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2010-11-28 (Sun)


 1925年、北京。娼婦の母親に連れられ、孤児や貧民の子供たちが集まる京劇の養成所に入った9歳の少年・小豆子。新入りの小豆子は他の子供たちからいじめられたが、彼を弟のようにかばったのは小石頭だけだった。2人は成長し、女性的な小豆子は女役に、男性的な小石頭は男役に決められる。小豆子は「女になれ」と老師爺(黄斐)に躾られ、数え切れないほど殴られた。彼らは演技に磨きをかけ、小石頭は段小(張豊毅)、小豆子は程蝶衣(張國栄)と芸名を改め、京劇『覇王別姫』のコンビとして人気を博す。段小はある日、しつこい客に絡まれていた娼婦の菊仙(鞏俐)を助けたことをきっかけに、彼女と結婚する。少年時代より小にほのかな恋情を覚えていた蝶衣は2度と共演はしないと捨てゼリフを吐いて去る。その日北京は日本軍に占領された。ある日小は楽屋で騒動を起こし連行されてしまう。菊仙は日本側に取り入ってもらえるのだったら小と別れてもいいと蝶衣に告げるが、彼の協力で釈放された小は日本のイヌと彼を罵り菊仙を連れて去る。深く傷ついた蝶衣はアヘンに溺れる。そんなことがありながらも2人は和解へと進む。その後老師爺はこの世を去り、日本軍の敗退で抗日戦争は終わる。49年、共産党政権樹立。蝶衣と小は再び舞台に立つが、京劇は新しい革命思想に沿うよう変革を求められていた。-gooより

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 この映画のレビューを色々読んだけど悪く言っているレビューを読んだ事がない。どのレビューも最上級に近い褒め言葉ばかりである。それも納得の「創作の神様大光臨」の映画である。
 私達日本人から見たら近代中国50年史という外国の歴史物語であり、「京劇」とか「文化大革命」とかあんまり日常生活でお目にかかる機会のない馴染みの薄い題材が多いけど、それでいながら三時間近くの大長編を一秒たりとも飽きさせないこの吸引力が凄い。

 京劇の男役段小と彼に恋心を抱く女役の蝶衣。そして段小の妻である元娼婦の菊仙。男女3人の異質な三角関係が釣り糸となり物語を牽引する一方で上手く中国の歴史を編みこんでいる。
 この作における三角関係は「女→男←男」なのである。でも下世話的な話になっておらずひたすら報われない愛に生きる、ひたすら1人の男性を愛する京劇の女形役者蝶衣=レスリーの切なさが物語の「情」の部分を支えている。 (ただ「芸の道を究める」それが故に現実と虚構の線引きが出来ない蝶衣の段小への思いというのは恋なのか芸事の延長線なのかと感じる時もあったけど)。

 それと視覚的な美しさが飽きさせない理由の一つだと思う。「京劇」のシーンは本当に目に痛い位美しい。かなり視覚に訴えてくる映像だけど、存在を主張し過ぎる事無くきちんと芸術的な役割を果たしている。
 
 一番神様に愛されたのはやはり蝶衣演じるレスリー・チェンだろう。どの細部・演技者にも神が宿っていると思うけど、それでも彼無くしてこの映画は成り立たないと思う。
 役者というのは「役を演じる」人なのだろうけど、この作品におけるレスリーの演技は「役を生きる」であった。
 蝶衣を生きているレスリーは怖い位役とブレていない気がした。演じ者のレスリーの気配を全く感じない。映画の世界は当たり前だけど創作の世界であり、そこに登場する人物達はあくまでも虚構。でも現実に生きているか虚構に生きているかの「居る場所の違い」に過ぎないと思わされる位の神演技。
 
 コン・リーもさすが中国を代表する女優さんだけあって見る者を惹き付ける演技である。失礼ながらとびきりの美人さんではない。でも菊仙という女性は女の嫌らしさもしたたかさも持っていてそれでいながらたくましい女性を見事に演じきっている。

 で色んなレビューを読んでレスリーとコン・リーを褒めている人はたくさんいるけど、もう1人の主役であるのチャン・フォンイーの評価は低い(というか触れられてさえいないというか。。。)。
 段小という役柄は菊仙と蝶衣に愛されるという重要な役どころで、これまた失礼ながらも上記のお2人と比べると演じているチャン・フォンイーは知名度もそうだが存在感と役としての吸引力は劣る。
 ただ個人的にだからこそ、この映画においてはそれが正解のではなかったかなと思う。段小は決して人格高潔な男ではない。正直菊仙と蝶衣が情熱を傾けて愛するに値するような男性像として描かれていない。だからこそある意味薄っぺらさ(本当に失礼ですが)を感じさせる存在としてはその役割を果たしていて、そういう男性を愛した2人の人間の悲哀をしみじみ感じる出来過ぎでないのが丁度いい。穴がある位の方が他が際立つ(本当に失礼な事を言ってると思うのだが。。。)。

 男性であるレスリーのあまりの美しさに女性である自分の不甲斐なさをちょっぴり感じたのはおまけつきでした。 
 

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| 映画 | COM(2) | TB(0) |
2010-11-27 (Sat)


「私」は重度のアルコール依存症。
 妻子は居たが「アル中」の為に家族へ迷惑をかけ続け妻に三行半を突きつけられた。
 「次飲んだら死にますよ」と言われても飲み続け大量の血を吐いては病院に運ばれる。やっとこさ「アルコール専門病院」に入院し、そこでの日々が赤裸々に綴られている。

  鴨志田穣氏の自伝的私小説。


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 私は下戸である。でも父親が大のんべえなので血筋的にはイケル口だと思っている。
  真夏の風呂上りにキンキンに冷えたビールをぐいっと飲んで「美味い!!!」と叫んでみたいし、人生のうさを酒で晴らす一時が欲しいなあと思うし、ほろ酔い加減というのを体験してみたい。
 酒が飲めるというのは飲めない人間よりは人生何%かは得しているはずだ。人生におけるグリコのおまけみたいで。
 じゃあ何故飲まないのかと言われたら、多分「飲まず下戸」なんだと思う。のんべえになる縁が今の所なかったという事か。 

 ただ鴨志田さんの「酔いがさめたら、うちに帰ろう。」を読んだ時、酒が飲めるのも楽しいばかりではないんだなあと思った。「酒が飲める」というのは逃げ道を持つ事にもなるのだから。
 鴨志田さんはあのサイバラこと西原理恵子さんのご主人として有名で数年前にガンで亡くなられている。
 彼が淡々々々々々々とご自身の「アル中体験」を綴られているが、これは鴨志田さんの性格というよりもある種の自己防衛本能なのかなと思う。
 吐露し過ぎて自分を曝け出し過ぎないようにセーブしているように感じた。

 鴨志田さんはいわゆる破滅型なんだろう。本来とても繊細でご本人自身酒を飲んでしまう理由を問われて「自信」がないからと答えてらっしゃるが、崖に向っていく生き方は弱さというか強くないための性なのかなあ。
 だから正直何故戦場カメラマンになったのなとは思うが。彼はそこでの現実に耐えられずにご自身を更に追い込んでいる。なんだか不器用で切ないし哀しい。
 そういう彼を愛する人間はつらいだろう。
 奥さんのサイバラさんとは本当に正反対だなと思う。彼女は本来の姿なのかどうかはわからないが、あらゆる事を糧として生きいく方向へ向う強さが凄いと思う。正反対(でも本質的な所では似てる)だからこそお互いパートナーになり得たのかもしれない。
 
 下戸の私からみたら死ぬと言われても飲んでしまうというのは理解し難い。でも自分はメンヘラだから「アル中」の心の病というリンク出来る部分は理解出来る。「自分で止めたくても止められない」感覚は非常に共感してしまう。恐らく地球上で一番酒を辞めたいと思っているのは鴨志田さん当人だろう。でも自分の意思ではどうにも抗えないような、家族の愛情でも救いきれない、そういうどうしようもなさこそ病なんだろうけど。
 せっかく数ヶ月酒を辞めていたのに奈良漬を食べてしまいまた酒を飲んでしまうという下りはゾクッとする。
 
 時折サイバラさんらしき妻が登場する部分は特別な反応をしてしまう。たいして登場しないのだけど、お2人の関係性を知っている目線で読むと、クールな描写に透けて見える愛情を感じてこそばゆさと切なさを感じてしまう。
 タイトルの「~うちに帰ろう。」という文言が鴨志田さんの家族への思いを感じる。
  
 暫くは飲まず下戸でいいかなあと思った。
 

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| 鴨志田穣 | COM(0) | TB(0) |
2010-11-24 (Wed)
 

白昼の渋谷で起こった無差別爆弾テロ。その犯人は公安がメシア神道という宗教団体に潜り込ませた公安刑事である照屋礼子。
 過激な宗教団体であるメシア神道は強制捜査により瓦解し、首謀者である教祖は死刑判決を受けていた。それなのに照屋礼子はミイラ取りがミイラの如く次々と無差別テロを遂行する。
 彼女を追う人間の1人である刑事鳴尾良輔は担当した事件の女性と獄中結婚をしており、その為に警察組織では冷や飯を食わされていた。
 だが鳴尾は獄中にいる妻の知恵を借りながら運命の糸により照屋礼子を狩る人間として誰よりも彼女に近い位置に迫っていく。
 そして公安の不祥事発覚を恐れる阿南達により彼は妨害を受けるが。。。


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  この「魔笛」を面白いという人はたくさんいると思う。だが好きだという人は恐らく1ダース位しかいないんじゃないかと思う。
 私はこの作品が凄く好きだけど、内容が読む人の心のおうとつに良い意味でも悪い意味でも刺激を与えてしまう。
 人や社会の「暗部」に触れる内容も多くその剥き出された部分ににシビレル人もいるだろう。
 だが面白さというのなら野沢作品の中でも抜群の出来であり、最高傑作の一つという言葉は過言ではないと思う。

 この作品は某鳥の名前の宗教団体をモデルにしていて、それ故に江戸川乱歩賞を逃されたようである。北方謙三さんのがおっしゃるには「実在の宗教団体をかなり強く意識させたために賞の持つ自己防衛装置が働いた」ようであるが、それは止む負えないだろう。「実在の宗教団体をかなり強く意識させる」だけなら過剰防衛だろうと思うが、当時のあの大騒動を肌で実感している世代にとっては非常に生々しい空気感を感じさせてしまう臨場感がある。
 それ位この作品からは物語の持つパワーというかエネルギーを浴びた。

 野沢さんは脚本家出身だけに状況描写が上手く詰め込みを紙一重でかわしているような勢いというかスピード感ある展開で、ちびちびやるつもりが一気に食べ尽くしてしまった。 
 実は多少無理な設定と展開、特に鳴尾刑事が照屋礼子へ迫る展開は都合が良過ぎる突っ込み所はあるのだけど、読んでいる時は全然気にならなかった。
 どんな設定、展開であっても作品世界で成立しているのならOKだという良いお手本である。それは突き詰めるとどれだけ物語りに説得力があるかという事なのだろうが。

 上記で『人や社会の「暗部」に触れる内容も多く』と記述したが非常に心にスイッチが入る言葉が多かった。
 元信者という設定で語らせた言葉に「結局の所1人1人の信者の妄想が破壊的な教祖を作り上げた」(抜粋・要略)とある。これはなるほどと思った。宗教の教祖だけではなく独裁者とかそういった類の人物が出現するのはその人のカリスマ性以上に、そうさせてしまう周囲の基本善意な人間の妄想なり願望が作り上げるのかもしれない。
 それは凄く怖い事である。ほんの些細な思いなり願望が集結してしまうと何かを生み出してしまう巨大なパワーになるというのは。
 
 それと実の娘を保険金目当てなぶり殺した夫を殺した、鳴尾刑事の獄中の妻である安住藤子。
 私は人を殺すことはないとは思う。でも彼女が殺人者となった自分の核心を知りたいう下りの記述を読んで、人は絶対飛び越える事はないと思っている一線を軽く飛び越えてしまうのかもしれないと感じた。
 今の私にはその壁自体は物凄く高いように感じ強固な壁だと思っているが、でもそんなもの何かのきっかけですぐ壊れてしまうか飛び越えたりしちゃうのだ。
 私は超える事はないという意識よりも、超えてしまう事もあるかもしれないというほんのり恐れ持つ方が一線を越えない自己防衛になるのかも。

 次々とスイッチが入りまくり自分が普段あまり覗かない自分の心の隙間を感じさせられた作品だった。 
 
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| 野沢尚 | COM(0) | TB(0) |
2010-11-20 (Sat)


「何でもやってやろう屋」の好奇心旺盛な元私立探偵の成瀬将虎は知り合いの女性からある依頼をされる。
 自分の家族が交通事故で亡くなったが本当にそれが事故なのか調べて欲しいというものであった。彼女が事故死を疑っているのは生前その家族はある悪徳霊感商法にハマって騙されていたからである。
 将虎は悪徳霊感商法「蓬莱倶楽部」の調査に乗り出すが相当真っ黒な会社であり、思いもかけない展開へと導かれる。
 そして同時期に彼は自殺を図ろうとしていた麻宮さくらと運命の出会いをする。彼女は相当のワケありであった。


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 前回の記事の作品もそうだけど立て続けに「風呂敷広げ状態」な作品を読んだ。 
 この「葉桜の季節に君を想う」はそれはそれは見事な風呂敷の畳み方である。これ程見事な畳み方はめったにお目にかかれないだろう。

 実はこの作品を手にするのは二度目である。一度目は読む為にわざわさ借りてきたのに何故か食指が動かず読めなかった。今回は文庫本で借りたのだけど(前回は単行本)背表紙の「必ず二度、三度と読みたくなる徹夜本です」という煽り文句 親切な助言に心動かされて読んだ。読み終えてたまには助言に従ってみるもんだと感じ入った。

 この作品は主に元私立探偵成瀬将虎が知り合いから請け負った事件の話と、彼が若き日の探偵時代に関わった事件の話と、ある事件に関わっている女性の話が並立してストーリーが運ばれている。
 かなりラスト近くなるまで主旨の異なる(一応は関連性があるにはあるが)幾つかの話が並立して進むのでどうやって畳むのだろうとお手並み拝見という感じで興味津々で読んでいた。
 で、種明かしの部分を読み「おおお!!!!」と感心してしまった、上手く仕掛けたなと。全くの想定外で久々に心から「やられた」と思った。
 何ていうのだろうボーリングの玉が上手くバラけたピンを倒したような印象である。種を知って再度パラパラと読み返したが本当に上手く仕掛けている。騙し絵のような感覚でそれまで見えてなかった景色にびっくり。

 詳しく書くとネタバレになるので書けないのがつらい所だけど、ラスト辺りは少々「じ~ん」ときた。
 ジーンと来た部分を書くとモロネタバレになるので我慢するけど、ギリギリラインで言葉にすると、
 「情熱さえあれば人は何歳からでも始められる。幾つになっても可能性を抱ける」(これ以上言えん)
 そのことにちよっびっと感動した。ファイトが沸いてくる感じだった。

 文中の中に桜の木の話が出てくる。桜が咲く季節にはもてはやされるのに散ってしまったらお払い箱で、紅葉もするのにほとんどの人がその事実すら知らない。でも桜が散った後も桜は生きている。桜の葉はそう簡単に散りはしないと。
 言われてみると桜の木は春には盛大に注目を浴びるが桜が散ってしまったら見向きもされない。でも桜が散っても桜の木はちゃんと存在しているのである。
 読み終えた後タイトルの「葉桜の季節に君を想うということ」を読むとなかなかに感慨深い。ラスト辺りの「ジ~ン」とした光景と上手くマッチして染み入るのだ。 

 惚れ惚れするような風呂敷の畳み方だった。

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| 歌野晶午 | COM(2) | TB(0) |
2010-11-17 (Wed)


 刑事の九野薫は七年前の交通事故で妻とお腹の子を亡くす。過去の傷から立ち直れないままの久野にとっての慰めは妻の母親である義母であった。現在彼は風紀問題のある同僚の刑事を尾行中。たがクビ間近かこの同僚刑事は九野に逆恨みをし彼は窮地に追い込まれる。。。

及川恭子は平凡な専業主婦。近所のスーパーでパートをしながら生計を支えていた。だがそんなありふれた日常がある放火事件から歪み始める。夫がどうやらある犯罪を犯している事を知りその苦悩から逃れるように市民運動に走るが。。。
 
 渡辺裕輔は高校生。ダチと共にオヤジ狩りに励む、将来の展望も何ももたない今時の高校生。たまたまおやじ狩りをした相手が刑事だった事から後に面倒な事に巻き込まれる。。。

 些細な放火事件をきっかけに彼らの歯車が狂いだしやがて暴走していくクライムノベル。


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 この作品は助走が若干長いのである。上下2段で最初は読んでいて中々話が進まないので「ハズレたかなあ~」と思った。でもせっかく途中まで読んでいるので「意味の無い勿体無い精神」で読み続けた。
 読み終えて途中下車しないで良かったと思った。「じゃあ面白かったのか?」と問われたらこの作品は「面白さという要素でくくるのはちょっと違う」と答えると思う。予想外の展開に良い意味で裏切られたカタルシスが旨味だと思う。
 奥田さんは「登場人物の登場の仕方だけを設定して、あとは登場人物が動くのに任せる作り方をしている」らしいが、さもあらんと思った。
 どんな創作も必ず創作の神様に委ねている部分はあると思うが、この作品は作者の意図という手綱を手放しているような感じでキャラが自由放奔だった。

 たくさん本を読んでいると好むと好まないと関わらずある程度ストーリーの先が読める場合もある。「こうきたら、こうくるかな」という感じで。
 でもこの作品は途中から全く先が読めなかった。「ええ!!!そうなるか?こうくるか?」の連続であった。
 ただラストにカタルシスがあるわけではない。
 終盤近くでも風呂敷が思いっきり広げられたままで畳まれる気配をまるで感じなかったが不思議と「畳んでくれるのか?」という焦燥感はなかった。
  それは読んでいて「どうなるんだ!!!」という思いはあまりなく「どうとでもなっちゃって下さい」という心境のせいか。
 「オチは好きにしてくれ」と私にはめずらしく作者のなすがままにまかせたいと思った。
 ラストは不完全燃焼ですっきりしない。その「すっきりしなさ」もこの作品の欠かさざるパーツの一つだと納得している。

「幸せに背を向けている」「幸せに背を向けられた」人達が出てくる作品である。特に平凡な主婦だった及川恭子の暴走振りが凄いし面白い。ため息が出るくらいだ。
 読んでいて「みんなもっと幸せになろうよ」と思った。ちょっとしたズレで「不幸のドツボにはまってどっびんしゃ」になっていく登場人物達が哀れというか気の毒というか。どうして皆ハッピーになれないんだろうなろうとしないんだと歯がゆい。
 幸せになりたいと思っていても一線からズレてしまうとその修正が自分でも容易でなくなるんだなと思う。
 文中に「人は幸せになりたくて生きている」とあるが本当にその通りだと思う。だがその為には幸せから逃げない強さも必要なのかもしれない。
 
  
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| 奥田英朗 | COM(2) | TB(0) |
2010-11-14 (Sun)
   

映画監督志望の青年エド・ウッドは、性転換手術をテーマにした映画に取り組もうとするが、出資してくれるプロデューサーがいない。彼は往年のドラキュラ俳優ベラ・ルゴシを口説き、彼を出演させることを条件に、資金を集めようとする。
ジョニー・デップが女装姿まで見せて、主人公を大熱演。またエドの仲間たちなど、全編に主人公のユニークな人間関係と生き様が息づいていて、エドの大ファンというティム・バートン監督が、愛情たっぷりに描いているのがよくわかる。史上最低の映画監督と言われていたとはいえ、エドのチャーミングなキャラクターがじつに微笑ましいのだ。-Amazonより







 自分がマニアだという自覚がある人間にはたまらん映画だと思う。マニア心を刺激する落とし所たっぷりの作品である。
「史上最低の映画監督」と言われたエド・ウッドの人生の断片を愛情込めて創られている。

 この作品は ジョニー・デップにハマっていた時期に見た。彼がまだ若手俳優と言われていたメジャーになる前の作品である。とにかくジョニー・デップが大熱演でこの役を女装も含めて楽しんで演じているのが物凄く伝わってくる。活き活きとしてる。
 彼は演技自体は元々上手い人だけど、「エド・ウッド」という役柄を演じているというより楽しんでやっているという演技力の「技力」の抜き加減が絶妙である。

 「エド・ウッド」という監督を知っている人はほとんどいないだろう。「史上最低の映画監督」と言われた監督で彼の作る映画はB級すら評価が高い位でC級の評価以前の作品であったそうな。
 私はエド・ウッドの映画は見た事はないけど、この映画の中に彼の作った作品が一部映像化されていたけど本当に駄作だった。駄作という言葉を調べて見たら「出来の悪い作品」という意味らしいが、その言葉すら評価が高いと思うくらいのくだらなさ。とにかく「作品」というレベルすら到達していない粗悪品である(言いたい放題だ)。

 でもエド・ウッドが心から映画製作を愛しているのは伝わってきた。本当に本当に映画が大好きなんだと。 
 ただ情熱は物凄くあったんだろうけど、才能が本当に全くなかったんだよなあな。その思いにはにごりも曇りもなかったのが伝わってくるだけに破滅的に才能の無さが見ている側は物悲しい。
 興行的には失敗続きでも映画を製作しているある一時期は確かにエドは幸せだったと思う(晩年は貧乏にあえぎ失意のうちに亡くなるけど)。創作の喜びと楽しさに心から耽溺出来た時期が間違いなくあったはずだから。

 エド・ウッドの仲間達が楽しくて彼らの人間関係ややり取りもおかしくて楽しい。周りに良い友人がたくさんいたのも彼自身が魅力ある人間だったんだろうなあと思う。その辺りがなんだか嬉しい。
 この作品は基本楽しくて面白い映画なんだけど、哀愁とホロ苦さでもなんだかたまらなく愛しくなるような気持ちをずっと抱き続けていた。
 それは情熱がありながらも才能を持つことのなかったエドの悲しさが、「才能」が持つ残酷な側面が、この作品をただの面白さで終わらせていない。

 全編白黒なのだけどそれが時代的な懐かしさとどこかおとぎ話のような現実味の無さを上手く醸し出している。
 ホントいい仕事していますティム・バートン監督。才能というのはある所にはあって眩しいもんです。


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| 映画 | COM(0) | TB(0) |
2010-11-13 (Sat)


 小池真理子自選の傑作短編ミステリー

 「妻の女友達」
 広中肇は市役所の戸籍係。彼にとっての生きがいは家族であった。お見合い結婚した妻の志津子は優しくて気配り上手な家庭的な女性で、三歳になる長女のちえみは可愛い盛りであった。
 仕事が終わると真っ直ぐに家に帰り、休みの日はデパートや遊園地等の混雑した所には行かず家族で近所を散歩する穏やかな生活。
 野心等を持たない彼はそんな平和な波風の立たない人生を心の底から満喫しまた妻も同様だと思っていた。
 そんな生活も妻の高校時代の友達である美雪という女性が現れてからさざ波が起きる。
 売れっ子女流評論家の為多忙な美雪に頼まれて志津子は週一回で見の廻りの世話をする事になる。たがその頻度は増え都合よくこき使われる志津子に、元々働く事を快く思わない肇は次第に美雪に対する憎しみを募らせる。
 「アイツサエ イナケレバ」と。。。
 
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「薔薇の木の下」(記事 元中毒患者の証言)でかつて罹った「小池中毒」なる症状を切々と語ったが、その症状を振り返り小池さんの短編でピカ一だと思ったのがこの「妻の女友達」である。第42回日本推理作家協会受賞は心から納得の出来栄え。
 小池さんは本当に短編、長編問わず、どのカテゴリーの作品も高水準で書ける稀有な女性作家である。この作品はその技量の最も旨みのある部分が結晶された作品だと思っている。是非お勧めである。

 とにかく「上手い」、その一言に尽きる。その上手さとはなんだろうかと暇つぶしに考えてみた。
 先の読める展開ではある。小市民の主人公が平穏な生活に波風を立たす妻の女友達に殺意を抱き、それを実行するというのは本来は若干無理のある設定だけどすっと入ってきた。
 主人公に全く感情移入出来ないのだけど、それが最後にある意味のカタルシスになっているのがツボ。
 身勝手な主人公、傲慢な妻の女友達、その2人の板ばさみになるおとなしい妻の三者三様の絡みが面白くてぐいぐい引っ張る。
 
 暇をつぶしながら考え付いたのは手持ちのカードの出し方が上手いという事である。勝負師的な感じで効果的に印象深くカードを出してくる。最後に出されたカードに「おお!!!」という快楽を感じた。この快楽性が凄い。どこかのレビューに「不思議な余韻」がある作品と書かれていたがこれは同意見。その余韻が私の中でずっと残り続けていた。それだけこの作品の持つラストの快楽性に惹かれたのだと思う。一本背負いでやられたという感じのドンデン返し。
 「妻の女友達」よりも面白い作品も、完成度の高い作品もあるんだけど「余韻」を持たせてくれたこの作品の持つ威力に拍手である。
 
 直木賞を受賞された「恋」以降は耽美的なものが多く、まあそれはそれで味わえないわけではない。
 でも私個人としてはミルクティーよりもブラック・コーヒーが飲みたいなあと思うので、そろそろミステリーを書いて欲しいなあと思う。

 ちなみに裏表紙に小池真理子さんの若き日の写真が載っていて、彼女の美貌が拝めます。 

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| 小池真理子 | COM(2) | TB(0) |
2010-11-10 (Wed)
   

 発端となった事件は森本隆一という男性のひき逃げ事件であった。彼には多額の保険金が掛けられており、妻である法子に殺人の疑惑がかけられる。だが彼女にき完璧なアリバイがあった。
 警察は法子が愛人である塚田和彦と交換殺人の疑いがあると睨む。何故なら彼の妻もまた多額の保険金が掛けられており何者かによって殺されていたからである。
 疑惑が絡み合った一連の事件をその事件と関わりのある人々の「お財布」を語り手(主人公)となった連作長編。


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 のっけから恐縮ですが「宮部さん、さすがや!!!」
 座布団10枚どころか、倉庫にあるものも持ってけという感じである。

 この作品の語り手(主人公)はナント「お財布」なのである。読み始めた時は私は勘違いして何か読み間違えたのかと思うた。
 だって語り手(主人公)が財布なのである。 
 私が今まで読んできた作品の中でめずらしい語り手(主人公)と言えば「モノレール猫」(記事 奥義!!!二刀流)でのザリガニがあるが、この作品は短編だからこそ飛び道具的な感じで趣向を凝らせたと思う。
 でも連作とはいえ長編という大掛かりな設定で財布を語り手(主人公)にしたミステリーという試み、しかも財布が見たり聞いたりした事しか書かないという制約を設けている中、全く不自然さも無理感もなく惹き込ませる創り手としての手腕は文化勲章級の職人芸だと思う。
  
 でもこう書くと矛盾しているかもしれないが、実はミステリーとしては普通なのである。例えば東野圭吾さんみたいに凄いトリックを用意しているとか、以前紹介した「我らが隣人の殺人」(記事 ごちそうさまでした)に収録されている「サボテンの花」のようにカタルシスのあるオチではない。
 正直オチ的にはひねりが足りないというか肩すかしなのである(あれっ、結構文句書いてる)。それでも読み始めてから面白くて一気に読んでしまい、オチの「あれれれ」感を十分補ってくれる。
 
 とにかくストーリー展開の「見せ方(魅せ方)が上手いのである。
 事件に関わりのある人物達のサイフが語り手(主人公)の連作で少しずつ事件の「真実」が浮き彫りになる。その真実のあぶりだしまでの過程が多彩で飽きさせない。
 また財布達の個性(と言ってもいいのか)の書き方が本当にお見事。財布はみんな「いい奴」で持ち主が悪い奴でも、困ったちゃんでも、自分の持ち主に愛情を持ついじらしさがあって、そういう視点で事件を物語るというのはなんとも奇抜な面白さがある。
 サイフが語り手(主人公)という斬新な視点がストーリーの粗をカバーしている感じかな。
 
 解説の方が「これだけの技を駆使しながら、これみよがしな押し付けがましいところがなく、また作者の苦心を微塵も感じさせない」 (要約・抜粋)と書いていたが、疎い私はこの解説の言葉を読むまで彼女の心意気に全く気づかなかった。
 宮部さんとはいえ創作である以上「生みの苦しみ」はあるのだろうけど、あまりにもそういう痕跡を感じさせないので失念していた。

 そういう苦心を感じさせないのが宮部さんのサービス精神の賜物なのだと遅まきながら気づいた今日この頃。


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| 宮部みゆき  | COM(6) | TB(0) |
2010-11-06 (Sat)
 

 高校二年生の西原荘一は宮前由希子が交通事故で亡くなった事を知る。しかも彼女は妊娠していたらしい事も。
 それは荘一に強い衝撃を与えた。何故なら由希子のお腹の子の父親は彼だったからである。
 だが荘一は本気ではなく、心の揺れの慰めを以前から自分に好意を抱いていた彼女に求めたに過ぎなかった。
 それでも本気だったと信じて亡くなった由希子の為に愛し合っていたと周囲の人間に宣言し、彼女の恋人であった人間として振舞をする。それが彼女への償いでもあった。
 荘一は由希子が産婦人科の近くで張り込んでいた教師の御崎藤江に追われた事故に会ったこと知り彼女を糾弾する。
 だが御崎は何者かによって殺され死体となって学校で発見される。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 
 「同級生」は東野圭吾さんのかなり初期の作品である。
 相当昔に読んで、記事に書く為に再読したけど私的には「なんか今イチかなあ~」と思ってしまった。
 でも当時の読書日記を読むと褒めているのである。「誰だよ、この感想書いた奴は」と思ったが、私しかいないので読んだ当時の感性と今は違っているのだろう。

 こういう感想を書くと誤解を招きそうだけど完成度自体は高いと思う。
 ご本人が苦労して書いたとおっしゃるようにそういう片鱗と、やはりまだ駆け出しの頃の為こなれていない部分もあるが、トータルバランスの高さはさすが東野さんだなあと思う。
 話しの持って生き方というか展開の運びの上手さはやはりこの頃から顕在である。導入部分の亡くなった少女は妊娠していて、そのお腹の子の父親が高校生である主人公でしかも本気ではなかったというシチェーションはいきなり釣ってくれる。
 色んな伏線が物語の世界を織り成し展開して行き、最後に「おお!!!」というデザインを仕上げてくれる東野さんは物語の編みこみ上手だ。  

 特に上手いなあと思ったのが、10代の少年の心理描写である。
 身勝手な所があって独りよがりだけど生粋の純粋さと熱い思いを持つそういう少年像は、その青臭さに自分の青春時代を「イテテテ」とい思い共にを思い出す。
 東野さんは「知」の部分がヘラボーに能力高いけど、こういう心理描写も何気に上手い人だったんだよなあと改めて認識させられた。
 謎解きもこの頃からちゃんとフェアな感じがして好きである。というよりフェアであろうという精神が好きである。今もその精神は変わらないのだろうけど、そのフェア精神を活かせる生粋の謎解きミステリーが減っているのが残念だ。
 
 それなのに何故再読して今イチ感があるのかなあと考えてみたのだが、全体としての味わいが何かがどこか噛み合っていないような気が若干するのである。 饅頭で例えたらと皮とあんこを別々に食べたような感覚とでもいうのだろうか。個々のモチーフとか題材は上手いのたけど、読み終えた時にそれらが全体の味としてまとまってないに感じかな。
 だからと言ってミステリーとしての完成度に特に問題があるわけではないけど。皮とあんこを別々に食べようが、腹に入れば一緒である。

 初々しい東野さんが拝めます。

 
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| 東野圭吾 | COM(2) | TB(0) |
2010-11-03 (Wed)
   

 蘭専門の植物園で働く実那子(中山美穂)は、3ヶ月後に恋人・輝一郎(仲村トオル)との結婚を控えていた。実那子自身は当時の記憶を失っているが、実は15年前の「市議会議員一家惨殺事件」の生き残りの次女である。事件直後、警察は実那子の姉である貴美子と恋人関係にあった大学生、国府(陣内孝則)を逮捕した。

ある日、実那子は事件の直後にもらったラブレターを見つけ、その差出人に会うため故郷の”眠れる森”に出かける。そこに待っていたのは、実那子の過去から現在までの全てを知る謎の男・直季(木村拓哉)だった。同じころ、模範囚だった国府が仮出所し、「あいつに相応しい地獄を考えている」と告げて行方をくらます。

不審・不可解な行動をする人物が錯綜する中、実那子の葬られた記憶と過去、そして惨殺事件の真実が明らかになっていく。-ウィキメディアより






 「ロングバケーション」で木村拓哉さんの役者業に惹かれ「眠れる森」を見た。
 この作品は「ミステリー」である。
 「眠れる森」がヒットするまでは、1990年代後半においてテレビドラマ界でミステリーというカテゴリーの作品はかなり珍しかったのではないかと思う(これ以後は増えたが)。
 今から思えば中山美穂、木村拓哉という超人気者が主演とはいえ思い切った事をやったなと思う。このお2人を起用するなら普通は恋愛物を考えるだろう。

 ミステリーとしての評価なら「中の中」かなあと思う。ミステリーを読みなれている読書通には物足りないだろう。
 ただテレビ界という制約がある中での「ミステリー」としてなら最上の部類だと思う。
 ミステリーというのが「ワクワクさせてくれる高揚感」を連ねてゴールへと向って行く代物だとするなら、この「眠れる森」は見事その流れの勢いが衰える事なく終着地点に辿り着いている。視聴率が右肩上がりなのがその証明とも言えるだろう。
 音楽、脚本、出演者等隅々まで磨かき尽くされた耀きを放っている(ただ同じように木村さんが出演した「ロングバケーション」のような神がかり的作品とは違うかな。質的にはどちらも甲乙付け難いハイレベルだけど、神が宿ったのは「ロンバケ」だ)。
 
 テレビドラマでミステリーが難しい理由の一つに、犯人役を演じる役者のランク(という言い方は失礼だけど)によって見てる側にすぐ犯人が推察されてしまう場合がある。
 でも「眠れる森」に出演されていた役者さん達は全員と言っていい位に一流の役者さんを揃えている。だから穴場の役者がおらず誰が犯人か役者で悟られないように煙幕をかけている。
 そしてそれぞれの役者さんがミステリーのピースとなる役割をしっかりと演じてらっしゃる。
 でも正直言ってこの作品における木村さんの演技は可もなく不可もなくという感じであるただ中山美穂さんと木村拓哉さんのビジュアルは恐らく最美期で神々しいまでに美しい。目の保養だけでも見る価値有りとも言える。
 とにかく脚本が上手く練られていて「謎」の仕掛けが上手く、また様々なモチーフの絡め具合が素晴らしくて次へ次へと引っ張るドラマとなっていた。 

 この作品は殺人(しかも一家惨殺)というモチーフが扱われているのに何故か陰惨な感じはない。
 それどころかミステリードラマなのに見ていて「生きろ」というメッセージを感じていた。決して声高にメッセージを伝えているわけではない。でも作品の細胞の一つ一つが「生きろ」というベクトルが向っている気がする。
 「眠れる森」はエンターテイメントな面白さだけでなく、そういう深さを持っているドラマでもあった。
 ただこの脚本を書かれているのが自殺された野沢尚さんだというのが、彼が亡くなられた現時点においては皮肉になってしまうのが残念だし悲しいなあと思う。

 でもこの時点における野沢さん作品からのメッセージは信じたいなあと思う。


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