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2009-12-30 (Wed)
 今年の2月にブログをやり始めて、色んな方と出会い交流させて頂きました。
 こちらのブログに書き込みして下さった方、訪問して下さった方今年は本当にお世話になりました。
 また来年もよろしくお願い致します。
 では良いお年をお迎えください。
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2009-12-30 (Wed)
 

 病を抱えた女性の10の物語

 「シュガーレス・ラブ」
 フードコーディネートの佐伯はもうすぐ会社を辞める予定であった。
 アルバイトとして入り出世し30代で主任まて登りつめたが、会社は古い体質で男尊女卑の傾向があり女性の出世も限界があった。
 だがフリーとなって仕事を広げて行こうと思っていた矢先にフードコーディネートとしては致命的な味覚障害になる。
 甘い物以外は何を食べても味がせず、まずいこんにゃくを食べている感じがした。

 本当と嘘のグレーゾーンを使って錯覚の中で真の自分の姿を隠して生きていた。
 それでいいと思い生きていたがそのつけがまわってきたのか、時折襲う虚無感に必死に歯を食いしばるが。。。。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 
 この作品集はいみじくも文庫本の解説者が書いているように「王子様なんか来ないと知ってしまったシンデレラ達の物語」である。
 この下りを読んだ時、
「解説者の人は良い仕事してるねえ~」
と思った。
 そうなのだ。
 この作品集に出てくる多くの女性は王子様なんか待っていません。多分、王子様を待つには彼女達の現実はシビアだからだと思う。夢想出来るうちはまだ悩みにも余力がある。
 現代病とも言える心の病等をテーマに「灰かぶりのままのシンデレラ達」の物語が綴られていて面白い。 

 「シュガーレス・ラブ」の主人公佐伯が嘘を辞めた時の、
 「別に死にはしない、何をしたって生きていける」
 とシーンは爽快感がある。気持ちの深呼吸と言う感じで。
 悩み事というのはそれにどっぷりはまっている時は視野が狭くなってしまうけど、でも視点を変えたり、突き放してみると案外楽になれる部分もあると思う。多くの悩み事というのは存外そういうもんかもしれない。
  
 彼女だけでなく他に出てくる女性は皆それぞれの不幸を抱えている。不幸と呼ぶ程でもないかもしれないが、心の痛みを持っている。
 勿論その痛みが完治するわけではないが、でも痛みを抱えたままであっても掴み取れる幸せに前向きに向っていこうという様には元気付けられる。
 「私も頑張ってみるかね」
 とちびまる子風に自分に活をいれたくなる。 

 この本を読み終えた時、若干の不幸というか苦労を抱えている方が人生は深みがあるんだなと思わせてくれるのが嬉しい。
 100%の幸福よりも10%位の不幸を抱えている90パーセンの幸福の方が本当は幸せなのかもしれない。   
不幸があるからこそより幸せが実感出来る。不幸ありがたやではないが、 仲良くしても良いかな位には思える。

 ほころびだらけでもつまずきまくりの「灰かぶりのシンデレラ」のままでも生きてていいんだと思わせてくれる山本さんの作品はやっぱり好きである。

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| 山本文緒 | COM(4) | TB(0) |
2009-12-27 (Sun)
 

 レオン(ジャン・レノ)は凄腕のプロの掃除屋として、元締めであるトニー(ダニー・アイエロ)を介した依頼を完璧に遂行する毎日を送っていた。ある日、レオンはアパートの隣室に住む少女マチルダ(ナタリー・ポートマン)と、彼女の顔に父親からの暴力の痕があることをきっかけに知り合う。

だがその翌日、マチルダの父親が麻薬を横領したことを見抜いた麻薬取締局のスタンスフィールド(ゲイリー・オールドマン)とその一味によって、一家は父親のみならず腹違いの母親と姉、そしてわずか4歳の弟にいたるまで皆殺しにされてしまう。運よくその場に居合わせなかったマチルダはとっさに隣室のレオンに助けを求め、レオンはしばし逡巡した後に彼女を保護する。

巧みな駆け引きを駆使し弟の復讐のため殺しの技術を学ぼうとするマチルダと、殺しの腕は一流ながら学がなく鉢植えの観葉植物だけが友達のレオン。奇妙な同居生活を始めた二人は、やがて互いに心の安らぎを見出すようになり、複雑な感情と信頼を抱いていく。ーWikipediaより







*ラストのネタバレ有り 

 友人に「完璧な映画だ」と薦められたのがこの「レオン」である。
 見終えた時「本当に完璧だ」と思った。結構悲しいラストなのだけど、あまりに完璧すぎてその余韻の印象が凄くて泣けなかった位である(通常なら間違いなく泣けるツボである)。
 役者、脚本、カメラワークに演出等、この作品を創り上げている細胞のひとつことつが完璧でその集大成の輝きが「レオン」という作品とも言える。
 容易に何度も「完璧」という言葉を使うべきではないと思うが、でもこの映画を評する時にこの単語が最適なのである。

 何より役者が良い。
 レオン役のジャン・レノやマチルダ役ナタリー・ポートマンの役者さんはまるであつらえたかのようにハマリ役である。私個人が一押しなのが、悪徳警官スタンスフィールドである。悪役が良いとぐっと作品が美味しくなる。
 スタンスフィールドを初めて見た瞬間、
 「こいつ、いってる。。。。」 
 と思わせた演じるゲイリー・オールドマンは素晴らしい。何の説明がなくても「こいつ悪いやっちゃ」というのがすぐわかった。
 本当にスタンスフィールドは悪い奴なのだけど、その悪徳振りにブレがないし徹しているし、そのクセ自分を単独で殺しに来たマチルダを返り討ちにする為に銃を向けるのに何故か引き金を弾かない。こういうアメと鞭併用さが魅力的である。

 この映画は少女マチルダとおじさんレオンの「恋愛物語」でもある。
 でも「こんだけ年が離れていて恋愛関係なんか成り立つのか!!!!」という突っ込みを入れようと全く思わなかった。
 むしろ自然の流れというかお似合いだなと思った位。
 2人が時を重ねる内にレオンは愛する事を取り戻し、マチルダは愛する事に目覚めていく展開が心打たれる。
 どうか、どうか、2人の幸せが続きますようにと祈られずにはいられにかった。

 でもラストは悲しい結末を迎える。
 マチルダは結局、家族もレオンという愛する者も全て失ってしまう。1人ぼっちでで生きていくという過酷な現実がこれからのマチルダを待ち受けている。
 でもマチルダが心からレオンを愛し、そのレオンに心から愛されたという思い出は残る。
 その思い出はこれからつらい事や悲しい事に出会っても、少女のマチルダが大人になっても、彼女の中で希望と救いをもたらし続けると思った。

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| 映画 | COM(8) | TB(0) |
2009-12-26 (Sat)
 


 高校生の朔太郎は目が覚めるといつも泣いていた。恋人のアキが亡くなってから彼のいる世界はあらゆる感情を失った。

 朔太郎とアキの出会いは中学生二年生の時。
 十分に可愛らしく、性格の良い、凛としたアキに恋をし、朔太郎の世界は輝きと喜びに満たされる。
 アキといる何気ない何でもない時間が堪らなく愛おしくこの幸福はずっと続くものだと二人とも思っていた。だがアキは白血病に罹り余命いくばくも無いという現実が突きつけられる。その避けがたい現実は彼の力ではどうする事も出来ず、日々アキが死へと向っていくのを耐え難い思いで見つめるしかなかった。
 17歳の彼女の誕生日に朔太郎は念願のオーストラリアへとアキを連れて旅へ行こうとするが・・・・。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「不憫な奴。。。」

 読み終えた時にこの本にそんな感想を抱いた。
 
 「セカチュー」ブームの時はいつも意味の無い反骨心で全く読まなかった。嵐も過ぎ去り「セカチュー」が死語になった頃にようやく手を出した。
 正直読む前はあまり良い感触を持っていなかった。
「国内最高販売数300万部越え!!!」「ノルウェイの森を超えた!!!」 そういう色んな煽り売り文句と、特に村上春樹ファンの方が結構この作品を叩いていたのでマイナスの先入観があったのは否めない。

 でも個人的には思っていたより良い作品だとは思った。
 ただ感動するとか泣けるとは全くご縁はありませんでしたけど。 
 物凄くクサイ物語かと思っていたが、シンプルで哲学的な語りも多いせいかどこか突き放しているような物語の世界観は楽しめた。
「国内最高販売数300万部越え」とかそういうのがなければ、この作品ももう少し等身大の評価を貰えたのではないかと思うと不憫である。過剰なブームで良くも悪くも色眼鏡で評価されている作品と思う。
 
 愛する者を亡くした痛みが綴られているのが「天使の梯子」(二番煎じフェチ)なら、この作品は愛する者が亡くなるまでの悲哀が綴られている。
 物凄くありきたりな設定ではある。
 美少女に白血病(何故この手の物語の少女が罹る病はいつも白血病なのか。。。)、純愛ストーリー、死とか何十年か前に本やテレビで流行ったような手垢つきまくりである。
 一歩間違えたら私のようなひねくれ者が突っ込み入れまくりたくなるこてこて感なのだが、過剰装飾を押えそれなりに上手い具合にデコレーションしている。
 特に朔太郎の祖父が良い味を出している。この爺様、美味しい所を持っていく。

 結構美味シビれる言葉が出てくる。
 アキが朔太郎に向って、
 「わたしはね、いまあるもののなかに、みんなあると思うの」 
 と言うセリフ。
 思わず赤線引きたくなったよ。
 多分ここに、今自分達がいるこの世界に何もかも用意されていると思う。不足しているわけでも欠けているわけではなく。 すべてがここにある。
 それを見つけていく事が大切で、それが生きていく事なのだろう。

 でも「国内最高販売数300万部越え」の言葉に「印税幾らだろう?」と下世話な感想を持つ私には若干眩しい物語ではあった。
 

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| 片山恭一 | COM(2) | TB(0) |
2009-12-23 (Wed)
 

 現職の警察官である「梶総一郎」という男が若年性アルツハイマーの妻を殺害する。
 真面目で誠実という評判の高い梶は1人息子を13歳で白血病で亡くしており、その息子の命日を忘れてしまった妻のまだ息子の記憶があるうちに母親のままで死にたいという懇願に負けての止むを得ない嘱託殺人であった。
 罪を認めるも妻殺害後の自首をするまでの二日間の詳細は喋らず半落ちの状態であったが、これ以上泥を塗られたくない警察上層部の思惑で被疑者の内面が明るみに出る事なく検察、裁判所、刑務所とゲームの駒のように進んでいく。
 後顧の憂いのない天涯孤独となった梶は何故死を選ばす警察に泥を塗り、妻に手をかけた慙愧の思いを抱えたまま自首をして来たのか?
何故今は生きる事を選択しているのか?

 「梶総一郎」という男に関わった警察官、検事、弁護士達は彼の人間性と生き様に触発されて、私欲を超え彼を死なせまいと画策する姿をそれぞれの視点から描かれている。


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 「第三の時効」の記事を書いた「たぎる血」で横山さんの作品に出てくる男達は粋だと書いたが、この「半落ち」に出てくる男達も粋な男達である。独身なら誰か1人でもいいから婿に来て欲しいと野望を抱いた位だ。 

 この作品が面白いと思うのは、その男性諸君が梶という男性を鏡として反射光のように各々が自分の内面を掘り起こしていくのである。梶を通して今の自分の生き方を直視するというのだろうか。
 社会の中で大人として生き続けるうちに自分の感情に見て見ぬふりをしなければならない部分も出てくる。そうしないと「社会」の中では生きづらくなるから。押し殺した感情が鈍化していく。
 だが梶という男の持つ「物語」に熱い心が蘇ると言うのか心意気が呼び起こされるというのか、「梶という男を救いたい」という気持ちに駆られていく様がイイ!!!

 それは1人の刑事が語ったように「ひとつ位は自慢話を持っていたい」というロマンチズムでもあるのだろう。
 男の人は女性よりずっとロマンチックだ。宝箱に自分だけの宝物をそっと隠して悦に浸る(女性なら見せびらかすけど)。
 そして老後になった時にその自慢話で一杯やるのはそりゃあおつだろう。割きイカよりずっと上等な酒のつまみになる。  

 この作品で私が一番印象に残ったのが梶が妻の懇願を受け入れて手にかけた行為を、
「梶の行為が優しさだというのなら、優しさなどこの世になくていい。殺さなかった優しさを選ぶ」  
 と言った言葉である。
 この言葉を目にした時変な言い方だけど正直ホッとしたというか、よく言ってくれたという感じがした。
 それまでは梶の行為を心情的に理解出来ると消極的ではあるが止むおえない結果だという登場人物が多かったのだが、明確に「否」と突きつけたこの言葉にハッとさせられた。私も同感だからである。

 アルツハイマーや痴呆の方の介護は私が想像している以上にご苦労されるのだと思う。その苦労というのはあらゆるキレイ事を吹き飛ばす程の労苦なのだろう。
 梶の行為は心情的には理解出来る。自分が同じ立場に立ったら同じ事をしないとは言い切れない。
 それでも今現時点の私の立ち位置からは、梶の行為が「救い」をもたらすものであったにせよ優しさと言いたくない心情だ。
 手にかけて命を絶つ行為はいかなる理由があるにせよ「優しさ」に類するものではないと思うから。

 梶が絶望のうちにあって「死」ではなく「生」を選択したのはある「絆」の為であった。
 人は絶望の中でも希望の光があれば、絶望してるわけではないがその光を持たない者より、ずっと生を力強く生きていく事が出来るのだと思わされたラストシーンであった。 

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| 横山秀夫 | COM(6) | TB(0) |
2009-12-19 (Sat)


 両親に捨てられたような形の慎一は自分を親代わりに育ててくれた祖母と二人暮らしをしていた。
 慎一は「置いていかれた」心の傷を隠して他人とは一定の距離を持って付き合っていた、自分が傷付かない為に。
 ある時バイト先のカフェで彼は高校時代の担任斉藤夏姫女性を目撃する。美人で気さくな夏姫に恋心を抱くも彼女は突如学校を辞めてしまいその後の消息がわからなかった。
 慎一は思い切って声を掛け念願の恋人同士になり、初めて本当に人を好きになる喜びを知る。
 だが夏姫はいつもどこか見えない壁を持っていた。近くに居ても彼女の心がすっと遠くに行ってしまう時を何度か感じた。
 そしてそれはある1人の男性と深く関わっている事に気づき慎一は嫉妬に苦しむハメになるが。

 「天使の卵」の続編。


 
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 私は基本的に二番煎じというのはあまり好きではない。
 でも小説とかは結構好んだりする。出がらしのような苦味部分を味わえるからかもしれない。

 この「天使の梯子」は大ベストセラー天使の卵」の続編である。
 「天使の卵」の内容をかいつまんで説明すると、
 「主人公の歩太はGFである夏姫の姉春妃と恋に落ちる。たが夏姫は別れを告げられても歩太を忘れられずに、また姉とBFが付き合っている事を知らずに春妃に恋の相談する。歩太も春妃も夏姫を裏切っている事に苦しむがその関係に突然のピリオドが打たれる。夏姫が春妃の家に留まった歩太を目撃してしまう。「お姉ちゃんの嘘つき。一生恨んでやるから」と言葉を放ったその数時間後春妃は妊娠したまま医師の手落ちで帰らぬ人となる。。。。」
 内容だけを見たら「ドロドロ」という感じだけど、村山さんの透明感ある文章で読ませてくれた。

 ただ前作のラストは「えっ、これでお終いかよ」と架空の登場人物達とはいえ、「お気の毒です」とお悔やみを言いたくなる位悲しいエンディングだったので続きが読めて嬉しい。10年もかかるとは思わんかったけど。
 この「天使の梯子」は春妃の死によって深い傷を負った歩太と夏姫の再生の物語と言える。

 私が続編の「天使の梯子」の方が好きなのは「残された者の痛み」が痛切に響くからだと思う。
 夏姫は姉とBFに裏切られ本当は「腹を立てるべき立場」なのに、キツイ言葉を投げた数時間後に姉が死んでしまい「怒れない立場」へと自分を追い込み罪悪感に苦しむ事になる。
「誰に何を言われても消えない後悔なら、自分で一生抱えていくしかないのよ」
 別に夏姫の言葉で姉が死んだわけではなくそれは春妃の寿命だが、そんな事を100万回言われても消せないんだよなあ。
 でも読んでいて消せないのなら強くなるしかないなと思った。後悔して思い出を封印したり、悲しんでばかりでは亡くなった人間が気の毒な気がする。
 強くなる事は亡くなった人間も解放させてあげる事なのかもしれない。
 
 夏姫が姉の春妃とBFの歩太の年齢差と同じように八才年下の慎一を好きになった時に、初めて人を好きになるどうしようもない気持ちを理解し心の檻から解放されるという下りは心が絞られる。
 ようやく心から春妃と歩太の裏切りを許し、心の奥底で2人を責めていた自分も許せた気持ちが切なかった。
 人が人を好きになる気持ちはいかなる形でも責められない類のものかもしれない、多分。

 とにかく「切ない」。どこを切っても金太郎飴のように切ないのだ。
 
 10年の歳月を経ても傷は癒されるものでもないのだろう。傷はやっぱり傷として抱えていく。
 でも傷を抱えても、それをもっと優しい暖かい違う場所へと変える事は出来るんだなと思う。
 時間に癒されるというより、傷の存在が違う場所へと転化する。傷を仕舞う場所が変化していくのではないかと思う。

 愛する者が亡くなってもそれでも生きている人間の時間は止まらない。今を生き続けなければいけない。
 その悲しさと愛おしさが一杯この作品には詰まっていた。
 どんな悲しみを抱えていても生き続けていれば、いつかは涙がこぼれる位の優しさと愛おしさに満ちた世界へと辿り付ける事が出来るのだなと思った。

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| 村山由佳 | COM(6) | TB(0) |
2009-12-16 (Wed)
 

 作家小川洋子さんが数学者の藤原雅彦さんと数学の美しさについて語り合った対談集。

 数学レベルとしては町内の少年野球の補欠レベルの小川さんが大リーガーの藤原先生とこの世が美しい秘密に満たされている事実を語り合っている。


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 小川洋子さん著の「博士が愛した数式」の記事の時も書いたけど(「あの世へのお供」)、私は本当に数学が苦手だった。
 同じ事を繰り返して書くのは数学への恨みが深いせいだけど、算数だけも実生活は十分事足りると思っていたので数学の時間が本当に苦痛で仕方なかった。学校を卒業して幾星霜過ぎても時折数学のテストを受けている夢を見てうなされる事があったほどである。

 そんな私が「博士が愛した数式」で数学の美しさに目覚めた。その美しさをもっと知ってみたいと思って借りたのがこの本である。
 藤原先生は小川さんが上記の作品を書く時に色々数学の知識を授けられた方で、中々にセンスのあるチャーミングな面白い方である。
 「数学」と「文学」という一件正反対な世界に身を置かれるお二方だけど、「美意識」を持っているという共通項があるせいか打てば響くような会話のやり取りで「数学」の世界の美しさを伝えてくれている。

 しきりに藤原先生がおっしゃるのは「数学の美しさ」である。「数学は圧倒的に美しい」とおっしゃる。
『「三角形の内角の和が180度」という永遠の真理っていうのは数学以外は存在しませんから、そういう美しさがある』と。
 数学と仲良く出来なかった私から見たら「三角形の内角の和が180度」というのは当たり前過ぎて、「注意一秒、ケガ一生」みたいな交通標語と同一レベルに見える。
 面白いことに美しい数学ほど役に立って醜い数学は消えていくらしい。
 そういう永遠の真理を美しいと感じることが数学者には必要なんだなと思った。
 数学者にとって必要なのは頭の良さではなく、美意識が重要なんだなとしみじみ思う。どんなに頭が良くても美意識がない方は永遠の真理というものを発見は出来ないんだろう(発見したものを証明する知識はあっても)。
 
 読んでいて凄い興味深かったのが少なくない数学者が「神」という存在を信じ、その存在を前提としてこの世界を受け入れている事である。
 それは宗教としての神というよりも創造主としての神。
 神様は何か美を隠している。それを本能的に知っていてその美を発見しようとするのが数学の真理の発見となると。
数学(あるいは物理や化学もそうだけど)等は「神様」という存在から縁遠いような気がするが、突き詰めていけばそういう存在を認知せざるおえないのかもしれない。 
 
 学生時代の私にとって「数学」は単なる数字の羅列、組み合わせの無機質な面白味の無いものだった。でもこの本を読んで本当は豊穣な世界を持っているんだなと気づかされた。
 そういう事を学生時代に知る事が出来ていたら、後年数学の試験の夢でうなされる事もなかっただろうに。。。。
 もっともっと学校で「数学の美しさ」というものを教えた方が良いと思う。
 特に子供の頃にその美しさを知る事が出来れば人生の彩りが増えるはず。
 この世界には何者にも侵される事がない永遠の真理の「美しさ」があるという事を知っている人生と、そうでない人生は多分人生の豊かさに差がでると思う。

 学生時代に数学の美しさを教えられていればテストの点がUPしていたと言い訳してみる。
  
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| ノンフィクション | COM(7) | TB(0) |
2009-12-13 (Sun)
 

 北海道のローカル線の終着駅で、長年生真面目に駅長を務めてきた初老の男。ある日彼が愛らしい少女と出会ったことで、孤独だった人生に暖かみが生まれた。高倉健を主演に、『ホタル』の降旗康男が描いたファンタジックで感動的なヒューマンドラマ。-Amazonより




 私は高倉健さんの隠れファンである。
 何もキリシタン如くのように隠れてファンでいる事もなかろうにと思われるかもしれないが、私の年代で健さんファンというのはかなりめずらしく言いづらいのである。
 やはり日常では「SMAP」や「嵐」等のジャニーズ系や「小栗旬」「福山雅治」等のイケメン系が口上に上る事が多く、「高倉健」と言ったら昭和の香りを運んでしまう。
 ファンだと言えるチャンスが来て地味に嬉しい。

 「高倉健」のどこが好きなのかと問われたら、1人の人間が自分の信念に誠実に生きてきたのを体現している所である。「生きる美学」の美しさというか。
 きっと健さんは時代が周囲が変わってもただ自分の信じる「もの」「こと」を丁寧に取り組み生きて来られたんだろうなというのが見る側に伝わる人間性が素晴らしい。私としては人間国宝に指定して欲しい位だ。

 その健さんが主人公乙松を演じた映画「鉄道員」。
 不器用に生きた乙松を「僕は不器用ですから」の健さんが演じる。
 大スターの健さんと寂れたローカル線の駅長の乙松とでは境遇が違うが、どちらも自分の人生を誠実に不器用に生きてきた姿は折り重なる。
 乙松は健さんでもあるなと思いながら見ていた。
 「生き方」というある一点のみの共通項、ただし重要な一点がの一致が作品の存在感を増している。

 私は決して制服フェチではないけど健さんが鉄道員の帽子を被り、制服の上に分厚いコートを着て吹雪く駅に立っているシーンはシビレてしまう。
 そっと毛布やカイロを手渡したくなる。
 とにかく映像が北海道の自然や健さんを本当にシンプルに写し撮り、その物や人が持つ素晴らしさをダイレクトに伝えている。

 この映画は幾つか前の記事に書いた浅田次郎さんの「鉄道員」が原作になっている(「ほろ酔い加減」)。
 映画は原作の短編を余分な贅肉をつける事なく上手い具合に膨らませシンプルに仕上げている。
 そのシンプルさが健さんの演技と情感を際立たせ、私はバスタオルを握り締めながら最初からラストまで泣きっぱなしだった。
 「シンプル イズ ベスト」
 という言葉があるが本当にしみじみその言葉の持つ凄みを感じた作品だった。
 本来はベタな作品なのに、そういう映画には涙が一滴もこぼれない私がバスタオルを濡らしたのもその凄み故だと思う。

 見終えた時泣きすぎて目が土偶になった。

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| 映画 | COM(6) | TB(0) |
2009-12-12 (Sat)
 

 大部屋俳優「福本清三」。定年までひたすら斬られ役を演じ続けて四十数年。斬られた回数は二万回以上。
 セリフ無し、台本無し当たり前。画面に映るのもほんの少し。代表作も無し。
 それでもこの道一筋に生きてきた。
 福本さんの斬られ役者人生は東映時代劇映画の盛衰の歴史でもあった。
 彼が歩んだ笑いあり、涙あり、汗にまみれた役者人生へのスポットライト。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 「どこかで誰かが見ていてくれる」というタイトルは、
 「ブラボー!!!」
 と喝采したくなるナイスなタイトルである。無名の者のである私達の心をかゆがらしてくれるタイトルである。
  かゆがられた私は早速馴染みの図書館でゲットした。

 最初読み始めたときは聞き語りスタイルというのに困惑したが直に惹き込まれていく(勿論聞き手の小田さんのキャッチボールの上手さもあるが)。
 福本さんの語り口調がなんとも飄々と「可笑しみ」とでもいうのだろうか、漫談ぼくってご本人は決して面白い事を言っている意識はないのだろうけど「なんだか可笑しい」。
 この「なんだか可笑しい」というのが私的にツボなのだ。 
 軽妙が故に「悲哀」の部分が湿っぽくならずジーンという響きになる。

 この作品の魅力は聞き手の小田さんが文庫版あとがきで見事に突いている。
 抜粋要約した内容になるが、
 「福田さんはどこかで誰かが見ていてくれるという気持ちでずっとやってきたと語られているが、本当は誰も見てくれないということをわかった上でここまで努力されてきたのではないか。彼のある種の爽やかさは諦めから来る「苦さ」だと思う。
 我々は世の中の大部屋である。どこかで誰かが見ていてくれる願いは「普通」に生きる我々の胸にある一種の祈りのようなものだ」
と。
 そうなのだ。
 きっと普通に生きている人々の心の中には「どこかで誰かが見ていてくれる」という祈りにも似た思いは根付いていると思う。
 その「誰か」は狭義の意味なら「見ていてくれる誰か」であったり、広義の意味なら「神様」であったり。
 やっぱり頑張っている自分の存在を認めて欲しい。
 だから普通に生きる私達は福本さんの姿に自分をシンクロしていまい応援したくなるのだと思う。

 斬られ役ひとすじに生きてきた福本さんの役者人生はある種の「役者バカ」ともいえる。
 決して華々しい経歴ではなく、苦労も多くその対価としての実りは世俗的には今イチだと思う。
 仕事とは言えそれでも懸命に取り組む姿にバカになれるのは幸せだなと感じ入る。「バカ」という言葉をプラスに捉える日が来るとは幼き頃は思わんかった。
 勿論キレイごとばかりではなく実際は語られている以上に辛苦を味わられた部分もあるだろう。
 でも、
 「その時死にたいぐらいにつらくても、時がたつと、それがなんや涙が出るほど懐かしく思える時が来ます」 
 きっとそういう言葉へ変えていかれたんだろうなあと思った。

 後日談だがなんとあのトム・クルーズが福本さんの立ち回りを気に入り「ラスト・サムライ」のメインキャストに加わりハリウッドへ行かれたようである。 

 結構神様も粋な計らいをする。やはり覗き見しているのか。。。。
 

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| ノンフィクション | COM(6) | TB(0) |
2009-12-09 (Wed)


 茜沢圭は死期が間近かに迫っている松浦武三という老人から、35年前に見知らぬ女性に託した息子を探して欲しいと頼まれる。
 彼は三年前にある事故で妻子を亡くし刑事を辞め、今は私立探偵を生業としていた。
 松浦老人から頼まれた人探しと平行し、自分の妻子を殺したであろう駒井伸行の犯人である証拠固めに動いていた。
 だがその終着地点でおもいもかけない「真実」に出くわすことになる。。。。。。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 この作品はサントリーミステリー大賞・読者賞をダブル受賞した作品である。
 
 今まで幾つかサントリーミステリー大賞の作品を読んだがミステリーという観点から言うならば、
 「ほほー」 
 というカタルシスが得られるわけではない。
 だけど読んできた作品の中には見られない「深さ」があった。それ故印象に残った。

 こういう賞を取りにいくなら人物描写やトリック、ストーリー展開そういうものを練って作品を創り上げると思う。
 「深さ」は狙わないはと思う(と言っても「深さ」が狙って生み出されるものではないと思うけど)。
 でもそれが副産物的なものであったとしても、こういう賞レースの作品に盛り込めた作者さんの手腕は拍手である。

 主人公の茜沢は過酷な現実の中にいる。愛する妻子を事故で亡くし、そしてラスト辺りで過酷な「真実」を知る事になる。
 茜沢の言葉の、
 「現実は苦い。~だが俺はそれを受け入れる。その運命を生きる以外に真実は存在しないからだ。その真実の上にしか生きる喜びも希望も生まれないからだ。~人を救うのは人それ自身の心だ」
 にはシビレた。

 「現実」というものは時折本当に苦しく過酷な時がある。そういう時は当然逃亡したくなる。
 私も何度逃亡してきただろうか(遠い目)。。。。 
 でも逃げまくって気がついたのは「逃げても仕方がない」という事であった。当たり前の真実だけど頭で理解しているのと実感するとではわけが違う。それを実感出来ただけでも逃げた甲斐があった。
 私は逃げる事自体が「否」とは思っていない。いつか時間が掛かっても元の場所に戻ってくるのならそれはそれで有りだと思う。

 人はどうしても苦しい時に何かの救いを求めてしまう。それは宗教であり薬であり救ってくれる誰がであったり。
 でもまず受け入れてみる事から始めて見ればいいと思う。そうすれば解決へのスタートラインには立てる。
 おまけにお金もかからんし、安全無害。 

 私も自分自身を救えるのは自分しかないと思う。自分こそがヒーローなのだ。
   
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| 笹本稜平 | COM(10) | TB(0) |
2009-12-05 (Sat)
   

 寂れたローカル路線の終着駅「幌舞(ほろまい)」。その駅のただ1人の駅員で駅長の乙松はもうじき定年を迎えようとしていた。
 子供が亡くなった日も、妻が亡くなった日も駅に立ち旗を降り職務を全うする。彼が愛した路線は乙松の定年と同時期に廃線が決まっていた。
 孤独な日々をひたすら実直に生きた乙松にある奇跡が訪れる。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 浅田次郎先生は一流りストーリーテラーだと思う。
 先生の読み手を物語の世界へ引き込む力は紛れもなく本物だと思う。

 ただ。。。。
 浅田先生は時々センチメンタルに酔いしれている。「センチメンタル」を過剰に演出して私にはそこが「・・・・」と白けてしまう。
 「酔いすぎですぜ!!!」 
 と突っ込みを入れたくなる。
 ただこの短編集はラインのギリギリ一歩手前で踏みとどまっている(幾つかはラインオーバーだけど)。
「ほろ酔い加減」 
 的な過剰さを押さえて書かれた作品は、情のある味わい深い内容に仕上げられていてじ~んと来る。

 一番印象深かったのが映画にもなった「鉄道員」。
 主人公乙松は不器用だが人生を真っ直ぐに生きてきた。妻子を亡くし、寂れた事務所兼自宅で1人住まいである。彼が人生の大半を共に歩んだ路線はもうじき廃線となる。
 この設定だけで私はごはんが食べられる。
 不器用な人間が恵まれた環境とは言えない中で懸命に生きる姿に私はめちゃくちゃ弱いのである。
 乙松という主人公の実直さが上手く話に織り込まれ、この孤独な老人を応援したくなる気持ちが自然に沸いて来る。

 泣きたい事があってもぽっぽやだからと堪え、愛する者の臨終よりも仕事としての責任感を優先する姿は正直女の私には理解が難しい部分もある。
 女性でそういう人がいたら天然記念物に指定してもいいくらい珍しいのではないか。
 それは男の矜持というかダンディズムなのか、それても日本人特有の美学か。
 映画で主人公が「俺はぽっぽやだから」と言うセリフに日本人は涙を流すらしいが、外国では笑いが起きたそうな。

 乙松が「おっちゃん、しあわせだ」と自分の人生を肯定する言葉に涙がこぼれた。
 自分が選んだ人生を誠実に生きるのは難しい。
 でもそういう風に生きられれば、何かを成し遂げなくても、何者かに成らなくても、十分勝ちの人生なんだと思わせてくれた。
 完全におとぎ話だけど気持ちよく読めた。おっちゃん良かったねとしみじみ読み終えた。

 浅田先生には飲みすぎずに良い作品を書いて欲しい

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| 浅田次郎 | COM(4) | TB(0) |
2009-12-02 (Wed)
   

 17世紀のキリシタン弾圧の激しい日本。
 ロドリコを含めた三人の宣教師は日本へ潜入する。彼らの師であるフェレイラが弾圧に負けて棄教した事を知りその事実の確認と、日本へ信仰を広める使命感に燃えて命がけの入国であった。
 たが想像以上の苦境が待ち構えていた。
 次々と降りかかる苦難によりロドリコは1人残され、遂には密告により捕まえられてしまう。
 そしてロドリコは棄教を迫られ、究極の選択を強いられる。

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 *全編ネタバレアリ

 今回の記事は長い旅路です。

 今まで一番怖かった小説は何かと問われたら私は迷うことなく「沈黙」と答える。
 でもこの作品は決してホラー小説ではない。遠藤周作センセがお書きになられた胸を打つ文学作品である。
 私にとって何が怖かったかというと「自分が信じている世界が無残な形で崩壊していく恐怖」である。
 「沈黙」は宣教師ロドリコが苦悩の果てに信仰を捨てるというシンブルなお話しなのだけど、その過程がなんともやり切れないのである。

 激しい迫害と苦境の中でロドリコは神の救いを求める。必ず光がもたらされると信じ続ける。
 だがどれだけ祈っても奇跡は起きない、何も起きない、神はただ沈黙するのみ。
 「神はなぜ、沈黙しているのか?」
 宣教師にとって神への信仰というのは自分の全生涯を捧げた、アイディンティティの拠り所である。
 その拠り所が揺らぐ恐怖というのは無宗教の私でさえ恐ろしく思う。
 
 ロドリコへ棄教を迫る為に究極の選択が投げかけられる。信者を拷問にかけ彼が棄教すれば信者達は助かる。
 信者を助けるために信仰を捨てるか、それともあくまでも教会の教えを守り抜くか苦悩の果てに遂にロドリコは転ぶ。
 この下りは体感温度が-2位下がる程ゾクゾクきた。恐怖新聞より恐怖である。

 私が凄く疑問に思ったのは「ロドリコは敗北したのだろうか?」ということである。
 確かに宗教という形式を裏切ったのは事実だが神様を裏切ったわけではないと思う。
 信者達を見殺しにした方が「アカン」と思う。見殺しにした時点で信仰はお飾りのお題目である。
 神様と一対一の図式ならロドリコの行為は「是」のはずである。信仰とはなんだろうかと考えさせられた。

 棄教した彼らは外国人である事も捨てらさられる。
 日本名を名乗りその後の人生を日本人として生きていく。
 私が日本人である事を捨てらさられ、
 「キャサリン」
 なんて名乗らされて生きていく事を押し付けられたら生きて行けないと思う。生きて行く事が死ぬよりつらい。
 
 だがロドリコは背教によってそれまでとは違った意味での神の存在を認知する。
 この作品で最も私の心が揺さぶられたのは、
 「やはり私はあなたを愛している」
 という言葉である。
 全てを失った彼はその代わりにより深い神への愛を得る。これまでの苦悩もこの愛を得るための出来事であったと悟る。
1人の宣教師の棄教の物語が、実の所は神への新たな愛に目覚める信仰の物語という反転図のオチにシビレてしまった。本を前に平伏した。 
 読み終えた時、
 「・・・・・」 
とタイトルとは違った意味で沈黙していた。
 あまりに感銘を受けたら人は言葉を無くすんだなと気づいた。
 
 この作品は「強さ」と「弱さ」にも語られている。
 メインディッシュが強烈なだけにつまみのような存在になるが私にとってはこちらも味わい深かった。
 ユダの役割を振り当てられるキチジローという人間が出てくるが、彼は自分の弱さを嘆く。弱いが故に死ぬ事も出来ず、そして人を裏切る。強い人間を羨望する。
 でも私は思う。
 作品にも触れられているが、弱い人間だけが悲しいのだろうか。そうではなく強い人間もまた悲しさを持っている。
 弱い人間も強い人間もただその立ち位置が違うだけで、強い人間は強いなりの苦悩も悲しさもその世界にあるのだ。 強いからといって弱い人間より苦悩しないわけではないのである。
   
 この作品を生み出してくれた遠藤センセには天国へ向って手を合わせたい。

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| 遠藤周作 | COM(5) | TB(0) |
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