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2010-02-28 (Sun)
 ブログ開始から一周年を迎えられました。
 これもいつもこちらへ訪問して下さる方々とコメントを下さる方々のお蔭様です。

 実の所一月下旬頃が正規の一周年なのですがワタクシ完全に時期を勘違いしていました。てっきり二月下旬頃だと。

 何れにせよ最初中々訪問者もなくコメントを下さる方もなく、まるで独り言を言っているような虚しさを抱えながら記事を書いていました。
 その状況の中でさすがに開始三ヶ月頃は辞める事も考えたのですが、だんだん訪問者も増えてきてなんとかここまで続けてこられました。
 本当にありがとうございます。
 これからもよろしくお願い致します。
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| ヒトリゴト | COM(20) | TB(0) |
2010-02-27 (Sat)
 

 様々な人間の人生模様がドラマティックに描かれいる一話完結型物語。
 
 「不良」
 院長はケンカで警察に捕まった息子を迎えにへに行く。そこは彼が25年以上前に世話になった場所。
 今でこそ町一番の病院長として地元の名士だが、かつてはヤクザも恐れぬ手の付けられない不良であった。
 そんな彼を立ち直らしてくれたのが売春をしながら赤ん坊を育てていたサエコ。
 男に捨てられたショックでおかしくなったと言われていたが、実は彼女はおかしくなっていたわけではなく子供と引き離されたくない一心で狂ったふりをしていたのだ。子供が物心がつくまで自分の手で育てたい、そのわすが一年足らずの為におかしくなったふりをして売春をし、彼女は残りの人生全てを捨てたのであった。
 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  
 前回に続き今回も「いい仕事しているねえ~」シリーズである。

 今回は画があの「課長島耕作」(今は出世されてますが)で有名な弘兼憲史さんである。「MASTERキートン」と同様にこちらも職人スキルが光る作品である。これも奇遇というか原作者は別の方である。
 勿論作品世界はかなり違うのだけどどちらも「人間模様の万華鏡」という感じの人生ドラマである。
 浦沢さんも弘兼さんもご自分達が書かれる王道の作品とは違う、自分の技量を試しているような(磨いているような)またその事に喜びを感じているのが伝わってくる感じである。名人達の「わくわく感」とでも言うのだろうか。
 ただ王道ではないので派手さはなく地味にはなってしまう。だから代表作としては語られにくいけど。

 この「人間交差点」が「MASTERキートン」と大きく違うところは、後者はキートン主軸で前者はそういう主人公がいない(厳密に言えばちょっと違うかもしれんが)。
  「MASTERキートン」は映画を見ている感じで、「人間交差点」はテレビドラマを見ている感じである。

 「人間交差点」の中で一番に印象に残ったのが「不良」という作品である。 
 生きる事の凄さという事もまだ何にもわかっていない若い時に読んだのだけど、それでも自分の守りたい物の為に人生全てを投げ打つというのは衝撃だった。
 若さは煌びやかさもあるけどそれと同時に危うさもある。主人公がその危うさに完全に飲み込まれる前に引き戻してくれる人と出会えた設定が泣ける。
 ちなみに「彼」が医者になったのは精神病院に収容されたサエコに会いたい一心というのがホロリである。

 「人間交差点」の別作品に「人生は笑える程楽しいんだ」(多分こういう言葉だったと思う)というセリフがあったけど、しつこいが若すぎた当時ひねびていた私には「嘘言うな!!!」と思ったけど、でも本当は人生というのはそういうものなのかもしれないとは思えるようになった。
 勿論笑える程楽しい人生を送っているわけではない(もしそうならメンタルにはなっていないし)。
 ただその言葉の持つもっと深い真意は理解出来るようになった。ようはそういう心意気なんだろうなと思う。
 改めて読んで活を入れてもらった気分だった。

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| マンガ | COM(4) | TB(0) |
2010-02-24 (Wed)
 

 考古学の世界で生きたいと願う平賀・キートン・太一であるが、現実は中々厳しく大学の講師を細々と続けながら危険なロイズの保険調査員もし将来の発掘の為の資金を貯めていた。
 見た目は純朴そうな優男だが実の所は元々はイギリス軍隊のエリートであり、サバイバルの教官もしていたというツワモノである。加えてオックスフォード大学卒というインテリでもあり、その深い知識と高いサバイバル能力で数々の難事件を解決する極めて優秀な探偵であった。
 だが基本ヒューマニストなので事件の枠を超えて相手と関わってしまい余計な事に巻き込まれてしまう場合もある。
 そんな平賀・キートン・太一を巡る一話完結型の連作集。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  
 将来浦沢直樹さんが『語られる存在』となった時、この「MASTERキートン」は代表作として挙げられる作品ではないと思う。
 勿論それは作品の質の問題ではない。浦沢さんはヒット打率の高い漫画家なので名作と呼ばれるものがたくさんあり、その中ではこの作品は脇道運行の色合いが強い(原作が別の方というのもあるけど)。
 でも私は個人的に浦沢さんの作品の中ではこの作品が一番好きであり、かつトータルバランスの良さでは最高傑作だと思っている。
 というわけで今回はこの作品をPushi!!!し布教活動を広めたいと思う。

 この作品は分野が本当に多岐の渡る。政治、軍隊、考古学等それらに関する専門用語もたくさん出てくるが全く苦にならずに面白いほどに入ってくる。自分がスポンジになったのかと思う位に吸収してしまう。
 それは原作者のストーリーの練り方と見せ方の巧みさと、画を担当する浦沢さんの職人スキルが上手く連動しているからだと思う。職人同士の技の結晶のような作品だ。
 本当に読んでいて面白いだけではなく勉強になるお得な作品である。この作品を読まなければまず興味を持つ事の無い世界の断片を見れたのは幸いだ。

 個人的にツボなのが主人公である平賀・キートン・太一の魅力的な人物造形。彼はいつも自然体で生きることを楽しもうとしている。
 おまけに外見は朴訥な優男で不安定なしがない大学講師なのだが、実はホームズのような頭脳とボジェームズ・ボンドのような高い戦闘能力を持っているというギャップのある設定が私的に大好物なのである。
 そして何よりも「優しい」。レイモンド・チャンドラーの作品の中の言葉、
 「男は強くなければ生きていけない、優しくなければ生きる資格がない。」 
 という言葉を見事体現している男性である。私にもっと生活力があれば養っていも良いと思う位だ。
  
 この作品は結構感動させてくれる作品もちりばめられていて、普段色んな日常生活の多忙さに埋没してしまいそうな感情を思い起こしてくれる。 
 でもそれは押し付けがましい感動ではなく、人生のひだを浦沢さんと原作者の巧みの技でサラリとして魅せてくれる。
 生きてれば色々あるけど、素敵だと思える時もあるよなと。
 心の中にある優しい感情に被ったほこりをそっと取り除いてくれる感じだ。
 
 一粒で幾つも美味しいというのを実感する作品である。

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2010-02-21 (Sun)
 アマゾンで渡辺淳一先生の本をこちらのサイトから購入して下さった方、
 「ありがとうございます」
 お礼が遅くなり申し訳ありません。あまりアフェリ部分はよく見ていないので最近気が付きました。
 良い読書時間を持っていただければ幸いです。
 
| ヒトリゴト | COM(0) | TB(0) |
2010-02-20 (Sat)
 年老いた母親とその娘。
 いつも通りの平凡な夕べになるはずだったが、それは娘の自殺予告によって不気味な世界へと変化して行く。
 娘を必死で止めようとする母親。最早死ぬ以外の道はないと確信している娘。
 果たして母親は娘を止められるのか?
 人間存在、相互理解などの人間の最たる闇の部分を日常ディティールの中で浮き彫りにしている秀作。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 
 この本は「ダ・ヴィンチ」で『孤独』をテーマにした本を特集とした中に紹介されていた。
 幾つか紹介されている本で何故この本に興味を持ったのはあらすじと、コメントされた方のキツイ突込みの言葉にそそられたからである。

 この作品は最初から終わりまで自殺をしようとする娘と、それを止めようとする母親のバトルが繰り広げられている。
 正直読んでいてコメントされた方のきつい突っ込みと同様の感想を持ってしまった。
 その突っ込みとは。。。。
 「もう、見えない所で死んでくれ!!!」 
 まっ、作り話とわかっているから言えるセリフだけど。
 娘の気持ちに共感出来る部分はたくさんあるのだが、読み進めていくうちに娘のエゴというかかたくなささにうんざりしてくるのである。
 年老いた母親が愛する娘を止めようとしながらもどうする事も出来ない絶望感がひしひしと伝わって切ない。自殺の予告なんて残酷だと思った。自殺の理由を知っておいて欲しかったという事だか、
 「遺書にしようよ!!!」  
 とやはり突っ込みたくなる。
 
 人が生きるという営みの中で常に抱える闇の部分を「これでもか!!!」という位に見せられて本当に怖かった。
 こういう人の心の闇の真理を扱った作品というのは下手なホラーよりホラーだと再認識。
 「自死」というのは自分が行使出来る人間としての当然の権利だと思う。私自身は決して「自死」が敗北とか逃げだとは思わない、あくまでも自分が行使出来る権利の一つだと思っている。だからこそ救いもあるはず。
 出来るなら「自死の権利」は死ぬためのものではなく、生きるためのものであって欲しい。
 いつでも死ねる権利があるのだから死に物狂いで生きてから遂行してもいいんじゃないかと思う。
 
 読んでいてつくづく親子であっても他人同士なんだなと思う。血が繋がっていても「個」と「個」なのだ。
 「ずっとあんたといたのにそんなに孤独なんてわからなかった」 
 というのはえぐるようなセリフである。
 母親は娘を愛していたけど理解出来なかった(しようとしなかったのか?)。相手への理解は愛だと思うけど、愛する事と理解する事は必ずしも同一のものではないのかもしれない。理解していないから愛ではないとはいわないが。
 愛する事と理解する事の関係性は難しい。 
 
 正直どこまで他者の孤独に踏み込めるのだろうか、どこまで近づけるのだろうかと思った。
 その距離感に人はずっと迷い続けるんだろう。

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| 外国人作家 | COM(6) | TB(0) |
2010-02-17 (Wed)
 

 高校を卒業してから10年。年に一度のクラス会が開かれる。ここ数年のクラス会の話題は専ら「キョウコ」であった。
 有名女優となった彼女に同級生達はミーハー根性で会いたがるが「キョウコ」は毎年欠席をしていた。
 彼等はなんとか次のクラス会には出席して貰おうと色々画策をする。
 だが「キョウコ」に会いたがる幾人かはミーハー根性だけではなく、それぞれ複雑な思いを持って再会を望んでいた。
 その複雑な思いには高校時代に起きた「小さな幼い罪」も起因していた。。。

 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~    最近頻繁に起こっている「気分の青春返り」。なんだか持病になりつつある。
 年のせいなのか(多分そうなんだろうけど)若い時の自分を思い出すような心理描写に出くわすついその場で長居したくなる。
 この作品も正直話の展開よりも物語で語られるそれぞれの心理描写の方が心に深く残った。
 
 青春時の自分の心持を彷彿させるような物語に出会うと窓から差し込む陽気に辺りながら、
 「ああ、そういう事もあったよなあ」 
 としみじみする面持ちになるのだ。
 登場人物達の心理描写に共感しまくって内容そっちのけになってしまう。つくづく自分はフェチな読み方するなといらん感心をする。
 
 上手いなあと思わせるのが目次というのかそういうのが出席番号何番というタイトルになっていてそそられる。
 男女5人が高校時代の回想と現在の自分を絡めながら様々な思惑で「キョウコ」に思いを馳せる。特に高校時代の回想が興味深かった。
 学校生活はクラスや友達関係の中で色々自分の立ち居地や自分の値札(自分という者の価値とでも言うのか)というかそういう事に過剰に汲々としていた。社会という枠より狭い学校という中だからこそ余計しんどい部分もあった。自意識過剰期だから致し方ないと言えばそうなんだけど。
 若い時って何であんなに色んな感情がたぎっていたんだろうと今は不思議に思う。年を重ねて冷ますためにはやはり一度はたぎる必要があるからだろうか。
 苦い共感の部分も有ったがやはり懐かしい感情だった。

 ここに登場する男女は28歳。色んな意味で揺れる年頃だと思う。
 もうピチピチと言える年齢でもないし、一つの節目である30歳間近。自分の今の立ち居地やこれからの未来等色々と考える時期だ。
 SMAPの名曲「夜空ノムコウ」じゃないが、
 「あの頃の未来に 僕らは立っているのかな~♪」
 と高校時代に思い描いていた未来と違う位置に立っている事への不満、あせり、戸惑いがリアルだ。
 30歳を超えればそれはそれで開き直れる部分も出てくるのだろうけど。「難しいお年頃」である。
 でも年を重ねるとそれまで背負った重荷を少しずつ降ろして楽になる部分もある。
 そういう自分の感情に若干素直になってなんとか今の自分と折り合いをつけながら前を向いて歩こうとしている登場人物達の姿は気持ちよし。

 もうしぎ40歳目前の私は「再度難しいお年頃」の真っ最中である。
 
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| 辻村深月 | COM(8) | TB(1) |
2010-02-14 (Sun)
 

 サトラレ――思ったことが口に出さなくても周囲に“悟られ”てしまう、一千万人に1人の確率で存在するという人々を称してこう呼ぶ。そして彼らは例外なくIQ180以上の天才。だが、彼らは自分が悟られていることを知らない。それを自覚してしまえば精神的に耐えられる者などいるはずもない。政府は彼らの能力を社会に活かすために彼らが自覚することのないよう徹底的に保護していた。新米外科医の里見健一もそんなサトラレの一人だった……。サトラレを巡って繰り広げられる悲喜劇。-yahooより





 この作品は良い意味での「バカバカしい」作品である。
 本当の意味でのバカバカしい映画だったら憤死しそうになるが、『良い意味』という冠がつくと味のある作品となるんだなあと思った。
 勿論一歩間違えれば「なんだこりゃ?」になりそうな危険があるが、そうはさせずに上手く舵取りされた本広克行監督はさすが娯楽映画を作り慣れていらっしゃると思った。 
 前半は「サトラレ」である里見にその事を気付かれないようにする周囲の人間のドタバタ劇が面白い。
 「サトラレ」を保護するのは正しく壮大なプロジェクトなんだけど、その壮大な保護振りのバカバカしさが堪らない。まあ気付かれないようにするにはこれ位の保護は必要なんだろうなと思うが、前半はその部分を悪乗りさせたようなコメディになっているので笑える。

 多分たいていの人は他人の心が読めたらいいなあと思った事は一度はあると思うが、その逆バージョンである自分の思った事が他人に悟られてしまうというのは夢想した事はないと思う。この作品は元々漫画が原作らしいが、あらすじを読んだ時にこんな切り口があるんだと感心したのを憶えている。 
 実際「サトラレ」になったらきついだろうなあと思う。自分の思う事が周囲に全部に漏れるなんて痛い。人はきれい事だけを考えているわけではないし、負の感情すらも他人に知られてしまうなんて辛すぎる。
 暗い絵の具では「サトラレ」という作品を描いていないから意識しにくいが、本来はとても悲しく壮絶な孤独な立ち居地なんだなと思った。
 
 後半辺りから「笑い」の要素は徐々に姿を潜めて行く。
 里見は優秀な医者だけど嘘が付けないのであたりさわりの無い役割しか与えられない。そんな彼が両親亡き後に自分を育ててくれた祖母の手術を担当する事になる。
 ネタバレになるので詳細を省くが前半部分は「笑い」の要素にしていた「サトラレ」を、ここら辺りでようやく「悲しい」要素として転化している。そして更に感動へと上り詰める。
 「サトラレ」に対しては周囲も腫れ物に触るような対応になってしまう。映画は最初から周囲の人間と里見の間にある壁を見せ付けている。
 だが里見の純粋な思いが「サトラレ」であるが故にダイレクトに周囲へと伝わり、その壁が取り払われる。
 大団円のようなラストだが全然突っ込もうとは思わなかった。

 よもやこういう感動のラストを思ってもいなかった。こんなお出向かいが待っているなんて前半の流れでは全く読めなかった。
 私の映画鑑賞人生もまだまだだと思った。

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| 映画 | COM(10) | TB(0) |
2010-02-13 (Sat)
   

 作家柳美里は愛する男の子を妊娠する。だが相手の男性には妻がおり妊娠によって捨てられる。
 そんな彼女を励ましてくれたのが東由多加。
 彼は柳美里が劇団に属してた時の師で有りまたかつての恋人であった。
 だが彼は末期の食道ガンで八ヶ月の余命宣告を受ける。
 生まれ来る命、去り行くかも知れない命、命の誕生と再生の希望への物語。

 「命四部作」の第一幕

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 柳美里さんの作品は一時期夢中になって読んだが十数年以上ご無沙汰であった。
 彼女の作品は良い意味でも悪い意味でも独特の味付けなので、ようは食いすぎの胸焼け状態になったからである。
 暫く遠ざかっていた柳美里さんの作品を再び手に取ったのがこの「命」である。

 こういう言い方をすると本の帯に書かれているキャッチコピーになりそうだが「生」と「死」という二つの糸が物語を織り上げている。「生」と「死」という一見対極であり、またそれが故に背中合わせでもある二つの要素の絡みが物凄くクリアに浮かび上がって来る。
 「生まれてくる、そして誕生した命」と「死へ向かうかもしれない命」。
 今までガンの闘病記でその二つのコントラストで綴られた作品というのは読んだ事がない。
 東さんがおっしゃられた「誰か生まれて、誰が死ぬ」という人類当たり前の営みの縮図を見せられたような気がした。
 タイトル通りの「命」の響き合いに読んでいて凄く引き込まれた。

 読んでいると「生」も「死」も結局は同じなんだろうなあと思った、入口か出口の違いはあっても。この作品ではその境界線はない。「死」はゴールが見えた時にやってくるのではなく、「生」と共にいつもここにあるのだと感じた。

 柳さんの、 
 「ほんとうはすべてのひとの命が日々失われているというのに、そのことに鈍感になっている。いや、鈍感にならないと生きていけないのだ。しかし鈍感さが更に進むと、たいせつなものの存在が空気のように意識から抜け落ちてしまう」
 という言葉が凄い心に残った。
 自分も含めて愛する者も日々死へと向っている。何時か必ず愛する者との別れはやって来る。その事を普段は忘れているし、柳さんのおっしゃる通り鈍感にならなければ生きられない。でもその鈍感さが逆に大切な人をに対する思いを空気にする事を改めて思い知らされた。
 死を意識し続ける必要はないけど、死の存在をどこかの隅っこにでも置いておいた方が後悔しなくて済みそうである。

 読んでい作家というのは業の深い生物だなあとしみじみ思った。これ程プライベートな事を作品にせざるおえない創り手の業というものを感じた。書かずにはいられなかったんだろう。
 作品である以上必ずそこには作り手としての冷静な視点がある。そういう目がないとそれはただの感想文になってしまうからだ。
 様々な苦悩も喜びも書いている時にはそこに溺れず、それら突き放して再構築してを作品として仕上げる
 勿論それがいけないと言っているのではなくむしろたいしたものだと思う。自分の体験を血肉として作品を書けるのは選ばれた才能の持ち主だけだ。

 柳さんと再会出来て良かったと思った作品である。

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| 柳 美里 | COM(4) | TB(0) |
2010-02-10 (Wed)
 

  17歳のアミは頭脳明晰な美少女。
  だが自分の居る世界に馴染めない疎外感を埋めるように知的障害を持つ兄タクヤと近親相姦の関係を持つ。
  壊れた家族の中で無条件に受け入れてくれるのがお互いしかなかった故に。
  気づいた両親に2人は引き離されるが、兄との関係を続ける資金長達の為に売春をしていた。
  ある時アミは自分の出生の秘密を知る。
  再度障害児を生むことを恐れた母親は見知らぬ男性の精子で妊娠しアミを生んだのである。
  更に兄の子を妊娠している事に気づいたアミは精子ドナーを探す。
  見知らぬドナーに兄との子供を生むぺきかどうかを決めて貰うために。。。。 
 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~   あらすじを読んでお気づきになられたと思いますが「売春、近親相姦、兄の子を妊娠、精子ドナー」等々、際どいフレーズが惜しげもなく並んでいます。
 PTAのおっかさんの方々がご覧になられたら眉をひそめられた後に焚書扱いになりそうである。
 私がこの作品を知ったのは「ダ・ヴィンチ」で紹介されていた記事を読んでなのだが「売春、近親相姦、兄の子を妊娠、精子ドナー」という文字に一本釣りされて読もうと思った。
 際どいフレーズの内容にドキドキとワクワクしながら読み始めたが、読み終えた時に不思議なほどに嫌悪感も不快感も感じなかった。思っていた以上にえぐい内容にもかかわかずである。
 むしろ作品全体に漂う「深い孤独感」に共鳴した。こんな内容なのに自分の肌にフィットする作品であった事に驚いた。

 この作品に出てくる人物達は欠損人間ばかりである。人間的に何かが損なわれているというか欠けているので「世界と上手くいかない」人達なのである。
 多分私も何かどこかが欠けている(損なわれている)人間なので共鳴したんだと思う。
 損なわれているという意味では「孤独感」というよりは「喪失感」という言葉の方が近いのかもしれない。
 失われている者である自分には響いた。

 解説者の宮台真司さんが上手い。
 アミは「世界を受け入れていない閉ざされた世界の住人だから、ひどい親も売春客も存在の希薄な影絵しか過ぎない(一部略と言い換え)」というのはお見事な作品の切り口である。
 この作品は12、3年前に書かれた作品だけど当時の売春等をやっていた飛んでいる少女達の見事な実像を浮かび上がらせていたと思う。
 売春等してもその事で大して傷付くわけではなくその行為が自分を侵食しない。一言で言うのなら「あっけらからん」か。
 私からしたらそういうのは凄く不思議に思うのだけど、そういう時代も確かにあったんだなと思う。どんな原因でそういう結果が生み出されたのか全然わからないが。
 でも売春をしていた女子高生から作者の桜井亜美さんに多数の共感の手紙が届いていたというのだから、「あっけらからん」としていても心のどこかの凹みにがあるから彼女の作品がはまったというのは伺いすぎだろうか?

 読み終えた時、グロテスクを重ねた際の先には純粋な何かが潜んでいるのかなと思った。
 
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| 桜井亜美 | COM(8) | TB(0) |
2010-02-06 (Sat)
   

  芙美子の継母である照代が急死する。いつも控えめで芙美子や弟の良い継母であった。
 いつかその恩に報いようとは思っていたが、多忙を理由に中々親孝行らしきものが出来なかったのが悔いとなった。
 人妻でありながら年若い愛人との関係を続けた美しい実母のさよ子。
 さよ子の事故死後、年若い愛人は後追い自殺をし2人の恋物語はピリオドが打たれる。父親は看護婦であった照代を後添えとしたのであった。
 照代の遺品を片付けている時に芙美子は古い新聞の切り抜きを見つける。
 その記事には事故で亡くなったとばかり思っていた母のさよ子の死因が載っており、それまでの記憶が思い違いであった事を知る。
 そして新聞記事をきっかけとして自らが封印した恐ろしい記憶をよみがえさせる。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 
 小池真理子さんは作家でご主人の藤田宣永さんと「夫婦公論」(溺れる)でペンによる長調八兆のおもしろ夫婦バトルを繰り広げられているが、舞台を変えられてもペンさばきはさすがである。

 個人的に小池さんは長編も短編もどちらもとても上手い作家さんだと思う。
 ただ長編に関しては耽美的な物が多いので好みによって合う合わないがあるけど、短編はキレがありひねりの効いたオチが素晴らしい作品が多い。
 一時期「小池中毒」なる病に罹り短編を中心にかなり作品を読み漁った。
 中毒というの一度罹ると自らの力では抗い難いものがり、罹ったなと思った時には既に遅く、沼地のように足を取られどっぷりとその世界にはまってしまう。ブルトーザーのごどく小池作品を網羅していった。 
 今はやっと中毒から抜け出している。
 中毒というのは楽しい反面しんどい事もあるので今は穏やかな日和である。
 
 その元小池中毒患者である私が今回ビックアップした短編は作品の出来としては「スペシャル」という程ではない。どちらかというと地味目の作品である。
 他に傑作短編が幾つも有るし、同作品に収められている他作品の方が完成度も面白さも上の作品もある。
 それでも私が小池さんの数多くの短編の中でもこの「封印の家」が特に気に入っているのは、ラストの着地点の光景が好きだからである。
 読み終えた時、
 「ジーン」
 と言葉のままに感動しちょっと(恥ずかしながら)泣けた。

 主人公の芙美子は実母さよ子よりも継母の照代の方が好きだったし絆も感じていた。
 だがやはり母親ではなくあくまでも「照代さん」であった。物心がついてからの再婚でもあり、照代はとても慎ましいので自分という存在を強くアピールする事もなかったせいもあり一定の距離感が常にあった。

 芙美子がラストで照代が自分に注いでくれた愛情の深さを知る事になる。芙美子自身も忘却していた「罪」を唯1人知っていた照代はその秘密を誰にも漏らすことなく自分を見守り育ててくれたのだと。
 その下りが悲しくも切ない。
 何故なら自分にとって真の母親が誰であったか知った時に感謝すべき相手はもういないのだから。

 地味な話ながら要所、要所にさりげない磨きをかけ、ラストで光らせる小池さんの職人技である。

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| 小池真理子 | COM(8) | TB(0) |
2010-02-03 (Wed)
 

  取調室の一室である舞台が用意されていた。

 ネット上の擬似家族の「お父さん」である所田良介が何者かに殺されてしまう。その数日前に絞殺体として発見された今井直子。一見無関係と思われた事件であったが共通の遺留品が発見される。
 容疑者と思われるネット上の家族であったHN「お母さん」こと三田佳恵、「ミノル」こと北条稔、「カズミ」である加原律子がそれぞれ取調室に呼ばれる。
 そしてマジックミラーの向こうには所田良介の1人娘一美がいた。犯人かもしれない人間を彼女は見ており確認の為に呼ばれたのである。

 三人の取調べが順番に始まり舞台は開演する。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  
 宮部みゆきさんの紡ぐ物語は良い意味で裏切ってくれる事が多いので面白い。
 この作品を読み終えた時も、
 「こりゃ、一本取られました」
 と思った。

 ネット上の擬似家族というのが一つのモチーフとなっている。ようするに現実で自分の望む家族を持てない不満をネット上で理想の家族ごっこを演じる事で補うのである。
 「わあ~不健全だ、こりゃ」 
 と思った。キナ臭いがプンプンする。

 勿論ネット上の人間関係が偽物だとは思わない。例えばメンタルを抱えた人達にとってネット上での人間関係は福音だと思う。また互いに顔の見えない距離感が自分の素の部分をさらけ出し易いので深い人間関係を作れる場合もある。「距離感」が気持ちの潤滑油となるのならそれはめでたい事である。
 だがその「距離感」を逃げ場所としたらそれはどうなんだろうか。
 理想の家族ごっこなんて結局は幻想である。単なる一時しのぎのカンフル剤に過ぎない。
 「距離感」を美味しい所どりの道具にしてしまったら、いつしかその距離感がおかしくなってしまうと思った。
 やはり寂しさを現実世界で適度に飼いならす方法も用意していた方が幻想に飲み込まれなくて済む。
 
 解説の言葉で「家族の絆とは、癒しなのか?呪縛なのか?」と言う言葉があるが、これはズバリとこの作品の核心を突いている。
 本来なら家族の絆は癒しではあるとは思うというか、そう願いたい。でも必ずしもそうではない現実もある。
 親子であっても合う合わないは確かにあり、合わない場合は絆が呪縛になってしまう場合もある。
 そういう時は親と子という関係は他人でないが故に一層の悲劇を生み出しやすい。絆が呪縛となった時の怖さを感じた。

 ラストは切ない。 
 犯人は加害者ではあるがでも本質的には被害者なのだから。
 若い時は自分が見ている世界のみが真実だと思いがちだけど、角度を変えてみれば物事には別の真実もあるのだとわかるはず。
 そうすればまた違った選択も出来たはずだと思うとやりきれない。
 
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| 宮部みゆき  | COM(5) | TB(0) |
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