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2010-06-30 (Wed)


 呼人は生まれた直後に母親に捨てられたが、母親の妹であった妙子と彼女の夫悠二の若い夫婦に愛情一杯に育てられた。
 1985年呼人が12歳の時、友達の潤と厚介とそして密かに憧れる小春と忘れ難い夏休みを過ごす。
 そんな幸福な日々を送っていた彼に少しずつ残酷な現実が襲ってくる。12歳以後体の成長がピタッと止まってしまったのだ。
 外見は子供のまま生きざる終えない呼人に社会はとても厳しかった。
 自分の過酷な運命に萎えそうになるが、実はこの運命を呼人にもたらしたのは両親であり、父親は亡くなったが母親は生きている事を知る。
 自分がこの姿でここにいる理由を母親に問う為に彼は行方を捜す。。。 
 

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 「大人になんかなりたくない」という言葉はどこか幼い純粋さと甘えも感じるセリフでくすぐったくもあり、でも反面「大人なんて汚い」と同じ位手垢のついた言葉ではあると思う。  
 自分が子供の頃によく思った。ずっと夕日が沈む草原で遊びまくるようなそんな時間が止まったままであれば良いのにと。
 でも実際「子供のままでいる」というのは決して「幸福」に属するものではないと再認識させられた。

 最初は「ジュブナイル」的な話だと思っていたらだんたんとSFチックな展開も入り込んである種の哲学的な流れへと合流している。
 呼人は奇天烈な両親の人体実験の結果12歳で成長を止め、本人が望む限りは死なない人間になってしまう。すなわち永遠の「ピーターパン」である。
 成長という当たり前の時の流れに「取り残された」呼人の孤独が切なかった。彼を愛する育ての両親がいても彼は常に無人島に1人取り残されているのだから。
 昔から古今東西色んな人間が不老不死の野望を抱いたと思うが、実際誰もなった人間がおらずその孤独を知らないからこその見果てぬ「願望」じゃないのかなと思う。
 まあ不老はともかくとしても本当に不死になったらいつか必ず生きる事に疲れる日がやってくるのではないか。
 
 かつて呼人の友達だった小春や厚介や潤は皆大人になって彼を置いてきぼりにする。でも彼等は大人になった世界で厳しい現実に傷付いてボロボロになってしまう。
 そんな彼等が自分達が無くした宝物を持ち続ける子供のままの呼人に安らぎを感じ、そのままでいて欲しいと願う思いには共感すると共に切なくなってくる。
 それは置いていかれた呼人からして見れば残酷だろう。元の世界が恋しいと言われてもそれは「閉じ込められていない者」のある種の傲慢さだ。
 大人になって子供時代には想像もしなかった事で傷付きそれが故に無くす事も多々あるだろうけど、だからと言って宝物を手に入れられないわけでもないと思う。
 大人だからこそ見える景色はあるはず、そこにはウェンディもティンカーベルもいないけどさ。
 でも抱えた傷や痛みがフィルターとなって初めて見えてくる世界もある。
  だからピーターパンを卒業した彼等に「頑張れよ」と応援したくなった。

 「永遠」ってなんだろうなと思う。この作品には題材故に「永遠」という言葉がよく出てくる。
  私にとってはその言葉はサイズが大き過ぎて手に余る。死ぬ為に生まれてきた私達には「永遠」はない。
 自殺を決意しながらも死ねなかった呼人に友達が「どうして生きたいのか教えてくれよ」という問いに「もうすぐクリスマスだよ。パーティーが始まるんだよ」と応えるにジーンと来た。
 生きるというのはつまりこういう事なんだうなと。
 永遠はなくても生きているという「今」という瞬間はあるんだよなあと思った。そういう身近なサイズというのを大事にしたい。 
 
 光あるラストはやはり野沢尚さんはロマンスチストだったんだなあと改めて再認識させられた。 

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| 野沢尚 | COM(2) | TB(0) |
2010-06-27 (Sun)
 

<ストーリー>
工事現場で働く無愛想な大工チョルスと、おっちょこちょいだが純粋な社長令嬢スジン。住む世界の違う二人は思わぬハプニングで出会いまっすぐに恋に落ち、結ばれる。愛を信じず独りで生きてきたチョルスはスジンのピュアな気持ちから、人を愛すること、許すこと、そして信じることを覚えていく。建築家として活動を始める夫と、才能あるファッションデザイナーの妻。夫のお弁当にご飯だけ2つ包んでしまったり、自分の家さえ探せずに道に迷ってしまうような彼女の物忘れさえ、しっかり者の夫には愛おしい。目が眩むほど幸せな日々。しかし、大したことではないと思っていたスジンの物忘れは段々と深刻になり、不安から医者を訪れたスジンが宣告された言葉は「若年性アルツハイマー」。それは肉体的な死よりも精神的な死が先に訪れる病。「もう優しくしないでいいよ。どうせ忘れてしまうから」と涙をこらえて訴える妻に、「俺が全部覚えておくよ。俺が君の記憶になるから」と伝える夫。この日から失われていく記憶をつなぎとめるための2人の闘いが始まる。壁一面に貼られた1000枚にも及ぶメモ、メモ、メモ。それでも彼女の記憶はこぼれていく。家族が誰なのか、自分は誰なのか?遂にはチョルスの目を見つめ、昔の恋人の名で「愛してる」と微笑むスジン。絶望に心を乱されながらも、彼女を見守っていこうというチョルスの気持ちは揺るがない・・・。-アマゾンより









 この映画は本当に「ベタな悲恋物」である。
 私は普通こういうベタな作品は好きではないのだが、人間たまにベタなもの食したくなる「迷い」の時もあり、それでついつい借りて見てしまった。

 まあ、予想通りベタな展開であった。が予想外に良かったのである。
 一歩間違えたら安っぽいお涙頂戴的な作品になる材料を抱えているが、上手い具合に組み合わせて良い作品に仕上がっている。こういうのを見ると安っぽい材料でも見せ方次第で活きてくるんだなあと思った。
 要所、要所でポイントを掴んでいて作品を締めているのも上手い。
 
 それと演じている役者の力量による部分が大きいというか大部分それだと思う。
 無骨な大工チョルスをチョン・ウソンさんが非常に魅力的に演じていらっしゃる。
 ちゃんと人物の感情をリアルに伝えて、愛する相手に対する愛情が純粋に見てる側に響いてくる。
 社長令嬢役のソン・イェジンさんはとにかく可憐でかわいいのである。もう彼女のかわいさはこの作品においては芸の域 に達している。それ位彼女の可憐なかわいさはキーである。
 本当に素晴らしいキャスティングとお2人の名演である。

 前半は後半の悲劇への布石の為なのか、かなりご都合主義なハッピーな展開である。
 でも不思議と全然突っ込もうとは思わないのである。どれもが必要なパズルのピースなのだと納得感がある。
 ただ後半が悲劇になるのがわかっているだけにハッピーな展開は少し胸が痛くなる部分もあった。
 「ああ、これだけハッピーだけど後半は。。。。。」  
といつかくるナイアガラの滝にドキドキしていた。

 後半以降は悲劇がもたらされる。
 若年性アルツハイマーだと診断されたソン・イェジンがチョン・ウソンに「記憶が消えてしまうのなら愛とかに意味はない」(多分こういう内容)と言うが彼は「それでも魂の部分で覚えている」(これも多分こういう内容)と応える。
 自分も凄く同意してしまった。
 記憶が消えたからと言って色んな事全てが無に帰るわけではないとこれは断言したい。陳腐な言葉になるけど、人間の魂の部分は間違いなく刻まれているはず。例え表面的には何もないようになってもちゃんと残ってる。
 多分私等はそういう素晴らしい部分を持っている存在だと思う。

 この作品は人を人を思う素直な気持ちがシンプルに描かれていて大事な事を再確認させてくれる。
 ソン・イェジンはチョン・ウソンを傷つけたくないから別れたいと思い、チョン・ウソンは愛するからこそ彼女側にいたいと思う。
 私も多分彼女と同じように別れる方を選ぶ気がする。相手を傷つけたくないのは勿論、壊れていく自分を見て欲しくないとも思う。愛する相手だからこそ余計にそう思う。
 ラスト辺りは少し泣けてしまった。こういう映画に感動はしても泣かされちゃいけねぇと思っていたが、切なくて泣けていた「やられたなあ」とも思ったが。

 テーマがテーマなだけに光のあるラストではないがダークさではないラストシーンが良かった。

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| 映画 | COM(2) | TB(0) |
2010-06-26 (Sat)


 インテリアコーディネーターの今村千鶴は29歳独身。
 周囲の友達が結婚して行くあせり、仕事はやりがいがありつつも色々不満があり、そして現在恋人はおらず以前自分が振ってしまった吉川智樹に未練を抱いていた。
 そんなどこかもやもやとした日常であるきっかけで出会ったのが重松亮子。千鶴が住む高級マンションの向かいにあるポロアパートに彼女は住んでいた。
 今まで千鶴が付き合ってきた友達とは生活環境もタイプもまるっきり違う亮子ではあったがどこかやぼったい冴えない彼女に優越感も感じ、また吉川に「自分と同じ美意識を持った人間としか付き合えない」と言われた意地もあり交流を深めていく。

 仕事の為に三ヶ月間NYへ言っていた千鶴は帰国後別人のように美しく洗練された亮子を見て驚く。
 どうやら恋人らしき人が出来たようなのだが、それまで自分より劣っていると思っていた亮子の思わぬ変貌に嫉妬とあせり憶える。
 そして2人の仲は以前との関係性が変化した事により思わぬ展開を見せていく。。。。
 

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 新津きよみさんは素材コーディネーターとしての才能はある方だと思う。
 面白い素材を用意して独創的な作品を仕上げていくスタイリングは読んでいて「ほほお」と思う面白さはあるし、メニューの盛り付けも読ませてくれる。
 だがたいてい中盤以降は物語の手綱を上手くコントロール出来ず失速し「はあ?」という残念な感想で終わってしまう。
 それがいつもいつも惜しいと思う、才能の煌きを感じるだけに。
 短編はその才能を活かしてキレがあって面白い作品が多いのだけど、長編はたいてい竜頭蛇尾で期待外れに終わる場合が多いので最近は読んでいない。
 多分新津さんは短距離ランナータイプの書き手さんなんだろうなと思う。
 当たり前だけど短距離ランナーの名選手が必ずしも長距離で活躍出来るわけではない。

 ただこの「女友達」だけは見事長距離完走!!!で面白かった。
 ジャンル的にはサイコサスペンスである。
 まず導入部分は千鶴と亮子という2人の女性の人物描写にページが割かれている(それが中盤以降の展開の面白さの助走になっている)。
 千鶴が満たされていない日常の中であきらかに住まいも容姿も劣っている亮子に優越感を抱き屈折した慰めを見出している描写が本当に嫌らしく書けていた。
 でも女性ならそういう屈折した感情に共感出来る部分もあると思う。
 男同士でも程度の差はあるにせよ優越感に浸ったり劣等感を持ったりというのはあると思うが、女同士になると余計にその気持ちに情念篭ってると思う。

 中盤辺りから亮子のキャラが変貌していく。この辺りの変貌ぶりが面白い。
 以前の亮子はどこか冴えない地味な女性だけど手先の器用さ等も活かして親切な女性であった。でもどこかピントのズレた部分もあってクセがある人なんだと思わせる。
 そして変わってからの亮子は内側に押し込んでいた感情を解放するかのようにしたたかに欲しい者を手に入れていこうとする。
 亮子のずるさが絶妙な匙加減でこれまた嫌らしく書けていて面白かった。 本当に女性の「陰」の部分がリアルに書かれていてる。

 千鶴と亮子の仁義なき戦いが中盤以降をぐいぐいと引っ張っていく。とにかく女同士のドロドロした感情が「そこまで書かなくても。。。」という位てんこ盛りであった。
 女性同士のバトルがやがて後半以降の惨劇へと繋がっていく。

 1人の人間が「壊れていく」さまは怖かった。こういう流れは予測していなかっただけに。
 だがその壊れた影には「孤独」があったのだ。
 千鶴も亮子もどちらも抱いていた「孤独」、それが故に親しくなった2人はそれを理解し合い共鳴出来る余地があったはず。
 でも互いの孤独を慈しむ以前に女性としてのプライドの張合いの果てに、「彼女」(ネタバレになるのでどちらの女性かは伏せます)を更なる狂気へと追いやる事になった。
 ラスト辺りで気持ちのすれ違い故に誰もが傷付き大事なものを無くし、その喪失感が悲しく響いてきた。それ故今まで新津さんの作品にはなかった「深み」がこれにはあった。
 まあ、意図したわけではなく結果的にもたらされたものかもしれんが。
 
 壊れた時は男性より女性の方が怖いよなと思わされた。     

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| 新津きよみ  | COM(0) | TB(0) |
2010-06-23 (Wed)


 主人公の一杉研志は子供の頃に妹を殺された。
 そして現在は警察官となりある幼児殺人事件を担当する事になる。加賀美という男が逮捕され彼は検挙こそされていないが前歴があり、色んな材料がクロだという印象を与えていた。
 だが元刑事である宇津木は、今回の事件は15年前の一杉の妹が殺された事件を発端とした幼児連続殺人事件で犯人は別にいると言う。
 馬鹿馬鹿しいと思いつつも一度吹き込まれた疑念は消せず渋々宇津木に協力する事になる。
 妹を殺した犯人である望月悟が刑期を終えて出所していた。彼の無実を確信する人間達によって裁判の再審請求を求める会が発足されいる事に強い憤りと不満を持っていた。
 果たして今回の事件で逮捕した加賀美は本当に真犯人なのか?
 15年前の一杉の妹が殺された事件の犯人とされた望月は無罪であったのか?
 一杉は疑念が渦巻く中真実を知る。。。

 
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 久々に面白い本を読んだと思ったのがこの「図地反転」である。
  「図地反転」とは「図と地(背景)を逆転して見ることのできる絵を、逆手に気づいたとき、逆転した絵のみでしか見えないこと。思い込みによる刷り込み。」
  との事。
 よくあるパッと見はツボだけど見方を変えると向かい合っている人の横顔という奴である。
 このタイトルは物語の内容に良くあっていて上手い。タイトルだけで読み手に「何かあるなという」期待感を与える。
 
 読んでいてどのように着地してくれるのだろうとドキドキした。加賀美という男は犯人なのか?望月は無実なのか?だだただストーリーの行き先を楽しんでいた。
 色んな材料や設定が上手く物語というベルトコンベアーの流れに運ばれて出口へ向っている気がした。
 でもレビューを読んだらあまり評価されていないのがちょっと驚いた。
 ラストや人物達の書き込みが中途半端という声が見受けられるが確かにそういう問題点はあるが、そういうのを差し引いても面白く仕上がっている作品だったから。
 個人的には堪能したんだけどなあ。

 ある方のレビューに「すっきり物語を終わらせなかったことは賛否両論だろうが、この余韻は作品に合う。声高に「冤罪」を叫ばないことが、心に沁み込み、突き刺さる」とあったが私もこの方と同意見である。 確かにラストの締め方が消化不良だと思われる意見は理解出来る。
 でも私はよくあるように明確な着地点で物語を充足させる収め方よりも、そのラストの不足感というかおっしゃる通り余韻となっていると感じる。
 冤罪の怖さを控えめなトーンで綴っているこの作品にはが似合っている気がする。
 これでラストで声高な主張があったらその方が違和感持っただろう。

 読んでいて改めて思ったのは結局警察の捜査自体「図地反転」的な危険を常に孕んでいるというのが恐ろしい。
 犯人という見方を持ったらもうそれしか見ないしその見方に合うものしか採用しない。下手したら反証証拠も握り潰してしまう。それが決してフィクションではないのは未だに無くならない冤罪が証明している。
 人間だから間違えないのは無理だろうけど間違えて冤罪を生み出すのと、無理やり押し通して冤罪を生み出すのでは罪深さが違う。
「警察」という一応は「正義の側」とされる組織が腐敗していると「悪とされている組織」より始末に終えないといと痛感した。
 
 著者の方が 
「無実の人を犯人にするだけでなく真犯人を逃してしまう。冤罪にはそんな二重の怖さがある。少しの間違いで、悪意のない人間が事件に巻き込まれる様子を描きたかった」  
 とコメントされていたが本当に二重の罪である。
 真犯人を逃した事によりその後真犯人が犯すの犯罪を防げない事すらあるだろう。
 神ではない人間が裁くシステムの深い深い闇を見た気がした。
 

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| 曽根圭介 | COM(0) | TB(0) |
2010-06-19 (Sat)
 

 自選短編8種

 「手紙嫌い」
 志逗子は「手紙」が大嫌いで、彼女の手紙への嫌悪は異常とも言えた。
 しかしある必要性に迫られて彼女は手紙を書く一大決心をする。
 その為に「実践・特殊手紙文例集」なるものを購入してそれをお手本に書こうとするが、手紙文例を読んでいるうちに志逗子が手紙嫌いとなった原因が判明する。。。。
 
「船上にて」
 「私」は豪華客船でふとしたきっかけでハッターという引退した宝石商の老紳士と出会う。気が合い共に行動する事になり、ハッターがかつて濡れ衣でダイヤの原石盗難事件の犯人されたいきさつを聞かされる。
 妻と死に別れひとりで世界旅行をしている彼だがトマスという甥も船上にいた。親から莫大な財産を受け継いだ彼だが変わり者でもあった。ナポレオンが三歳の時の頭蓋骨をとんでもない値段で購入しそれを嬉々として2人に語っていたが、ある時それが盗まれたと大騒ぎをする。 


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 私にとって「若竹七海」さんはジャケ買いならぬペンネーム借りをした作家さんである。
「若竹七海」という漢字の並びは四文字熟語を思わせる流麗さを感じさせ、ななみという名前の響きが素敵である(昔から子のつかない名前に弱い)。
 ペンネームが気に入って出会ったという、自分にとってはめずらしいエピソードを持つ作家さんだ。
 
 出会い方はええ加減だけど良い巡り会いをしたなと思う。
 この方も割りと波のある作家さんだけど乗っている時はブラックティストが効いていて面白い。でもそのブラックテイストの主原料は苦味とは若干意味合いが異なっている。
 苦いのは苦いのだけどもう少しパンチのある「毒」という感じかな。それ故、人によっては苦手に思うかもしれない。その辺りが好みの分かれる部分かなあと思う。
  あとユーモアも効いているけど、たまにどこか突き放したような冷たさを感じさせる作品もあってその温度差が個人的に好きである。 
 
 今回の8遍はご自身が選ばれたそうだけど、どれもキレがあってオチもひねりがあって面白い。
 本当にどの作品もよく練られた感があって質が高く、また色んな趣のある作品達で、正に豪華高級幕の内弁当という感じである。
 若竹さんを未読の方でどういう作家さんか知りたい方にはお勧めの短編集ではないだろうか。

 「手紙嫌い」はブラックユーモアがある。確か推理作家協会の代表作選集に選ばれた一品のようだが上手い。特殊な手紙の文例集が載っているのだけど脅迫状の書き方とかがうけるうける。それに対する志逗子の対応とかも面白い。若竹さんのユーモアって結構好きである。淡々さの中にある冷静なユーモアがおかしい。
 ラストで志逗子の手紙嫌いの真相がわかるけどオチが上手いなあと思った。それまでユーモアな世界が一転ブラックに落ちて「持って言った」感じである。 

 「船上にて」はこの短編集の中では色合いというか雰囲気が違う。外国物の新本格派という感じでラストに収められているのだけど、それまでの作品とは違う趣におやっと意外性があって強く印象づけられる。
 本当に外国ミステリーというタッチで翻訳物だと言われても納得したと思う。
 キマッテイル作品で読み終えた時「おお」と思った。若竹さんもこういうのが書ける人だったんだなあと、隠れた実力も見せ付けられた。

 お試しに丁度良い味と質と量である。

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| 若竹七海 | COM(9) | TB(1) |
2010-06-16 (Wed)
 

 不祥事の為に警察官を辞職した佐伯は今は小さな探偵事務所に雇われていた。
 その事務所にある老夫婦から人探しの依頼が舞い込む。11年前に自分達の1人息子を殺し、今は少年院出て社会復帰を果たしているはずの坂上という男を探し出して今の暮らしぶりを調べた上で、赦すべきか赦すべきではないのかを判断して欲しいというものであった。
 佐伯自身姉をむごたらしい犯罪で殺された犯罪被害者遺族であり、到底加害者を赦せない彼にとって苦悩の仕事となるが。。。

 この事件を契機に事務所では犯罪の加害者の追跡調査を請け負う事になり佐伯は様々な事件の加害者と関わっていく。
 そして佐伯自身もまた姉を殺した加害者達を追跡していく。
 

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 薬丸岳さんとの最初の出会いは江戸川乱歩賞受賞作の「天使のナイフ」である。
 この作品の記事もいつか書こうと思うのだけど、それまで読んできた江戸川乱歩賞受賞作品の中でも一際深みというか奥行きを持った作品であった。
 勿論ミステリーが主体ではあるけどそれだけで終わっていない。
 デビュー作というのが意外な程犯罪加害者の贖罪の思い愛する者を失った人間の思いが物語に宿っていて、その思いが体温と共に伝わってくる感じだ。
 楽しみな作家さんが誕生したなと喜んだ。

 この作品も犯罪を犯した加害者側の人間が出てくる。
 自らも犯罪被害者遺族である佐伯は仕事柄何人もの犯罪加害者と関わる事になり、身を切り刻むような思いをしながらを「罪と罰」に対峙していく。
 佐伯の姉を殺した犯人達との絡みを主軸に幾人かの犯罪加害者とそれに関わる人間模様の連作になっているのだけど、色んなタイプドラマの引き出しがあって読み応えがあった。

 読んでいてしみじみ思ったのは、 
「何を持って罪は許されるのか?」 
という事である(あくまでも殺人限定として)。
 勿論法律上の裁きはあるがでも刑期を終えたから罪を償った事にはならないだろう。あくまでもそれは社会規範上償ったに過ぎない。
 被害者遺族が許さない限り罪を償った事にはならないのかもしれないが、では遺族はどのような謝罪と行為をもって加害者を赦せるのだろうか?
 加害者の悪党の1人が、
 「許すことなどできないだろう。悪党はその事を自覚しているんだ。だから、許してもらおうなどという七面倒臭いことは考えない」
 この言葉は救いが無いが真実の一面を現していると思う。
 命を奪われた者の遺族が奪った側を赦す事は無理だろう。私個人は人の命を奪った人間の罪は許される事は基本は無いと思う。
 だからこそ人の命を奪うのは禁忌なのである。

 佐伯の父親は同様の悲しみと苦しみを持つが息子に「俺達は絶対不幸になっちゃいけないんだ」と言うシーンは心に響くものがあった。
 犯罪被害は紛れも無く不幸だけど、だからと言って不幸に取り込まれてしまってはいけないんだよなと。
 取り込まれてしまったら理不尽な運命に屈服してしまうような気がする。
 突然の犯罪被害は避けようが無いけど、でも不幸かそうじゃないかの状況を選択出来る余地はある。

 この作品の中で暖かな光を感じた箇所であった。  

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| 薬丸岳 | COM(2) | TB(0) |
2010-06-13 (Sun)
 

 副操縦士の鈴木和博は機長への昇格訓練を受けており、今回のホノルル行きのフライトが昇格の分かれ目だった。教官が温厚な望月で安堵したのも束の間、望月が風邪をひき、代わりに厳格な原田が鈴木の教官を務めることになった。
一方今回のホノルル行きが国際線デビューとなるCA・斉藤悦子。だがその便には厳しいことで知られるチーフパーサー・山崎麗子も乗務していた。そしてグランドスタッフの木村菜採もまた仕事に限界を感じ辞めようかと考えていた。
ホノルル行きの便は離陸前の多様なトラブルがありながらも出発。機内では鈴木が原田の指導に戦々恐々とし、悦子は次々と繰り出される乗客の指示に右往左往。そんな中、彼らの乗る飛行機に非常事態が発生する。-ウィキペディアより







 この作品は純粋に「面白い」というコンテンツに浸る事の出来た作品である。
 映画キサラギを見た時にも思ったけど、そういうシンプルな要素はとてもリラックスして楽チンに作品を楽しめる。
 「面白い」という一点を楽しませるのは簡単そうに見えて実はごまかしの難しい技なんだろうなと最近思う。
 監督さんはあの「ウォーターボーイズ」を作られた矢口史靖さんである(脚本も担当)。
 矢口監督は「笑い」を丁度良い匙加減で見せられる稀有な監督さんだと思う。
 関根さんのギャグを洗練にスマートにしたような笑いとでもいうのか(わかるでしょうか?)。
「この監督の作品なら間違いなくおもろい!!!」とブレのない安心感を抱かせるのは地味に凄い。

 主軸は「航空機現場の裏側全部見せます」(このタイトルが懐かしく思う方は私とだいたい同年代ですね)若しくは「航空機現場のトリビアの泉」なストーリーでそこで働く人々の人間模様をコメディタッチで描かれている。

 幾つかトリビアをご紹介すると、 
 表向きは華麗なCA(昔のスチュワーデス)も裏に廻れば忙しい中ご飯を食べるのも味わうのではなく口に押し込んで短時間で済ませる。特にCAの1人が健康足踏みで足ツボを刺激しながら食べているシーンは笑った。
 グランドスタッフの受付の女性が座席を上手く埋める為に乗客に席の変更等をお願いするのだが、人の良さそうな人間を物色してお願いするのはリアル感満点である。でもその定めたターゲットが実は怒りキャラの時には「キャラ違うじゃん」と呟くのはウケタ。

 勿論非常に勉強になるトリビアもある。
 整備士はボールペン一本でも無くせばそれが見つかるまで帰れないらしい。映画では一本のスパナを紛失した整備士のエピソードが出てくるがゴミ箱まであさって探すのである。
 驚いたのは鳥の被害というのは意外に大きいという事である。離陸時に鳥と衝突して飛行機の大事な部品が壊れてしまう事もままあるらしい。鳥をパトロールする人もいるのは初めて知った。

 かのようにまことに全編を通して飛行機現場の裏側のエピソードが盛り込まれていて「へぇ」の連続だが、上手いのはそれが決して説明調のエピソードになっていない事である。
 きちんと物語を支える細胞として魅せるエピソードとして成立している手腕は素晴らしいの一言である。

 勿論単に面白いだけではない。面白さを支える人間模様のドラマがあってこそである。
 如何に飛行機が無事安全運行するのにどれだけの人々の支えがミクロ的にあるのかを知った。
 現場で働く人々の「仕事」に対する真摯さにちょこっとだけ感動し、厳しさ大変さに共感を憶える。勿論どこの職場でも仕事の厳しさはあるけどそれを超えた時に伴う喜びに感情移入してしまう。
 そういうのが巧みなエピソードと個性的な役者さんによる味付けであきさせない。

 ただ一点だけ残念なのは飛行機現場の群像劇なのですくいきれない箇所もあるという事かな。
 だから「ウォーターボーイズ」の完成度と比較してしまうと物足りなさを感じてしまうと思う。
 でもまあ贅沢なコメントかもしれない。

 お勧めの映画である。

 
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| 映画 | COM(3) | TB(0) |
2010-06-12 (Sat)


 ジャスシンガーとして生きる杏子には暗い過去があった。
 暴力団員である元夫の石神には精神と肉体共にボロボロにされ、なんとか離婚できてようやく新たな人生を歩み始めたばかりであった。
 杏子にはある特殊な能力が有り、だがそれは石神から受けた精神に歪みを起こさせる暴力がきっかけとなり目覚めた能力であった。
 その能力とは「場所」に残された声を頭の中で聞き自分の口を通してその声を再生出来るというもの。
 杏子にとっては忌まわしい能力であったがあるきっかけで警察に知られ、その後も何度も捜査に利用しようと協力を求められる。
 杏子は苦渋の選択でその要請に応じるが。。。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 柴田さんの作品の出来は大波小波と波がある場合が多いが、この作品は中波位で波から落っこちる事なく一応乗れている感じである。
 中波と評したのはもっと良い作品になる余地があるのに各々のピースを活かしきれていないような箇所もあり、それと少しご都合的な所もあって惜しいなあと思う。

 私は基本的に日常に出てくる超能力者の話しは好きではない。
石ノ森章太郎氏のかの名作「幻魔対戦」や大友克己氏の「AKIRA」のようなパラレルワールド(超能力者がいても違和感無い設定)における超能力の話はワクワクドキドキして好きなのだが、ベランダに干された洗濯物や買い物かごに入った白ねぎ(あくまでも私の中の日常のイメージ)が出てくるような日常における超能力者というのはなんだか不似合いで反則技のような気がしてしまうのである。

 それでもこの作品を私が受け入れられたのは元々杏子は超能力者ではないが理不尽な経験によるトラウマで能力を目覚めさせられ、その能力に苦しみながらも自分自身の弱さと戦う一人の女性の再生の物語という日常的な題材が着地点となっているからだと思う。
「超能力」はあくまでもその為のモチーフという位置づけで、超能力者同士の仁義無き戦いなど出てこないのだ。
 面白い事に杏子の再生を示すバロメーターのように、彼女の能力は物語が進むに従って残響を捉える能力が変化していく。
 最初は恐怖というバイパスが必要な為か元夫である石神が一緒でなければ発揮出来ない能力であった。
 だがいつまでも彼に縛られたくないという意志が、自分と同様の悲惨な仲間を見つけるという逃避で残された「声」を聞くのではなく誰かの為に役立ちたいとい前向きな使い方になっていく。
 また仕方なく捜査に協力していた杏子だが事件と向かい合うたびに、その事件の真実に触れその悲しさと残酷さにもまれているうちに皮肉な事にたくましくなっていく。
 こういう気持ちの変化のディティールが丁寧に書かれておりそれは読み応えがあった。

 ただそういう部分がメインだから超能力を使って解決する事件そのものはそれ程ひねりがなくあまり面白くこの辺りは残念である。
 ここが活きていたら大波へ昇格なのだが  

 杏子を取り巻く人間模様は中々に面白い。
 密かな思いを抱くが妻子持ちであるピアニストの東海林や自分とは正反対の強い意志を持つ女刑事の葵。そして石神。
 脇が魅力的だとやっぱり物語は映える。
 特に一番興味深かったのは石神で、最初は悪いやっちゃと思っていたが実際悪い奴なのだけど型にはまった悪キャラではない。
 ラストのラストで石神にまつわるエピソードを、この連作集のタイトルとなっている「残響」を上手く織り込んだのはなんだかジーンと来てしまった。

 心憎い締めであった。

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| 柴田よしき | COM(2) | TB(0) |
2010-06-09 (Wed)


 「デジ・ボウイ」
 中学校三年の直樹は将来の受験の為に父親の海外勤務に伴いチュニジアにいる家族と別れ、勇おじさん一家と暮らすことになった。
 おじさんの家にはおじさん夫婦と高校生の寛子、小学生の結季、そして直樹と同い年の彰文がいた。
 彰文はほとんど勉強しなくてもトップクラスの成績で直樹はライバル心を燃やしていた。
 だが一緒に暮らしている内に彰文が相当の変わり者である事を知る。無感動、無感情で欲望も無く、いつもクールで淡々としていた。
 直樹はどんな事があっても感情を露にしないしない彰文にだんだんイライラした気持ちを抱き、色々とうるさく注意するが暖簾に腕押し的にまるで効果がなかった。
 結局そりが合わないのだと自分に納得させるがその矢先に直樹はある事件に巻き込まれる。

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 乃南さんも短編の上手い方だけどこの短編集はまあまあかな(エラそうです)。
 主人公は皆愚か者で読みながら、
 近藤雅彦の「愚~か~者よ♪♪♪」 (この歌知っている人どれ位いるのだろう)
 のサビ部分が頭の中にこだましていた。
 主人公達の愚かぶりを馬鹿だなあと思いつつも自分はこんな風にはならないなと、彼らの愚かぶりを読書のつまみにしていた。
 悪趣味である。

 その中で唯一「デジ・ボウィ」だけが他の短編と違う風味に仕上がっている。私はこういう異端者の物語が好きなのだ。
 主人公直樹の従兄である彰文はロボットのように感情がない。何あっても気持ちがブレたりする事かなく、周囲の人の事も自分の事すらにもまるで関心が無い。
 当然だがそんな彰文に生きている実感は無く生への執着も薄い。なんだか彼がとても気の毒というか可哀想だと思った。
 勿論実際彰文のような少年がいてその人間に気の毒というか可哀想だとか言っても彼はなんの事か全くわからないだろう。
 世の中には生まれつき人間として大事な何かが欠けて人間はいる。病気だからとか、つらい目に合ったからとうのでもなく、本当に最初から無いのだ。だから努力とか治療とかで改善出来る余地は無い。
 こういう人間は痛切に「哀しさ」を感じてしまう。
 欠けているのは本人のせいではないし、元から無いから取り戻す事も出来ないので切ない。

 逆に直樹は熱血な活力に溢れた少年で悔しい事があれば悔しがり、怒る事があれば怒り、笑う時は笑うというごく普通の少年である。
 全く対照的な2人の少年の絡み合いが物語を盛り上げている。2人の噛み合わなさというか互いに互いが全く理解出来ない感がよく書けていて、個人的には直樹の方に感情移入してしまうが彰文にも彼の喪失されているものに対して惹かれるものがあった。自分も異端者なのかな思う。

 ラストは意外であった。
 他の短編の流れでなんとなく手加減の無いラストだろうなと予想はしていたけど、ただ他の作品とは違ってある意味感動というか救いを持つ終わりになっておりこんな心揺さぶられる展開が待っているとは思わなかった。
 あの終わり方を救いというのは語弊があるような気もする。そう言って良いのだろうかと。
 彼の行為は突拍子もなくてそのありえなさが異端者振りを深めているけど、でも他人に関心もなく関わる事も無かった彼が咲かした唯一の花のような気がした。
 多分彼なりの咲き方に救いのようなものを感じてしまった。

 こりゃ一本取られたラストであった。

  
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| 乃南アサ | COM(4) | TB(0) |
2010-06-05 (Sat)
 

 保険会社に務めるOL5人組み。
 30過ぎていくおくれの地味で堅実な康子。
 得意の英語で自立を目指しひたすら自分磨きをする沙織。
 25歳までには結婚したいと考えている美人で計算高いリサ。
 職場結婚の為にリストラされたみどり。
 おっとりと見えてちゃっかりと美味しいとこ取りする紀子。
 それぞれ立場も目指す方向も違うが幸福になる為に模索する姿が描かれている


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 まずタイトルがいい。
 「ジハード」と一般的には「聖戦」という意味だが、正に女たちの幸福になる為の聖なる戦いである。 
 紀子を除く4人の女性は王子様を待つシンデレラではない。とっくにそんなものからは卒業して己の持つ武器(力)で人生を切り開いていこうとする。
 ガラスの靴を脱いだ女たちは「戦士」なのだと思った。その戦いぶりがユーモアと軽快なタッチで描かれていて女性だけではなく男性も楽しめるのではないだろうか。
 書き手の篠田さんの文章が巧みで挿入されているエピソードやディティールが現実感を増し、それらが作品世界の細胞組織をしっかりと作り上げて登場人物達が本当に活き活きと感じられる。

 5人の中で主に康子とリサと沙織がメインとなり「戦いの物語」が綴られているがこの作品はまた彼女達の「成長物語」とも言える。
 彼女達は迷ったり、悩んだりしながらも人生を自分で選択して切り開いていく。
 それは必ずしも自分が望んでいた結果とは違うものをもたらす場合があるけど、それでも前向きに自分が選択した人生を懸命に生きていく姿がたくましく読んでいてファイトが沸いてくる。
 私もまた幸福を目指す「女戦士」だからだ。

 特に一番成長というか変貌したのは康子だと思う。
 康子の物語は読んでいて面白い内容が多く、恐らく最も感情移入し易いというか応援したくなるヒロインである。
 結婚をあきらめ自分の城を持とうと競売物件のマンションをヤクザと競う「シャトレーヌ」の章は面白さ抜群の出来だ。
 元々は彼女はリサや沙織等と比べるとやや覇気に欠け、ちゃんとした将来設計のビジョンは持っていかった。
 その康子にはやりがいがある大きな可能性を持つ仕事を見つけ、伴侶となるかもしれない男性と出会い、自分の行く末を定め邁進する光ある未来を感じさせるラストが用意されている。
 康子が誰よりも頼もしく雄雄しく人生を切り開いていく「女戦士」となるラストはとても爽快感を感じさせてくれた。
 
 蛇足だけどこの作品は直木賞を受賞されたのだが、面白いのが解説で田辺聖子さんが男性審査員に一番評判良かった女性は紀子と書かれてたのがウケたというかやっぱりと思った。
 紀子は他力本願タイプで一見無欲そうで無自覚な計算高女とでもいうのか。
 大竹しのぶさんとか源氏物語の夕顔みたいな男性の保護欲をくすぐる、世の女性にとって一番の敵タイプで苦手なタイプだと思う。
 こういう女性は本当に美味しいとこ取りするのである。読んでいて紀子という女性の色んな意味でイラッとする感じがよく書けている。こういう描写は女性ならではなと感じる。

 私はただいま戦の最中である。  

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| 篠田節子 | COM(3) | TB(0) |
2010-06-02 (Wed)
   

 相馬克己は「奇跡の人」と呼ばれていた。
 それは八年前の大きな事故の為に彼は一度死にかけ、例え一命を取り留めたとしても植物人間になる可能性が高かったが己の生命力に支えられ見事死の淵から蘇ったからだ。
 それでも事故前のあらゆる記憶を全て失い赤ちゃんの状態から一つずつやり直さなければならなかったが、母親の献身的な支えもあって現在は中学生レベルまでの頭脳を取り戻していた。
 母親の死後退院し、31歳から新たな「相馬克己」としての人生を歩み始めるが過去の自分が気になり軌跡を辿って行くうちに残酷な事実を知る事になる。。。。


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 この作品は青春アイテムというわけではなく、記憶喪失となった青年の文字通り「自分探しの旅」である。
 
 前半は主として亡き母親がつけていた克己の闘病記と現在の彼の状況が織り交ぜられた巧みな構成になっており読み手を惹きこんでいく。
 もうダメだと思われていた克己が奇跡的に回復し未だに不自由な障害を残しながらも、そして支えとなっていた母親が亡くなった天涯孤独の状況でも、周囲に支えられながら今を懸命に前向きに生きる姿が綴られている。
 てっきりタイトルからも障害を越えてという感じの感動系の作品なんだろうなと思っていた。
 でも私はまだまだ真保さんを知らないんだなと思い始めたのは後半以降である。克己の「自分探しの旅」が本格化していく後半以降から作品の印象が変わってくる。

 はっきり言うと「自分探しの旅」を始めてからの克己は「変なおじさん」となる。
 克己が記憶喪失前の自分を知りたいという気持ちは理解出来るし、かつて愛し合った女性がいれば会いたいという思いは当然だと思う。
 ただ8年の歳月はそれぞれの生活があり事情がある。それなのにそれを搔き乱しまくっても自分の過去を追い求める姿に腹が少々立ってくる。しかもそれを自己正当化している辺りが私の怒りにご丁寧に油を注いでくれる。
 純粋だと思っていた克己がとにかく凄い自己中で身勝手な人間へと急変していき、読み手としては置いてけぼり感を抱いてしまう。レビューで克己の行動を「ストーカー」と言っていたが「おお、思わずその通り」だと思ってしまった。
 「奇跡の人」→「ストーカー」の図式には(ノ゚⊿゚)ノびっくり!!。
 また今の克己の知識は中学生レベルという説明があったが、自分の足跡を辿る時の手段などは大人顔負けの知恵を使うのは合点が行かない。その辺りにも違和感を覚えてしまう。
 ラストは登場人物の行動に共感しにくく私的には消化不良な締めであった。
 
 ただこの作品を読んで「記憶」について少し考えさせられた。
 それまで自分が生きてきた歴史が刻まれているのだから、記憶は自分が自分である事のひとつの指針だと思う。
 では「記憶を喪失する前の自分」と「記憶を失った後の自分」は同一人物なのだろうか?
人間は良くも悪くも環境によって形成されると思うが、そうなると持つ記憶によっては性格は多少なりとも違ってくるのだろう。
 臭いセリフだけど勿論魂の部分は変わらないから根幹の部分で「自分」を失う事はないんだろうけど。
 ラスト辺りで克己が自分の中に存在する過去の自分と今の自分で葛藤する姿は興味深かった。どちらも同じ克己なんだけど環境によって培われた人間性は違っている。
 環境(それによって形成される記憶)と人間性について考えさせられた。

 今回は残念な意味での「やってくれたぜ」であったかな。。。


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| 真保裕一 | COM(4) | TB(0) |
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