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2010-01-31 (Sun)
 

 ひとりの女性が失踪し、切断された右腕が発見された。やがて犯人はTVに電話出演し、殺人ライヴを予告する…。
宮部みゆきの長編ベストセラー小説を、日本映画界の鬼才・森田芳光監督のメガホンで映画化したミステリー大作。犯罪における加害者の立場と被害者周辺の双方を両立して描いていく。
理由なき犯行の恐怖性や、TVやインターネットなどのメディア批判、そして原作とは異なるラストの展開に賛否が飛び交い、結果として大ヒットを記録した。徹頭徹尾森田マジックともいうべき、彼の演出技術の集大成的作品に仕上がっており、また主演・中居正広の、これまで見せたことのないクールな一面も大いに作品のプラスとなっている。その他、木村佳乃、藤井隆、津田寛治など総じてキャスト好演。なかでも山崎努は名作『天国と地獄』をも彷彿させる貫禄の名演だ。ーAmazonより

 宮部みゆきの大ベストセラーを森田芳光監督、中居正広主演で映画化した話題作。東京の下町で豆腐屋を営む有馬の孫娘が行方不明に。その10ヶ月後、ある公園で切断された右腕が発見される。そんな中、生放送中のワイドショーに犯人らしき男から電話が…。「キネマ旬報社」データベースより
 


  



 感動した映画ばかりを紹介してきた。だがここら辺りで変化球を投げてみようと思い、
 「何故私はこんな映画を見てしまったのでしょうか?」
 と論議したくなる映画も紹介しようと思う。

 「模倣犯」が映画化されると知った時に私は危惧した。
 この小説は上下二段で上・下巻という大長編である。果たして約二時間位のサイズにどうやって収めるのかと思った。勿論かの不朽の名作「風と共に去りぬ」も大長編だが、上手く仕上げているから必ずしも難しいわけではないと思う。
 ただ「模倣犯」というのは非常に深い話で、あらすじのひとつひとつがその作品世界を作り上げている感じが個人的にはしたので、割愛とか継ぎ足し変更というのは難しいのではないかと思った。
 見たら、
 「案の定でした」 
 気持ちよい位に想像通りアカン作品であった。
 
 演じている役者さんは悪くない。
 主人公の冷徹なピース役のSMAP中居正広さんは客寄せパンダ的な意味合いも含めて選ばれたと思うが、だからと言って決してミスキャストではなかった。ハマリ役とまでは言わないが、とても難しいというか捉えがたい役柄をそれなりにこなしていらっしゃった。
 ピースに敵対する役回りになる有馬老人は山崎努さんが演じられていらっしゃるがさすがの名優、重厚さを持って原作のイメージを裏切ることなくむしろ「この人しかいない」と思わせられる演技は素晴らしい。

 とにかくこの作品はストーリー展開とか人間関係の粗さが目立ってしょうがなかった。原作のあらすじをついばんでいるだけというか。
 私は原作を読んでいるからストーリー展開に付いていけたが読んでいない人は理解されたのだろうかと思った。
 森田芳光監督は原作者である宮部みゆきさんご指名らしいが、カントクは一体どうされちゃったんだと思う位の酷い出来である。一応名コックだと思うけど(「ハル」という映画は好きである)調理の仕方を思い切り間違われている。自分の腕を過信されたのかアレンジのし過ぎのような気がする。
 森田監督は作りこみ過ぎるよりシンプルに仕上げられる方が良い作品を生み出されるのではないか。

 ラストを見た時、
 「なんじゃ、こりゃあ!!!」
とかの有名なセリフをパクリたくなってしまう位の酷さに唖然とした。
 私は決して原作至上主義者ではない。基本は映画は映画、原作は原作、上手く結婚出来たら万々歳位にしか思っていない。ただこの映画に関してだけはあまりにも原作を冒涜し過ぎている気がした。原作のテーマ性というか伝えたい事を映画では微塵も伝えていない。

 よくつまらない映画を見たら「時間と金を返して」と思うが、あまりの酷さにそれはそれで語り草のネタになりそうなので元は取れてる強がってみる。

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| 映画 | COM(15) | TB(0) |
2010-01-30 (Sat)
 

 「孤独」を7つの表情で表現した短編集

 「トニー滝谷」
 トニー滝谷は本名でありれっきとした日本人である。
 彼は絵を描くのが大好きでイラストレーターとして成功を収めていた。37歳になるまで幾人かの女性とも付き合ったが結婚を考えた事はなくその必要性を感じなかった。
 だがそんなトニー滝谷が恋に落ちる。相手は15歳も年下の「彼女」でとても自然に優美に服をまとう事の出来る女性であった。
 結婚し幸福な生活を送っていたが事故で「彼女」は亡くなってしまう。後に残されたのは部屋に納まりきらないサイズ7の服とサイズ22の200足近い靴であった
 トニー滝谷はサイズ7、靴のサイズ22の妻と同じ体型の女性アシスタントを求める求人を出す。
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 私にとって村上春樹さんは帰っていく港のようなものである。
 色んな作家、色んな作品を読んでもやはり自分の心の体温にフィットするのは村上さんである。
 だからと言ってバイブルのように常にむさぼっているわけではない。実の所は彼の作品を読むのは年に数回位なのだ。
 それは村上ワールドは魅力的であるが故にあまり浸るべき世界ではないからである。彼の持つ心地よい孤独感に飲み込まれてしまうかもしれないからだ。
 だから適度に距離を持ってたまにその世界にお邪魔するのが私と村上さんの関係性である。
 今回も久しぶりに、
 「帰ってまいりました」 
 と村上ワールドを堪能した。

 トニー滝谷は孤独が苦ではなかった。母親は早世し父親はしょっちゅう家を空けていたので、孤独な環境が前提でそれは拒否出来るものではなく彼自身と人生に深く染み込んでいた。
 そのトニー滝谷が愛する女性と巡りあった事によって「孤独」の持つ本当の意味を知る事になる。
 自分の「孤独」の深さを知り、それまで単に自分が「孤独」という存在に気づかなかっただけなのだと知る。
 
 私も孤独に強い方だと思う。「孤独耐久大会」というものがあれば楽々入賞レベルではないかと思う。多分一ヶ月位誰と会わなくても喋らなくてもあまり苦にしない。
 元々の性格もあるだろうし、孤独に強くなければ生きづらくなるから強くなったとも言える。
 でもこの作品を読んだ時私が孤独に強いのは本当の意味での孤独を知らないからなんだなと思った。本当の孤独というのは他人との関係性の中に存在するものなのである。ひとりで孤独は当たり前なのだから。
 愛する者を失う孤独、他人との関係性で生まれる孤独に強ければ本当に孤独に強いと言えるのだろう。

 この作品へのコメントで虚無感を感じると書いてあったが同意見である。
 愛する者を無くした喪失感ではなく、喪失感より更に深い絶望を感じる虚無感が胸に来る。
 孤独だったトニー滝谷が愛する者を得て人生の孤独な時期が終了したのにその人を失い、今度は更に深い孤独へと陥る。
 ラストの一文がほんとうに切なく怖い。

 トニー滝谷には幸せになって欲しかった。

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| 村上春樹 | COM(9) | TB(0) |
2010-01-27 (Wed)
 

 手塚汐見は結婚6年目の専業主婦。子供は無し。
 多忙の為に夫はほとんど帰って来ず、暇な時間をパチンコへ行ったり昼寝をしたりとただ貪っていた。だがそんな汐見の世界も少しずつ変化して行く。一匹の同居猫が加わり、彼女が勝手にあだ名をつけたお隣の「ルフォン」という中学生の男の子と義父のダニーという中年男が登場する。
 それまで自分とって都合の悪い事や感情を見てみぬふりをしていたが、変化していく日々の中でだんだんと自分自身に嘘がつけなくなっていく。


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 「眠れるラプンチェル」は山本文緒さんの作品の中でも特に女性に人気の作品で、私も好きな作品ある。
 この作品が女性に人気が高いのは乙女心をくすぐってくれるからだと思う。
 私はよく記事で男性はロマンチストで女性は現実的と書くが、でも乙女心は不滅なのだ。
 
 一般的に28歳の女性が13歳の男の子に恋をするという設定は犯罪っぽいけど、物語の道具仕立てが上手くそういう不快感を抱かせない。むしろ応援したくなるというか、どうか今のままのプチ幸福に浸らせてあげて欲しいと願った位である。
 もう一つくすぐってくれるのが「ルフォン」と「ダニー」と「汐美」の三人が汐美の家に平日に寄り合い水道管ゲームやファミコンをしたりビデオを見たりして、汐美が作った手料理を皆でつつく光景。心に寂しさを抱えたもの同士が寄り合ってワイワイしているというのがなんかほっこりくるのである。
 だがあくまでもそれは期間限定の光景というのがわかっているから一層そういう描写をほっこり感じるのだと思う。
 
 勿論この作品は乙女心をくすぐらせるだけではない。なんせ著者はあの山本文緒さんであるからして。それだけでは終わらせていない。

 主人公の汐美は言わば夫に飼われている状況である。時折飼い主である夫が帰ってくるのを待ち、飼っている猫のように住む場所と食べ物を与えられてただただ時間が通り過ぎていくのを待つ。その生活を退屈さを自由である事を満喫していると自分に思い込ませている。そうしないと生きていけないからだ。
 かつて愛し合ったはずの夫婦関係はとっくに壊れて夫は他人より他人であったのに。汐美は「家」という名の牢獄に閉じ込められている。
 そう、汐美は山本さんお得意の「生きている鈍痛」を持つ女性である。
 他作品よりはマイルドな味付けをしているが、
 「ああ、やっぱり山本文緒さんだ」
 と思った。味を変えられたのかなと思ったが単に砂糖を入れたからだと納得した。

 でも結局汐美は死んだふりのまま生きていく事は出来なかった。扉をぶち破って外への世界へ向っていく。
 汐美は牢獄に閉じ込められていたけどそれは夫が閉じ込めていたのではなく、彼女自身がその世界に自分を閉じ込めていたのではないだろうか? 外へ出る扉は開かずの扉ではなくいつだって開ける事が出来たような気がする。
 青い空の下にある外の自由な世界では何も持っていない(と思っている)自分は生きていけないと思い込み、留まっていたのだと感じた。
 その気持ちはわかる。死んだふりのまま生きていく事の方が楽なのかもしれない。でもやっぱり私も青い空の下で深呼吸し生きている実感を味わいたいと思うだろう。

 読んでいて人は悩んでいるとその視野の狭い世界だけしか見えなくなる事が多いけど、ちゃんと別世界への扉はいつだって用意されているのだと教えて貰った。

 ただ個人的に乙女心は刺激するが男のロマンは刺激しないので男性の方にはウケが良くないのではないかと思う。
 
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| 山本文緒 | COM(4) | TB(0) |
2010-01-23 (Sat)
 

 将棋の真剣師「小池重明」
 彼の強さは破格であり「新宿の殺し屋」「将棋の化け物」と呼ばれた伝説の将棋士。
 だが才能とは裏腹に人生は破滅的であった。人妻との駆け落ち三回、恩人のお金を持ち逃げしたり、寸借詐欺騒動を起したりと波乱万丈の人生を駆け抜け44歳の若さで生涯を閉じる。
 晩年の小池と親交のあったSM作家団鬼六が伝説の将棋士の人生を彫り起す。


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 上記のあらすじを読まれた方は「真剣師とは何ぞや?」と思われた方もいると思う。真剣師とは現金を掛けて将棋や囲碁をする人達の事である。
 ふとしたきっかけで「小池重明」という伝説の真剣師を知りその人物像に興味を持った。
 著者の団鬼六さんの作品は未読ではあるけどSM作家というのは知っていたので正直読む前は全然畑違いを耕されていて大丈夫なのかと思ったが、さすがに筆一本でおまんまを食べられているだけあって読む者に訴えてくる内容である。

 夢破れた将棋士達の姿を書いた「涙のスイッチ」でも述べたように私は将棋を全くしらない。
 でも読んでいてとにかく小池さんはとてつもなく強いのだという事はわかった。例えが古くて恐縮なのだがスーパーサイヤ人になった悟空のようなに無敵の強さなのである。
 あまりの強さに「こんなのあり?」というようなある種マンがのような作りめいたものを感じさせる。でも実話なのである。

 どれ位強かったのかというと当時将棋連盟の会長だった大山康晴氏は小池さんに負けている。
 大山康晴氏と言えば公式タイトル獲得期間、将戦優勝、通算勝ち星が歴代1位という偉大な記録を打ち立てられた方で、5つの永世称号を保持。Wikipediaで大山康晴氏の内容を読むと小池重明さんとは違った意味の正当派な伝説の将棋士と言える。
 驚くのは大山氏と対戦当日は前夜につまらない事で喧嘩し留置場から対戦場へ駆けつけたのである。二日酔いのままで対戦して大山氏の消費時間の半分以下の消費時間で勝っている。
 また団鬼六氏と出会った時2年間将棋を指していなかったのに、団氏が用意した対戦相手であるアマチュア名人のタイトルを取った相手に圧勝。
 これだけ強い人なのに自宅に将棋道具を置いていなかったそうだから驚きである。
 
 でもこれ程の才能がありながらも人生の勝ち組には成れなかった。
 もうそれは小池氏がほんとど生活破綻者と読んでもよい位ダメ人間だったからだ。困ったちゃんを通り越して呆れ果てるレベルなのだ。
 だが団氏曰く「人間としては出来損ない」だけど「その出来損ないに出来ている所が人間的魅力」だと。
 子供っぽくどこか憎めない要領のよさもあり、散々迷惑をかけられても面倒見つつ続けるスポンサーは常に居たようである。
 男の人は小池さんのようなアウトローって好きなんだろうなと思う。彼の破天荒なアウトローを忌避する部分もあるが、どこか自分はそういう風に生きられない故の憧れもあるのではないか。
 少なくない人達に愛されていたというのが救いである。
 
 ある本で天才と言うのはコップの中の水を傾けたようにどこかが浅くなってその分深くなる部分が出来るだけで、余分に才能が与えられているわけではないというようなセリフを読んだけどそれを思い出した。
 小池さんの将棋士としての破格の天才ぶりと、それに反比例するようなダメ人間ぶり。
 真面目にきちんと生きれば才能にふさわしい地位や名誉を手に入れられたとは思うのだけど、でもきっと小池さんにそういう生き方は無理なんだろうなと思った。そういう「性」なのだろ。こうすれば幸福を手に入れられるとわかっていてもそれが出来ない。
 団氏が書いているようにそういう「性」はある種の天才の持つ宿命なのだろう。

 天才フェチな私だが小池重明さんのような破滅型の天才は悲しくなるので好みではないなと思った。

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| ノンフィクション | COM(11) | TB(0) |
2010-01-20 (Wed)


 雪に覆われた阿寒湖近くで美しい姿のまま自殺した少女ー時任純子。
 天才少女画家として、その美しさをして、多くの少女達の中でも一際抜きん出ていた存在感を持っていた。
 高校時代に純子に恋をし純な交際をしていた田辺俊一は20数年後に作家となっていた。彼は忘れられない女性として時任純子の影を追う。
 何故自殺したのか?本当はどんな少女だったのか?純子と関係のあった男女5人の人間に会う。
 皆それぞれが田辺と同様に純子を忘れず心の中に住まわせていた。
 田辺は純子という少女を水晶の六面体になぞらえ、立場も年齢も違う立ち位置の人間の話から彼女を見つめて行く。
 だが彼等から聞く純子の話は紛れも無く純子の話なのだが、真実の姿は中々見えてこない。。。   
 
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 私はエッセイしか読まないという作家さんが何人かいる。まあ「試食読書」とでもいうのだろうか。。。
 お亡くなりになられた鷺沢萌さんに原田宗典さん、そして渡辺淳一先生。エッセイを入り口に作家さんと出会うのだけど、エッセイが面白過ぎて小説に興味が向わないという不幸な縁である。
 普通はエッセイが面白いなら小説も面白いだろうと興味を持つものだろうが何故かエッセイだけで満足してしまうのである。試食でお腹が一杯というパターンなのかもしれない。
 その私が渡辺先生の唯一読んだ小説がこの「阿寒に果つ」である。

 何故この小説だけメイン食いしたかというと渡辺先生の自伝的小説的な色合いが有り、また早世した美貌の天才少女画家というフレーズに惹かれたからである。私は「早世した天才」好きフェチなのである。
 渡辺先生が以前何かの雑誌でモデルとなった加清純子さんに出会わなければ、自分は作家になっていなかっただろうという言葉を読んで驚いた記憶がありそれで興味を持った。
 加清純子さんという存在が無ければ渡辺淳一という作家が誕生する事がなかった、その女性をモデルにした小説と知れば、
 「こりゃごちそうになるしかないだろう」
 と思いようやっと主食をを味あわせて頂いた。

 主人公の時任純子がとても魅力的に書かれている。モデルの加清純子さんもこういう人だったらそりゃあ忘れられないだろうなと思った。
 彼女は他人に自分の面影を残すのが上手い人である。セルフプロデュースに長けているとでもいうのだろうか(それが故に追い詰められたと思うが)。
 読んでいて渡辺先生は加清純子さんが本当に好きだったんだろうなと思った。小説という公式のものだが彼女へのラブレターのような気もした。

 主人公を含めて6人の男女(5人は男性で1人は純子のお姉さん)は時任純子が自殺してから長い年月が経つのに今だに愛情を抱いている。体の関係があった男性もいるし、全くのプラトニックの関係や友愛のみの関係もある。
 面白いのが男性全員が「純子が一番愛したのは自分だ」と思っている事である。純子は自殺する前にそれぞれ付き合いの有った男性に様々な形で自分の痕跡を残していく。それを自分を一番に愛していたから「○○したんだ」と誇るように語る。
 それが私的にはウケる。男性はうぬぼれ屋だなあと思った(すんません)。
 女性だったら20年位前の恋の思い出は引き出しに終い、その在り処を心に留めておいて生きていくと思う。でも男性は時折引き出しを開いては恋の思い出を眺めたり触れたりして生きてく気がする。
 命を宿し生む女性は雄雄しいのだ。

 真面目で堅物だった渡辺先生が、軟派路線を突っ走るきっかけとなった女性をモデルにした小説なのでお試しあれ。
 
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| 渡辺淳一 | COM(8) | TB(0) |
2010-01-17 (Sun)
 

1972年10月、ウルグアイのステラ・マリス学園のラグビーチームとその家族・知人を乗せたウルグアイ空軍のフェアチャイルドFH-227D旅客機が悪天候で視界が遮られた状態のままチリの航空管制の誤誘導でアンデス山脈高度4,200メートル地点に激突・墜落。機体はばらばらになり山脈の壁面を滑落した。短時間のフライト予定で水も食料もほとんど持ち合わせていなかった生存者たちは、死亡した仲間の遺体を人肉食することで餓えをしのぎ生存する道を選んだ。機内のラジオで自分たちの捜索が打ち切られたことを知った生存者たちは、幾多の苦労を乗り越えて最終的に自力で生還することを選び、ナンド・パラードとロベルト・カネッサは山のふもとまで到達し助けを呼ぶことに成功した。そうして生存者16人は救助ヘリの到着まで生き延び、無事生還を果たしたのだった。-Wikipediaより




 この作品は実話を基に制作された映画である。俗に言う「アンデスの聖餐」として知られている事件が下敷きになっている。
 正直に告白すると「カニバリズム」という部分に興味を覚えてこの映画を見た。勿論彼等はかの有名なレクター博士のような趣味嗜好としての食人ではなく生き延びる為の行為だけど。
 怖いもの見たさで「ドキドキ」しながら見ていたが、映画では「人肉食する」という事に主軸は置かれておらずあっさりと描かれている。
 この作品はタイトルになっている「生きてこそ」という言葉の真髄を伝える良作である。スケベ心が発端であったが想像以上に感動して思わぬ拾物をした感じだった。

 彼等は極限の状況下にいる。「生」か「死」という二対極しかない現実の中にいる。
 その中で生き延びる為に死んだ仲間の遺体を食する決断は人間というのは本能的に「生き物」なんだと思わされた。「生きて行こうとする生き物」なんだと痛感させられた。
 その行為は彼等が救出された後にセンセーショナルに報道され勿論非難もあったようだけど、私はその行為を非難しようとは思わない。行為を積極的に容認するわけではないが生き抜く事を選び抜いた姿勢は尊敬する。

 この作品を見た当時は心の病で調子が良くなく死への羨望に取り付かれていた時期であった。それだけにただただ生きるという事に全力を尽くす彼等の姿はこの上なく眩しかった。
 心の病だから死に取り付かれているのは事実だが、ある意味自分は余力のある世界に平和に生きているんだなと思わされた。自分がもし極限の状況下に置かれたらそれでも「死」に誘われるのだろうかと。

 山のふもとまで降りて助けを呼ぶ決断をし、だがあまりにもふもとの遠さに絶望する仲間にもう1人の仲間が沈む夕日を見ながら、
「キレイだ。俺達は生きているんだ」
と励まし数日間かけてふもとまで辿りつくのである。
 このセリフには泣けた、泣けた。美しい自然や芸術というのは神が宿っているから人の心に灯をともせるのだろうか?

 「今生きている」ことの当たり前の事実の素晴らしさを思い起こしてくれる作品である。

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| 映画 | COM(8) | TB(0) |
2010-01-16 (Sat)


 末永純一はテレビデェレクターの仕事をしており、愛する妻の友貴子と二人暮らし。
 友貴子はあるトラウマにより極端に脆い精神を抱えており深い人間不信であったがなんとか幸せな結婚生活を送れていた。
 だがある日突然とんでもない事件が起こる。彼らの家に殺人犯が逃げ込み妻を人質を取って篭城をする。
 純一は今の苦境を脱すべく様々に策を巡らせこの危機を乗り越えようとするが。。。。 


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 北村薫さんの書く作品というのは基本的に「地球に優しい」というような感じの、優しさが作品全体から醸し出されているものが多いと思う。「時と人」三部作しかり、「円紫」シリーズしかり。酷な場面もあるがそれでも「優しさ」が必ず作品のバックグラウンドに健在していたと思う。
 だから「読む面白さ」だけではなく、多くの場合は励まされたり癒されたりするおまけ付きだった。

 そういう作風に慣れた人間がこの作品を読むと驚くと思う。
 この作品にそういうスパイスは全くない。何故なら悪意を持つ人間とそれに踏み潰される人間とその悪意と闘う人間の物語だから。
 今まで読んだ事のない北村薫さんの別の顔に私は驚いた。 
 ご本人も前書きで女性読者から読んで傷付いたというお便りを貰ったと書かれていらっしゃるが書いた女性の気持ちは理解出来る。
 「本当に北村さんですか?」
 と著者を確かめたくなる位それまでの作風と違う。

 宮部さん同様優しく暖かい人間像を書く人は反面とても残酷な人間像を書かれる。読んでいてその残酷さにゾクリときた。
 この作品ではある女性が「彼女」を徹底的に壊していく姿が書かれている。ある女性は「彼女」に何か嫌がらせをされたというわけではない。ただ「宿命的に奪う側に立つ人間が奪いたくなる人間」に巡り合ってしまったという関係である。
 その関係性の書き方というのが残酷なのである。本当に残酷なシーンは数える程なのだけど、そういうシーンでなくても心理的に迫ってくる描写が上手い。

 そして愛する人間を守る為に、自分も愛する者を壊した人間と同様の「魔」を心の中に住まわせてしまう怖さというものを感じた。
 特に悪意があるわけではない普通の人も何かのきっかけで心に「魔」を飼ってしまう、その可能性は常に孕んでいるのだろうなと思う。

 私は北村さんの別のお顔も結構イケタくちである。ある書評で後味が良くないと書かれていたが、確かに良い口当たりというわけではないがラストの反転にびっくりした。それまで描いていたパズルの絵柄ではなく全く想像していなかった完成図を見せられてた事にカタルシスを感じさせてくれた(突っ込み所はあるけど)。
 今まで読んできた北村さんのミステリーの中で最上の謎解きというわけではない。
 ただ北村マジックの種明かしの意外性という意味では突出した出来の作品だと思う。

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| 北村薫 | COM(6) | TB(0) |
2010-01-13 (Wed)
 

 新井和也は下町の商店街にある「アライクリーニング」の1人息子。家業を継ぐ気はさらさら無く就職活動に精を出していた。
 なかなか就職が決まらずあせる中、父親が呆気なく急死してしまう。成り行きというかその時の場の勢いで家業を継ぐ事になった和也だが思っていた以上に大変な仕事に色々迷いが出る。だが様々な人々に助けれながら日々仕事に向かい合っていくうちに次第に仕事に対する誇りが芽生えていく。
 そしてその日々の中で向こうから転がってくる「些細な謎」を友人の沢田にもちかける。
 彼は物事の本質を見抜く目を持っている驚くべき「安楽椅子探偵」であった。


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 この本は時折りお邪魔させて頂いているのびんこさんの紹介記事を読んでなんとなく、
 「ピンッ!!!」
と来るものを感じ借りてきた本である。
 
 カテゴリー的にはミステリーなのかもしれないけど、死体は全く出てこずあくまでも主人公の和也の身近にある「些細な謎解き」がメインディッシュである。
 それに加えて和也の成長物語とも言える。
 この年になるとこういう若者の成長物語はお姉さんおばさん目線」で読んでしまう(お姉さんという言葉は遠慮しました)。
 自分が若い時に通った通学路を若者が通っていく姿はなんとも微笑ましく、悩んだり迷ったりする姿はかつての自分であり「ああそういや自分もこんな時代があったよなあ」と感慨を持ちながら読んでいた。
 「まわる~まわるよ~時代はまわる~♪」
と中島みゆきの歌頭の中を流れてきた。

 でも作品に書かれているような和也の商店街の人達と触れ合いやお節介な家族や従業員の交流といった濃い人間関係は、昔というか若い頃の私にとっては鬱陶しいものだった。
 重いというかわずらわしいというのか、とにかくそういう類の人間関係が私は好きではなかった。この作品に出てくる言葉を使うのなら「地面とのつながり」が若い頃の私は苦手だった。
 孤独であっても身軽な自由さという方が好きだったし、寂しさがあっても気楽だった。若かったのだ。

 でも年を取ると地面が恋しくなってくるのである。かつて自分が捨てたというか拒否したものがこんな風に懐かしくなってくるのが不思議だ。これが「年を取る」という事なのかとしみじみ最近思う。
 私も地面に根付く根っこが欲しいと、作品の中で和也が様々な人間と交流しているのを読みながら願っていた。
 地面に根っこがあるからこそ自由に飛び回る事が出来るのである。戻れる場所があるから安心してどんな遠くへもいける。
 地面に根付く鬱陶しさは消えないけど、その鬱陶しさが根付く肥やしにも成るのだというようやくわかった。
 
 読んでいて年を取った事を痛感してしまう作品だったけど、こういう読み方をするの自分はつくづくフェチだなと思う。 

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| 坂木司 | COM(4) | TB(0) |
2010-01-09 (Sat)
   

 「ユダヤ人強制収容所」、ん十年前に確かにこの世に存在していた忌まわしき場所。
 心理学者であるフランクルはユダヤ人が故にそこへ連行され、想像を絶する悲惨と絶望を味わい尽くす。
 だがまた一方でも人間の失われる事の無い精神の崇高さも書かれている。 
 人間の愚劣さと偉大さを冷静な文章で書き綴ったノンフィクション。


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 いつも仲良くして頂いているKOZOUさんがこの本を紹介された記事を読んだ時に、
 「これは読まねば!!!」
 と図書館にリクエストしお正月休みに読んだ。
 ユダヤ人迫害関連の書物を読んだのはこの本が初めてであった。「アンネの日記」とかは私のようなヒネ者の少女時代を過ごした者には「赤毛のアン」と同様の鬼門なので読んだ事がなく、ユダヤ人への迫害の凄まじさにただただ驚いた。
 強制収容所での体験談が凄まじい。あまりにも内容が苛烈で逆にリアリティを失わせるくらいである。書いている内容が「事実」を突きぬけ「物語」に近くなるという感じだろうか。でも勿論紛れもない事実である。
 人が人に対してこういう事が出来るのが驚きだった。時代の狂気だったのかもしれないが、それにしても人間としての尊厳を守るブレーキを利かせるものがなければ人はどこまでも鬼畜になれるそういう「魔物」を飼っている生き物でもあるんだなと思った。

 読んでいて人間は結局「生きるように出来ている」んだなあとしみじみ思う。
 どんな劣悪な環境であっても肉体や精神がその環境に慣れていく。言い換えるのなら生きていけるように精神や肉体がその環境に沿うように変えられていく。人間の生命の神秘さを感じさせた。

 私がとても感動したのが仲間の1人が沈み行く太陽が美しいと仲間たちにも見せようと呼びに来て、仲間たちが労働でへとへとなはずなのにその光景を見るためにへたりこんだ床から起き上がって見に行く。
 『 誰かが言った。「世界はどうしてこんなに美しいんだ!」』
 ここはシビレた。シビレまくった。
 彼らのその時の立ち位置は美しさからは程遠い場所にいたはずである。死にどっぷり漬かった環境だったのだから。
 その時の彼らの心に沸き起こった感情はどういう物だったのだろうか?
 美しいものを見て単純に感じる束の間の生きている喜びをかみ締めていたのだろうか。
 極限の絶望の最中であっても美しいものを「美しい」と思う事の出来る人間の愛おしさを感じた。

 著者の方は幸運にも生きて帰ってこられたけど、でも生涯強制収容所の体験は彼の人生に大きく残り続けてるだろうなと思う。
 よく「癒せない傷は無い」と言われるけど、ある一定のレベルを凌駕してしまったトラウマは「消えない傷」としてその人の生涯と共にあると思う。
 もうそのトラウマを体験する前の自分には決して戻れない。その傷を持つ自分が新しいアイディンティティになる。 そうなるとその傷とどうやって生きていくかがとても大事なんだろう。
 
 お正月早々ディープな読書日和だったけど、餅食べながら読書するのは申し訳ないようなような良書であった。

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| ノンフィクション | COM(7) | TB(0) |
2010-01-06 (Wed)
 

韓国の秘密情報機関で働く特殊要員ユ・ジュンウォンは北朝鮮の凄腕の女スナイパーイ・バンヒを追っていた。
 なかなか手かがリがなく焦燥感を募らせる特殊要員達であったが追い討ちをかけるように新たな難題にぶつかる。
 CTXという極めて破壊力のある液体爆弾を北朝鮮の特殊要員に奪取されてしまう。
 そんな神経を張り巡らす日々の中、ユ・ジュンウォンにとっての心の安らぎは恋人のイ・ミヨンヒヨンであった。結婚の約束もし私生活においてはこの上なく満たされていた。
 だが諜報活動中に秘密情報機関内の情報が漏洩している可能性に突き当たる。誰が漏らしているのか?
 疑心暗鬼の中思わぬ事実が判明する。。。。。

 祖国分断の悲劇に翻弄される人々の姿が描かれている。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
 *ネタばれ有り 

 韓国で大ヒットした映画「シュリ」のノベライズ版である。
 映画も面白かったが個人的にはノベライズ版の方が好きというか良く出来ているような気がする。映画にはないエピソードを加え盛り上げる一方、省く所は省きそれ故余韻を残すというかその差し加減が絶妙である。
 個人的にはこちらの方がより心に響いた。

 これは単なるアクション娯楽作品ではなく、国とは、民族とは、人を愛するとは?と様々なメッセージが投げかけられており、それがすんなりと読む側に入り込んでくる。
 そういう部分が凄いと思う。エンターテイメントに徹したシンプル過ぎるストーリーだが、面白いだけでなく読んでいるとお仕着せではなく自ら対峙する心持になる。
 この作品を読むまではご近所の南北の対峙問題にそれ程興味はなかったが色々と考えさせられた。

 ぶっちゃけこの作品は韓国諜報員ユ・ジュンウォンと北朝鮮諜報員イ・バンヒの悲恋物語である。
 当たり前の幸福を願う一人の女性が国の為にイ・バンヒとイ・ミヨンヒヨンという二つの顔を持ち運命に翻弄させられる。
 国の為に同じ民族が殺しあう。そして愛し合う者同士も敵対しなければならない。
 読んでいて、
 「人は国が無くても生きていけるけど、国は人がいないと成り立たない」
 という言葉を痛切に思い返した。国って何だろうとつくづく考えさせられた。
 平和な時代に生まれ育った人間の戯言と言われるかもしれんが、それでもやっぱり言いたい。国が人の、個人の足枷になるべきではない。
 本書の悲しい結末に真の意味で国の戦いに勝者も敗者も無いんだなと思った。

 女性にとっては愛する者がいる場所こそが自分の居場所なのだろう。
 イ・バンヒでもなくイ・ミヨンヒヨンでもなく等身大の女性としてユ・ジュンウォンと過ごした僅かな日々に幸福を感じる「彼女」に涙、涙である。
 「やっぱ愛だよ、愛」 
 愛の前に憎しみも政治も国家も無力である。

 とにかくラストの切なさはメガトン級なので読む時はバスタオル必須である。
   

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| た行の作家その他 | COM(5) | TB(0) |
2010-01-03 (Sun)
「グアムヨットレース」に参加していた『たか号』。
 出発した数日後に船は転覆し、乗っていた6人のメンバーは緊急用のボートで漂流する羽目に陥る。
 助けが来ないままメンバーは1人、また1人と死んでいく。遂に最後の1人となった著者の佐野さんが生還するまでの27日間の記録。


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私は海が物凄く苦手である。幼き頃に溺れて以来「三つ子の魂百まで」の如くトラウマになり夏でも、
「プールがある、プールがある、プールがあるさ~♪」 
 と海へ泳ぎに行ったことがない。
 私にとって地面に繋がっていないというのは恐怖である。あんな広大な大海へ投げ出されて一ヶ月近く、しかもたった一人で生還されたという物語に野次馬根性を持って読み始めた。

 著者の佐野さんがこの手記を出版する決意となった「生きる事をあきらめなかった姿を事実として残しておきたい」というポリシーに貫かれた、なるべく公正に事実をありのままに記そうという姿勢に好感が持てる。
 書いている内容は壮絶である。
 なんせ食べ物は一日一枚のビスケットを六等分したかけらのみ。水は一日20cc。特に水への渇望が凄まじい。
 この本読むまでてっきり食糧難の方が危機的なのなと思っていたが、ある程度まで栄養をとれなくても脂肪や筋肉をエネルギーへと変えられるらしいが水の方がもっと重要らしい。夜露やそして自分の尿すらも最終的には口にするようになるのは驚きである。
 1人、また1人として亡くなっていくに連れ「死」への厳粛さは薄れ、だだただ事実としの「死」となっていく様が痛々しい。
 創作ではない、本当に「生」と「死」のギリギリの境界線が剥き出しにされた描写は引き込まれる。
 だが壮絶な描写ながらも著者の佐野さんのはなかなか文章力があり、どこか清涼さを感じさせる文体が「壮絶な重みを持つ体験記」というより「自分の体験談としての記録」という感じがして受け入れやすい。
 
 佐野さんが散々苦しい目にあいながらも満点の星空を見ながら「こんなきれいな星を見ながら死ぬのか」という下りが印象に残った。
 極限の状態であっても美しいものに感動するもんだなと妙に感動してしまった。そういうものはどんな状況にあっても零れ落ちないのだろうか。それとも極限にあるからこそ響くのかもしれない。人間ていいもんだなあと思った。
 いずれにしても心洗われる描写であった。

 読んでいて生き残る者と亡くなってしまう者とは何が違うのだろうと思った。医者の話では佐野さんは生き残るタイプの体質というか能力を持っていたからだとおっしゃるがそれは生還されたが故の結果論とも言える。
 多分一mの差だとしても何かの差異が運命を違う岐路へと向わせるんだろうなと感じた。
 
 生きているのはありがたいと普段忘れている重要な事実を再認識させてくれる作品である。

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| ノンフィクション | COM(6) | TB(0) |
2010-01-02 (Sat)
 皆様あけましておめでとうございます。
 本年も変わらぬご愛顧をよろしくお願い致します。
 ますます寒くなっていますが(うちではこたつと石油ファンヒーターが活躍しております)、お体ご自愛下さい。
 今年一年がより一層皆さんにとって幸多き年でありますように!!!
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