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2009-11-29 (Sun)
 明石家さんまさんの事は若い頃はあまり好きではなかった。
 いつも陽気なお調子者という感じで、軽いというか中身が無さそうというか。。。。
 若い頃は内省していないと物事を表面的な部分判断してしまうのでさんまさんの事は単なる陽気な人としか思っていなかったし、「青春期」には暗い舞台でふてくされてごろ寝していた私にはあの明るさがうざったいなと思っていた。

 でも年を重ねるにつれ、昔と変わらず今も明るくて陽気なさんまさんを見ているとそれなりに信念を持って生きてらっしゃるんだろうなと気づいた。
 さすがに明るい人間だから何も悩みも苦悩もないとは思わない位には賢くなった。
 逆に絶望を知るからこそ明るく生きる事を「選択」するのだろうと思う位成長した。

 さんまさんの座右の銘が「生きているだけで丸儲け」という言葉だと知った時は正直意外に思った。
 「生きているだけで丸儲け」なんて言葉は地獄を見ていないと出て来ない言葉だと思うから。
 私が小さい時から彼は売れっ子で確かに離婚とかももあるけど芸能界で大成しているし、若い頃から女にモテテ、実家は裕福で、あの華やかさでどこでもいつも人気者だったらしい。
 私から見たら、
 「神様からのプレゼント少しわけてくれ!!!」 
 と思う位だ。

 さんまさんは家族に縁薄い人で、物心がつく前にお母様を亡くされ、継母とは上手くいかず、異母弟は若くして亡くなられたようである。自身もあの日航機墜落事故にたまたま一便早めて難を逃れたようで「死」というものが身近にあったようだ。
 意外に苦労されているので驚いた。あの明るさからはそういう影は感じ取れない。
 
 「どんな事も笑いに変えて生きる」「ダメな時を楽しみたい」というポリシーをちゃんと実践出来ているているのが凄いと思う。
 正に「日本版ライフ・イズ・ビューティフル」 
 を地でいっている人だ。
 私もなるべく笑って生きたいとは思っているがこれを実践し続けるのは結構難しい。
 それを何十年もやり続けているさんまさんはきっと「強くあろうとしている人」なんだろうなと思う。

 「笑いが一番」と人生全てをお笑いへ昇華させる様はアッパレ芸人根性である。
 「明石家さんまという着ぐるみを着続けている」という上手い例えがあったけど、きっと死ぬまで脱ぐ事は無い様をこれからも見続けて生きたいと思う。


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2009-11-28 (Sat)
   

 ご夫婦お2人共直木賞作家という看板を持つ藤田宜永と小池真理子。
 戦友でありライバルでもあるお二方が「健康志向」や「寝室」「スポーツ観戦」等様々なテーマについて互いの視点から赤裸々に綴った本音トークエッセイ集。


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 この本を読んだ時、
 「こういうのを待っていました!!!」
 と思った。
 色んなご夫婦の様々な媒体での「夫婦公論」というのは星の数ほどあるけど、作家という書く事を生業としているプロが本という媒体でバトルトークをされているのは初めてのような気がする。
 さすがに腕一本でご飯を食べていられるだけあって、話の膨らませ方、魅せ方、読ませ方は素晴らしく、夫婦の機微へのするどい視点だけではなく夫婦漫才のようなノリもあって楽しめる。

 特に「メリー・ウインドウ」という連れ合いの死をテーマにしたが面白い。
 藤田さんは自分が死んだ後の小池さんの姿を想像して書かれている。
 小池さんは自分の死をきっと悲しむだろうけど、解放感を味わうのも事実だろうと。時折女友達と自分を懐かしく語り、そして涙ぐみながらも友達の手土産の饅頭を頬張っている。涙を流しながらでも饅頭を食べれる女性の生命力は凄いと。
 笑ってしまった。
 これ当っているだろうなと思った。男の人は奥さんが亡くなると萎れるが、女の人は悲しむけど復活するのも早いだろうなと思う。
 小池さんは自分が先に死んだら何も出来ない藤田さんはダメになり、自分は天国でその姿を見ながらダメぶりをバカにし舌打ちするに違いないと応戦している。
 2人の丁々発止トークバトルに、
 「やれやれ!!!もっとやってくれ!!!」 
 と観戦していた。

 お2人は同業者だけど互いをライバルだとはっきり認めている。
 夫婦だからと言って変にそういう思いを変に美化したりせず「自分の小説の方がいい」と思っているそうだ。
 潔いなあと思う。
 得てして「夫婦はライバル意識を持たず、互いを思いやる」という幻想をもたれる方が多いけど、創り手として伸びるのはライバル意識を持ち合う方だと思う。
 ただ「裏側がみたい」の智恵子のように夫婦間の力関係のバランスに格差があるとどちらかが潰されてしまう場合もあるので、「強さ」という防御壁は互いに必要だろう。

 当たり前だけど夫婦は男と女がセットになっているので夫婦の姿であると同時に男と女の世界観の違いというのがよくわかった。
 よく男と女の間にある深い溝という言葉が使われるが、私はその溝の間に溺れそうになった。

 やはり永遠にこの溝が埋められる事はないだろう。

 
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2009-11-25 (Wed)
  

  脳神経に障害を持つ7人の患者達の物語。
  事故の為に全色盲となり周囲が白黒の世界にしか見えなくなった画家。
  激しいチック症状を持ちながら抜群の腕を持つ外科医。
  「火星の人類学者のようだ」と呟く自閉症の動物学者等。
  彼らが障害をアイディンティティとして受け入れ、困難と呼べる人生を生き抜いてく姿が著者の温かみのある目線で描かれている。


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 この作品に出てくる人達は脳に障害を持っている。
 その障害が故に困難と苦悩が伴い、一般というものさしという基準でみれば特殊な状況で生きていくことになる。
 でもだからといって彼らの世界が閉ざされてしまうわけではなく、障害を補う形で別の新しい「世界」が用意されるんだなあと思わせてくれる。
 障害や欠陥が潜在的な力を引き出して新しい能力が備わる。人間の持つ生命力というのは幾らでもチャンスというものを用意していて懐深いのである。 
  
 私が一番印象に残ったのが表題「火星の人類学者」の主人公であるテンプル・グランディン。
 彼女は自閉症の中でも高い知能を持つアスペルガー自閉症で博士号を持ち事業を経営するという経歴の持ち主である。
 テンプルは病が故に愛情とか感動といった「人間の深い感情」というものを持てない。
 自閉症の少年の母親が亡くなった時の「自閉症だからあまり悲しくない」という言葉がこの病気の悲しさを端的に物語っている。
 人の言葉の真意や言葉に現れない感情などわからないテンプルは何年もかけて「膨大なライブラリー」をつくり、それを心の中で再生して人の行動を認知する。
  だから彼女にとって他人とは異邦人や宇宙人のようなものである。

  テンプルの悲しさが響いてきた。
  自分が異質で特殊な世界に生きているという自覚はつらいものがあると思う。
  多分だいたいの自閉症者はそういう意識はなく自分の完結した世界で生きられていると思うが、彼女はなまじ高い知識とある種感受性(という言葉が適切かわからないが)があるので「知っている」のである。
  知っている事が幸せなのか、知らない事が幸せなのかは迷う所だけど。
  読んでいて障害故にそういう感情は持てないだろうけど、障害を超えた部分(くさいセリフなら魂)では多少感知されている気はした。
  
  でもそうであってもテンプルは、
 「もし、指をパチンとならしたら自閉症が消えるとしても、わたしはそうはしないでしょう。なぜなら、そうしたらわたしがわたしでなくなってしまうからです」
 とも言っている。
 そう言えるのは彼女の聡明さなのだろうか。

 私は心の病が指パッチンで消えるのなら、
 「是非お願いします」
 と頭を垂れる。
 心の病が私のアイディンティティではあるとは思う。もし心の病がなければ私は今とは全然違うタイプの人間になっていたと思う。
 でも現時点は受け入れているわけではなく、共存しているという方が正しい。消えてくれるのなら余計な荷物は背負い込みたくないというのが本音である。人生未熟者なのかもしれない。

 障害を持つ世界が健常者の世界と比べれば異質であったとしても、障害が生み出した世界なりの安らぎも喜びもあるのだという事実は救いである。

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2009-11-22 (Sun)
 

 7歳児程度の知能しかもっていないサム(ショーン・ペン)は、娘ルーシー(ダコタ・ファニング)とささやかな生活を続けていたが、彼に養育能力がないと判断したソーシャル・ワーカーがふたりを引き離してしまう。サムはやり手の弁護士リタ(ミシェル・ファイファー)を頼り、裁判でルーシーを取り戻そうとするが…。
ショーン・ペンをはじめとするキャストの優れた演技とそれらのアンサンブル、アップのモンタージュを巧みに重ねながら、それぞれの人間の感情をドラマとともに盛り上げていくジェシー・ネルソン監督の繊細な演出などにより、障害者を主人公にした感動の映画というよりも、現代社会に失われた大切な想いを持ち得る男によって周囲の者たちが影響され、癒されていくという、さわやかで後味のよい「愛の映画」に仕上がっているのがいい。ビートルズに敬意を表した設定の数々も素晴らしい効果を生んでいる。-Amazonより





 この作品は本当に、
 「お久しぶりね♪~」
 と口ずさみたくなる位に久々に映画館で見た。

 まず主役のお2人の演技に脱帽。
 この映画のキーマンは娘ルーシー役のダコタ・ファニングちゃんだと思う。
 映画館の大スクリーンのアップにも堪えられる位に本当に美しく、子供らしい愛らしさに満ち(多分ここ重要)、なおかつ素晴らしい演技で、
 「関係者の皆様、映画の成功おめでとうございます」 
 と即効で思った。
 それ位この作品においてダコタちゃんの存在はデカイ。

 サム役のショーン・ペンは「マドンナの元ダンナさん」という知識しかなく演技もこの作品が初見だった。
 今回の記事を書くに辺り彼の画像を検索して見たがサムの時とは全然別人。。。。
 憑依型の役者と評されていらっしゃるようだけどさもあらんと思った。
 本当に知的障害者をなりきって演じていらっしゃる。

 娘のルーシーが自分の精神年齢と代わらない父親と親子であり友達でもある愛情にどっぷり浸っていたが、ある日父親が多くの人達と「違う」という事を認識するシーンは切なかった。
 それまでは父親と自分の二人称の世界だったのに、その認識により他者という外側の世界を認知する事になる。
 そして父親の知能を越してしまうことに抵抗があるルーシーが勉強にわざと手を抜いていく葛藤に、健常者の親ならそういう苦悩を持つ事はないんだろうなと思うてしもうた。 

 副題が「Love Is All You Need 愛こそすべて」となっているが、私は「うん、うん、そう、そう」と素直に頷く事は出来ないけれど、サムが障害が故に出来ない事が多くても自分の出来る範囲で精一杯ルーシーを愛情一杯に育てているのにそれを障害を持っているから養育能力がないと判断し行政が2人を引き裂くのはどうかなと思った。
 親御さんが障害を持つが故に不自由する事も苦悩する事はあると思う。でもだから「ダメ」というのは全然違うはず。 
 子供は自分がいる世界でそれなりにやっていくと思うし、そういう苦労が豊かなアイディンティティを育てるかもしれない。
 それなのに行政が養育不可と決め付けるのは、「偽善」というべきなのか「偽悪」というべきなのか考えさせられた。

 この映画は障害者の方をテーマにした時にありがちな重さというのがあまり感じられない。
 その為にキレイ事と感じるてしまう部分はあると思う。ファンタジーだという感想を持つ方もいるが確かにそういうカラーはある。
 でもこういうテーマで暗めの絵の具をあまり混ぜることなく描かかれた絵は、素直に琴線が洗われるような気がして悪くないなと思った。。。。
 
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| 映画 | COM(4) | TB(0) |
2009-11-21 (Sat)
 

 F県警捜査一課には生え抜きの捜査三班が揃っていた。
 「理知」朽木を班長とする一班、「冷血」楠見の二班、「捜査の勘」村瀬の三班。
 彼等は『事件』を互いに食い合いしのぎを削り競い合っていた。
 それぞれの班が取り扱った事件六つの物語が収められた短編集。

 「第三の時効」
  事件は15年前に起こった。
 夫の留守中にエアコンを取り付けに来た幼馴染の武内にゆき絵は汚されてしまい、その現場に帰宅したばかりの夫が遭遇しもみ合った挙句夫は殺されてしまう。武内は逃亡し、その後ゆき絵は妊娠の事実を知らされる。
 夫の子かそれとも武内の子か?苦悶の果てに夫の子と信じて彼女は女の子を出産する。
 そして三年前に逃亡中の武内からゆき絵へ電話が入る。
 「あの子、俺の娘だろ?」
 海外へ七日間滞在した時効の進行停止の「第二の時効」がもうじき迫っていた。
 事件発生の第一の時効は過ぎ、第二の時効を知らなければゆき絵に連絡してくるか会いに来るもしれないと踏んだ警察は彼女と娘のありさの周囲を見張る。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 
「タッ、タッ、ターン、タッ、タッ、ターン、タッ、タッ、ターン、」
 (音痴なのでメロディー拾えてないのですが一応太陽にほえろのイントロ)

 このメロディーが流れると自分の中の血がちょっと騒ぐ。
 警察物というのは何故か血をたぎらせてしまう。古今東西テレビでも警察ものが多いのはやっぱり好きな人が多いからだろう。
 日常の中の非日常というドラマ性がたぎらせる要因だと思う。

 そんな私にとって「横山秀夫」という作家さんは熱い血を呼び起こしてくれる作家さんである。
 警察小説という分野の中で彼は群を抜いた書き手ではないかと個人的には思っている。
 話の面白さ、緻密さ、意外なオチ、そして何より体温を伝えるような人物描写と人間模様の表現。
 横山さんは元々警察関係のお仕事をされていたのかとさえ思う程の臨場感に驚く(調べたところ元は記者さん)。
 だから周囲の未読の知人に、
 「お買い得だよ!!!」 
 と布教活動をしていた。

 どの作品も秀作だけど「第三の時効」が際立っている。登場人物、設定等の道具仕立ても興味をそそるものだけど、これはオチが効きまくる。
 「えっ!!!w(゚ロ゚)w」  
 と予測もしなかったオチである。 
 幾つも張り巡らせた糸が最後にビンっと貼ってその図柄に驚かされた感じだ。
 横山さんが書かれた短編の中でも最高傑作の一つだと思う。 

 横山さんの書く男性像は男くさくて、カッコいい。
 でもカッコいいと言っても、頑固な人間、自己中な人間等一筋縄でいかない人間ばかりではあるが、でも隠れヒューマンな人間像が多い。
 表面上は、
 「関係ないっすね」
 というような無関心を装っていて一皮向けば人間の情を覗かせる。
 一歩手綱を間違えた方向へ向けると私があまり好きではないロマンチズムへと転化しそうだけど、それを絶妙な匙加減で「粋な」男達にしているのが横山さんの魅力だなと思う。

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| 横山秀夫 | COM(4) | TB(1) |
2009-11-18 (Wed)
 
 前原滋子は9年前の忌まわしい連続殺人事件に飲み込まれ天職と思っていたライターの仕事から遠ざかっていた。
 だが結局書く事を捨て切れなかった彼女の元へある依頼が持ち込まれる。
 萩谷敏子という最近1人息子を交通事故で亡くした女性がもしかしたら息子には特殊な能力があったかもしれないという内容のものであった。
 何故なら息子が残した絵の中に描いた時点では未来の内容や、また知りえるはずのない事件の事実が描き込まれているからである。
 その絵の中で彼が死んだ後に発覚した事件で、両親が娘を殺して床下に埋め火事になって初めて時効後に出頭した事件を示唆する内容があった。
 人の良い滋子は我が子を亡くしたばかりの敏子にほだされた形で調査に乗り出すが意外にもそれは、長い間触れることの出来なかった過去の事件と向かいあうきっかけとなった。


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 宮部さんは打率の良い作家さんである。
 作家によっては作品の出来に大波小波があり、読む前に「今回は当りかな外れかな。。。」と気を揉まなくても良い安心感があるのがありがたい。

 私はとりわけ宮部さんの書く登場人物が好きである。
 どこにでもいそうなという感じというわけではないのだが、息遣いというのか体温というのがにじみ出ている登場人物達に惹きこまれる。
 よく出てくるタイプがきちんとした人間としての芯を持つ温かみのある人物と、真逆に残酷というか大切な何かがくりぬかれているような人物も出てくる。
 その温度差のある人間模様が私のツボを押してくれる。

 この作品で一番印象的だったのが、
 「身内の中に、どうにも行状のよろしくない者がいる。世間に後ろ指さされるようなことをし、警察のご厄介になる。そういう者がいる時、家族はどうすればいいのか。出来損ないなどは放っておけ、切り捨ててしまえばいいのか」
 という問いかけである。

 これは難しい。。。。。

 「はい、これです」
 とすぐに答案用紙に答えを書いて提出出来ない。
 まあ強いて答えるなら、私自身はどうしようもないろくでなしであるならば切り捨てる方が良いとは思う。
 そうしないと関わる人達の人生や生活が踏みにじられてしまうし、書いているように切り捨てなければ得られない幸福もあると思うから。
 身内とか家族という言葉に呪縛されて自分の大事なものを損なう必要はないはず。切り捨てて得た幸福がよりそうしなかった場合より偽物だとは思わない。
 ただ親戚とか兄弟姉妹であれば最悪は縁を切ることが出来るだろうけど親子の場合はそう簡単にはいかない。

 この作品にはある事情により実の娘に手をかけた両親が出てくる。
 愛情をかけて一生懸命育てた我が子がほんの些細なズレでどうしようもない流れに飲み込まれ手の届かない暗闇へと行ってしまう。
 一旦流れに飲み込まれると流される本人自身にもその流れを止める事が容易ではなくなる。
手にかけた両親は究極の切り捨てともいえるが、ひょっとしたら鬼畜となった我が子を取り返す行為でもあったのかもしれないのかなとも思う。
 でもやはり殺してしまったら全てがパアーなんだよなあ。一縷の希望も存在しなくなる。

 私は「お母ちゃん」をやった事がないからわからないけど、子育ては喜びや幸福を得られるだけではなく、歯車が狂えば深い暗闇に陥る可能性は常にはらんでいるのかもしれないと思った。
 
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| 宮部みゆき  | COM(3) | TB(0) |
2009-11-14 (Sat)
 

 木村明則さんの作るリンゴは「奇跡のリンゴ」と言われている。
 それは限りなく不可能に近いと言われている無農薬栽培で作られているからだ。
 リンゴ農家の人にとって農薬栽培は常識以前の内容であり、専門家さえ今もって不可能に近いと言われている。
 木村さんの作るリンゴは「樹の実」と呼ぶにふさわしい食べ応えであり、普通切ったリンゴはそのままにしておくと腐るのに、木村さんのリンゴは腐るのではなく枯れて甘い匂いを放つ。
 だがその成功にたどり着くには八年にも及ぶ苦闘があり、一度は死さえ考えた事もある。
 そんな木村さんの無農薬栽培チャレンジへの記録。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 私は今まで書いてきた記事の中で幾度なく繰り返し書いている内容がある。
 それは「あきらめない事の大切さ」である。その為には信念が必要であり、希望を捨てないことだとよく書いている。
 何故何度も書くかというとそりゃあもう自分があきらめない事の難しさに苦しんでいるから自分を励ます意味で書いている。 
 そんな私はこの本を読んでカンフル剤を打たれた気分である。

 私はこの本を読むまで無農薬栽培リンゴがこんなに難しいものとは知らなかった。
 現在私達が食べているリンゴというのは農薬を使う前提で品質改良された代物らしい。だからリンゴというのは農薬の力無くしては病害虫と戦う事が出来ないか弱い乙女のようである。
 それなのに農薬を使わなければ当然リンゴ畑は、
 「えらいこっちゃ」
 になっていまう。
 木村さんのリンゴ畑は病害虫の巣窟となりリンゴの木は枯れ何年も花を咲かせなくなる。

 無農薬栽培実現の為にあらとあらゆる方法を試すがなかなか結果が出ない。努力しても努力しても手応えがないと信念があってもつらいし、自分自身の精神が磨り減っていく。
 その苦しさは私も現在暗闇の中を模索している最中なので理解出来る。ただ私の場合は養う家族がいないから自分一人の課題に出来るが、ご家族がいた場合どうしても巻き込まざるおえない所が更におつらかっただろうなと思う。
 なんせ日本が高度成長時代の最中で青森のリンゴ農家といえば裕福なはずなのに、木村家だけが戦後さながらの「現代版貧窮問答歌」のような極貧生活を送っていたらしい。
 それでも一家全員に理解があった事は糧になったと思う。

 やがてそんな木村さんにも「疲れ果てる日」がやってくる。
 思いつく限りの策を試したがどれも結果を得られず万策が尽きたと思った時、死ぬためにロープを握り締めて山の中に入っていく。
 そして死のうと思った場所で木村さんは無農薬栽培のヒントを目にする。森の木々や植物は農薬の助けなく育っているに気づくと、死ぬ事も忘れてへ再度チャレンジする。
 これが小説なら私は迷うことなく、
 「話がうますぎる!!!」
 と突っ込みまくる。
 だが河合隼雄先生の対談集の記事日本一の聞き上手で「外から見る限り「偶然」としか呼びようのない「うまい」ことが起こる。不思議としか言いようがないし、また「当然」とも呼びたいことが起こる」と書いている通り、本当にうまいことって起きるもんだなと思った。
 恐らくどんな些細な希望でも捨てず努力し続けていると目に見える形での結果にすぐ繋がらなくても、自分の望む世界の細胞はちゃんと創られているのかなとも思った。

 この本を読んだ時自分の考えは間違ってはいないんだなと。あきらめる事無く前向きに努力し続ければ必ず願いが叶う「いつかの日」がやってくるのだと思う。
 ただその過程の苦しみをどう折り合いを付けていけばよいのか悩んでいた。
 でも私が苦しむのは「努力」だからなのかもしれない、木村さんがおっしゃるように「バカ」になれば心の雑音は気にならないのかもしれない。

おバカキャラになれるだろうか?

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| ノンフィクション | COM(9) | TB(0) |
2009-11-11 (Wed)
 

 ある1人の幼児が風に吹かれて倒れてきた街路樹の下敷きとなり亡くなった。
 それは一見人災事故以外の何物でもなかった。
 だがある観点から見た時それは殺人と呼べるものでもあった。
 幾人かの人間のちょっとしたモラル違反が連なり、結果として1人の幼児に死をもたらしたからだ。

 この一件に関わる人々が事故を起こす契機となるエゴイズムの過程と、事故後、被害者である幼児の父親の「何故我が子は死ななければならなかったのか?」を追い求め、残酷な現実に直面していく姿が描かれている。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 
 
 *ラストのネタばれ有り!!!

 久々に「怖い小説」を読んだと思った。と言ってこの作品はホラーではありません。
 ホラー小説は怖さの対象がわかっている、それは幽霊だったり、狂人であったりと。
 だがこの小説の怖さはそういう明確な対象がない所である。不特定多数のやりきれない現実の数々が怖かった。
                           
 この事故で明確に法によって裁かれるのは街路樹の診断を心の病により怠った業者の男性だけである。彼は不潔恐怖症の為に犬の糞が放置された街路樹を診断出来ず、それが倒れてしまい事故が起こる。
 彼は心から悔い、そして彼の家庭は崩壊する。
 だが犬の糞を放置した者、それを片付けなかった市役所職員、自動車を乗り捨てて救急車の行く先を阻んだ者、診療拒否した自分勝手なアルバイトの医師等は裁かれる事なくいつも通りの日常を送る。

 ちょっとしたルール違反というのは誰しも覚えがあると思う。生まれて現在までそんな事したことない人間なんていないだろう。
 「自分だけなら、一回だけならいいだろう」という些細な自分勝手は社会の至る所で毎日起こっている。
 この作品に出てくる困ったちゃんは自分でもあるのだ。キャラを立たせるためにアクのある人物造形になっているが、自分もなりうる可能性のある自分自身の姿ともいえる。
 そこが怖かった。 

 読み進めていくうちに被害者の父親である加山の絶望が心に迫って来た。
 個々の身勝手さが我が子を死に追いやったとしても、それらは法律では裁けない。
 そして糾弾すると誰しもが罪悪感を持ちつつも「たががこれ位の行為で」と自分の行為を罪と認めず謝罪しない。
 モラル低下の現代社会のひずみの深さをみるようだ。
 くどいがホラー小説ではないのに私は読みながら何度も、
 「ごっつう、怖いっす」
 と呟きながら読んだ。
 
 と同時に小さなモラル違反を「犬の糞を始末しなかったあんたは人殺しだ」と罵る加山に「それは言い過ぎじゃないかな」と思う自分もいた。そしてそう思う自分に罪悪感を覚えた。
 ちょっとした身勝手さが積み重なって我が子の命を奪ったのなら、その一つ一つに憤るのは当然とは思う。    でも皆仏様ではいられない。
  誰しも自分の些細なルール違反が結果として人の命を奪うとわかっていたら決してそんな事をしないだろう。 それを想像力が足りないと言い切るのは厳しい。
  でもそう思う私は知らぬうちに現代社会の病理に病んでいるのかもしれない。
  自分の些細な身勝手な行動が思わぬ波紋をもたらすことも、決して現代社会ならないとは言い切れない怖さを感じた。
  
  貫井さんの作品のラストは劇苦のものが多いがこれも同様のゴールを用意されている。
  ネタバレになるがラストで加山自身も自分のした些細なモラル違反を思い出し、自分もまた糾弾した人間と同じと気づき、自分が子供を殺したのかと絶望するシーンは寒気がする位怖かった。

 ホラー小説より怖い小説だった。 
 
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| 貫井徳郎 | COM(3) | TB(0) |
2009-11-08 (Sun)


 ショーシャンク刑務所に、若き銀行の副頭取だったアンディ・デュフレーン(ティム・ロビンス)が、妻と間男を殺害した罪で入所してきた。
最初は刑務所の「しきたり」にも逆らい孤立していたアンディだったが、刑務所内の古株で"調達係 "のレッド(モーガン・フリーマン)は彼に他の受刑者達とは違う何かを感じていた。
そんなアンディが入所した2年後のある時、アンディは監視役のハドレー刑務主任(クランシー・ブラウン)が抱えていた遺産相続問題を解決する事の報酬として、受刑者仲間たちへのビールを獲得する。
この一件を機に、アンディは刑務所職員からも受刑者仲間からも、一目置かれる存在になっていく 。

無実の罪で“ショーシャンク刑務所”に投獄された青年は、心に秘めた希望と持ち前の明るさで周囲を変えていく…。スティーブン・キングの原作小説をフランク・ダラボンが見事に映画化した、珠玉の感動作。 ーAmazonより






 何度も記事に書いているが私はひねもんなのでこの作品が話題になった時は全く見向きもしなかった。
 他のランナーがとっくにゴールしている何十周遅れでやっとこさこの作品を見た。

 最初はたいして期待もせずに「まあ味見でもしてみるか」という軽い感じで見始めた。
 ところが見ているうちに、
 「おお!」
とエンジンがかかり、話が進むにつれ、
 「おおお!!」 
 と興奮しまくり、ラスト辺りでは、
 「おおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!」 
 と絶叫していた。
 人生において見ることなく死なないで良かった作品である。

 アンディが監獄に入所したばかりの時は、後に良い理解者となるレッドや他の受刑者も彼が困難にぶち当たっていても手を貸さない。ここで生きていくには自分で切り抜けるしかないとわかっているからだ。
 彼は若くして銀行の副頭取になる位だから頭はかなり良く、反抗や自分の役割を確立していくやり方も他の受刑者達よりもシャレている。
 正におぼっちゃまという感じのアンディが刑務所という過酷な環境の中で生きる術を身に着けたくましくなっていく様は小気味良かった。
 
 そんなアンディは無実の罪で投獄されている。
 普通ならその現実に押しつぶされ現状を嘆くしかない。私ならグレてしまいそうだ。
 だが彼は決して希望を捨てない。
 「希望を持って生に励むか、希望をあきらめ死に励むかどちらかだ。」  という言葉は私のような迷える子羊には響きまくる。
 結局の所どういう状況であるにせよどちらかを選択するしかないのであり、どちらを選択するのか決める権利は自分にある。

 この作品で深く心に残ったのは全体の中では些細だが、現実の残酷さを端的に現しているエピソードである。
 受刑者である老人何十年振りにが出所する事になる。だが人生の大半を監獄で過ごした老人はその場所にしか居場所がない。
 塀の外に出ると老人には何の拠り所も無いのである、家族も仲間も自分の役割も。
 外の世界を隔てる壁がいつしか現実社会から取り残される重しとなっている事に気づかされる。
 せっかく自由になったはずなのにその自由さは老人に過酷な孤独しかもたらさなかった悲劇は見ていて考えさせられた。

 ラストはアンディの希望を捨てない生き方に光が射しまくる。
 希望こそが人が持っているもので損なわれる事のない光だと痛感させられる締めは本当に素晴らしい。
 

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| 映画 | COM(11) | TB(0) |
2009-11-07 (Sat)
 
 科学者の中でも「異貌」な貌を持つ四人の科学者にスポットを当てている。

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 私は昔から「頭の良い変人(ソフトに言うと変わった人)」というフレーズが大好物である。
 「頭が良い」と言う言葉と「変人」という言葉のミスマッチぶりが、いちご大福のあんといちごのように意外ながらも良い味を出していると思う。
 それに加えて「孤高の人」という言葉が付くと「ごちになります」と言いたくなる。

 この作品に出てくる科学者も一風変わった人ばかりである(ただ前半は面白いけど後半に行くに従って形而上的になって退屈になるが)。
 特に印象に残ったのがキャヴェンデイッシュという科学者である。
 
 「有名になりたい!!!」という思いは多くの人が持っていると思う。
 まして科学者であれば自分の研究を評価されたいと思うのが普通だと思う。
 だが彼は普通ではないのである。
 何故なら膨大な研究成果を残しながらも生前それらを全く発表しなかったからである。
 キャヴェンデイッシュが求めたのはただ一つ、自分の好奇心を満たされば満足だったようである。
 だから彼はよくあるように生前認められず無念のまま亡くなるというキャッチコピーとは無縁である。
 
 キャヴェンデイッシュの研究成果に光が当たったのは死後約100年後。
 マクスウェルという超大物物理学者が5年の歳月をかけてキャヴェンデイッシュの業績を整理し、自身で実験を行い結果を確認して発表した。
 面白いことにオーム、ファラデー、クーロンといった業績により歴史に名を残した科学者よりもずっと前にキャヴェンデイッシュは彼等と同じ「発見」をしていたのである。

 著者がナイスな書き込みをしている。
 キャヴェンデイッシュの未発表の業績の中で後年発見されなかったものはひとつもないそうである。
 全て発見されている。
 このことから「発見」という代物はどんな偉大な業績であるにしろ「発見」される時があると。
 アインシュタインの相対性理論もニュートンの万有引力の法則も発見されなかったら科学の歴史は大きく変わっていただろうと言われるが、彼等が発見しなくとも別の誰かが時が来たら発見したのではないかと解釈されている。
 私もそう思う。
 私は全くの無神論者だけど、こういう話を読むと創造主である神様がシナリオを用意していてそのシナリオに沿って歴史は流れているなあと思うと。

 演者によって歴史が作られるのでしなく、シナリオがあって演者はそれに従うのが歴史と呼ばれるものかもしれない。

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| ノンフィクション | COM(6) | TB(0) |
2009-11-04 (Wed)


 名門大学「首都大」。
 そこには変わり者が集まっていると言われる「弦巻寮」があった。
 父に捨てられ、母と死別した薫平はそこの寮生であった。
 「弦巻寮」は常に廃寮の危機を抱えていたが、廃寮を目論む大学側とそれを阻止しようとする寮生の歴史に新たな流れが生み出されようとしていた。
 大学側が名倉という舎監を送り込んできたのだ。
 「若者が嫌い」と豪語する名倉はあの手この手を使い寮生を厳しく管理し、それに反発しまくる寮生達。
 だが様々な事件を乗り越え互いに少しずつ心を通わせていくが。。。。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  男性作家さんは少ないない割合で心の中に「ロマンチズム」を飼っていると思う。
 ただ個人的に男性の「ロマンチズム」あまり好きではない、己の「ロマンチズム」に酔っている気がするから。
 ただ野沢さんの酔いかたは嫌ではなかった、この作品のでも良い酔いかたをされている。

 登場人物達がとても魅力的に書かれている。 
 1人1人に味があるというか、肉付けにキャラクターの息遣いを感じさせる。
 そのキャラクター達が恋愛や家族関係、就職等様々な事柄に遭遇する過程に親近感をもって読み進めてしまう。

 薫平達、団塊世代ジュニアは傷つく事を嫌い、自分達の居心地の良い半径二メートルの世界にし関心がない。
 私も多分団塊世代ジュニアなので彼等に共感していまう。
 出来れば傷つきたくないし、痛いのは嫌だ。痛みをどう対処したらいいのかわからない。
 そんな彼等が30年前は団塊世代の若者で機動隊員であった名倉と反発し合いながらも、様々な事件を解決していくうちに互いの距離を縮めていく。
 ありきたりだけど上手く料理して読み手に「美味い!!!」と言わせる技量はさすが野沢さんだと思った。

 名倉が薫平達に贈った言葉、
 「皆さんの未来を傷つけるかもしれない。しかし何も傷つかない生き方より、それは遥かに意義があるのではないかと」
 そうなんだよな、傷もまた生きている証なのである。傷つき乗り越えなければ得ることの出来ないものもある。傷つかなければ痛くはないけど何もならない。

 ラスト付近で薫平等が自分の世界にただ漂うのではなく、足をつけて名倉と共に大学側と戦う下りは目頭が熱くなった。
 その熱さを感じた時自分は確かに年を取ったのだと感じた。
 若い頃に読んだら薫平等にしか共感出来なかったと思う。50代の名倉の気持ちはわからない。
 でも今なら名倉と薫平達にもどちらにも共感出来るのである。
 薫平達の世界はかつて私もいた場所であり、名倉のいる場所はこれから訪れるだろう世界である。
 彼が薫平達に何かを残したい、他人を通して意味のある人生としたいという気持ちは理解出来る。

 野沢さんが自殺されたのを知った時驚愕した。
 妻子がいらっしゃって、個人的に仕事も順調に見えたので、それでもなお死を選ばれたのはそれなりの理由があるのだとは思う。
 ただ、もう野沢さんの作品が永遠に読めないのは本当に残念だと思う。
 彼の生み出す新しい世界にはもう行けないのだ。

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| 野沢尚 | COM(7) | TB(0) |
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