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2010-05-30 (Sun)
 

 初のテレビ出演を翌日に控えているギタリストの田辺翼は、ボーカルと反りが合わず、悩んでいた。元々、親友の秀和とコンビを組み、路上で歌っていたが、翼ひとりだけがスカウトされ、事務所に決められたボーカリストとデュオを組まされたのだった。そこに、厚生保健省の藤本という男が現れ、「イキガミ」を渡される。「イキガミ」とは、18歳から24歳までの若者に国から発行され、受け取った者は24時間後に死亡することになる…。-gooより

 間瀬元朗の同名コミックを、松田翔太主演で映画化したヒューマンドラマ。1/1000の確率で選ばれた若者の命を強制的に奪う“国家繁栄維持法”が施行された世界を舞台に、死亡予告証“イキガミ”を受け取った3人の若者を巡る最期の24時間を描く。-「キネマ旬報社」データベースより






 

 映画「イキガミ」のあらすじを読んだ時によほど失敗しない限りまあ面白いものになるだろうなと思った。
 「1/1000の確率で選ばれた若者の命を強制的に奪う“国家繁栄維持法”が施行された世界」
 というとんでも設定はこういう言い方はあれだけど、
 「物語を面白くドラマティックなものにする」のに美味しい素材とも言えるし、
  また「死を意識した人間の生命を耀かせる」感動生産装置とも言える。

 前半はgooのあらすじにも書いているようにミュージシャンとしての成功を夢見る田辺翼という青年の死を迎えるまでの24時間がクローズアップされている。
 個人的には導入部分となるこの物語はそんなに面白いとは思わなかった。勿論死を宣告された若者の切ない苦悩は見ごたえはあったけど。
 この物語は「国家反映維持法」という設定を見る側が馴染むための調整試合のように思えた。
 「イキガミ」を受け取った人間は交通費も食事も無料になるという設定なのだが、田辺青年が高級レストランで高いものから順にとオーダーを希望すると元々その場に似つかわしくない服装の田辺青年を胡散臭そうに見ていたウェイターがご予算は?と聞き返すがイキガミを見せたらコロッと態度を変えるのが印象的だった。こういう世界なんだなあと。

 でも中盤以降は二つの対照的な話が同時進行しだしてから面白くなっていく。
 飯塚サトシは目の見えない妹に自分の死後角膜を移植しようとするがそれを知ってしまった妹は拒否する。そして妹に移植手術を受けさせるためにある方法を取る。。。
 滝沢直樹は大物政治家の息子だが引きこもりで「イキガミ」が届けられた時は自殺しようとしていた所であった。
 自分の死すらも政治の手段に利用しようとする母親を憎みある行動に出る。。。
 「愛」と「憎しみ」の対照的な話の相互効果だろうか、互いに作り出す世界が交じり合いドラマティックな化学反応を起こして面白かった。

 主人公の藤本は自分の仕事に懐疑的な思いを抱く若者で次第にその思いを深めていく。
 それを松田優作さんのご子息である松田翔太さんが演じているのだけど、あくまでも個人的な意見なのだが存在感が薄いような気がしなくもない。周囲に飲み込まれているというか。
 ストーリー上藤本という役は狂言回し的な立ち居地になるからどこか引いたような感じがあっているのかもしれないが、役柄ではなく役者としての存在感がもう少しあればより作品世界に肉付けがされたのではないかと思う。
 もっと感情の部分がにじみ出るような演技があったらなあと贅沢にも感じた。
 でもレビューを見ると松田翔太さんの演技を評価している人の方が多いので、これは好みの問題かもしれない。

 兄弟愛の物語はジーンとくるものがあった、正直「やられちまったよ」と思ったけど。エピソードや演出が上手かった。
 人間は生まれた時から死へと向っている、それをこういう「イキガミ」設定を使って強制的に「死」と向かい合わせるのは見る側にも「死」と「生」を喚起させられる。
 でもアマゾンのレビューにこういう設定の物語の映画は認めてはいけないというコメントがありその言葉を目にした時なんとなくハッとさせられるものがあった。
 勿論あくまでも想像の物語ではあるにせよこういう設定で感動するのは何か間違っているような気がしてきた。
 ある意味反則技を使っての試合だからだろうか。


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2010-05-29 (Sat)
 

 桐島椿は23歳。
 美貌の椿の絶対的な価値観は「美しさ」。
 ボーイフレンドはいるが自分に幸福を与えてくる条件の良い男性との結婚を虎視眈々と狙っている。
 性格不美人の為に女友達はほとんどいないがそんな事は痛くも痒くもなく今の享楽を謳歌していた。
 そんな椿のあこがれは美しさと毅然さを持った祖母であった。祖母のようになりたい、なれるという思いが誇りでもあった。
 美しい女性である椿に怖いものはないはずだったが、尊敬する祖母のボケ、父親の破産と病気等により、自分がかつて手にしていた享楽が失われつつあった。
 物事の歯車が上手くいかなくなり急激な環境の変化に取り残される椿はもがき苦しみつつも、なんとか玉の輿に乗ろうとして逆転を狙うが。。。
 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 
 山本文緒さんの作品は苦味のようなものがありそれが彼女の味の一つになっている。
 生きている事の灰汁(あく)のような痛みとでもいうか、そういうものを上手く料理に取り入れるというか混ぜ込むのがとても上手。レシピの上手さでどこかクセになる苦味に仕上がっているとでもいうのか。
 で最近初期の頃の作品である「きっと、君は泣く」を再読した時がこれはクセになる苦味どころか、あまりの大苦さにおののいた。

 いつもの事だが私はこの本の内容の大半は忘れていた。
 最初は普通の物語だなあと思っていたら中盤辺りからの思いもかけない展開の連続に驚いた。
 びっくり箱を開くとまたびっくり箱が出てくるという感じで一体何事へと向うのだろうという面白さがあった。下戸なので酒は飲まないが気分的にはちびちび飲む感じて再読しようと思ったがあまりの面白さに辞められず一気に読み終えた。
 初期の頃だから当然まだ最近の作品に見られるプロとして魅せ方の技巧さはないけど、だからこその勢い感というかテンションの高さがある(それが故に風呂敷広げ過ぎではあるが)。
 個人的にはどこか低温感情な感じがする山本さんにもこういう作品あったんだなあと思った。

 私は美人ではない。
 それ故残念ながら美人の人生というのがどういうものかよくわからない。美人だったらきっと人生違っていたんだろうなあと遠い目をして思う。
 美人で生きるってこういう感じなのかあと思いながら読んでいた。
 個人的に「美しさ」も生まれ持った能力と言う意味では「頭が良い」とか「早く走れる」という類と同様の才能だとは思っている。
 だから椿は山本さんの作品の主人公でめずらしく共感しずらいタイプだが、自分の才能は「美しさ」と徹底しているのはある意味あっぱれだと思える。
 ただお友達にはなりたくないけど。 

 この作品は帯にも書いている通り「美人だって泣きを見る」話である。
 個人的には泣きを見る以上で号泣を見るという感じだ(こういう言葉があるのかわからないが)。
 主人公椿の絶対的な価値は「美しさ」である。その美しさで人生を美味しい思いをして生きてきた。それが故に当然他人様への想像力に欠け同性からは好かれないがそんなのお構いなしであった。
 だが「美しさ」は内面の美しさというか魅力を伴わない限り若さを失うとダメになってしまうものである。
 椿はまだ20代前半だが若さを失いつつある自分を取り巻く世界が少しずつ冷たくなっていくのに気づき、そういう状況で迷子のような焦燥感を持つ椿がなんだか愛おしく思えてくる。努力の方向はあれだけど自分の欲望に一生懸命だからだろう。
 
 椿の支えは自分とよく似ている美しい祖母であった。年を取っても威厳と張り詰めた美しさを持つ祖母の存在が彼女の価値観を強固なものにしたが、その祖母の美しさは結局は実りを伴っていなかった事を知り愕然とする事になる。
 自分のまわりの環境の変化にそれまで信じていた価値観では支えきれなくなり、それが崩壊していくのは本当に怖いなあと思う。でも自分が今いる場所が激震する中でも結局椿が椿である事は変わらないというか変えられない彼女の馬鹿さが、何故かかっこよく思えたりするのもやはり山本マジックかなと思う。
 その馬鹿さはある意味「強さ」にも似ているからかもしれない。全ての強さに価値があるとは思っていないがたくましさを抱かせる。根っこの所で女性はたくましく出来てるんだろう。
 
  
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2010-05-26 (Wed)
 

  ハンドルネーム「南条あや」。
 高校三年の頃に彼女がHP上で綴った心の病の体験談が人気を博し、メンタルヘルスのネットアイドルのような存在となる。
 彼女は重度のリストカッターで何度も自殺未遂をし大量の向精神薬を飲む薬マニアだった。だが友人達とカラオケに興じたり遊んだりする普通の女子高生でもあった。
 そんな日々が彼女の明るさと同時に孤独と包まれた文章で綴られている。
 やがて南条あやさんは卒業式から20日後に大量の向精神薬を飲み18年の生涯を閉じることになる。
 この本はあやさんの死に至るまでの三ヶ月分の日記と死の前日に婚約者へ送った詩等が掲載されている。
 

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  この手の本を読むと高野悦子さんの「二十歳の原点」(自分だけのスポットライト)と山田花子さんの「山田花子 自殺直前日記」(計れないものさし)をどうしても思い浮かべてしまう。
 皆さん若くして自らの命を絶たれている。
 何れの本も私がもう帰る事の出来ない思春期という名の「特別な独り舞台の世界」が書かれている。そこは旬の若さを持つ者だげ許されている場所。
 勿論あやさんの場合は心の病という負荷があったにしろやはりその世界の危うさに足をすくわれたような気がする。
 若さといのは華々しいものもあるが、反面深い暗闇の落とし穴もある事に外側からその世界を見た時に気づかされる。自分はよくその暗い穴に落ちなったものだとそれは多分に幸運の部類に属するのだろう。

 あやさんの書く文章は「上手い」という言葉よりは「惹き付ける魅力のある」文章という言葉の方が似合っている。
 書いている内容はリスカットや自殺未遂の話もよく出てくるがどこか深刻さを突き放したような明るくポップな文章で「メンヘラ」という言葉からイメージしそうな悲観さを感じさせない。
 それはあやさんの性格というより人に見せる文章という前提で書いた彼女の頭の良さの表れのような気がする。
 でもその中にほんの時折癒しがたい孤独感と絶望感を垣間見ると切なくなってくる。
 演じている隙間からのぞく彼女は医者が言う「心に不安を抱きながらも自分を自ら励ます能力に乏しい」人なのだろう。
 そういう人物は境界線人格らしいが、もっと色んな視点から自分を取り巻く世界を俯瞰出来れば少しは楽に生きられたのかなと思ってしまう。

 「メンヘラの読書日和」というタイトルにもなっているように私は「メンヘラ」である。
 でも同じメンヘラであった南条あやさんのリストカットという行為は理解しずらい。。。何故なら私はとっても痛みが苦手だからである。
 子供の頃は学校での予防接種の時には大好きな給食も喉を通らず何度も逃亡したい衝動に駆られた。カッターなどで誤ってちょっと手を切ると倒れそうになってしまう位痛みに弱い。
 だからあやさんのように何度も静脈を切ったり、注射器で採血遊び等の行ないは絶対私には不可能である。一度成仏して生まれ変わらない限り出来そうも無い。
 心を病む事の苦悩、絶望や孤独感は心の底から共感出来るのだが。。。。

 とにかくリストカット行為の詳細部分は気分が悪くなってくる。
 ゴミバケツに大量の血液を流して捨てに行ったりする事もあるというのは驚きである。当然ながら出血のし過ぎて耳鳴りがしたり不眠症になっている。
 それでいながらも出血のし過ぎで死にそうになった時、死にたくないと思い助けを求めている。
 リスカットしたい衝動を抑える薬や言葉を心から切望している言葉を綴っている。
 アマゾンのレビューで同じリストカットされる方が「自分を傷つけることで「自分」を守り、「自分」がここに生きていることを確認するのです。」 とあったがそうまでしないと「自分」という存在を確認出来ないその自己認識の希薄さは私には不思議である。 少なくとも私の心の病は一番調子の悪い時でも自己肯定は希薄だったけど自己認識は当たり前過ぎて考えたこともなかった。
 しみじみと同じメンヘラであっても抱える病気の内容が違うとマリアナ海溝並の深い溝が存在してしまうんだなと思った。
 
 あやさんは家族も友達も恋人もいたけど孤独だった。
 真の孤独を知るとそこから解き放たれる事はないんだなと思った。

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2010-05-23 (Sun)
 

 所属する東京のオーケストラが解散し職を失ったチェロ奏者の大悟は演奏家を続けることを諦め、妻の美香を連れて故郷の山形に戻ってくる。早速、求人広告で見つけたNKエージェントに面接に出かけ、その場で採用になるが、それは遺体を棺に納める納棺師という仕事だった。戸惑いながらも社長の佐々木に指導を受け、新人納棺師として働き始める大悟だったが、美香には冠婚葬祭関係の仕事に就いたとしか告げられずにいた。-goo映画より





 この作品は有名だろう。アカデミー賞の外国語映画賞受賞作品である。
 通常流行りものは何周も遅れた頃に見るのだが、ただいま宅配DVDの無料期間をお試し中で「流行りものはタダで」というやんどころない事情で見た。

 思っていた以上に良かった。
 納棺師という仕事に焦点を当てた作品だから当然「死」を取り扱うし、テーマがテーマだから厳粛さ漂う作品かなあと思ってみていたら意外に「おかしみ」があって面白かった。取っ付き易いというのだろうか、一歩ズレると暗くなりそうなモチーフを明るめの作品に仕上げる事によってより心に響きやすい作品になっていると思った。
 脚本家はGJである。

 良い作品は良い符号があると思うがタイトルの「おくりびと」というのは本当に素晴らしいネーミングだと思う。
 「納棺師」というタイトルでは今イチ興味をそそられないが、「おくりびと」というタイトルならなんとなくそそられる。どんな内容だろうと興味を持てる。
 タイトル考えた人GJである。

 納棺師という仕事自体この作品を見るまで知らなかった。こういう仕事があるんだなあと思いながら見ていた。
 亡くなった人をあの世へ旅立たせるお手伝いという感じだがとても厳粛な仕事である。
 レビューにもあったがお茶やお花にも通じる「美」を感じてしまった。
 ご遺体をきちんと死者を棺に納めるための一連の作業が芸事の様式美にも通じているからだ。
 本当に最後の最後に亡くなった人へ優しさを与える仕事である。

 でも少し意外だったのは「納棺師」は「死」を商売にしているせいか偏見の目で見らることもあるようである。
 どうしても「死」はポジティブには取られにくいが、誰でも死ぬのだしそれは避けては通れない。
 この映画でそういう偏見のとなる部分が幾ばかりでも払拭されているのなら喜ばしいと思う。
 
 見ていてつくづく思ったのはストーリーと映像共に「見せ所」を知っている作品である。
 ストーリーもエピソードが実に心憎いというか、愛人を作って出奔した父親との数少ない思い出となる「石文」やラストの父親が絡んでくる締めとかは「ツボを押えているなあ」と感心した。
 映像も景色とか主人公がチェロを演奏するシーンを巧みに使い上手く場面を繋いだり転換させている。
 ある意味非常にドラマティックな作品というか。外国人が好みそうなテーマで様式美な映像に受賞したのは頷ける。
 勿論キレイ事過ぎるきらいもあるが、この作品に関してはそういう部分も作品の味としてとどまっているのでそれはそれでよしだと思う。

 主役の本木さんは空気に馴染める俳優さんだと思う。
 普通あれだけの美貌は浮いてしまう可能性もあるのだが違和感なく世界に溶け込めるのはやはり才能の一つだと思う。
 それと「滑稽さ」が似合う俳優さんである。それはあの美貌過ぎる部分による意外性がマッチングするからだろう。
 山崎努さんはもう存在感だけで「ごくろうさまです」という位お見事。
 ただ個人的に広末涼子さんは違和感を感じた。こういう感想を持っている方は結構多いみたいだけど。
 私は良い女優さんだとは思うのだけどこの作品のピースとしては合っていなかったような気がする。本木さんと同年代に近い女優さんの方がしっくり来たのではないだろうか。

 「流行もの」も結構いいもんだなと思った。

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2010-05-22 (Sat)
 

 週刊誌の契約制の特派記者に身を置く蒔野は残忍な殺人者や男女の愛憎絡みの記事を得意としていた。
 センセーショナルな記事はそれなりの評価を得ていたがある事件をきっかけに冷や飯を食わされる。
 挽回の為に知り合いの刑事からリークされた事件で坂築静人と出会う。
 彼は人が死んだ場所を訪れて悼む旅を続けていた。蒔野は全く見ず知らずの人間の死を悼む彼を薄気味悪く思いつつも何故かその存在が心から離れなかった。
 そして夫を殺した女倖世は出所後に現場へ戻ったところで夫を悼んでいた静人と出会う。その行為が理解出来ない彼女はその真意を確かめる為に彼と行動を共にする。
 静人の母親坂築巡子は息子を理解したいと思いつつも死者を悼む旅を受け入られないでいた。そんな彼女に末期ガンという運命が訪れていた。
 静人とその悼む行為を拠点にそれぞれの死生観、人生を見つめなおしていく。

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 天童荒太さんのタイトルは私にとって漢字のお勉強になる事が多い。
 「永遠の仔(えいえんのこ)」の「仔」は本来は獣の子供に使う字のようで、生物の子供に使われるのは一般的な「子」が正当らしい(あえて獣の仔を使う辺りが絶妙なセンスだと思う)。タイトルに使われていて初めて「仔」という漢字とその意味を知った。
 この「悼む人(いたむひと)」の「いたむ」という字も「ああ、いたむって読むんだあ」と読み方を教わった。
 勉強になるタイトル達である。だから天童さんの小説はタイトルは気になる。

 勿論タイトルだけでなく作品も読み応えがあるものが多い。
 メッセージ性の強い作家さんたがそれが押し付けがましくなく、読み手をすっとその世界観に惹きこんでいく。
 小説家にも色々なタイプがいる。創り手のタイプ、紡ぎ手のタイプ、天童さんは『語り部』タイプの作家さんだと思う。
 幾つかの作品を読んでイタコ的な作家さんというか、物語という生命が「天童荒太」という人物を通してこの世界に出現させられているようなイメージがある。それ程物語に息づかいというか生命感を感じる。

  ただ残念ながらこの作品は恐らく私は生涯理解する事は出来ないと思っている。また正直理解したいとも思っていない。
 彼の「悼む行為」とは、
 「死者の魂の成仏を祈る冥福を祈るのではなく、亡くなった方が誰に愛され、誰を愛し、どんなことをして人に感謝されたかこの3点だけを知り、ほかの人とは代えられない唯一の存在として覚えておく」
 ことである。 
 静人は親友の突然死、仕事でボランティアとして関わった子供達の死、それらを上手く自分の中で消化しきれない苦悩がそういう行為に駆り立てた。
 でも私の視点からは静人の「死者を悼む行為」は自分の魂を鎮める為の自己満足に映ってしまうのだ。

 全くの第三者である静人が見ず知らずの他人の死を覚えておくという行為に共感を持てない。
 自分が死者という観点で考えたら自分の大事な人が自分を覚えておいてくれるのは嬉しいけど、見知らぬ人間に覚えてもらっても喜べない。
 関係性に何の実態も伴っていないものだから。互いに色んな交流を積み重ねた思い出があればこそだろう。
 それならまだ成仏を祈って貰う方がありがたい気がする。

 近しい者以外は死者を忘れていく、忘れられていく事への罪悪感へが悼む行為の根幹にあるらしい。
 でも生きている人間が前に進んで行けるのも忘れる事が出来るからだと思う。それに完全な意味で忘れる事は記憶障害にでもならない限りはないはずである。忘れるのではなく別の位置へ移動するだけだと思う。
 時折り何かの拍子で生者の記憶の中に蘇る。それでいいのではないか?

 あと静人は自分を心配する家族を言葉は悪いが見捨てた状態が納得し難い。死んだ人間も大事だろうが生きている人間はもっと大事ではないだろうか。
 「生死」を見据える事は大事だと思う。でもその概念を追い過ぎて本来大切にしなければならない事柄をないがしろにしていると感じる読み手は私だけだろうか?
 どうも静人の身勝手さがぬぐい切れない。

 読み手の死生観によって相当評価が変わってくる作品だろう。私の死生観ではこの物語の景色はキレイ過ぎる。


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| 天童荒太 | COM(6) | TB(0) |
2010-05-19 (Wed)
 
 ミステリー短編集

 「一六三人の目撃者」
 とある小劇場で正にクライマックスを迎えようとした時アクシデントが起こる。
 役者の1人鍵山秀一郎が舞台の上で小道具の酒のグラスをあおった瞬間うめき声を上げて死んでしまう。
 舞台監督の梶原、演出家の竹之内、役者の赤垣、主演女優の篠宮は犯人探しをするが混迷する。
 その時友情出演していた猫丸先輩が謎解きを始めるが。。。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  倉知淳さんの最初の作品がこの「日曜の夜は出たくない」であった。
 その頃の私は「本格派推理物」という類にはあまり興味がなかったのに何故その手の作品である「日曜の夜は出たくない」を読んだのかは謎である。
 読書日記を読んだら「気に入った」という傲慢な言葉があるので経緯はわからないが結果オーライのようである。
 でも今回再読して思ったのは、
 「あれっ?もっとミステリーとして面白かったような。。。」
 と肩すかしな印象を受けた。
 最初に読んだ時は読み応えがあったと思っていたのだが。。。
 いつも変な例えだけど初恋の人間に再会したら自分の思い出の中の印象よりくすんでいたいう感じか(倉知先生すいません)。

 当時の私は「ミステリー」の分野をちょうど開拓した時期であった(但し本格派推理物は除く)。結構読書歴は長かったけど食わず嫌いでミステリーは20代半ばになるまで全然読んでいなかった。
 だから読みなれていないが故に凝った部分に魅力を感じたのかもしれない。
 でもあれから相当数のミステリーを読んできて目が肥えて来たというか、自分のミステリーに要求するハードルが高くなったんだなと思う。
 こういう書き方をするとこの作品がたいした事ないのかと思われそうだけど、ミステリーのレベルとしてはまあまあ高水準だとは思う(意外性があるという意味においては)。この作品は倉知さんのデビュー作だけど初物であるなら全然上等レベルである。
 ただ私の価値基準が昔よりシビアになっちまったのだ。

 トリックの類に関しては当時は「おお!!!」と思っていたけど今読むと突っ込み所がわかる。自分も成長したもんだ。
 特に一番最初の「空中散歩者の最後」は物理的にあり得ないようである。トリックの要が物理的に不可能というのはさすがに不味い。いきなりその作品が最初に来ているのが不思議だ。
 ただラスト辺りの凝ったメッセージの種証しと意外なオチは試みとしては面白くは読める。

 ミステリーとしては弱い部分があるが読み物としては面白かったりする。
 まず探偵役となる猫丸先輩が魅力的である。飄々として自信過剰で傲慢スレスレ態度なのに何故か憎めない。そして優しさをそっと隠しているタイプである。
 私は昔からこういう「飄々タイプだが実は只者ではない」という探偵が大好きなのである。噛めば噛むほど味の出る人物というか、読みながら彼の登場を楽しみに待っている自分がいる。 
 わりと登場人物のキャラクターが面白く書けている。人間が書けているというのとは違うけど存在感のある仕上がりになっている。トリック等に色々突っ込み所があるのでミステリーとして若干面白味が欠ける所があるにしても、読み終えた時に面白いなという感想を抱かせるのはキャラクターの魅力だと思っている。

 最近の倉知さんの作品は読んでいないのでお元気でしょうか?
 
 
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| 倉知淳 | COM(6) | TB(0) |
2010-05-15 (Sat)


 テトラの幼少期の宝物のような思い出は初恋の珠彦と過ごした日々であった。

 父親の事業の失敗で夜逃げするはめになり、生木を裂かれる思いで珠彦との平凡なに日々に別れを告げざる終えなくなる。
 夜逃げした先の群馬で落ち着き所を見つけてからは何度も遊びに来てくれてまた幸福な日々を取り戻したかに見えた。
 だが今度は珠彦の家の事情で彼はハワイへと移住する事になった。テトラにとってつらい現実の日々と距離が珠彦との仲を疎遠にさせた。

 やがてテトラは大人になり自分の力で自由に生きれる力を身につけていた。
 ある店でかかっていた曲の詩を聴いて驚く。何故ならその詩は夜逃げの際にテトラが珠彦の家のポストへ入れた別れの手紙だったからだ。その曲を歌っているヨシムラユキヒコにメールを送り事情を問う。。。
 

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 よしもとばななさんの作品はたまに読むと『イイ感じ』である。
 ばななさんは人生というか世の中における「キーポイント」をわかり易い的確な言葉で表すのが非常に上手い。村上春樹さんと肩を並べる位上手いと思う。
 だから読んでいると「ああ、そうだよな」と要点を教えてくれ、また今現在の自分の心構えが間違っていない事を再確認出来るのが嬉しい。
 ただ「アムリタ」以後は頻繁に読みたい作家さんではなくなった。「アムリタ」までで色んなスタイル(表現方法)をやり尽くされた気がする。
 それ以後の作品は入れ物が違うだけで、中に入っている物は一緒という感じがしてしまってマンネリ感を感じてしまうようになった。

 この作品は簡潔にまとめると「初恋同士の焼きぽっくりに火」の物語である。
 でも珠彦の方は初恋を凄く大事に自分の心の中の宝石箱に入れていて、ようやく再び始められた事に舞い上がっているのに対して、テトラの方にも感動があるものの冷静な感情を持っているその辺りの齟齬が面白かった。
 幼い頃は珠彦のある意味完成形のような性格に魅力を感じていてそれも現時点では同様ではあるが、完成形故に変わらない珠彦が素晴らしいと思いつつも、それが故に一生分かり合えないという事も悟っている。
 こういうのはありがちだなと。男性はメルヘンでも女性は現実的だったりする。 

  「世界は恋愛だけでできてやしないんだ、そんなに雑なものではないんだ、もっときめ細やかな夢のようなもので、ひとつの糸は必ず布全体につながっているんだ」 
という下りを読むと「ああ、ばななさんはやっぱりばななさんだ、ちゃんと押える所がわかっているなあ」という安心感を与えてくれる。

 今回非常に私事の感想を述べてしまうのだが、読んでいて「今を創ることが未来を創るのだ。」という言葉がむちゃくちゃ響いて来た。
 目新しい言葉ではなく今まで何回か目にしているのだけど、今回は私の心へ「ずん」と入ってきた。  
 悩んでいたり、迷ったりしてる時に、たまたま見たり聞いたりした言葉がスポットライトを当てたかのように意味を持って飛び込んでくる時がある。
 この言葉は今の私へのメッセージのような気がした。
 勿論それは単なる思い込みだろうという突っ込みがきそうですが、自分がそう思い込みたいのならそれでいい。
 結局の所「今を前向きに生きて、今を消費するしかない」のだなと改めて感じた。
 どんなに迷っても、悩んでも、結局それしかないという事実、ここに帰って来るしかないのだなとしみじみ思った。
 これが私の原点なんだと思う。 

 自分の原点を再認識させてくれたばななさんには感謝である。

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| よしもとばなな | COM(6) | TB(0) |
2010-05-12 (Wed)
 

携帯関連会社とベビー用品メーカーの業務提携によって結成された共同チームは15cmばかりのロボット携帯アクセサリーをヒットさせる。
 その祝賀会の興奮に包み込まれている翌日にチームリーダーの粕谷がニコチン中毒死する。他殺の可能性が高くチーム内は疑心暗鬼に陥る。
 そのチームに所属する水野は同僚で恋人である北見早智恵が犯人である証拠を見つけてしまう。 恋人がいないよりはマシだと思う位の感情で付き合っていた水野にとっては自分の保身の為に別れを決意する。
 だが中々切り出せない内に次の殺人が起こってしまう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 
 この作品はいつも柱の影からこっそりと覗かせて頂いているブログで紹介されていた作品である。
 なんとなく面白そうだなあと思い借りてきた(未だに図書館にお世話になっています)。
 読んでの感想は、
 「面白い!!!」
 というシンプルな感想である。久々に啓蒙されるわけでもなく、人生というものを考えさせられたりするわけでもなく、ただシンプルに作品の面白さを堪能出来た気がする。

 この作品は表紙を捲った所に著者の言葉として「自分の恋人が殺人者と知ったら」と書いているのに何故か全くその言葉が目に入らなかった。この本を紹介されていたブログの記事もこの時点では内容を忘れていたのである。
 私は読みながらずっと真犯人は別にいるのだと思っていた。
 「いつドンデン返しが来るんだろう」 
 と、待っていた。
というのも今までずっとミステリーの類は変化球ばかり読んでいたのでこの作品もてっきりそうだと思っていた悲しい性である。
 この作品は「直球型」だったのである。中盤過ぎてようやく本当に恋人が犯人なのだと気がついた。途中まで間違った視点で物語を読んでいたのが勿体無かった。
 思い込みが激しい自分が痛いと思った出来事だ。

 主人公の水野はエゴイストである。自分の保身の為に早智恵と別れようとあれこれ考えてばかりいる。
 でも私は主人公に不思議と嫌悪感は抱かなかった。勿論彼がもっと恋人の気持ちを汲み取っていれば殺人も止められたかもしれない。著者も「自分は、決して彼のようにはしないと考えて読んで頂ければ幸いです」とおっしゃってる位だし。
 でも普通はやはり恋人が殺人犯だったら別れを決意する方が多いと思う。エゴ丸出しの水野は身勝手さを感じつつも共感してしまう部分も否定出来ない。自分の手に負えるサイズを超えた出来事には理屈抜きで感情で右往左往してしまう。
 しきりに自分に「君がいなくても平気」と言い聞かせる姿が憎めない。
 
 殺人という異常事態がなければ、愛なのか恋なのか惰性なのかといった自分の感情の明確化迫られる事はなかっただろう。平穏な日常であればどういった感情で付き合っていても大きな差はなかったのが切ない。

 この作品を面白く感じた一番の理由はごく普通の人達のドラマという所である。名探偵が出てくるわけでもない変人異才が出てくるわけでもなく、日常にどこにでもいるような人々の物語というのが新鮮だった。
 勿論突っ込み所は結構ある。殺す手口とかは本当に可能か?とか思うし、本当にそういう現象が起こるのか?と思う所もある。
 でも終盤辺りで恋人の殺人の動機がわかる下りは読み応えがあった。たまにこういう作品もいいもんだと思う。

 何にせよ、日常は平々凡々が一番である。

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| 石持浅海 | COM(4) | TB(0) |
2010-05-09 (Sun)
   

 多摩川で拾った石を売る助川助三。かつては漫画家として名をなしたこともあったが、時流に乗り遅れ、数々の商売に失敗した結果、思いついたのが元手のかからない石を売るという商売だった。来年は小学校に入る一人息子の三助を連れて妻・モモ子が団地を回るチラシ配りだけが一家の収入源である。ある日、石の愛好家の専門誌を読んだ助川は、素人でも参加できる石のオークションが行われていることを知り、主催者の石山とその妻のたつ子と出会う。久しぶりにあった漫画の依頼も断り、遠く山梨まで出掛けて採石した石を抱え、期待を胸に助川はオークションに参加するが、参加者は老人ばかりで活気がない。いよいよ助川の石がセリにかけられるが期待に反して、石が売れなかったばかりか、余計な出費がかさんでしまうのだった。それによって再び気まずくなる助川夫婦。助川は再びペンを取り、漫画を描き始めるが、どこも採用してくれず、彼は再び石屋を始め、繁盛させるために川を越えた競輪場の客をねらって自ら客を背負って渡し舟を開業。モモ子はそんな彼に愛想を尽かしてしまうのだった。-goo映画より






 この作品は竹中直人さんの初監督作品である。
 決して波乱万丈な展開ではなくあらすじ紹介部分を読んで頂ければわかると思うが、売れないマンガ家の貧乏な日常の物語である。
 でも初めてこの映画を見た時「才能」というものを痛感した。「才能」というのは魔法であり、その魔法が生み出した作品は輝きを放つのだ。「徒然なるままに、日ぐらし」な物語がお金を払ってもらえる価値のある作品に仕上がるのは「才能」のなせる技だと思った。
 一歩間違えればつまらなくなってしまう起伏が無い平坦な道を最初から最後まで一mmも退屈する事なく楽しめた。
 これ以後の竹中さんの作品を幾つか見ても感じたが「何でもないものを何かにあるように魅せる」というのがとても上手い創り手だと思う。
 本当に「作る」のではなく新たな生命を生み出す「創る」方だと思う。 

 良い映画は見事なキャスティングと必ずタッグを組むが、この作品もその例に違わない。
 まず最大の殊勲者は主演もこなしている竹中直人さんだと思う。笑いと哀愁を交えた絶妙な演技は独自の世界観を生み出す事に成功している。その世界観が作品を大きく支えている。どこまで才能を見せ付けるんだあああ!!!と思ってしまった。
 それと意外と言っては失礼だが妻役の風吹ジュンさんがとっても良かった。自然体な感じの演技が作品世界の持つ「飄々とした軽み」に貢献していた。 

 「無能の人」はいわゆる社会からの「落ちこぼれ」というラベルをぺったりと貼られてしまうカテゴリーにいるだろう。勿論一般社会からはみ出ているが故の孤独感も存在している。
 でも不思議と見ている側に幸福感が伝わってくる。
 3人の家族は貧乏に苦しめられながらも主人公の才能を評価してるが故にある意味貧乏を黙認しており、貧乏を描いていながら陰惨さはなく、無能な人を描いていながらみじめさがない。
 見ていて彼等3人家族とその生きている日常の日々がうらやましいとさえ感じた。
 登場人物は底辺に生きる人達ばかりだが自分の人生を懸命に生きてるのである。死んだように生きていない。 よく生活環境で「勝ち組」とか「負け組」とか言われるが、どちら自分というものを捨てずに生きていれば等価値なんだと思わせる。

 この作品を見てから竹中直人さんは「才能」というフィルターがかかってナイスガイに見えるようになったのが私にとっては大きな収穫であった。

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| 映画 | COM(6) | TB(0) |
2010-05-08 (Sat)
   

  台湾人と日本人の混血である劉健一。
 彼は魑魅魍魎が住みつく新宿歌舞伎町で故買屋をしながら日和見にしたたかに生きていた。
 だが昔なじみの富春が歌舞伎町に戻ってきてしまい状況が一変してしまう。彼は一年前に上海マフィアの元成貴の片腕を殺して逃亡していた。
 元成貴の元へ3日以内に富春を連れ来なければ自分が殺される。そんな絶対絶命の状況の中で夏美と名乗る女性から仕事の依頼が来る。
 その出会いは健一に意外な展開をもたらすが。。。
 
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 私は基本的に馳星周さんや花村萬月さん達のいわゆる「暗黒小説」と呼ばれる作品は好きではない。
 何も好き好んでダークな作品を読んで人間の暗黒部分なんてお勉強する必要はないと思っている。限られた人生なるべく心地よくありたいものだ。

 但し、馳星周さんの「不夜城シリーズ」だけは別格である。
 最初は映画化された金城武さん主演の「不夜城」を先に見た。主演の金城さんが好きだったので見たのだが予想外に面白くてそれをきっかけとして原作本を読んだ。

 まず新宿歌舞伎町の生きた描写が凄い、そして面白い。
 ヤクザや北京、上海、台湾、香港人達等がこのテリトリー内でお互い凌ぎを削る様が熱気を持ってリアルに伝わってくる。
 映画の画像で見ていたよりもずっとダイレクトにその場所の雰囲気が伝わってくるから驚きである。一歩間違えれば説明調になる状況描写を飽きさせないで読ませるのは馳さんの手腕なのかなと思う。これがデビュー作だというのだから神様はえこひいきである。
 読んでいて新宿歌舞伎町は日本でありながら別世界なんだなと思った。私のようなお子様には正に異世界である。東京へおのぼりさんをしても絶対に新宿歌舞伎町に足を踏み入れまいと決意した。 

 主人公の劉健一は自分が生き残る事しか考えておらず、その為には身内や友人自分の女でも利用し平気で裏切っていく。
 ただ彼だけでなく登場する誰もが利己主義で己の身の安全しか考えておらずサバイバルゲームで生き残るための騙しあい。
 いやあ、本当に驚く位登場人物に良い人(善人)がいません。 皆、悪いやっちゃなのである。ここまで悪人満員御礼だと違う意味ですがすがしい感じさえする。
 キャラクターに感情移入するのが難しく、気持ちに寄り添う事で出来ない。そういう意味で読者を拒絶している作品かもしれない。

 ただこの作品世界が生み出す孤独感に私は共感してしまった。 
 健一は親の愛情も知らず混血児としてどこの世界にも馴染めず孤独に生きていた。その彼が初めて愛した女性である夏美もまた同様の人間であった。常におびえ何かを憎みながら常に自分が生き延びる事しか考えていない自分の分身。夏美を愛しながらも彼女が必ず自分を裏切る事はわかっていた。
 そういう何かが損なわれている人達の異端者としての孤独に共鳴したのだと思う。
 変な例えだがマイナスとマイナスを掛け合わせた先にプラスが生み出された感じというのだろうか。マイナス要因からしか生まれない果実。それを作者が意図して作られたものか偶然の産物かはわからないけど。

 若干ネタバレになるけどこの不夜城はある人物がモンスターとなる序幕である。
 

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| 馳 星周 | COM(6) | TB(0) |
2010-05-05 (Wed)


  若い女性がメッタ刺しにされた上に人差し指が一本切り落とされるという事件が起こる。
 西條はその事件の担当となる。刑事としては端整な顔立ちでシャレた格好は気取っていると揶揄する者も多く、あまり周囲の思惑を気にするタイプではないので反感も買っていた。だが優秀な刑事でも有り妬みを持たれながらも一目置かれているのも事実であった。
 最初は通り魔的な犯行と思われていたが同様の事件が再び起こり連続殺人事件の可能性を帯びてくる。
 やがて「指蒐集家」と名乗る犯人によってネットでの殺人予告や実況中継等、警察は翻弄されていく。
 しかし中々決定的な手がかりが掴めず捜査員達はあせりは増すばかりであるが、事件の渦中で西條に身にも思いもかけない窮地がもたらされる。


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 今回は貫井先生に辛口味の記事です。

 東野先生運転のドライブは安心して乗れる。きっと楽しい旅路になるんだろうなあという信頼感がある。
 でも「愚考録」以降の貫井先生運転のドライブは「大丈夫かなあ、とんでもない所に連れて行かれないだろうなあ。。。」と心配しつつ乗り込む事になるのだ。何度か受け入れ難いあまり納得のいかない所に行ってくれたので不安になってしまう。正直「乱反射」に出会うまでは私の貫井先生への評価は下降線の一途であった。
 ただ今回は前回の「乱反射」が大金星だったのでいつもよりは身構えることなく少しワクワクした気持ちを抱いていた。

 が、呑気に乗っているうちに「これはひょっとしたらいつものパターンかしら?」と思いつつも、途中下車は嫌いなので頑張って読み進めた。
 やっぱり「おーいどこ行くんだあ」という運転になっていった。「おいおいおいそんな所に連れて行くの?」という展開にげんなりしてしまった。
 東野先生は良い意味で読み手の思惑を裏切ってくれる。それは読者を楽しませたいという意図を感じる内容である。 でも貫井先生は意外性のある展開ではあるのだけど、読者を置いてきぼりにするような裏切り方というか展開なのである。少なくとも私にとってはそうである。運転手の行きたい所にへ行く感じて同乗者する者の思惑はかんがみていない気がする。
 東野先生の時の「あー」は「感嘆」の意味だけど貫井先生の場合の「あー」はやっぱりこう来たかという「溜息」なのである。 

 3分の2を読んだ辺りで真犯人が解かってしまった。でもこれは私のお頭の出来が良いからではなくミステリーを読みなれていればこの人しか落とし所がないから解かっただけである。
 アマゾンのレビューを読んだらやはり早い段階で真犯人のわかった人が多く、終盤の展開が犯人の意外性の無さをカバーしきれておらず興ざめしてしまった。  
 前半辺りまで作品が間延びした感じでこれは後半か終盤辺りに怒涛の展開でないと納まらないなと思っていたら、案の定後半辺りから急展開。勿論そういう意図の展開なのかもしれないが展開が急速過ぎて呆気に取られてしまう。まあこの辺りは好みになるのかもしれないが、私は徐々に膨らんでいく展開の方が楽しめる。

 それと今回の作品における登場人物は感情移入しにくいのである。
 貫井先生の作品の中で私にとって2トップは「殺人症候群」と「乱反射」である。この2作品は本当に読み応えのある良い作品だと思う。
 人物の思惑や感情もちゃんと織り込まれていてより説得力のある物語であった。でもこの作品は主要人物の感情に説得力が弱いせいか物語的に弱さを抱える事になる。
 以上、今回のドライブはブーブー言いながら乗っていた。

 色々と書きましたがやはり貫井先生には期待が大きく、また楽しいドライブに連れて行ってくれるのを待っております。

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| 貫井徳郎 | COM(6) | TB(0) |
2010-05-01 (Sat)


  ヨコハマのとある下町「余毛」。そこに暮らす人々は自由で闊達で人情がある人々であった。
 その町に住む人々、ゲイのシャンソン歌手や焼き鳥の主人等が語り手となり、自分が出会った笑いありしみじみありのドラマを語った短編集。

 「パダム・パダム」
 ゲイバーのママは生涯忘れる事の出来ない出会いがあった。
 ママが33歳の時に6歳下のテツオという青年と出会う。自分と同じ恵まれない環境に育った彼に母性本能がくすぐられ関係を持ってしまう。ママは知らなかったがテツオには妻子がいた。一旦は連れ戻されるも妻子と別れ自分の所に戻ってきたテツオを受け入れて幸福に暮らしていた。
 だが何故かテツオはママの元から去り妻子に所に戻ってしまう。それからの彼は詐欺にギャンブルにと転げ落ちるようにすさんでいく。
 なんだかんだ言いながらもママはテツオを見捨てる事が出来ないのだが。。。。
 
 
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  山崎洋子さんは技術はある作家さんだと思う。
 ただどんな作品を書いても良い意味でも悪い意味でもそつがなく、その為に彼女独自の「色合い」というものをお持ちでない気がする。力量はある方なのだから作風になんらかの色合いがあればもう少しメジャーになれたような気がして個人的には惜しい。やっぱり作り手にとって個性というパーツはとても重要なんだよなと思う。

 しかし、この作品はそのそつの無さが上手く作品の味とマッチングしていてなかなか味わいのある仕上がりになっている。色合いの無さがそれぞれの作品の持つカラーを活かしているというか邪魔していないという感じがする。特に期待して読んだわけではないが予想外に面白かった。

 『B級』
 「B級グルメ」「B級映画」等B級という冠は人の心のフェチな所を微かにふるわせる響きがあると感じているのは私の大いなる勘違いであろうか?
 親しみ易く安っぽいというか決してA級サイズでは味わえないマニアックさというのは庶民には捨てきれないものがあると思う。
 A級とB級の間は深くて超えられない溝があると思うけど、この作品においてはA級にはないB級の放つ「素朴感のあるたくましさ」がなんとも良かった。
 どの短編も何れも粒揃いでばかばかしくて笑えるものしんみりくるもの考えさせられるものと色々な味があって、決してどの主人公も人生の舞台でA級になれる人達ではないがだからこその味わいというのを感じさせてくれた。
 
 その中でも「パダム・パダム」は私の心に一番残った作品だった。
 テツオがママとの幸福な生活を捨てたのは不幸な育ち方をした為に物事が上手くいくと逆に不安になっしてまい、こんな幸福が続くはずは無いと壊れる前に自分で壊してしまいたかったからだ。
 人は何かを失うよりも失いたくない何かを得る時の方が怖い時がある。その怖さはなんとなく理解出来なくもない。傷を持つが故の悲しさだ。 また傷つくのが嫌で幸福になる事を恐れてしまう。

 ママもテツオも幼少の頃に親の愛情に恵まれずにそれが傷となっている。ママは強さでそれを乗り越えたけど、テツオは結局「真っ暗な冬の夜みたいな寂しさ」に飲み込まれてしまう。
 その弱さを乗り越えられないテツオが可哀想だった。心底から幸福になりたいはずなのに何故か居心地の良い場所に止まれずに不幸なレールを走ってしまう事がある。傷が人生において決定的なくさびになってしまうからだ。
 でも弱いテツオも気の毒だけど強いが故にテツオの弱さを受け入れざるおえないママも気の毒だなとも思わせる。意地の悪い見方をすれば見捨てる事の出来ないママの強さ(甘さ)がテツオの弱さに加担したのかもしれない。強い人間が必ずしも弱い人間を救えるわけではなく、むしろ弱さの深みに嵌らせてしまう事もある。
 
 様々な人間模様の物語はB級な人間の人生も悪くないもんだと思わせてくれる。


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| 山崎洋子 | COM(4) | TB(0) |
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