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2010-03-31 (Wed)
 

  結婚にまつわる八つのお話
 
 「崩れる」
 芳恵は毎日の生活に疲れていた。つらい単純作業のパートに出て家計のやり繰り。それも自称イラストレーターと称し全く家にお金を知れない夫浩一のせい。
 浩一はどうしようもない「カス」であった。人間としての最低限の責任感ももっておらず無責任極まりない男であった。仕事で疲れて帰って来ても食事の支度は芳恵がせねばならず、彼女はひたすら息子義弘が結婚するまではと離婚を我慢していた。
 たがその期待の息子はアニメーターになると夢見てせっかく就職したばかりの銀行を辞める。そして暫く無職のままで過ごす。義弘は夫浩一のダメな所がよく似ていた。 
 希望は潰え、自分と同列と考えていた友人が借家住まいから抜け出し家を持ったと知り心に亀裂が入る。
 少しずつ芳恵の中の心の燻り続けた炎は暑い暑い夏の日に燃え盛る。
 

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 貫井さんとの初お見合いはこの短編集である。
 図書館で何気なく手にした時なんとなくビッビッ!!!と来るものがあり借りてきた。こういう勘はたいてい当たるが、見事ビンゴである。  どの作品もピリッとしたスパイスが効いていて面白かった。
 貫井さんの上手さが端的に堪能出来る短編集だと思う。

 ラストの伏線が故に夫浩一のカスぶりと息子義弘のダメぶりが執拗に書かれていてその描写が本当に効く。読んでいてみのもんた口調で「奥さん大変だね」といたく芳恵に同情してしまった。
 芳恵の出口の見えない袋小路的なやるせなさがよく書かれている。
 ラスト辺りでそのやるせなさを「暑さ(熱さ)」と結合させて爆発させている下りは圧巻である。読んでいて心というより「暑さ(熱さ)」が皮膚感覚に訴えて来る感じだった。
 解説者の桐野夏生さんもおっしゃっていたがラストの悲惨さはカタルシスだと思う。本来ならば悲惨なラストが悲劇ではなく「ああすっきりしたな」という感しで、その爽快感がなければ物足りなかった作品かもしれない。その着地点への持って行き方が気持ちと感覚の両方に訴えかけてるのが巧みである。

 どの作品も結局の所他人との関係性に潜んでいる「怖さ」が描かれている。
 通常は会社であっても親しい友人や肉親でも当たり前だけどその関係性に応じた距離感で付き合っている。
 だが一旦その距離感が崩されその関係性を一皮剥けば思わぬ闇がある。それは多分どんなに愛情を抱いている者同士であっても存在しているものだと思う。
 そういう普段は潜んでいるが間違いなく抱えているはずのその怖さを見せ付けられた気がした。
 お日様が当たるごくごく普通の日常に潜む「闇」というのは人事ではない、いつ自分もそれに出くわす事があるかもしれないというじわりと来る怖さであった。

 モチーフが同じでも趣の違う作品を8つの作品は読み応え十分である。
 私と貫井さんの初お見合いは成功であった。 

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| 貫井徳郎 | COM(6) | TB(0) |
2010-03-28 (Sun)
   

  スキーバスの転落事故で、病院に運ばれた杉田平介の妻・直子と高校生の娘・藻奈美。直子は息を引き取るが、意識不明だった藻奈美は一命を取りとめる。ところが、意識が戻った藻奈美の体には直子の人格が宿っていたのである!戸惑いながらも、世間的には父と娘として暮らすことになる平介と直子。だが、17歳の体になった直子はいきいきと若さを満喫する一方、平介は疎外感を感じるばかりか、医大に入学した直子の周りに恋の噂もあって気が気じゃない。そんなふたりの気持ちは、次第にすれ違うようになっていく。
-gooより







 betterでいい 「秘密」でも書いたが、この映画を見て私の中の広末涼子さんの好感度がUPした。 一庶民に過ぎない私の好感度等広末さんにとってはどうでもいいとは思うが、それでも私にとっては紛れも無く女優広末涼子さんへの評価の分岐点となった映画である。

 個人的には原作よりも映画の方が好きである(但しラストは除く)。それは映画の方が人物の魅力が活きていたからである。
 前々から密かに思っていた事なのだけど東野圭吾さんは素晴らしいストーリーテラーであり魅力ある書き手だと思っているが、一部を除いて人物の魅力は今イチな気がする。
 決して人物が書けていないというわけではなくこれは好みの問題になるかもしれんが、人物の肉付きが物足りないというか活き活きと感じないというか。。。。
 
 でも映画では広末さんと小林さんのツボを突くナイスなキャスティングの魅力が生きていた。
 平介役の小林薫さんは本当にびったりだと思うというかこの方以外は有り得ないとさえ思っている。愛嬌のあるどこか憎めないキャラクター。次第にうっとうしいというか女々しくなってしまう平介の言動もギリギリ許されるレベルにしてしまうキャラというか。とにかく見ていて「平介がいる」と思った。
 実は広末さんはこの映画を見るまであまり良い印象を抱いていなかった。というのも当時早稲田大学の件で相当なバッシングを受けていたのでその印象が強かったのである。だから彼女が藻奈美と直子を演じると知り「人気者を使えばいいと思っているのか?」とさえ思った。
 だがさかずに映画で飯を食っている人は私のような節穴とは違っていた。
 映画を見て、
 「広末さん、すんません」 
と詫びた。
 それ位彼女の演技は素晴らしかった。娘の体に母親の魂が乗り移ったという難役を自然体にこなしていた。
 清楚で可憐でありながらどこか大人になりかけの色香があった。彼女が何故あれだけ男性に人気があるのか初めて理解した。

 本でも切なかったがやはり映像で見ると余計に切なかった。
 愛し合っていた夫婦だけど、娘藻奈美の体に魂を宿した妻の直子が心の変化をせざる終えない流れが本当に切なかった。 同じ時の流れを共有していたはずなのに1人取り残される平介が。新たな時の流れの中で変化してしまう自分の心に戸惑う直子が。
 見ていて愛情てどういう形である事がベターなのかなと思った。
 背徳な関係になってもお互いの愛情を確かめ合う形か、結ばれる事はなくてもそのまま違う時間軸の中で共に生きるか、愛があるが故に辛くても未来のある関係性か。
 難しいなあと思う。
 愛情の形に正解は無いと思うが、個人的にはやはり未来のある幸福があるべき幸福性と思うので、涙がこぼれるがああいう選択で良かったと思っている。

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| 映画 | COM(6) | TB(0) |
2010-03-27 (Sat)
 

 大文豪谷崎潤一郎と貞淑な妻千代。そして詩人佐藤春夫。この三角関係は俗に「小田原事件」と呼ばれている。
 良妻賢母の千代に魅力を感じない谷崎は事あるごとに千代を虐げていた。それでも文句一つ言わず健気に夫に尽くす千代に次第に佐藤は惹かれて行く。また千代も味気ない結婚生活の中で佐藤の情熱に心動かされる。
 一度は谷崎が千代を離縁し佐藤と結婚させる話し合いも済んでいたが突然の谷崎の心変わりでご破算になる。
 五年間程互いに絶縁しこの事件をそれぞれ作品にしたする等の応酬を繰り広げる。
 そしてすったもんだの挙句、佐藤と千代は十数年後にようやく結婚する。これがいわゆる「妻譲渡事件」となる。

 1人の女性を巡る男達の恋の葛藤を女流作家瀬戸内寂聴が力強く切り込み、その事実関係を生々しく浮かび上がらせてる。

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 私は裏側がみたい「智恵子飛ぶ」でも書いたように伝説の裏側を見るのが好きなヒネ者である。
 お三方の恋愛模様は高村氏と智恵子さん程の伝説化のラブストーリーではないが、人妻を巡る名のある芸術家2人によるバトルという伝説は日本の「伝説化ラブストーリー」界の大関クラスと言っても過言ではないだろう。
 ただこの裏側には驚いた。
 佐藤氏と千代さんが正式に結婚する一年前に、彼女はどうやら全く別の男性と結婚予定だったようである。これはさすがに凄くびっくりした。
 「へえ!!!!!」
 トリビアの泉流で驚きを表すとへぇボタンを最高の20まで押しそうである。

 伝説というのはたいてい耳障りの良いソフトな仕上がりになっていて裏側を見るとシビアな現実に突き当たるものだが、よもやこんな隠し玉があるとは想像出来なかった。
 「小田原事件」「妻譲渡事件」と続々と事件ファイルが出来る位谷崎氏と千代さんと佐藤氏の恋愛や結婚は有名であるがこの事実は何故か世間一般に全く知られていない。谷崎氏の伝記や書物でもこの事実は全然触れられていないらしい。谷崎氏の残した手紙と彼の末弟である谷崎終平氏の本に書き記されているのみである。何故取り上げられないのか不思議だ。
 結局色々あって千代さんと全く別の男性ー和田六郎氏の結婚話はご破算になる。
 で、この本には和田六郎氏の息子である和田周氏が登場し父親と千代さんの関係や、別の配偶者と一緒になってからも家族で佐藤宅に訪れて色々歓待を受けていた話等が出てきて中々興味深い。和田周氏は語り口は非常に魅力的で読んでいて惹き込まれた。

 著者の瀬戸内さんの真実、事実というものに肉薄していて、鋭く切り込んでいく文章に感銘を受ける。彼女の洞察力の鋭さは聡明さと人生経験の豊富さからくるものだと思う。
 その鋭い視点の小気味良さとクールな優しさを感じさせる描写が、人物像を生き生きと浮かび上がらせて出てくる人達の存在感が読み手にダイレクトに響く。

 読んでいて谷崎氏や佐藤氏等の芸術家というのはつくづく因果な生き物だなと思った。2人とも三角関係に悲喜こもごもしただろうが、ちゃっかり作品として仕上げしっかりと評価を貰っている。生活や感情も作品化してしまう性が凄い。客観視出来ないと作品化できないと思うので渦中にあっても冷静な視点があるのだろう。
 またその周りに集う人々もどこか浮世離れしている感じがする。言い方を変えれば芸術家に感化されるのか朱に混じって赤くなるのか、考え方とか価値観が並ではない部分がある。時空が違う世界で彼らは生きているのではないかと思う。
 そういう様々な人間模様が堪能出来た。

 やはり伝説の裏側の覗き見は面白くて止められない。
 
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| 瀬戸内寂聴 | COM(4) | TB(0) |
2010-03-24 (Wed)
 

  救命救急センターに運び込まれた自殺未遂者約20人に聞き取りをしたノンフィクション。
 自殺時に彼らは何を考えていたのか?死ねなかった彼らは今何を思うのか?
 自殺で死ねなかった人々の心の吐露を丁寧に掬い取っている良書である。


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 ここ最近の記事を読んだら「自殺」に関するものに触れている事が多いのに気づいた。
 多分今の私は「死」を通して「生」に触れてみたいと思っているのかもしれない、「生」そのものではなくて。
 なんというか「生」の本当の姿は「死」を抱き合わせないと見えてこないのではないかと思っている。
 色々もやもやした思いがあってここ最近は「生を見つめる強化月間」となっている。   
 
 こういう言い方が適切かどうか解からないが読み物として素直に面白いと思った。本気で自殺しようとした人とそうでない人との違い、自殺と突発事故の違いなどの指摘がなかなか興味深い。
 タイトルだけ見たらバックに縦線が幾つも入ってるような暗さを悲哀や連想させるがそんなことはなく、「自殺」というものをひとつのモチーフとして扱うクールな体温が作品世界を沈み込ませていない。
 普通「自殺」を扱うと情緒的な感じになるが、これは「解体全書」的な検証している感じが新鮮であった。
 こんな角度から捉えた「自殺」というのは私は初めてである。

 自殺を試みた人の生の声がダイレクトに伝わってくる。
 意外だったのが本気で自殺する人のほとんどが突発的で遺書等残すのは稀らしい。
 死に取り付かれた時は色々自殺の方法を考えても、その瞬間自分の目の前にあった物や頭に浮かんだ考えで実行してしまう。この方法で死ねるかどうかではなく楽になるのはこれしかないと思いつめるようである。死ぬ事意外には何も考えない完全に気持ちが視野狭窄となってしまう。
 正直今までカッターで手首切るよりも包丁で心臓突き刺した方が確実だけどなあ思っていたがそういう状況になるからなのかと納得した。
 計画的に自殺するのは存外難しいなあと思う。余程気持ちが追い詰められるような状況にならない限りはなかなか自殺は実行出来ないないだろう。

 一番興味深かったのが「交通事故が人間の生命を呆気なく奪い、自殺者の生命は感心するほどしぶとい」という言葉である。
 これはしみじみと納得してしまった。元々自殺する人は本来は生への欲求は強いのだと思う。「生きたい」という思いが真逆の方向にいってしまうだけで。
 そういう無意識的な生への執着心が「生」の側にひきとめるのではないかと思う。
 一方交通事故とかの場合は本人自身が全く「死」というものを意識しておらず、不意打ちのような形で出くわすから呆気ない気がする。ひっかかりが用意されていないというのだろうか。
 皮肉な言葉である。

 ラスト近くで書き手の方が取材をした1人で後に友人となった美由紀さんが、
 「生きてて良かった」
 と言う。
 この言葉は書き手の方数年に及ぶ取材の一つの結果を物語る言葉だと思う。
 そして私もこの言葉に救われた思いがした。
 著者も書かれているが自殺未遂されて「生きていて良かった」と思われた方全員にそう実感出来る奇跡が訪れたわけではないと思う。それでも生き残られた多くの方がそう思える時がもたらされるのだという事実が希望の実だなと思う。


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| ノンフィクション | COM(10) | TB(0) |
2010-03-21 (Sun)
 遅くなりましたが、私のブログからDVDを購入して下さった方ありがとうございます。
 何かしらを与えてくれる映画だと思います。
 楽しんで頂けたら幸いです。
| ヒトリゴト | COM(0) | TB(0) |
2010-03-20 (Sat)


 天才外科医の日本人医師テンマ。
 彼は西ドイツの大きな病院でチーフを務め、院長の美しい一人娘と婚約をし順風満帆な人生を歩んでいた。
 たがある時「命は平等ではない」という考えの下、儲け主義の院長のやり方をまざまざと見せられてその医療のあり方に反発を持つ。
 名誉を得られる市長の手術ではなく瀕死の無名の少年の手術を選び取り、婚約は破棄され地位も格下げされる。それでも「命の重さに変わりはない」という信念を選んだ事の誇りが彼にはあった。
 しかしテンマが救った少年ヨハンは恐るべき美しい悪魔であった。怪物ヨハンに巻き込まれ、様々な人間が苦悩の果てに死んでいく。。。
 医師としてヨハンを助けたばかりに生み出される悲劇の現実に打ちのめされるテンマ。
 無実の罪を着せられ逃亡しながら、自らの手で決着をつける為にヨハンを追い続ける。。。。


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 私と漫画の趣味が似ている弟から横取りして読んだのが「MONSTER」である。間違いなく浦沢さんが語られる存在になった時に代表作のひとつと言われる作品となるはずである。
 この作品を真夜中に読んでいたのだがあまりの面白さに、
 「うおおおおおおおおおおおおおおおおお」(吉田栄作風)
 と叫んでしまった。迷惑だったと思う。

 とにかく縦横無尽という言葉が織り成す醍醐味が堪らない。
 主軸はミステリーでその謎が小出しに明らかにされる面白さは勿論だが、テンマがそのヨハンを追う過程で出会う人々の持つ「物語」の面白さが最大の魅力だと思う。 
 どの登場人物にも「物語」が細部まで用意されており、その各々の物語を内包し「MONSTER」という一つの壮大な物語を織り成しているが故に「かっぱえびせん状態的な面白さ」という観点なら浦沢さんの作品の中でも随一だと思う。
 とにかく早く結末が知りたくて連載中は早くラストが読みたいともがき苦しみつつ、でもやっぱり終わった時切なかった。勝手なもんである。読み終えた時は抜け殻が落ちていた。

 テンマは心優しき人間である。
 命を救うべき医者でありながらもヨハンを殺す事は彼自身のアイディンティティの揺らぎにも繋がるが、それでもその優しさが故に彼は全てを捨てて怪物ヨハンと闘うという苦渋の選択をする。
 その心の揺らぎというのだろうか興味深い。だがテンマがヨハンを殺すという事はある意味彼もまた悪意に取り込まれる事だと思う。
 ニーチェさんが「怪物と闘う者はその過程で自らも怪物にならないように気をつけないとならない」と言っているように。
 テンマも取り込まれるのか?最終的に彼がどんな選択をするのかドキドキしながら見守り続けた。
 最終選択は「彼らしい」ものであった、テンマであり続けてくれるのが嬉しかった。
 
 この作品で「なぜなら、誰も死にたがってなんかいないから」という言葉が一番印象に残る。 
 その通りだ、本当の意味で死にたい人間なんていないと思う。本当はみんな生きていたいと願っているはずだ。
 では何故生きるのが難しいのか?
 幸せになる事は簡単だけどその事に気づくのが難しいのか?
 幸福は状態ではなく選択するものだけどそれを上手く選べないからなのか?
 しみじみと考えさせられた言葉だった。

 善の象徴であるテンマと悪の象徴であるヨハンの戦いの物語は人間の優しさ愛おしさ、そして脆さと弱さを露呈する。
 でも善も悪も表裏一体で有り、オセロように条件次第では如何様にもひっくり返えさせるような気がした。
 結局本当の「MONSTER」は誰だったのかと今でも考え続けている。

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| マンガ | COM(10) | TB(0) |
2010-03-17 (Wed)
 

   統廃合された榛(はしばみ)中学校。
 その最後の一クラス3年1組だった21人の生徒達。入学式の日に若き担任の韮山先生からこのクラスメイトは21世紀に21歳になる仲間達と告げられる。
 単なる偶然ではあったが、この偶然が彼らに特別な連帯感をもたらした。「21」というもので繋がれた特別な仲間達。
 卒業して10年。25歳になった元同級生達に驚きの連絡網が廻ってくる。同級生の1人であった半沢晶が元3年1組の教室で首吊り自殺をしたと。彼は大変な美少年だったが人懐こい可愛い子犬のようで誰からも愛されていた。
 何故晶は自殺したのか?
 確かな絆で結ばれていると信じていた仲間達は、何も言わずに死を選んだ晶に思いを馳せじくちたる思いを抱く。
 自分達は晶の為に何か出来なかったのかと。。。
 

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  この作品はありていに言うと自殺によって大切な仲間を失った「残された者達の物語」と言える。
  クラスメイトの主要5人の視点を中心に、クラスメイト達が何故晶が自殺したのかと自問自答する姿が描かれている。
 
  当たり前だけど残された者は皆必ず「どうにか自殺を止める事は出来なかったのか?」という思いを胸に抱く。
  そして生前の晶に関わった人間達は自分が彼を自殺に追い込んだのではないかと苦悩する。
  自殺をした人間は決して意図したわけではないけど、残された者に大きな荷物を背負わせる事実を再認識させられる。「仲間」という自分達の存在が死のストッパーにならなかった事を悲しむ姿は切ない。
  読んでいて「命」そのものはその個人のものだけど、「死」というものは個人だけではなくその人に関わる全ての人達のものでもあるのだと思った。
  誰もが無人島で生きていない限り誰かと繋がっているし、だからこそ「死」は波紋を起こす。

  ラストで晶という青年の自殺の理由が明らかになる。
  ある人間にとっては「生きる」という事が本当に難しいんだなと感じた。特別不幸な状況にあるわけでもなく、どちらかと言えば恵まれた環境にあってもずっと心の中に生れ落ちた時から抱えているような「孤独」を飼っている人間っているのだ。もうそれは努力で改善出来る類のものではないみたい。
 そういう人間が死を選んだらそれは誰の責任でもないとは思う、個人的には。 

 この作品は残された者達の物語であると同時に、大切な人の「死」を通して生き続ける事を決意する物語でもある。
 晶の自殺は愛する仲間達へ重荷を背負わせる事になるがその苦悩の抱きつつ、彼が捨てた生きるという選択を仲間達は選び取ろうとする様が、
 「エネルギーチャージ」
 という感じで読む者に力強さを与えてくれる。
 いつか日常に大切な友達の死という非日常は埋没するのがわかっていても、それでもその死は形を変え自分の中に残し続けるのが生き続けるという事なんだろうなと思う。
  
 「何もかもうまく行くなんてありえないし、うまく行かないほうがあたりまえなんだと思っているけど、それでも。
生きていくことが、幸せへと向かう唯一の手段だと思っている。」
 
 まあそうだよなあと思う、死んだら何もかもお終いだ。生きていたら幸福のチャンスは残されている。
 でも生きるというのが幸せだけではなく、苦悩も不幸も抱え込む事になる。そういう部分とどう折り合いをつければいいのか、どう向かい合えばいのかと光を模索中の自分は思ってしまう部分もある。

 でも生きてればいつかそういう苦しさもや悲しみも含めて、色んな事がいとおしいと思えるような幸福が訪れるかもしれない。。。かな。


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| 小路幸也 | COM(4) | TB(0) |
2010-03-14 (Sun)
   

 早くに夫を亡くし、娘の深草(野波麻帆)とふたり暮らしの山岡照恵(原田美枝子)は、昭和29年に結核でこの世を去ったアッパー(父)・陳文雄(中井貴一)の遺骨を探していた。そんなある日、彼女の異父弟・武則(うじきつよし)が詐欺で捕まったという知らせが届く。30年ぶりの弟との再会に、照恵の脳裡に蘇ってきたのは、幸せだとは言い難い幼い頃の母親との関係だった──。文雄の死後、施設に預けられていた照恵を迎えに来たのは、かつて父によって引き離された筈の母・豊子(原田美枝子/2役)だった。ホステスをしている豊子にバラックの家に連れていかれた照恵は、そこで新しい父・中島武人(モロ師岡)と弟・武則と引き合わされる。やがて中島と別れた豊子は、ふたりの子供を連れて“引揚者定着所" に住む和知三郎(國村隼)の部屋へ転がり込む。和知は傷痍軍人をいつわり街角で施しを受けている男で、子供たちには優しかった。しかし、この頃から豊子の照恵に対する折檻が、日増しにひどくなってゆく。照恵が文雄の形見の手鏡を隠し持っていたことを知っては殴り、友達と花火を見に行く小遣いをねだれば蹴り、和知の前で着替えることを恥じらえば打った。ーgoo映画より





 この作品の最大の「大変よくできました」は勿論主人公の原田美枝子さんだと思う。
 虐待をする鬼母豊子と成人後の清楚な娘照恵の二役を演じていらっしゃるが全然別人なのである。女性は髪形、服装やお化粧で随分印象が変わるがそういう小手先部分ではなく、別の女優が演じているのではないかと思う位の演じわけが凄い。女優という「生き物」の真骨頂を知る思いがした。

 この映画テーマがテーマだけには虐待シーンが多い。鬼母がこれでもかこれでもかと思う位に娘を折檻する。手で叩き続けると痛いから物で殴り倒すシーン等は妙にリアリティを感じてビビッてしまった。
 美しい原田さんが本当に鬼婆に見える位凄まじい虐待シーンの数々である。
 でもそれなのに何故か母親は本当の所は娘を愛していないわけではないんだろうな思ってしまう。そういう辺りのさりげないエピソードの挿入が上手い。
 DVDの表紙写真になっている娘に髪を梳かしてもらうシーンで梳き方が上手いと褒めるのだが、その時の母親の表情は一瞬だが心の奥底に沈殿していた感情が吐露した感じであった。
 母親も恵まれない幼少時を過ごしている事がわかるが、それ故に愛し方を知らないだけなんだろうなと感じてしまう。
   
 娘は執拗に虐待され続け結局耐え切れず家出をしそれ以後母親とは音信不通になる。そして実の父親や義理の父親の遺骨を探す。それは亡き夫達の供養もしない母親への意地であった。
 でも彼女もまた母親への愛情を捨てきれない。結局母親の愛情を乞い続けたのだと思い知る。
 どんなにどんなに叩かれ打ちのめされても「髪を梳くのを褒めてもらった時嬉しかった。かわいいと言って欲しかった」と1人娘へ語る姿は切ない。ほんの一滴の愛情をかみ締め続けるのを見ると子供にとってどんな親でも親なんだよなと。
 自分をこの世に送り出してくれた存在を絶対的に否定する事は難しい。 

 愛し方は意志でもあると思う。「子を愛さない親はいない」と言うが叩かれてぶたけて愛を感じ取るなんて無理である。以前も書いたが親はちゃんと子供に自分は愛されていると理解させる愛し方をすべきだと思う。愛する事と愛を伝える事は全く別である。
 愛し方を知らないのは不幸だけど、抱きしめてあげる事位は出来るのではないだろうか。それともやはりそんな些細なことも「愛を知らない」と難しいのだろうか。
 娘は虐待を受けて育ったが、決して母親のようにはなるまいと強い意志で1人娘は愛情をかけて健やかに育てた。それがこの物語の救いの一つだ。
 
 愛する事を考えさせられる作品だった。

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| 映画 | COM(6) | TB(0) |
2010-03-13 (Sat)
   

 天才バッティングコーチと言われた高畠導宏。
 才能が有りながらもケガの為に短い現役生活を退いた後、打撃コーチとして才能を遺憾なく発揮し様々な名選手を育てていく。
 彼の教え方は臨機応変の型に嵌らないやり方で、その選手にとってのベストな練習法と打撃方法を教え、褒めて伸ばす事に主眼を置いたものであった。
 そんな彼が50代半ばで甲子園での全国制覇を目指すために高校教師へと転身する。だが監督業に就く目前にガンが発見され還らぬ人となる。
 常に選手の影として自分を語ることなく野球人生に邁進した姿を後輩であった著者が愛情を込めて綴る。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~    正直に書こう。
 「私は野球が大嫌いである!!!」
 何故なら私が幼少時の折はビデオという文明の機器が登場しておらず、見たいテレビ番組はことごとく父親のナイター観戦に潰された。。。それ故私にとってプロ野球シーズンの4月から10月は魔の期間であった。見たいテレビ番組があっても野球の為に見れず何度も涙した幼い頃の自分を思い出す。

 だから「野球」という単語は私にとって鬼門なのだが、いつも遊びに行かせて頂いているとこさんのブログ「ぶんげいたんさく」に紹介されていた記事を読んで興味を持った。

 野球を「ボールをバットで打つスポーツ」という認識しかない野球オンチの私でも十分堪能出来る作品であった。高畠氏の人生を語ると共に野球の歴史の一部もかいま見せてくれる。
 特に「諜報戦」と言われた時代の野球の話は面白かった。
 とにかく相手チームのサインを如何に盗むか、そして盗んだサインを上手く味方に伝え、また自分達のサインも相手にさとられないようにするかという文字通り「スパイ合戦」が昭和40年代から50年代に盛んに行なわれたものらしい。
 盗聴器や発信機まで登場し、一球事にサインを変えていくという不毛な消耗戦とあいなった。
 だが投手の投げる球種がわかっていても打てない時は打てないというのがスポーツというものの面白さの一面だなと思った。

 この本はあとがきに書いている通り、今自分の生き方に悩んでいる迷っている人、夢をあきらめそうな人そういった方々へ必ず何かを残してくれる。
 「才能とは逃げ出さない事」「平凡の繰り返しが非凡になる」 
 高畠氏が野球人生に誠実に邁進された中で掴み取った言葉の数々は確かな事実として心に染みる。
 私も拙い人生の中であきらめない事こそが才能だと感じている。例えどんなに才能があったもあきらめたらおしまいだからだ。
 でも「あきらめない」というのは特別仕様の才能ではなく、誰もが心意気次第では才能に出来るものだという部分に希望がある気がする。
 
 高畠氏の50代半ばのトラバーユというのはさすがに驚いた。
 もう50代といえは多くの人は諦観というかまあ熱いエネルギーのようなものは削ぎ落とされている年代と思う。
 それで新たな事を始めようとされるのだか凄いと思った。その源は「情熱」なのだろう。
 ある本に「人は何歳からでも始められる」という言葉があったがそれを思い出した。
 情熱とあきらめない気持ちがあればその人生の終わりの一滴まで味わい尽くせるんだなとしみじみ思った。

 でも野球はやっぱり好きにはなれないが。

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| ノンフィクション | COM(4) | TB(0) |
2010-03-10 (Wed)
  

 10日前に結婚したばかりの新婚ホヤホヤの笑子。神経質だが医者である優しい夫の睦月とゆったりとした時の流れを過ごしていた。
 だがこの結婚は『理由あり』結婚であった。
 何故なら笑子は若干アルコール中毒気味で病改善の為に結婚し、夫の睦月はホモで紺という男の恋人がいて世間体の為に結婚した。 
 セックスレスの不可思議な夫婦だが2人共お互いの事情を認めあっての結婚であった。それでも笑子と睦月と紺は今の摩訶不思議な関係性に心地よい幸せを感じていた。
 だが誰もがわかっていた、このままではいられないと。おどぎ話に終わりがやってくるものだと。。。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 
  最近気づいたのだが、私と江國さんとは実の所相性が合わないのではないかと思う。

 私にとってこの「きらきらひかる」が初江國体験だったのでその美しいおどぎ話のような世界に魅せられ、その後彼女の作品を読み続けた。たくさん江國さんの作品は読んできたがいつも「何か違うな」と思いつつも読み漁っていた。
 恐らく「きらきらひかる」が印象が深すぎて、またこういう作品に巡り会うかもしれないという期待感があるのだと思う。
 変な例えになるが卵から孵ったヒナは最初に見たものを親と思ってしまうのと同様に、最初に巡りあった作品のインパクトがその作家への期待感を決定してしまう。それ程までに私にとってこの作品は神作品であった。

  アル中の妻とホモの夫とその恋人、まず普通は異様な関係だ。こういう関係は現実世界なら刃傷沙汰になってもおかしくない。
  ところが江國マジックにかかると美しい美しいおとぎ話になるのである。
 「昔、昔、ある所にアル中の妻とホモの夫がいました~」
 という書き出しでも違和感ない。
 登場人物のほとんどが「普通というカテゴリー」からはみ出している。でもはみ出し者が互いに優しさを持ち寄りながら、この時を自分達の世界を守ろうとしているのが愛おしい。
 自分はみ出し者でもいいんだ、その部分も抱えて上手く折り合って生きてりゃいいんだと思える。

 「こういう結婚があっもいいはずだ、と思った。何ももとめない、なんにも望まない。何もなくさない、なにもこわくない」都合の良いごっこのような結婚生活。でも少しずつ関係性は変化して行く。
 笑子は睦月を好きになり初めて守りたいというものを抱える、そして睦月は紺への思いは変わらないが笑子を大事に思う気持ちはある。
 江國さんがあとがきで「誰かを好きになるということ~人はみんな天涯孤独だと、私は思っています」と書かれていた。
 人を好きになるのは幸せだけではなく、痛みも抱える。相手の存在を強く意識すればする程、相手の不在や気持ちのスレ違いに孤独を感じる。人はどこまで行っても孤独な生き物だと思った。
 なくしたくないものを持って、なくす事の怖さを抱く笑子がなんだか切ない。 

 若い時に読んだ時は笑子の気持ちがよくわからなかった。睦月が好きなのに何で恋人の紺を嫌いにならないのだろうと。紺を好きでいる睦月との関係性を続けようとするのかさっぱり理解出来なかった。
 その時は私の人生経験が足りないせいだと思っていた。だが改めて最近読んだけどやっぱりわからない、でもわからなくていいんだろうと思う。
 何故なら私はおとぎ話の登場人物にはなれないから。
 好きな人はやはり独占したいと思うし、恋人がいたら別れて欲しいと思う。そういう苦い気持ちを取っ払いたいとは思わない。
 やっぱりおとぎ話というのは憧れる対象で十分だと思う。
 
 結局また「きらきらひかる」のような作品を求めて江國さんの作品を読んでしまいそうである。
 
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| 江國香織 | COM(6) | TB(0) |
2010-03-06 (Sat)
   

 最早説明の必要のない位国際的な大作家となった村上春樹氏。
 そんな彼がまだまだマイナーな作家であった若き頃、食べ物や引越しや蟻や豆腐等自分なりのこだわりについて気負い無く綴ったエッセイ集
 人気シリーズ「村上朝日堂」の第一弾。
 

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 私と彼の出会いはごくありふれた出会いでした。。。。

 村上さんとの出会いは多分一番オーソドックスだと思うが「ノルウェイの森」である。
 それから三部作→「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」で見事ハルキストへ陥落!!!
 この一連の作風から村上さんのイメージは孤独な魂を抱えた孤高の人で、知的でクールな田村正和風味の作家さんだと勝手に妄想していた(当時から私の妄想の類は貧困でした)。
 それを覆したのが「村上朝日堂」シリーズのエッセイ集である。

 とにかくウケる。こんなに面白い人だったのかと良い意味で裏切ってくれた。
 村上さんの笑える文章と、相棒の安西水丸さんの下手なのか本気なのかよくわからないくだけたような挿絵がマッチングしてほのぼのした「むらかみワールド」がそこにはあった。 
 それまで読んでいた小説からは「孤独」とか「死」とかダークな部類なキーワードが炸裂していたので、エッセイとのギャップには驚かされた。
 勿論作家さんなのだから如何様にも自分作れるだろうし、このエッセイもご自身の一面をクローズアップしたものを見せているとは思う。
 でも村上さんの素の部分の一番やわらかい部分(というか子供っぽい部分という)を上手く笑いへ変えて気持ちよく読ませてくれる。
 気持ちのこりこりをほぐすようなエッセイである。

 小説を読んだ時のイメージで唯一エッセイから感じ取ったもので合致していたのが「こだわりの人」だという事である。
 趣味から料理や生き方まで自分の持っているこだわりがあってそのこだわりを大切にして生きてらっしゃるんだなと思った。
 その為に不快な思いもされてるだろうけど(悪く言えば頑固だし)、でもこだわりを自分の人生を生きていく上での糧にしているのだろう。
 それが故なのかエッセイに書かれている内容はありふれた日常生活なはずなのに、どこかキレイなパッケージで包まれているような特別感を感じる。

 「若い人たちに向けてのメッセージはとくにありません。がんばって働いて、がんばって年とってください。ぼくもそういう風にしてなんとか人並みの中年になったんだから」。  
 「シンプル イズ ベスト」な助言。長文演説なお偉いさんに聞かせてやりたい。

 こういうサラリと言ってのけられる大人てイイナアと思う。  

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| 村上春樹 | COM(4) | TB(0) |
2010-03-03 (Wed)
   

 酒鬼薔薇事件が起こった28年前に、15歳の少年Aが高校の同級生加賀美洋君をナイフでメッタ刺しにして殺害するという事件が起きていた。70年安保闘争で大学のバリケードがあちこち封印されていた時代であった。仲の良い友人同士と見られていたが加害者の少年Aは洋君からいじめを受けていたと動機を語る。だが当時の同級生等の証言からはいじめというよりふざけのようなものはあったかもしれないが、それは殺意を抱かせるものではないという声が多い。
 現在多発する動機不明の少年犯罪の発芽のような事件であった。

 事件に興味を持った著者が残された洋君の家族、父親の毅さん、母親のくに子さん、妹のみゆきさんに事件から30数年後の固く閉ざされていた心の思いを聞き取っていく。
 

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 私がまだ少女時代と読んでもバチが当たらない10代の頃(もう少しいって20代前半)少年犯罪というのはあまり聞いた事はなかった気がする。
 また犯罪というものはだいたいにおいて理解出来る動機があった。それはお金の為であったり、恨みであったり、愛情のもつれであったりと。
 だが『酒鬼薔薇事件』というのは少年犯罪でしかも動機が意味不明という衝撃的過ぎる事件で、多分この事件がその後の少年犯罪のエポックメイキング的なものになった思う。
 その事件より更に前の学園闘争でワーワーやっているようなまだまだ熱き時代に、その後の動機意味不明少年事件の発芽ともいうべき事件があったのは驚きであった。

 こういった事件の被害者は突然それまで生きていた慈しんできた世界から放り出されるのである。そしてそれまでとは全然違う苦悩に満ちた世界で否応無しに生きざる終えなくなる。
 そしてそれは永遠に終わる事のない悪夢の物語なのである。
 如何に被害者家族が地獄のような思いの中で歯を食いしばるように日常の時間をやり過ごしているかがわかる。よく言われる「時間が解決する」という言葉は深すぎる傷に対しては効力はない。
 被害者家族の生の声がダイレクトに伝わってきた。
 
 一番印象深かったのが「憎めない程の深い憎悪」というのがあるという事である。あまりにも深い憎しみの為その業火によって自分自身を滅ぼさない為に憎しみを抱かないようにしている。それ程深過ぎる傷だという事だ。
 それは本当に本当に悲しいと思う。  

 これは本当に何という人生の皮肉の在りようかと思うが、著者が加害者の少年Aの行方を捜した所なんと彼は弁護士となって町の名士となっていたのである。国家によって守られて教育を受け、しかも彼の犯した事件は少年法によって前科にはならないのである。
 彼は一度も謝罪に来る事はなく少年Aの親御さんが払うべき慰謝料は未払いで、勿論弁護士となったAは代わりに払うわけではなく反省している様子もないし優雅に暮らしているらしい。
 一方被害者の母親であるいく子さんはご主人亡き後年金でほそぼそと生活をしている。
 人生というものがあまりにも皮肉な構図で浮き彫りにされていて現実というのは時に本当に残酷である。

 少年法が「更正」に主眼を置いて作られたものとしたら加害者Aは立派に更正したという事になるのだろう。
 だがしかし、被害者抜きの更正なんて本当の更正なのだろうか。被害者の加賀美一家は30数年過ぎても癒される事の無い傷を抱えたまま苦しんでいる。彼らを置いてきぼりにしたままでいいはずがない。
 勿論被害者が完全に癒される事は無いにしろ彼らにもちゃんと光を当てて欲しい。行政は加害者だけではなく被害者にも同等に手を差し伸べるべきだと思う。

 少年犯罪の少年達の多くは心に闇を飼っている。
 心に希望を灯す事が出来たら、それを抱かせる社会の器が必要だなと思う。
 

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| ノンフィクション | COM(4) | TB(0) |
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