12345678910111213141516171819202122232425262728293031
-------- (--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
| スポンサー広告 |
2010-10-31 (Sun)
 

  親子4人で暮らしていた船村家の幸福は、未成年者の長男が小学生姉妹殺人事件の容疑者として逮捕されたことで無惨にも崩れていく。衝撃を受ける両親と沙織(志田未来)に群がるマスコミと野次馬たち。一家の保護のため、東豊島署の刑事である勝浦(佐藤浩市)と三島(松田龍平)は船村家に向かう。容疑者保護マニュアルに沿って船山夫婦は離婚、改めて妻の籍に夫が入ることで苗字が変わる。中学生の沙織も就学義務免除の手続きを取らされて、同い年の娘を持つ勝浦が保護することになる。皮肉にも勝浦の家庭も崩壊寸前の状況で、その修復のために娘の美奈が提案した家族旅行の予定もこの事件によって反故になろうとしていた。マスコミの目を避けるため逃避行を続ける勝浦と沙織だが、どこへ逃げても居所をつきとめられる。インターネットの匿名掲示板では、船村家に関する個人情報が容赦なく晒されていった。心労のため、保護の目をかいくぐって自殺してしまう母。それを知った沙織は、ますます錯乱する。勝浦がたどりついたのは、伊豆のペンションだった。主人である本庄圭介(柳葉敏郎)と妻の久美子(石田ゆり子)のひとり息子は、3年前に勝浦が担当する事件で殺害された。勝浦の失態は、自身と本庄夫婦の心に大きな傷を残していた。秘密裡に移動しているつもりだった2人だが、その行動はネットに依存する野次馬たちの悪意に追跡されていた。-ムービーウォーカーより





 *ネタバレアリ 
 加害者側の家族を保護する視点の作品というのは興味をそそる題材で私は見事に釣られてしまった。 見ていて加害者側の家族になるというのは文字通り「突然世界が変わる」だという事を痛感させられる。導入部分の加害者家族の状況が一変する、その世界が壊れる速さを唖然として見ていた。
 「その日」まで普通の日常が容赦なく壊されるその破壊力は本当に恐ろしい。

 犯人は詰まるところ警察なり塀の中で保護されるけど、何の罪も無い加害者家族は犯人が壊した現実世界の中で生きていかなければならない。その理不尽さに歯がゆい思いをした。
 と同時にこの映画を見ていて東野圭吾さんの「手紙」(記事 自分のものさし)「ある意味加害者家族への差別は正当」 (要約・抜粋)という言葉も思い返していた。
その言葉に一理なくもないが、でもフィクションとは言え自分は何もしていない自分は今までとは何も変わっていない15歳の少女が容赦なく平穏をもぎ取られていく様を見ていると、色んな理屈を超えてその言葉を容認したくはないなあとは思う。

 正直リアリティに乏しいなあと思う箇所が割りとあった。ネットにおける盛り上がり方は誇張気味だし、特にかつて勝浦の失態のせいで1人息子を殺されたご夫婦と彼の交流というのはキレイゴト過ぎて現実ならありえないような気がする。
 でもそういうリアリティの乏しさや突っ込み所を受け入れて惹き込まれたのは、やはり主役である佐藤浩一さんと志田未来の存在感と演技力の賜物だろう。
 佐藤浩一さんはダンディでカッコ良く、志田未来ちゃんはあまりにも可愛くてキュートだった。若干目の掛けどころがズレているとは思うが、紛れも無く主役のお二方の演じ者としての魅力が最後までこの映画をのをひっぱったと思う(正直役者に脚本が助けられたなと思う部分があるので、モントリオール世界映画祭最優秀脚本賞受賞は貰い過ぎだと思う。。。)

 ラストで絶望する沙織に勝浦は「生きるんだ」と彼女に言葉をかける。この一言は重いと思った。
 私ならとても言えない言葉である。「生きて欲しい」とは言えるけど「生きて」という言葉は躊躇してしまう。 何故なら過酷な人生を生きなければならないのは言葉を掛けた側ではなく、言葉を掛けられた側だからである。 その人の人生にずっと寄り添い手助け出来るのなら別だけど。だから私なら「生きて」とは言いづらい。
 でもこの言葉が勝浦も同様に傷を持つが故の孤独感から搾り出された精一杯のエールであるというのは伝わってくる。
 勝浦との最後の別れに見せた沙織の優しさに、これからどんな15歳よりも早く大人になろなければならない、またなろうとする姿を感じ愛おしく感じた。

 加害者側への視点という目にする事の少ない物語は、自分の思考の世界のどこかにその事に対する余地を置いてってくれると思ったな。


  指の運動にポチッとお願い致します。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
にほんブログ村
人気ブログランキングへ

スポンサーサイト
| 映画 | COM(0) | TB(0) |
2010-10-30 (Sat)
 

 6つの癒しの物語。

「大川端奇譚」
 明美は物事を精進する意味での「ある道」を辿って生きてきた。それは「セックス」。
 とにかく彼女は相手が複数でも女性でも外でも薬を使ったりとあらとあらゆることをした。肝臓を壊してしまうまでのあるひとときの間そのことに情熱を傾けていた。
 そして明美はもうすぐ結婚をする。相手は葬式で出会った亡くなった人の息子で互いに一目惚れであった。
 新居となる住まいの側には大きな川があった。何故だか彼女はその部屋にいると何をしていても川の流れを気にしてしまう。それは自分が何かを忘れ去っているような感覚であった。
 明美の結婚を知ったかつての遊び相手と仲間からコンタクトがある。それは懐かしさと愛おしさを憶える女性からの祝福の電話と、同時に明美の結婚を非難する男性との再会であった。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 
よしもとばななさんは今でも好きな作家さんの1人である。
 関西在住だが「よしもと」と聞けば「新喜劇」という言葉より「ばなな」さんの名前が浮かぶし、図書館で彼女のコーナーは必ず立ち寄る。
 ただここ最近彼女の昔の作品を幾つか読み返しているのだけど「昔は良かったなあ~」とふと遠い目をしたくなる。

 決して今が駄目というわけではない。
 私は最近の作品も幾つか記事に取り上げていているがやはり彼女独自の世界観は愛おしい。
 でも上手く説明出来ないけど、ばななさんのストーリーテラーとしての職人芸は「アムリタ」までだったんだろうなと解釈している。それ以後はストーリーという軸の面白さが弱くなったかなあ。
 物語の創り手としての才能と独特の世界観を構築する二つ才能のうち「アムリタ」以後は後者が濃厚になったせいか、作品がばななワールドという「型」若しくは「様式」的になり過ぎたせいか、「物語」としてのパンチが弱まったような気がする。
 
 随分前書きが長くなったけど、この「とかげ」は彼女のストーリーテラーとしてのエッセンスが味わえる短編集だと思う(「アムリタ」前の作品)。
 ばななさんのこういうボクシングで言えばジャブ的な作品は結構私は好きである。長編のどこか別世界へと連れて行くパンチ力もいいのだけど、短編のいい塩梅に力が抜けているような所がまた違った旨みを出していると思う。

 迷っている人達の希望へと世界が変わる瞬間が優しいタッチで描かれている。
 最近夜明けを迎えたばかりの私(多分夜明けだと思うしそう願いたい)には馴染みを感じる感覚である。そういってのって意外にあっさりなのである。非日常として組み込まれているといより日常の一コマとして「ある」感じ。
 文中に「何も考えたり苦しんだりしなくてもただどんどん流れては正しい位置に注ぎ込まれて行くのかもしれない」とあるが、「何も考えたり苦しんだりしなくても」とまでは思わないがたしかに「流れ」というものは最終的には正しいルートへ注がれるのかもしれないと今は思う。
 その正しい位置へと導くものは何かと問われたら、それはばななさんの言葉を拝借すならあとがき(この人のあとがきはいつも作品の一種かと思うような出来栄え)にある言葉「自分、という意識をとにかく続けて行く事」かもしれない。

 だから「大川端奇譚」は明美が一番自分という意識を続けている感じがして、この作品が一番お気に入りである。彼女の場合はちょっとその手段が普通ではないけど、それでいながら自分をブレさせない様が好きである。それは強さなんだろうけど、力むわけではない肩の力を抜いたような加減がイイ感じである。 
 
 遠い目をしないように目をパッチリ開いて最近の作品も読もうと思う。

 ランキング落ちているので、ぽちっと押してやって下さい。 お願い致します。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
にほんブログ村
人気ブログランキングへ
| よしもとばなな | COM(2) | TB(0) |
2010-10-27 (Wed)


  真柴義孝が自宅で何者かによって殺される。それは砒素を使った毒殺であった。
 その事件を担当する事になった草薙は義孝の妻である綾音に特別な感情を抱いてしまう。
 殺された手段は判明されるがどういう形で毒薬が仕込まれたかがわからず捜査は難航する。
 真犯人の候補として義孝の愛人で綾音の仕事の助手であった宏美はやがて外される。そうなると動機がある妻の綾音に疑いがかかるが、義孝が殺された日には完璧なアリバイがあり彼女に犯行は不可能であった。
 草薙は綾音を疑いたくなかったが同僚の刑事は彼女を疑い湯川に遠隔の毒殺トリック解明を依頼するが。。。
 湯川をして「完全犯罪」とまで言わしめたトリックとは?  

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 基本東野さんの作品は完成度が高いのだけどさすがにここ数年は玉石混淆で当たり外れもある。
 でもガリレオシリーズは安心して読める。彼の「ガリレオシリーズ」は定番の味というのだろうか、ラーメンで言うなら色々食べても結局はここに戻ってきてしまうカップヌードルという感じだ。

 ただ「聖女の救済」は面白いとは思うけど分が悪い作品だと思う。まず前作の長編がシリーズ最大ヒットの「容疑者Xの献身」(記事タイトル 天才フェチ)だからどうしても期待してしまうが故に比べられてしまう。
 「容疑者Xの献身」も記事に書いたとおり私的には突っ込みたくなる所はあるのだけど、なんていうのだろう作品世界に「厚み」があった。ミステリーという「知」の部分だけではない、「感情」の部分に共感出来るかどうかは別として心に響いてくるものがあった。
 それと比べる「聖女の救済」は心理的な綾が平板な感じがする。トリックの為に登場人物達の感情が用意されている感じがして。決して登場人物達の感情のうねりが無いわけではないんだけど。
 ただ元々「ガリレオシリーズ」は「知」が優先で「感情」は二の次だったから「容疑者Xの献身」が特異だけだったのだろうけど。まあチョモランマ見た後に日本一高い富士山を見ても物足りないと思う心境とでも言うのだろうか。。。。

 完全犯罪の仕掛けを読んだ時「こうきたか、こうきてしまったか」と思った。野球で言うのなら物凄い変化球で逆転の発想の産物だろう。それもボールスレスレの球である。そういうトリックを面白いと思うのか、肩すかしを食らうのかは個人の嗜好によると思う。
 何故ならトリックは現実においては「ありえない」からである。勿論絶対に無いとは言わない。それはトリックの問題ではなく、犯人の意思の問題である。
 トリック自体はシンプルなのだけど、完全犯罪を成り立たすためには犯人に相当な強い意思が必要で普通の人はまず無理だと思う。

 この作品における犯人のその強い意志は深い愛情の裏返しなのだろうけど、もう少し犯人が被害者に強い愛情を抱く説得力のあるエピソードが欲しかった。何故誰も彼も被害者である自己中で身勝手な男性に入れ込むのか読んでいてずっっっっっっっと理解出来なかった。
 だからトリックがわかった時発想には驚いたけど、犯人の気持ちは腑に落ちなかったのでカタルシスはトーンダウンである。キーポイントとなるその部分に共感できれば、凄く感情に訴えて来る「犯罪」になっていたと思う。
 そうすれば「容疑者Xの献身」とは違った意味の深い音色を持てたと思うのが残念だ。

 と、ここまで記事を書いてきて文句が多いのに気づいた。高クオリティのシリーズだけに贅沢になってしまうのだと少しの間反省した。
 
 
ランキング落ちているので、ぽちっと押してやって下さい。 お願い致します。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
にほんブログ村
人気ブログランキングへ
| 東野圭吾 | COM(0) | TB(0) |
2010-10-23 (Sat)
 

 普通に生きる女性達に起こった事件から人生の断片が綴られた短編集。

 「別れてほしい」
 美紀子は沙貴の遺影の前に立つ。「他に好きな人がいる」と別れを切り出した恋人直哉に逆上され殺されたのだ。
 「こんなことになると分っていたら。。。。。」と遺影を前に心で呟く美紀子であった。

 沙貴と美紀子は幼馴染であった。
 華やかで美しい沙貴はいつも周囲の注目を浴び、周りに人が集まった。
 対照的に美紀子は平凡でこれと言って目立つタイプではなかったが、気配りが出来面倒見の良い彼女は沙貴とはまた違った意味人が集まった。
 沙貴は自分よりちょっと劣っている美紀子が良さそうなものを持っているのが我慢出来ないらしく、彼女が好意を寄せる若しくは付き合っている人間を横取りする。たがすぐに飽きてしまい長続きしないのが常であった。
 だが沙貴は悪びれる事なく連絡をしてくる。人と争う事が嫌いな美紀子は付き合いに一線を引くが疎遠にはならなかった。

 美紀子は今付き合っている恋人直哉と共に沙貴のコンサートへ行き彼女に紹介をする。その夜美紀子の誕生日を直哉と共に祝うが、以後少しずつ彼の言動が怪しくなっていく。
 その影にまたしても沙貴の存在を疑うが。。。。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 この方に興味を持ったのは実は苗字が私の苗字と同じ なのである。
 他人には本当にどうでもいい理由で知ることになった作家さんだが、失礼な言い方になるけど才能の開拓が今少し上手くいっていない方かなという印象がある。
 紛れも無い才能の水脈は感じるのだけど、その開拓の仕方がまずいのではないかなと幾つか作品を読んで感じた。
 最近、腕一本でおまんま食べられている作家さんに失礼な物言いが多いなあと自覚しているのだが、才能を感じる作家さんだけに惜しいなあと思う。勿体無いのだ。
 ついでに同じ苗字という親近感もあるので確変を期待しています。

 でもこの「天使などいない」という短編集は面白かったのである。特に「別れてほしい」と「落花」は本当に秀作でこの二作品だけでも読む価値有りと思う。正しく才能の水脈で永井さんの潜在的な能力の煌きを確かに感じさせてくれる。
 また「天使などいない」というタイトルが上手い。実はこのタイトルの短編は無いく、短編集を総称したタイトルである。読み終えた時に胸にストンと来るのが心憎い。
 この本に出てくる女性達は皆ごく普通の女性達である。怖さや醜さ弱さ悪意を持っていて、悩んだり迷ったり苦しんだり愚かだったりする。でもそんなの当たり前、だってそれが等身大の女性なのだ。
 天使なんていないのである。

 「別れてほしい」を読み終えた時良い意味で裏切られたという「やられた」感があった。よくぞ裏切ってくれてありがとうという位カタルシスがあった。
 女の嫌らしさがとかく見事に作品に活かされていて作品の要のオチにも効いている。
 最初は沙貴のような「他人のものが欲しくなるタイプ」っているよなあと思いつつ読み、案の定男を横取りされる美紀子は気の毒だなあと思いつつ読んでいた。
 そんな美紀子は同情されるヒロインだと思っていたら、後半以降その図は反転する。ネタバレになるのでこれ以上書けないのだが彼女は決して同情さるヒロインではない。沙貴以上のツワモノだったのだ。 

 解説者の方が作者は沙貴や美紀子の嫌らしさはどちらも否定していない、1人の女の中に沙貴や美紀子もいるという事を言いたいのではないかと解説されていたがGJな意見だと思う。
 否定していないからこそ女の嫌らしさを書いている作品の割にはそれ程嫌悪感を感じさせない
 私も沙貴や美紀子の嫌らしさを自分も気づかなくても飼っているんだろうし、だからこそ天使にはなれないのだ。

 「人間だもの」

 
 
指の運動にポチッとお願い致します。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
にほんブログ村
人気ブログランキングへ

| 永井するみ | COM(0) | TB(0) |
2010-10-20 (Wed)


マンガ家として有名である内田春着さん。彼女の自伝的私小説。

 「私は、よく娼婦の顔をしていると言われる。~十五歳のとき、私は娼婦だったのだ。売春宿のおかみは私の実母で、ただ1人の客は私の育ての父だった」
 静子は妹の知恵と母親、そして育ての父親との四人暮らし。実の父親はろくでなしで静子が幼い頃に出て行った。育ての父親もこれまたろくでなしで何かにつけて威張り散らし、知恵や特に静子の一挙一動にケチをつける。実の母親はそんな父親の味方であった。
 静子にとって息苦しい現実の唯一つの慰めはマンガを描く事であった。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 この物語の主人公である静子はよく考えたら不幸である。 「よく考えたら」という枕詞がつくのは文体が淡々としているせいか物事を突き放している視点のせいなのか、少なくとも私は静子があまり不幸だなあという意識は持たなかった(さすがに大変だなあとは思ったけど)。
 でもレビューを読んだら「不幸」という言葉が割りと目につくのでよく考えたらそうなんだなあと思った。
 私はこの小説を虐待に焦点を当てるのではなく、1人の女性の生きて来た物語として読んだ。

 義父が凄いろくでなしである。徹底的な亭主関白で家庭内で威張り散らすこと、威張り散らすこと。筋違いの「スパルタ教育」という名の下に子供達を監視・管理する暴力三昧。そして遂には義理の娘である静子に性的虐待を行なう。
 実母はそんな父親に追従し母親である前に女であり続け、家庭内で起きる出来事に対しては常に「傍観者」であった。夫の娘への性的虐待すらも黙認する。
 そんな静子の救いの見えない現実世界での陰惨な日々が綴られている。
 と、こうやってあらすじをおさらいすると壮絶な内容なんだと改めて思った。 よく考えなくてもそうなんである。でもこの作品は私が読んできた「児童虐待」ものとは一線を画していた。
 
 紛れも無くここに書かれているのは親から子への虐待である。
 本当は「ああ可哀想だ」「ひどいなあ」と同情すべきなんだろうけど、そういうネガティブな感覚にあまり引っ張りこまない余白がある。なんか主人公が作品世界を泳いでいる感じなのである。少なくとも私にとっては。
 そういう作品世界なのは内田春菊さんの性格なのか、作り手としてのセンスからなのかはよくわかんない。でもいい作品だからどっちでもいいんだけど。

 この作品はあくまでも自伝的私小説だから勿論フィクション部分もあるだろうが、大筋は内田春菊さんの実体験だと思われる。
 家庭内において彼女は「生贄」だったんだなと思う。母親が家庭内で自分を守る為に娘を差し出したのだ。
 基本淡々とした文体だけど母親に対する思いの部分にはそれとは違うトーンが感じられる部分があり、その辺りが内田さんの真実の吐露なのかもしれない。
 詰まるところ義父は赤の他人だけど、実母は血が繋がっているから余計やりきれないだろう。諦観者であった実母の方が性的虐待をした義父よりもある意味残酷だ。

 レビューにもあったがクールな描写が負った傷の深さという見解にも同意である。
 ぬぐいきれない傷を負っていらっしゃるだろうけど、それでいながらも母としても女としてもマンガ家としても大活躍されている内田春菊さんはアッパレだと思う。
 失礼な言い方であるがこういう自伝的小説を出されるのは「不幸の元を取る」という感じのたくましさを感じて私は好きである。

 「自分」という物語のあらすじを他者によって歪められたとしても、強い意志があれば物語のあらすじは自分で綴れるのだと思わせてくれるのが嬉しい。


ランキング落ちているので、ぽちっと押してやって下さい。 お願い致します。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
にほんブログ村
人気ブログランキングへ

| 内田春菊 | COM(2) | TB(0) |
2010-10-17 (Sun)
 

 実に15年振りに無料動画で「ロングバケーション」(以下「ロンバゲ」)を見た。
 当時も凄く面白いと思って見ていたけど、幾星霜振りに見直しても面白くてしかも全然古臭く無いのに驚いた。
 神ドラマを生み出すためにあつらえたかと思うような脚本、主題歌、役者達。全ての要素がピタッと神のデザインにハマったかのような傑作である。

 当時は山口智子さんの演技が凄く好きで南のサバサバした可愛い女っぷりにトキメイタものだ。でも木村拓哉さん演じる「瀬名秀俊」はカッコいいと思いつつも彼の演技自体はそれ程評価していなかった。当時物凄い「キムタク」ブームで、人気者故の色眼鏡があったせいで素直に評価出来なかったのだと思う。まあ別に瀬名役は木村君でなくても、その時の一番人気者を使えば結果は同じ事だろうと昔からヒネていたのである。

 時が過ぎて色んなものが削ぎ落とされた状態で「ロンバゲ」を見ていたら、木村拓哉さん演じる「瀬名君」の存在がいかに魅力的で、彼が演じたからこそ神ドラマとなった要素が大きいのだと気付いた。
 木村君は演技に関しては「金太郎飴演技」とか「キムタク演技しか出来ない」とかとかく言われていて、近年の演技に関しては「まあ、そうかもな」という部分もあるが、「瀬名君」の演技に関しては本当に素晴らしいと思う。
 ここにいるのは「木村拓哉」でも「キムタク」でもなく、紛れも無く「瀬名君」なのである。ドラマにしか存在しない人間を本当にリアルに演じている。当時23歳だというのだから驚きだ。木村君は演技が上手かったのだと新しい発見をした。
 山口智子さんはやはり素晴らしい。一歩間違えればただのウザイオバハンキャラの「南」なのにすげぇキュート。
 キュートとウザイオバハンの危うい境目を難なく渡りきられるさすがの一言だ。このドラマ以後女優業休業なのは本当に残念である。

 当たり前だけど携帯がこのドラマでは出て来ない。携帯のない日常ってこういう感じだったのかあと感慨深かった。現代は携帯の無い生活というのはほとんどの人は考えられないだろうし、それがないドラマもほぼ無いだろう。携帯があったらこの作品も随分違ったストーリーだっただろうなあと思う。
 携帯の誕生は日常のあり方を随分変質させたんだと改めて感じ入った。

 この作品は冴えない日々を送る主人公達のタイトル通り「ロングバケーション」の日々を描いたドラマである。 ストーリー自体にとんでも展開等なく、普通の日々の出来事がテンポあるセンスの良い会話と飽きないシチュエーション 展開で進められる。
 でもあっさりテイストなのに全然最近の具材テンコ盛りドラマより面白い。よく考えたらありえない内容と設定だけど、ドラマの世界でちゃんと納得出来る説得力があるからグイグイと惹き込まれる。
 「何をやっても上手くいかない時は神様がくれた長いお休みだと思う事にする。そういう時はあせらずくさらずただ時の流れに身をまかすのがいい」 
 かなり要約抜粋だけど一番心に残ったセリフである。

 人生をやっていれば何をやっても上手くいかない「凪」のような状態の時がある。そういう時ってどうしても「何かしないといけない」と状況というか現状に働きかける行動をしてしまいがちである。
 でも「凪」の時は「動く」のではなく、時の流れにまかせてその時を楽しむ方がいいのかもしれないと思った。
 進む足を止めて休む事というのもまた大事である。そうすれば違う景色が目に映る様になるかのもしれないとそれなりの人生経験を経て上記のセリフをしみじみと噛み締めた。

 温故知新の心境である。

 *ちなみに「ロンバケ」当時木村君は本当に山口さんの事がリアルに好きだったようです。彼女が既婚者でなかったら交際を申し込んでいたとの事。ドラマ見たら納得の臨場感。

 ちなみに無料動画サイトです。↓
 http://videonavi.blog66.fc2.com/blog-entry-537.html


ランキング落ちているので、ぽちっと押してやって下さい。 お願い致します。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
にほんブログ村
人気ブログランキングへ
| ヒトリゴト | COM(5) | TB(0) |
2010-10-16 (Sat)


   ガンで余命僅かのソル電機創業者社長日向はある男に殺される最後を選ぼうとする。
 その男とはソル電機の共の創始者で有り、そして結果的に日向が殺してしまった親友の息子である梶間。
 梶間にそのチャンスを与える為に幹部候補生の研修と見られている、実の所は「お見合い研修」に彼を含めた四人の男女を保養所へ招待する。
 日向は自分を殺しやすいように(尚且つ殺人犯とわからないように手助けする)あらゆる舞台設定をし、梶間が殺しに来るのを待つだけであった。
 だがゲストとして呼んだ碓井優香という女性の存在によって計画が狂い始めてしまう。 


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 *ネタバレ有り

 この作品は「扉は閉ざされたまま」のその後の物語とも言える。
 前作で活躍した碓井優香というキャラクターがこの作品でも同様の探偵的な担い手となる。碓井優香に「ホの字」だった私はまた彼女に再会出来て喜んだ。
 「扉は閉ざされたまま」の記事でも書いたが碓井優香というキャラクターは単に美しくて賢い冷静な女性ではないのである。
 ある意味無慈悲な所があって(私はそこが大好物なのですが)、そこがこの作品のラストではスパイスとなって効きまくっている。

 前作は最初から「起きた事件」に対する犯人と探偵が頭脳戦が繰り広げる攻防戦であったが、この作品は「事件が起きる」までの過程が描かれている。
 正直個人的にはこちらの方が好みである。前作の攻防戦はレベルの高さに痺れたのだけどほぼ最初からそのやり取りで上下二段の約250Pは若干もたれる部分というか飽きる部分はあったのと、しつこいけど動機の部分に納得がいかないので。そういう意味ではこちらの方の展開がバランスが良くてスマートである。

 石持さんの読者へのサービス精神は顕在である。時折その意欲が不完全燃焼になって肩すかしを食う場合があるが、この作品はまあまあ燃焼されていると思う。
著者の言葉として「その事件が「起きるまで」を丁寧に書こうと思いました。~被害者も、犯人も、探偵も、みんなそれぞれに努力していることがよくわかりました」とあるが、「みんなそれぞれに努力している」というのはちょっと笑える言葉だが読んでみると「その通りだ」と実感する。三者の思惑の交錯が私的には面白かった。

 被害者が犯人に上手く殺される為に殴りかかるのにちょうどよい大きさの花瓶を用意したり、仕掛けのし易い大きくて重い掛け時計の真下に小休止用の椅子を置いたりという小細工は若干笑える感じがして、殺されるのもなかなか大変だなあと思う。
 被害者が犯人の殺意に気づかない振りをしつつ殺人を誘うような言動をし、そして犯人が被害者を殺そうとするがその殺意を悟られないように機会を狙うドラマ性のある展開にページを捲る手が正に「進む君」である。 

 この二つの糸の絡み合いにもう一つの糸が加わり思いもかけない終盤へと向う。
 被害者は殺されたがっておりその舞台設定も整っているし、犯人も殺す気まんまんなのでいつお陀仏になってもおかしくないのだがそうは問屋が卸さない
 探偵が花瓶に花を活けて凶器として使えないようにしたり、椅子をが微妙に動かしたりして邪魔をする。果たして探偵は今回の件にどこまで気づいているのか?
 三者三様の思惑が絡みまくる。
 
 私はラストにおける被害者と探偵の対決構図の意外な成り行きに痺れた。
 探偵のアドバイスによって被害者はある観念に開眼する。その観念は社会理念と照らし合わせると「お~い、それでいいのか?」というものであるが、それまでの流れからは全く予想しなかった被害者の開眼にはカタルシスがあった。
 だがはっきり言って探偵のアドバイスは「探偵」という役割を逸脱していると思う。ある観点から見たら好意だけど、通常の観点から見たら「犯罪の後押し」であるからして。でもこういう担い手の探偵を駒とする所に石持さんの気概を見る気がする。
 このラストは探偵役の人物に好感が持てるかどうかでスパイスの効き方が大きく変わってくると思う。私のように好意をもっていればピリリと効くし、嫌悪感があればとんでもなく後味の悪い味付けになるだろう。

 読み手の感情によって味が変わるスパイスというのはミステリーにおいてはGJではないだろうか?
 
ランキング落ちているので、ぽちっと押してやって下さい。 お願い致します。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
にほんブログ村
人気ブログランキングへ

| 石持浅海 | COM(0) | TB(0) |
2010-10-13 (Wed)


 あこぎなやり方で金を稼いできた渡辺恒蔵にも何物にも変え難い大切なものがあった。
 それは美しい一人娘の美加。恒蔵は美加を溺愛していた。
 だが彼女は何者かによって誘拐され身代金として一億円を要求される。現金が用意されるが、身代金受け渡し時に警察の判断により犯人逮捕を優先した結果美加は後日死体で発見される。
 果たして美加が殺されたのは身代金要求前なのかそれとも身代金受け渡し失敗後か? 
 
 事件の犯人として死体の第一発見者である小林昭二が逮捕される。彼は恒蔵が経営するゴルフ場で働いていたが揉めて首にされていた。
 単に死体を発見し出来心で財布からお金を盗んだだけの昭二は無実を訴えるが、過酷な尋問により無理やり自白させられてしまう。。。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 
この作品はあまりの面白さに秘儀!!!「飛ばし読み」をしてしもうた。
 とにかく先が知りたくて「必要ねえなあ」という箇所は可能な限り飛ばした。そういうザルな読み方での感想である事をご了承頂きたい(何故読み返さなかったのかはおいおいわかると思います)。

 誘拐事件が起こる。でもこれで引っ張るのではなくてあくまでも火種。美加が殺された死亡推定時刻を巡る思惑を軸に、小林昭二という青年が無実だという事を読み手に提示している状態で捜査そして裁判が続いていく。
 キナ臭いなと思いつつ読んでいると、どんどん煙が立ち火が燃え上がっていく感じの流れである。
 冤罪を取り扱った作品は幾つもあるけど、様々な立ち位置にいる人間の思惑が絡み合いを冤罪が生まれる背景の描写が克明に綴られている作品は私にとっては初めてである。
 勿論フィクションなのだけど、作者の朔 立木さんは現役弁護士さんらしくやはり取調べや裁判実情の描写に凄いリアリティがあった。
 
 捜査や取調べがめちゃくちゃで、もう警察が勝手に犯人を決めて犯人を仕立てる為にやってるのか?と思う位の酷さである。また裁判所もGJな仕事しろよという呆れるお粗末な対応。「現実はこんなことあるわけないじゃん」と思いたいのだけど御殿場事件とか他にも色んな冤罪事件の詳細を垣間読んだので実際こういう事もありうると思えるのがつらい。
 文中に「冤罪が起きるのはあざなえる縄」とあるが、冤罪というのは幾人かの悪い人間によって起きるのではなく、組織への忠誠心やある種の善意やそういう様々な事柄が重なり合って結果冤罪を生み出すというのは非常に考えさせられた。
 悪意だけではなく、善なる部分も絡み方によっては冤罪の要素になるという言葉は現場で働いている人ならではの真実だなと思う。
   
 アマゾンのレビューを読んだら大絶賛の声が多く概ね賛同だけど、私は辛口の意見もある。
 終盤近くなり残りのページが少なくなるに連れて「風呂敷ちゃんと畳めるのだろうか?」とおののきつつ読んだ。今までの読書経験値からいってどう考えても余程のウルトラC的な技がないときれいに包めないぞと。
 読み終えた時「ここでお終い???」と脱力した。私にとってはを不完全燃焼させる終わり方である。そこが惜しい、惜しいのである。本当に面白い作品なだけにラストの着地点は肩すかしである。
 素人の分際で腕一本でおまんま食べている方の作品に物申すのはあれだと思うが、素材やストーリーの面白さから傑作になりうる作品だと思う。真犯人の存在も見事な演出の駒である。
 エンターテイメントとしての傑作になりうる土壌があったのに勿体無い。

 単行本なのにめずらしく作者さんのあとがきがあるが、こういう終わらせ方に作者さんのなりの意義というか意図を込めているのはわかる。現実は作品世界のように必ずしも丸く治まる着地点があるわけではないだろう。
 ただ私はやはり作品という「物語の世界」である以上、物語としてエンターテイメントな面白さというかカタルシスを欲しかったというのが読書人の心情かな。エンターテイメントとしての面白さを追及して欲しかった。目が肥えすぎの贅沢病かもしれん。
 まあこのフィクションをドキュメンタリー仕立てと読むか(作者さんはそう呼びたいようである)エンターテイメントの物語として読むかによって評価が分かれるのかもしれない。

 是非ご自身で評価して欲しい。

 
ランキング落ちているので、ぽちっと押してやって下さい。 お願い致します。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
にほんブログ村
人気ブログランキングへ

| 朔 立木 | COM(0) | TB(0) |
2010-10-09 (Sat)
 

 水無月は神様へ祈る。
「どうか、どうか、私。これからの人生他人を愛しすぎないように。私が私を裏切ることがないように。他人を愛するぐらいなら、自分自身を愛するように」

 離婚の痛手を負いただ「もの」のように無感情に生きる水無月はバイト先のお弁当屋で小説家創路と出会う。彼の小説のファンであった彼女は思いもかけない流れで創路の愛人となり運転手兼アシスタントとなる。
 創路は傲慢で我侭だがどこか憎めない愛嬌もあり、それまでの自分とは違う一面を引き出す彼に水無月は全力で尽くす。
 だが創路は女癖が悪く数々の愛人がおり、他の愛人を蹴落とす画策する。
 水無月あれ程苦しみぬいた恋愛の世界に自分を再び溺れさせていく。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 この作品は小説家山本文緒さんの出世作だろう。吉川英治文学新人賞受賞され、かなり絶賛された作品である。
 が、私は正直な所この作品はそれ程好みではない。
 山本さんは女性特有の「こり」を書くのがべらぼーに上手い人だけど、「恋愛中毒」は傷付いた女性の深いこりをずっと「こりこり」といじくっているような感覚がして、その感覚が好きになれないのだと思う。
 ただお話は文句無しに面白い。それまでの主に感性で読ませる作品世界に作家としての技量の巧みさが加わった感じである。この作品辺りから一皮剥けて一気に才能が花開らかれた。

 タイトルと初めの方に出てくる水無月の「どうか、どうか、私。これからの人生他人を愛しすぎないように~」という文言と「あの山本文緒である」からして「きっとこの作品ただものではないんだろうなあ」と若干身構えながら読んでいた。
 中盤までは水無月が送る愛人生活のフツーの描写の傍ら、彼女の破綻した結婚生活と折り合いの悪い両親の描写が織り込まてれ終盤辺りの狂気の萌芽の呼び水となっている。
 水無月は「被害者意識」の強い人間で、世界と仲良く出来ない周囲は敵だらけだと思うあまりお友達になりたくないタイプである。
 そういう彼女に共感は出来ないのだけど、解かり合えない相手との人間関係のやるせなさというか脱力感が上手く書けていてそこに私は惹き込まれた。
 嫌悪感と同情を抱かせる匙加減のバランスはお見事。

 せっかく身構えながらつらつら読んでいたのに、普通の女性のお話なのかと思っていたら終盤辺りからビックリの展開が私を待っていた。普通の人の仮面を脱がせ狂気を表現するやり方が上手いと思った。ある種ミステリーのカタルシスである。
 水無月の恋愛への溺れっぷりが半端なく見事な溺れぶりである。
 他の愛人達のように「保険」をかけたりせずただ真っ直ぐに愛する。そういう愛し方は不器用で賢くないのだろう。愛し方があまりにもいびつだけど、どこかその不器用さに同情にも似た愛おしさも感じる。

 ただ水無月の愛し方は果たして恋愛なのか?それとも自己愛なのか?
相手が痛がっているにの気付かない位強く好きな人の手を握り過ぎ、結果本人は意図していないのに相手をとことん追いつめ傷つける。そういう愛し方は他人が好きというよりは本当は自分が物凄く好きなんじゃないのかなと思う。相手を見ていないのだから、自分しか見ていない。
 恋愛というのは多かれ少なかれ自己愛の部分はあるけど、オーバーラインを超えたら狂気というか執着に近くなる。
 じゃあ本当の意味で他人を愛する、自分を愛するというのはどういう愛し方なの?と問われたら、今の私には正直わからないけど。
 
 山本さんの作品は女性特有のこりやあくを鋭く書き出しながらも、ある書評の言葉を借りるなら「慈しみ」があった。この作品には「慈しみ」があまり感じられずその辺りも私好みではない要因だと思う。
 ただ1人の女性が不器用に愛する様を冷徹に書ききった部分が山本さんなりの「慈しみ」なのかなとも思う。
 
 
指の運動にポチッとお願い致します。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
にほんブログ村
人気ブログランキングへ

| 山本文緒 | COM(6) | TB(0) |
2010-10-06 (Wed)


色んな運命の岐路に立たされた人達の短編連作集
 
 「時の魔法使い」
 プロットライターの朝岡未来(あさおかみく)はシナリオライターになる事。かつては応募したコンクールで受賞まで後一歩の所まで行きながらも逃してしまう。
 自分の名前「未来」を希望の「未来(みらい)」と言い聞かせ自分を鼓舞していたが、シナリオライターへの道は険しく生活費にも困る有様で現実の苦しさに押しつぶされそうであった。
 幸福な子供時代を過ごした実家が懐かしくなり帰郷するが、未来はそこで20年前の子供の頃の自分と出会う。
 母親から9歳の時に丸一日行方不明になった事を聞かされた事があり、そしてその日が正しく20年前に行方不明になった日と同じ日にちであった。
 未来は丸一日幸福な子供であった9歳の未来と過ごす。。。
 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 
 高野和明さんは直木賞を受賞した「13階段」が私にとってのデビュー作品である。その作品が結構面白かったので「6時間後に君は死ぬ」を読んだ。これも中々面白くて結構手堅い才能の作家さんなのかなと思った。

 この作品は予知能力を持っている山葉圭史がメインのお話しである。
 彼は他人の非日常的なビジョンだけは見る事が出来、それは他人にとって不幸になるビジョンもある。
 最初と最後は山葉圭史が主軸になるお話しだけど、他は山葉圭史がメインではなく(なんらかの形では関与している)別の主人公達の連作になっている。
 この構成の仕方がまず個人的にツボに入った。
 ミステリーである「6時間後に君は死ぬ」の後は一旦メイン主人公である山葉圭史が表舞台から姿を消す。そして同じテーマだけどミステリーとは違うドラマ性で一生懸命に生きている人達の姿が描かれており、その流れが上手く「3時間後に僕は死ぬ」にバトンタッチされラストのお話に活きていると思った。
 
 私が個人的に一番印象に残ったのが「時の魔法使い」である。
「夢を追う」というのは甘美だけど常に現実の厳しさがある。未来が一生懸命に自分を鼓舞しながら、前向きに生きる事自体に疲れている姿がかつての自分と重なった。前向きに生きようとしてもそれでもつらい時は本当にしんどい。
 若干ネタバレになるがそんな未来が「9歳の未来」と一日だけ過ごしながら、もう一度夢に向かう力を取り戻す物語なのである。

 無邪気なただただ幸福だった幼き頃の自分。その無垢なに心に留まったを澱が溶かされていく。かつては自分もそういう時が確かにあったのだと思い出す。
 そして未来は年を重ねていくうちに背負った色んな荷物を一旦降ろして周囲の風景をしっかりと見る。
「不意に未来は今の自分自身に愛おしさを感じた。これまで自分ず過ごしてきた時の流れが、とてつもなく大切なものに思えてきた」 
このセリフを読んで自分が思っているより世界は優しいものなのかもしれないと思った。ひょっとしたら自分が難しく苦しいものにしているのかもしれない。

 9歳の未来の「私、こんなに優しい人になるんだ」というセリフには感動させられた。弱っていた私の心にはよく効いた。このセリフは未来にとって今までの自分を肯定される心に貼られた特大のバンドエイドだ。
 「悲しみも自分の人生の一部。今ここにいる自分を作り上げた大切な人生の断片」 
 と現実の苦しさを含めても今の自分をしっかりと受け止めていく。
 結局の所迷ったり苦しんだりしている時はあれこれするよりも、まずは今の自分をしっかりと受け止めて事から始めるべきなんだろう。
 未来が今の自分を受け入れる過程を無理なく心に染み入るような過程で描かれている。他の短編でもそうだが高野さんは若干不器用なタッチながらも心に響くような音色を奏でるのは上手い。

 「今の未来」と「9歳の未来」にファイトを頂いた。


ランキング落ちているので、ぽちっと押してやって下さい。 お願い致します。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
にほんブログ村
人気ブログランキングへ
| 高野和明 | COM(0) | TB(0) |
2010-10-02 (Sat)
 

 ミステリー短編集

「サボテンの花」
 あだ名「ナマハゲ」こと権藤教頭は彼が愛する子供達の卒業と共に定年退職をする事になっていた。
 そんな彼は頭の痛い問題を抱えていた。六年一組の生徒達が卒業研究の課題として「サボテンの超能力について」を選んだからだ。担当教師はあきれて匙を投げ登校拒否をする。
 子供達の気持ちを尊重させてあげたいという気持ちからやりたいようにやらせてあげようと思うのだが周囲のバッシングが凄かった。
 権藤教頭が個人戦でなんとか周りを説き伏せている状況の中で不利な事態が起こる。
 六年一組の生徒達が研究をしている個人宅の駐車場で子供達がわけのわからない大声を上げながら飛んだり跳ねたりしているというのだ。
 それでもなお子供達の言葉を信じいよいよ卒業研究の発表会当日を迎える。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 
この作品は「私の叔父さん」(おすすめの一品)と同様に私の「短編作品BEST3」に入る作品である。 私が墓場へ行くまでこの地位が揺らぐ事はない(言い切り)。そして宮部さんの作品の中で個人的に一番好きな作品かなと思う。
 
 とにかく掛値無しの傑作である思う。正直な所そのコメントだけで、
ランキング落ちているので、ぽちっと押してやって下さい。 お願い致します。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
にほんブログ村
人気ブログランキングへ
と締めていいかな思う位「とにかく掛値無しの傑作」という言葉がふさわしい作品である。
 
 宮部さんは多才な書き手だと思うけど、彼女の才能のあらゆる要素が集結された「THE才能est」的な作品だと思う。僅か数ページに「完璧な世界」というのを誕生させている。
 キャラクターの魅力、謎の設定の上手さ、伏線の張り方の見事さ、唸らせる謎解きと感動させる結末。
 褒め言葉ばかりだけど褒め言葉しか出て来ないのだから仕方がない。

 レビューで「6年1組の生徒になりたい」という言葉があったがこれは私も同意。この言葉がこの作品の最大の魅力を表現しているかもしれない。
 宮部さんは子供を書かせたら本当に上手い、作家としての才能の枠を飛びぬけている描写力だと思う。才能の枠で描かれているというより、彼女の心は子供の心と近似値な部分があるからではないか。

 権藤教頭は常に子供側に立ち、彼等の人間性を信じ意思を尊重する良い先生なのである。でも良い先生が故に校長先生になれなかったような不器用な先生なのである。こういう先生が自分のショーボー時代にいたら学校という世界ともう少し仲良く出来たと思う。良い先生との出会いは、自分の心の引き出しにずっと大切に閉まっておける宝物のような思い出を持てる。
 魅力的な6年1組の生徒達と権藤教頭とのユーモアと愛おしさ溢れるやり取りは読んでいてほっこりくる。 
  
 「私の叔父さん」もそうだけど謎解きが単なる「答え」というだけではなく、解説者の北村薫さんがおっしゃる通り「謎を語ることが見事に魂のこもった物語を語っている」からこそ「マイベスト」作品なのである。
 何故子供達が課題に「サボテンの超能力について」を選んだか種明かしされた時気持ちよい程「やられた」と唸った。謎解きのカタルシス以上に子供達の心意気にシビレた。
 更にラストの締めが謎解きとの相乗効果で本当に感動させてくれる。
 
 ただただ幸福感を味あわせてくれるラストで、幸せをごちそうになりました。
 

今度こそ本当に、ぽちっと押してやって下さい。 お願い致します。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
にほんブログ村
人気ブログランキングへ

| 宮部みゆき  | COM(4) | TB(0) |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。