らない。
 「天才」というのは神様から大きな大きなプレゼントの箱を貰った人だと思うが、私自身はその箱を貰う事はないけど、その大きな大きなプレゼントの箱の中身を見るのが好きなのだ。

 天才物理学者と天才数学者が出るだけ聞いただけで、
 「いただきます」 
 と読んでしまう。

 ミステリーとしては東野さんらしい手堅さで楽しめた。
 個人的には昔のというか、まだこんなに大作家になる前の、ミステリー作家という括りだけを持っていた頃の東野さんの作風を感じて懐かしい感じがした。

 この作品では靖子の人物像に関して色々言われてるみたいだけど(石神が献身する相手としては魅力が足りないとか言われたい放題。。。)、私はああいう人物像で良かったと思う。
 聖女でもなく悪女でもなく、ただごく普通の幸福を願う女性だからそラストの悲哀がより一層際立つ感じがした。

 むしろ私がつつきたいのは石神の思い。
 内容(「BOOK」データベースより)の「命がけの純愛が生んだ犯罪」とか「これほど深い愛情」という言葉を見ると、 
 「はて、誰の事を言ってるんだろう?」
 と思ってしまった。

 石神の思いを恋と呼ぶには軽すぎるけど、純愛とか愛情とかの言葉は似つかわしくない気がする。
 何故なら愛と呼ぶには一方方向過ぎるというか、重すぎるというか。
 孤独な石神にとって靖子母子の存在は救いだったのだろうけど、なんかひとりよがりな気がした。
 お互いにちゃんとした交流が有り人間関係があって石神が靖子へ愛情を抱いたというのなら理解出来るが、人間関係が有ったわけでなく(殺しの隠蔽を申し出て初めて言葉を交わしたわけだし)ただ見つめていただけというのが何か血肉を伴わない感情のような気がした。

 私が靖子だったらこんな風に愛されて嬉しいという感情は沸かないかなあ。ありがたいという感謝の思いは持つけど。
 男性と女性では石神の思いに対する見方は違うかも。
 男性は一人の女性にあれだけ献身できる事に男冥利を感じるかも知れないが、女性にしてみれば惚れた男性に命がけで愛されれば本望だけど、よく知りもしない男性からそんなに深く愛されても重いと思う。


 石神の思いは「行き過ぎた騎士道精神」のような気がするんだよなあ。
 彼の思いは結局誰も幸せにしなかった。

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| 東野圭吾 | COM(6) | TB(0) |















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