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2009-10-31 (Sat)
   

 刑事の本間は怪我による休職中に亡き妻の従兄の息子である栗坂和也から頼みごとをされる。
 それは突如失踪した婚約者の関根彰子を探して欲しいという内容であった。
 休職中の苛立ちと焦燥感を紛らわせる為に引き受けた本間であったが、次第に思いもかけず深い謎をはらんだ「関根彰子の失踪」を追跡していく。
 失踪した関根彰子は実は偽者であり、新城喬子という女性が入れ替わっていたことを突き止める。何故入れ替わったのか?
本物の関根彰子はどこに行ったのか?
 新城喬子という女性が消し去った痕跡を本間は焙り出し、事実を追い求めてく。


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 将来自分の人生に無人島へ行くという不測の事態が生じたら、その時宮部みゆきさんの本を一冊だけ持っていって良いというお許しがあったら、私は迷うことなく「火車」を持っていく。
 個人的に「火車」は数々の傑作を生み出された宮部みゆきさんの作品の中でも最高傑作だと思う。

 この作品を読んで強く思ったのは、
 「絶対にお金は借りるまい!!!」
 とご先祖様に誓って決意した。
 この物語にはそれだけの強い決意を抱かせる力があった。
 サラ金の恐ろしさと、その地獄から逃れきれず追い詰められた者達の哀しさが痛切に響いてくる。
 
 作品に登場する二人の女性、新城喬子と関根彰子。どちらの女性もそれぞれの事情によるサラ金に苦しめられ地獄を見る。
 正直最初は読んでいて「私は絶対こんな風にはならないなあ」と他人事のように思っていた。
 私自身サラ金利用した事がなく、これからも利用しないだろうし、親も筋金入りの借金嫌いである。
 でも関根彰子の、
 「私はただ幸せになりたかった」 
 という言葉に考えさせられるものがあった。

 2人ともただ幸せになりたかっただけなのに、そうなれると思ったからこその行動で結局不幸になってしまう。
 勿論私も幸せなりたいと願う当たり前の女性である。
 でもその思いも、そうなる為の方向を見誤ると思いもかけぬ深い落とし穴に落ちてしまう事もあるのだと思った。 幸せになりたいと思うならそれは心のどこかに留めて置きたい。

 この作品で鮮烈なのは新城喬子という女性である。
 新城喬子は親の借金のせいで、事情により自己破産手続きも取れず追われる者となる。
 幸せを掴んだと思った途端するりと逃げられてしまい、そしてそれは追われる者である限り続いていく。
 でも彼女はあきらめない、幸せになる事をひたすら追い続ける。
 そして他人になり代わり身分を乗っ取るという方法で幸福を掴もうとする。
 新城喬子の行為は許されるものではないけど、どんなつらい目に会っていも死を選ぶのではなく生きてひたすら幸せになろうとする姿は感動すら覚える。
 でも結局の所人は自分以外の何者にもなれないのである。入れ替わっても逃亡者である事に変わりはない。
 新城喬子は裁かれる身である。
 でもそれがただ幸せを追い求めた結果だというのが哀しい。

 もし本当に無人島へ行ったら「火車」を音読してみたい。


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| 宮部みゆき  | COM(8) | TB(0) |
2009-10-28 (Wed)
 

  「満月」は「キッチン」(心のキューピーコーワ)の続編。

 えり子さんが気の狂った男に殺されてしまう。
 既に田辺家を出て自分の世界を生きていたみかげであったが、今度は大事な人を亡くした雄一の為に再度戻ってくる。
 もう以前と同じ世界を取り戻す事が出来ない場所で、互いの間に漂う喪失感や不安を恐れそこから逃がれようともがきながらも、光のある方向へ向おうとする2人の姿が描かれている。

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私はよしもとさんの衝撃のデビュー作「キッチン」よりも続編の「満月」の方が好きというひねもんだ。
 「キッチン」は愛する者を無くした喪失感を癒す物語だったけど、「満月」は愛する者を無くした者がその「喪失感」潰されそうになりながらも生きていこうとする再生物語といえる。
 
 この物語においてえり子さんという存在は偉大すぎて、その輝きが喪われた時の喪失感が痛い。
 架空の人物のはずなのにその「喪失感」が私の心にも響いた。
 でもみかげと雄一がなんとか明るい方へ明るい方へとはうように生きる姿が愛おしい。
 
 この作品で一番印象に残ったのが次の言葉である。
 「世界は別に私のためにあるわけじゃない。~自分では決められない。だから他のことはきっぱりと、むちゃくちゃ明るくした方がいい、って。」
 これは首がもげそうになる位同意する。
 自分を巻く世界が容易に変えられないのなら、自分のいる世界は明るく生きて創り上げたいと私も思う。
 でもそう思えるようになったのは苦しみの闇の深さにうんざりし、明るさの持つ救いを知り開き直れたからだ。
 
 この作品は「食べ物」に関する描写がよく出てくる。
 みかげ自身は料理研究家でありそれに関わるシーンや、みかげが作った大量のごちそうを2人は食べまくり飲みまくるシーンが出てくる。
 食べ物に関するシーンは暗いトーンの中で力強さを感じさせる。
 そういう描写を読んでいると生きることはつまる所食べることだなと思った。食べるという行為に生命が宿っているのだと感じる。
みかげも雄一もその生命感によって支えられる。

 ラスト辺りでみかげが「めぐり会いのようなすごい美味しいカツ丼」を食べる。
 そしてそのカツ丼を持って失われそうな雄一との繋がりの糸を手繰り寄せようと会いに行く。
 雄一君がみかげに言ったセリフ。
 「こんなカツ丼は生涯もう食う事はないだろう。・・・・・大変、おいしかった」
 このシーンを読んで
 「ああ、カツ丼が食べたい!!!」 
 と心底思ってカツ丼食べに行った。普通に美味しかった。
 
 五感に訴える物語は凄いと思う。
  

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| よしもとばなな | COM(4) | TB(0) |
2009-10-25 (Sun)
   

  カメラマンの島津と、その妻ヨーコ。繊細であるがゆえに、時にエキセントリックな行動に走りがちなヨーコに翻弄されながらも、島津は彼女を愛し続けていく。写真家・荒木経惟のフォトエッセイを原作に、異能の才人・竹中直人が監督・主演したノスタルジックなヒューマン・ドラマ。
東京の裏路地といった日常的場所を魅力的にとらえる撮影、また夫婦の住む部屋など、細部にまでこだわりきった美術や小道具、ささいな日常の音もにがさない録音、初めて映画音楽を担当する大貫妙子のささやかなメロディと音色の妙など、優れたスタッフワークにも支えられ、これが3本目の監督となった竹中演出も冴えわたる。ヨーコ役の中山美穂が、これまでにない大人の女性を熱演し、新境地を開拓しているのも特筆すべき点だろう。ーAmazonより




 この作品は竹中直人さんが監督と演出を務めていらっしゃる。
 最初の監督作品である「無能の人」を見た時も思ったけど、
 「すげえやー」
 と才能に脱帽である。

 下敷きは天才アラーキーこと荒木経惟と亡き妻陽子さんの日常が綴られたフォトエッセイ「東京日和」だがお二人の再現物語ではなく、それをなぞらえて全く別物語にしている。
 荒木さんとはまた違った色合いの「センチメンタル」さで作品を織り上げている。
 荒木さんの「センチメンタル」が「情」なら、竹中さんの「センチメンタル」は「ヒューマン」という感じかな。
 後、竹中さんの演技の素晴さは言うまでもないが、ミポリン(死語か。。。)こと中山美穂さんの透明感のある存在感が素晴らしい。演技って演じるだけではなく存在感も演技なんだなと思わせる。

 基本的に愛し合う夫婦の何気ない日常や旅先での出来事がただただ綴られていく映画である。 劇的な展開もドラマチックな流れも無い。
 でも確かにそこには「何か」があるのだ。
 それが何かと問われたら残念ながら今の私では的確には答えられない。でもこの映画には見る者を捕らえて離さない魅力が宿っている。
 私は見ながら泣いていた。
 生きることはすなわち何かを誰か愛することであり、そしてやはりそれは素晴らしいと思って泣けた。

 この映画を見て凄く感じたのは「何があっても空は青い」でも書いたけど、誰かを愛するって結局の所「別れ」も含むんだなと。それを切り離して愛することはならないと思った。
 愛しあった時間だけを抱き続けるのではなく、いつか来てしまう「別れ」による喪失も孤独も受け入れていくことが「愛する」ことなのかなあ~と未熟者の私は思うてみる。

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| 映画 | COM(5) | TB(0) |
2009-10-24 (Sat)
   

 臨床心理学者の河合隼雄先生と作家小川洋子先生が、お互いの心の赴くままに語り合った対談集。
 河合先生が倒れられる直前に実現された対談。


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 今回は河合隼雄先生語りになりまする。

 常々思っていたが、能力というもので一番あったらナイスな才能は「センス」だと思う。
 頭の良さより、コミニュケーション能力よりも、センスって大事だなと思う。
 河合先生の著書を読んだ時それを強く痛感した。

 心理学関連の本は一時期かなり読んでいた。
 たかびーなものもあったし、ふむふむというのもあったし、なるほどなあと思うのもあった。
 でもその中でも河合先生の著書は色合いが違っていた。
 アプローチの仕方が多くの心理学者と全然違いそのやり方は王道ではなくむしろ変化球なんだろうけど、何故かそれが人にとってというか物事にとって一番しっくり来る方法論だったりする。
 そういうのは頭の良さという引き出しから引っ張りだすものではなく、直感的に汲み取る能力だと思っている。
 センスというのは要は物事の最適な部分を的確掴み取る能力だと思うけど、特にカウンセリングのような場では患者にとって得がたい能力だと思う。
 この本をよんでつくづく思った。 

 残念ながら河合先生はお亡くなりになっているがご存命であれば間違いなく、
「日本一の聞き上手」
 だったと思う。
 私自身カウンセリングを受けていたけど、良いカウンセラーはどれだけ患者さんの良い触媒になれるかだと個人的には思っている。
 もう外見から失礼ながら「好々爺」という感じで私ならお会いした瞬間に自分の人生大河物語を語ってしまいそうである。
 
 一番印象深かったのが、
 「一般には処置なしなどという烙印を押されて来る人もいる。治療者と二人で苦闘を続ける。しかし、その解決の重要な要素として「偶然」ということがあるのを認めざるを得ない。それは「内的必然」とさえ呼びたいのが実感であるが、外から見る限り「偶然」としか呼びようのない「うまい」ことが起こる。不思議としか言いようがないし、また「当然」とも呼びたいことが起こる」-(抜粋要約)
 
 河合先生は偶然や上手いことは患者さんの内部から起こってくる、どんな深い絶望の沼に落ちた人間でも、自ら立ち上がる力を必ず持っているという信念をお持ちだったようである。
 その言葉は今の私にとっては救いのある言葉である。
 結局の所、 光は自分の内部にあるという事なのかもしれない。
 
 早くその光を拝ませて欲しい!(^人^)

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| か行の作家その他 | COM(8) | TB(0) |
2009-10-21 (Wed)
 

 渡部はもうじき40歳を迎えようとしていた。
 愛する妻子がいるが、もう男と見られず「おやじ」としか見られない事にあせりと諦めを抱いていた。
 だがそんな日々に変化が訪れる。派遣社員としてやってきた秋葉という女性にときめきを感じる。
 「不倫する奴なんて馬鹿」だと思っていた彼だが、どんどん超えるべきではないハードルを超えて行くうちに深みにはまって行く。。。。。
 だがある時その不倫の旅路に一旦ブレーキがかかる出来事にを聞かされる。
 15年前に秋葉が16歳の時に自宅で父親の秘書が何者かによって殺され、警察は強盗殺人事件として捜査するが結局犯人は未だに捕まっていない。
 当時の担当刑事も被害者の妹も秋葉が犯人だと主張する。
 そしてもうじき事件は時効を迎えようとしていた。


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 東野圭吾さんの作品は久しぶりに読んだ。
 ケチなので本は専ら図書館で調達してくる。彼は人気作家なので本が手に入れにくく、この本も発売から何周目も遅れてやっとありつけた。

 だから私は忘れていたのだ東野圭吾さんがサービス精神豊かな作家だという事を。
 東野先生ごめんなさい(最近謝ってばっかりであるが。。。)。
 途中までは単なる中年おやじの不倫小説だと思っていた。

 人生の転換期に差し掛かった不倫をする中年男性の心理描写がとても良く書けている。
 主人公の渡部は男のズルさというか馬鹿さというかそういうものをたっぷり持っている。
 その時の勢いで愛人の秋葉に無理な約束等をしてカッコつけるし、でも家庭は壊したくないと思って一生懸命嘘をついたりアリバイ工作をする。そういった家族と愛人の間で苦悩する悲喜こもごもの姿が綴られている。 
 「ああ、男って馬鹿だなあ」(男性の方すいません)
 と、ポテトチップスのコンソメ味をバリバリ咀嚼しながら、文句のちゃちを入れながら読んでいた。

 渡部が幸福な家庭に安らぎを感じながらも、もう妻を女として見れない事に虚しさを感じる。
 家族となった妻はかつて自分が愛した女性とは違うとのたまい、恋愛がしたいと願う。
 「ああ、勝手だな」 
 と、コンソメ味をバリバリ咀嚼しながら呟いた。
 こういう話がラストまで続くのだと思っていたので、面白くないことはないけどインパクトに欠けるなあと思っていた。

 ところがラスト辺りで趣が変わる。
 単なる不倫物語ではなくもう一つの柱として時効間近の殺人事件を絡めていたが、それでも付け合せ程度と思っていた。
 時効を迎えた時に15年前の事件の真相が秋葉本人から語られる。
 その真相に驚いた。
 「こういうオチを持ってきたか」 
 と。
 その意外性に、
 「やっぱり東野さんだ」
 と本を前に平伏しそうになった。
 多分このオチは殺人事件を主軸にして書かれていたらそんなに際立たなかったのではないだろうか。
 中年おやじの不倫小説という大河の最後の流れでひょっこり顔を出したからこそ活きたのだと思う。
 この方は本当にサービス精神豊かである。読者を楽しませる驚かせる仕掛けをおこたらない、心意気を忘れない。
 だからこその人気作家なんだと改めて思う。


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| 東野圭吾 | COM(6) | TB(0) |
2009-10-18 (Sun)
 Amazonのアフェリエイトはアフェリが目的ではなく、あくまでもブログの記事に花を添えるのが目的でした。
 その為画面の売り上げの所はいつもスルーだったのですが、たまたま見たらなんと私のブログから本を2冊も買ってくれている方がいらっしゃいました。
 御礼が遅くなりまして申し訳ございませんが、ありがとうございます
 買って下さった方がどちらの方角に住んでいらっしゃるかはわからないのですが、手を合わさせて頂きます。
 
 どうか光が訪れますように!!!!(^人^)
 

  それとブログランキングの順位が上がってきました。
  FC2の方はかなり落ちていたのですがボチボチ上がってきております。
  ブログ村は今の所なんとか10位内をキープしております。
  皆様ありがとうございます
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| ヒトリゴト | COM(7) | TB(0) |
2009-10-17 (Sat)
   

 手毬は幼い頃は確かに幸福な世界にいた。
 可愛らしい少女は家族に愛され隣人の初恋の少年もいて、彼女の世界には幸福のみが存在していた。
 それが壊れるのはそれまで姉と呼んでいた女性が母親だと知らされ、彼女と共に暮らすようになってから。母親は常に「女性」であり、自分本位の女性であった。
 突然手毬は幸福から弾き出された世界で生きていく事になる。。。。。
 
 手毬という1人の女性を7歳から10年ごとに67歳までを本人や彼女の家族が視点となり、運命に流されながらもその流れにあがらうよりしなやかに流され生きた女性の半世紀。 


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 山本文緒さんのタイトルの付け方は、
 「たいへんよく出来ました」 
 というスタンプを押したくなる位ツボに入るものが多い。
 それはセンスが良いというより、的を得たタイトルという言い方がふさわしいかもしれない。
 この作品を読み終えた時「落花流水」というタイトルがとても心に響いたのを憶えている。

 この作品は山本さんの数々の作品の中でも趣が違う。
 山本さんの記事で何度も書いているけど、芥川賞受賞前の作風は女性特有のこりとかあくを映し取るものが多かったけど、今回の作品はそういう枠から外れて人間の「生」の営みというかそういうものを感じさせる仕上がりになっている。

 主人公の手毬は幸福な世界から弾き出され居心地の悪い世界と折り合いをつける為に、自分の気持ちを隠し他人の顔色を伺う術を身に付けていく。
 この作品が面白いのは綴られる手毬の流転の人生が終息に向うに連れ、そういうものから彼女が自由になっていく所である。
 少女期~中年期辺りの手毬は面白味がない女性だと思っている。
 「あんまりお友達になりたくないなあ」  
 と思う。
 真面目で優しい女性だが、それは今いる世界と仲良くやっていく為に塗りたくった仮面であった。
 そんな彼女が幼い頃の初恋の男性と自分の家庭を捨てて駆け落ちした辺りからぐっと自分に素直に生きる。
 「いい人」ではなく自分のことしか考えていない潔さにとても魅力を感じる。
 それから自由になった手毬は本当に魅力的である。
 周囲に迷惑をかけた自分が罰を受けるべき人間とわかっていても彼女は後悔はしていない。 
 読み進む内にだんだんと、 
 「お友達になってみたい」 
 と思うようになった。

 晩年は色んな事情から手毬はひとりきりになってしまう。
 でも彼女は強がりではなく、毎日何故か穏やかな幸福感に浸っている。
 それは手毬が自分に正直に生きたからだろう。
 「悲しい時はその理由を考えるが、幸福なのに理由を考える必要はなかった」
 そりゃそうだ、幸福が存在しているのではなく、そう思う気持ちが幸福なのだ。

 ああ、手毬を見習いたい。 

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| 山本文緒 | COM(4) | TB(0) |
2009-10-14 (Wed)
 

 時はバブル絶頂期、文彦と永遠子も「結婚式」を挙げ幸せの絶頂にいた。
 文彦は広告代理店に勤務するやり手の社員。美貌の永遠子は希望の祝福されての寿退社をし専業主婦になるつもりであった。
 新居となる中古マンションも購入して、芸能人が式を挙げた有名な教会での挙式。
 時間と手間をかけて何もかも吟味し尽し最高の日になるはずであった。

 そのはずであったが、結婚式当日に思わぬことが起こる。文彦が捨てた女性が永遠子の前で手首を切ってしまう。
 なんとか無事に式を終え新婚旅行へ行くが結局その事がしこりとなり、険悪なムードのまま二人は成田離婚を考える。
 だが戻る場所は失われてしまい二人はそのまま暮らしていくが。。。

 二人の男女の10年の結婚生活を、時代の流れと出来事とを鏡にして書かれた物語 


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 唯川恵さんの本は60cm×90cmの四段仕様の本棚の一列分は埋まる位は読んでいる。
 が、私ははそのほとんどの内容を憶えていない。
 「それはアンタの脳みその問題だろう」 
 と言われたらそうかもしれないが、でも同じ少女小説家出身の山本文緒さんの作品もたくさん読んでいるけどちゃんと内容を憶えているのである。

 唯川先生ごめんなさい。
 先んず謝ってしまうが、唯川さんの作品は私にとっては残らないものが多いのである。
 間違いなく面白いのだけど作品が重力を持たないというか、消費だけで終わってしまうものが多かった。
 唯一印象深く残っているのがこの「ベター・ハーフ」である。

 おとぎ話であれば王子様とお姫様が結婚してめでたし、めでたしで終わるが、これはその続きの物語という感じである。
 王子様とお姫様もいつまでも夢の中にいられない。夢から醒めたら現実が待っている。

 文彦も永遠子もたくさん恋もし、たくさん遊んで独身生活を謳歌する。
 そしてお互いこの相手ならと思い結婚したが文中の言葉にあるように「結婚生活で出会うさまざまな厄介、煩雑、責任というボールが容赦なく飛んでくる」為にそれに振り回され相手を見失う事がある。
 当たり前だけど結婚前に思い描いた通りに事は進まない。思わぬ相手の性格や出来事に遭遇しては、
 「こんなはずではなかった」
 と呟いてしまうことになる。

 そういった結婚生活の「本性」が赤裸々に綴られているのが面白い。
 コーヒーなら砂糖もミルクも抜きのブラックという味わいである。
 この作品はバブル絶頂期からその後の崩壊、世紀末と時代の出来事を二人の結婚生活に色濃く反映していて、その味わいに更に「こく」を深めている。
 
 二人はよく喧嘩もし何度か離婚についても語るが結局は離婚せず共に暮らし続ける。
 「あんたら、よう別れんわ~」と読んでいておばちゃん気分で突っ込みを入れたくなる。
 でもそれを解説者の言葉にあるように唯川さんは「夫婦の絆」や「人情」という括りだけで片付けるのではなく、タイミングの問題であったり、利己的な理由であったりと多分実際の家庭でもお邪魔してそうな実情で書かれている部分にリアリティを感じた。

 最初は精神的には大人になりきれていない自己中心の二人が、飛んできた様々なボール打ちを返していくうちに少しずつ成長し、伴侶や自分以外の他人への思いやりを育む「大人の成長物語」でもあるのがこの作品を面白いだけではなく深くしている。

 結婚生活というのは終わりのない物語だよなあ~と締めてみる。

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| 唯川恵 | COM(11) | TB(0) |
2009-10-11 (Sun)
 

 小川洋子原作の同名小説を映画化。タイトルどおり数学の「数式」が登場するのだが、できあがった映画は“理系”よりも“文系”の印象。全編に、メランコリックで心地よい空気感が漂っている。交通事故の後遺症で、80分しか記憶が持たない博士の元に、新しい家政婦がやって来る。やがて彼女の息子も訪ねて来るようになり、博士は息子の頭の形から彼をルート(√)と呼び、3人の絆は深まっていく。
物語は、成長して数学教師になったルートが、授業で教えるシーンと並行して進んでいく。「素数」「完全数」といった数学嫌いの人には頭が痛くなる単語も、博士のシンプルな説明で、すんなり耳に入ってくるから不思議。それは大人になったルートの授業でも同じで、演じる吉岡秀隆の真摯な教師ぶりに引き込まれるのだ。博士とルートのドラマには、阪神タイガースなどのネタを効果的に使用。ドラマチックな何かを期待して観ると肩すかしを喰らうが、ほんのりと温かい後味は得られる。 Amazonより




 原作本と映画の幸福な結婚というのはあまり多くないと思う。
 でもこの作品は非常に原作本と映画の結婚の稀有な幸福例だと思う。
 原作者である小川さんも絶賛される仕上がりとなっている。

 この作品は原作本に上手く味付けを加味して原作本の良さを損なうことなく、また違う新しい世界を魅せている。
 原作においては色々な数式の説明が出てくるが、その幾つかの説明を映画においては先生となった√が生徒達に博士との思い出を語り聞かせる中で授業の一環のように説明している。
 おかげでわかり易いし、数式の説明が無理なく作品に溶け込んでいる。うまくやったもんだと感心した。 
 また原作本の中ではそれ程スポットが当たらない義理の姉が映画では結構クローズアップされている。それがほのぼのした世界観に一種のアクセントを与えている。上手く絡めたもんだと、これまた感心した。

 そしてやはり映像美が素晴らしい。
 こういう映像の力はやはり文字の世界でにはかなわないなと改めて思わせる、仕方ないけど。
 とくにDVDのパッケージにもなっている博士と家政婦の二人が散歩するシーンは自然の生の美しさというか、特にサクラのピンクが信じられない程美しい。
 おとぎ話のような感覚を味あわせてくれる。

 物語の世界というのはある種の生命を持つものだと思う。
 原作本の世界から映像の世界へと飛び立った時、物語にもう一つの生命が誕生したんだなと思わせてくれた。 原作本にはない新たに産声を上げたモチーフが作品世界の違う顔を見せ、広がらせている。 
 物語の持つ世界はでかい。
 
 良い仲人を見つけたられたなと思った。

 ちなみにこの原作本は私が大往生したら棺桶に入れて欲しい本である。
 記事はこちら→あの世へのお供

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| 映画 | COM(9) | TB(0) |
2009-10-10 (Sat)
  

 顔に手術や治療で治療出来ない傷やアザ、やけどを持った普通の顔を喪った方々。
 彼等には厳しい現実があり、その苦難をもがき苦しみながらも光のある方向へと生きようとする。
 そんな彼等が顔写真を公表しつらい過去を語り、何かしらを乗り越えた現在の思いを綴った物語。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 
 「人は顔じゃない!!!」
 という言葉は私のように容姿に自信のない人間からしたら、
 「おっしゃる通り!!!」 
 と合いの手を入れたくなる。
 勿論この言葉は一面は間違ってはいないと思う。
 でも、この本を読むとやはり外見は重要な要素だという厳しい現実を認識させられる。

 私が大人になってから使いにくい言葉が、
 「わかる」という言葉と「頑張って」という言葉の二つである。
 本当に共感出来る立場でなければ軽々しく「わかる」という言葉は使うべきではないと思うし、だいたいの人は皆頑張っていると思うので「頑張って」というのは言いにくい。
 改めてこの本を読んでこの二つの言葉の難しさを感じた。
 読んでいて共感出来る部分もあるがそれを簡単に「わかる」と思うのは想像力が欠けていると気がするし、頑張って前向きに生きる姿勢に「頑張ってほしい」と思うのはなんとなく気がひける。

 普通の顔を失うというのは想像以上のストレスである。社会生活を送る以上常に好奇な視線にさらされ続ける。
 親しくなれば顔の傷もあざとかも個性だと思うけど、そのカテゴリーに入る前段階のハードルが高くなる。
 好奇な視線も悪意よりもちょっとした好奇心というものが多いのだろうけど、だからこそつらいなあとやるせない。

  私が一番心に残ったのが、ラストに出てくる阿部佐織さんの話である。
  彼女は円形脱毛症だけど髪の毛だけではなく体中の体毛が生えていない。普段はカツラをされている。
  写真を見るとglobeのkeikoにも似た感じのキュートな女性である。
 「私は、髪の毛がないという事実を個性として受け入れることができたんだから。これからも、私はこの個性を大切に生きて生きたいと思う」 
 そう語る彼女はとても良い笑顔で写っているが、この本の出版前に自殺している。
 この言葉に嘘偽りはないと思う。
 でも彼女の明るさもこの言葉も自分を鼓舞する為でもあったんだろうなと思った。

 この本に出てくる彼等は一様に前向きである。何かを乗り越えたからこそ顔を出されたのだと思う。
 でも彼等には乗り越えなければならない現実があったからこその前向きさなのだと、前向きな言葉に潜む重い現実を感じた。
 人は苦難がなければ「前向きに生きる」と自分に言い聞かせたりはない。
 そう生きる事が幸福なのか不幸なのかは自分次第なのかなあと思ってみる。

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| ノンフィクション | COM(6) | TB(0) |
2009-10-07 (Wed)
 

 作家「森茉莉」。
 大文豪森鴎外の長女でお嬢様として恵まれた環境の中で育った少女時代。
 結婚して二人の息子をもうけるが夫との価値観の不一致で離婚して家を出る。
再婚するも「仙台には銀座も三越も無い」とのことでこれまた離婚する。
 「パッパ」こと森鴎外に愛しされ慈しまれた茉莉は晩年、貧乏でいながら自分流贅沢を営む1人暮らしの中で作家となり小説を書き続ける。
 その森茉莉の「贅沢貧乏のマリア」の人生を作家「群ようこ」が紐解いていく。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 
 私にとって「森茉莉」さんは作家板「食わず嫌い」の食材になる。
 食わず嫌いというのはなんとなく敵前逃亡をしているような気分だが、何かのきっかけがないと食べる気がしない。
 そんな私にとって真逆に食べまくっていた群よう子さんが「森茉莉」さんを題材にしたのがこの作品である。

 群さん自身が森茉莉のファンらしいが賛美するわけでもなく適度な距離を持ちながら、ご自身の話を鏡として森茉莉という女性をわかり易く映し出している。そのスタイルは森茉莉の熱烈ファンには物足りないだろうけど。

 森茉莉さんは他人より地上から10cmは浮いているような感覚の持ち主で、
 「困ったちゃんだけど憎めない人」
 という感じを受けた。
 ある部分が欠けていて、その分何かがある人なんだろうと思った。その妙なバランスの悪さ(あるいは良さ)が彼女の魅力なんだと思う。
 でもあくまでも「遠きにありて良き人」であり、実際付き合うのは大変だ。
 
 森茉莉さんの人生双六を読んで、この方って人生そのものが作品だよなあと思った。
 大文豪のお嬢様として幼き頃は女中に「顔を洗うお湯」と命じるような浮世離れしたような生活を送っていた女性が、晩年はゴミ屋敷(しかも地層が出来る位凄まじいゴミ部屋だったらしい)で自分の美意識のお城で1人で暮らすという落差はおとぎ話のようである。

 ふとそのおとぎ話の中で森茉莉という1人の女性はいつから「贅沢貧乏のマリア」になったんだろうかと思った。
 途中までは変わり者であったにしろやはり世間知らずのお嬢様だと思う。その彼女が本当に森茉莉個人を生き出したのは作家になってからではないだろうか。
 功績を残す人間は、運命というもがその人物に「これしかないという器」を用意しているものだと思う。
 森茉莉にとってその器は作家という生業であり、その器を飾るアイテムのとして、大文豪の長女、結婚、貧乏、ゴミ屋敷等があったのだという気さえしてくる。
 
 余談だけど某ブログに載っていた森茉莉の言葉として、
「わたしは死ぬ時、誰も気がつかずポストに新聞がいっぱいたまっていて、おやッと思ってあけたら死んでいた、そういう死に方がしたい」 
とあるが、見事限りなくその状況に近い死に方をしているのだからあっぱれ!!!である。

 そろそろ敵前逃亡を止めて、作家「森茉莉」を食べてみようかなと思う。

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| 群ようこ | COM(3) | TB(0) |
2009-10-03 (Sat)
 

色々な「家族」の話を柳美里さんが処理をほどこした標本集。

 「ある結婚式」
 Nは十数年振りに田舎へ戻る、それは異母妹の結婚式へ出席する為に。
 「どうしてもお兄さんに出席して頂きたいんです」
 と電話に出た時は声すら覚えていなかった異母妹の為に、そういう事をする自分にとまどいつつも彼は新しい靴を買い、髭もそり結婚式へ臨む。


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 『標本』
 「生物学・医学・鉱物学などで研究用または教育用とするため、個体またはその一部に適当な処理をほどこしたもの」ー(広辞苑より抜粋)

 「標本」という言葉に「家族」という言葉がプラスされたらそれは「うーむ」というブラックさがあり、あるいは「なるほど」という奇妙な納得感を感じる。
 このタイトルを見た時「商売上手。。。」という下世話な感想を抱いたのを憶えている。

 この作品には柳さんの身近な数々の「家族」の話がだいたい3~4Pでまとめられており、的確な抑えられた描写が「家族」の持つ様々な光陰の感情を浮かび上がらせている。
 これだけ色んな「家族」の話があると「家政婦は見た!!」のような覗き見的な感覚が味わえて面白い。

 「家族って何だろう?」 
  と読みながら哲学をしていた。
 柳さん曰く「不可思議な小宇宙」という言葉に座布団一枚あげたいと思う。
 本当に不可思議だ。
 こんな事を考え出すと終わりのない宿題をやっている気分になる。

  この作品にも述べられているけど柳さんのご一家はかなり以前に一家離散されている。
 父親がもう一度家族の絆を取り戻すために恐らく立てても誰も住むことのない「新しい家」を建設するが、それを父親を除く家族全員がシニカルな目線で捉えている。

 初期の頃の柳さんはとにかくよく「家族」をテーマにして作品を書かれていた。
 この作品だけではなく柳さんが自分の家族について書かれている時は、いつも冷めたようなというか皮肉な目線や言葉が多い。
 でもそれでいながら私が文章からいつも感じていたのは妙に体温のある感情であった。
 傍から見たら崩壊している家庭なのだろうけど、それでも何故か外見は取り付くっていても中身のない家族よりは家族っぽいなあと思うこともしばしば。 
  
 彼女が「家族」をテーマに繰り返し作品を書いていたのは勿論書きやすい身近なテーマだというのもあるだろう。 「好きの反対は無関心」といわれている。
 それならこれ程射程距離内に「家族」を抱えている柳さんは、剥がしきれない「家族」への思いを抱いていたんだろうなと思う。
 その感情が憎しみであったとしても無関心よりは重みのある「思い」のはずだから。

 柳さんの作品は独特の味付けが過ぎる所がある。それ故時々食べにくい味もあるが、この作品は割とあっさりテイストなので後味は悪くないと思う。

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| 柳 美里 | COM(3) | TB(0) |
2009-10-02 (Fri)
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 ありがとうございます。

 今年の三月頃に初めて中々訪問者が無かったりして、色々悩んでは途中で辞めようと思う事もありましたが続けてきて良かったです。
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| ヒトリゴト | COM(14) | TB(0) |
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