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2009-09-30 (Wed)


 私立探偵だった夫の下澤貴之が突然失踪した。
 事故なのか事件なのか何の手かがりも見つけられないまま下澤唯は夫の跡を継ぎ私立探偵となる。十数年以上様々な事件に関わりながら貴之の行方を捜す日々にやがて転機が訪れる。
 偶然貴之の姿を見かけ、その関係者を辿っている内にどうやら彼はなんらかの事件に巻き込まれ逃亡している事を知る。
 そして夫貴之には一緒に逃亡している女性がおり、そしてその女性との間に娘をもうけている事実に出会ってしまう。
 それでも貴之に会うために唯は彼を捜し求め遂に後一歩の所まで手繰り寄せる。。。。


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 この「回転木馬」は「観覧車」という作品の続編である。
 前作が私立探偵となった唯とその関わった事件が主軸であったのに対して、こちらは大本命の失踪した夫貴之の関わりが主軸になっている(この「回転木馬」だけでも独立した話になっている)。
 
「私、待つわ~、いつまでも待つわ~♪」と歌ったのは『あみん』だけど、男性歌手で「僕は待つよ~♪」と歌ったのは聞いたことは個人的にない。
 やはり待つのは女性ならではなのか。

 主人公の唯は能動的に「待つ」女性ではない。夫の跡を引き継ぎ私立探偵をしながら夫を十数年以上探す。でも心の中では夫が戻ってくるのを「待つ」女性でもある。
 だから女性はこの作品を読んで染み入る部分があると思う。ただ男性は共感しにくい作品かもしれない。男の人は現実を選び取ると思うので、ここまで女性を待ち続けたりしないと思うから。

 夫が生きており、そしてある女性と逃亡している事実を掴む。すなわち夫が生きているということはなんらかの形で自分を裏切っているのだとわかっていてもそれでも唯は探し続ける。
 それは「逢いたいんです」という思いだけでを歩き続けたのである。彼女がひたすら貴之の面影を追うストーリーは胸に切なく迫ってくる。
 でも読んでいて文中の言葉にもある通り彼女は幸福ではないだろうけど、不幸というのも違う気がしてくる。
 何故ならそこまでして会いたいと思える「相手」が唯にはいるのだから。

 ただ若干ネタばれになるが唯の夫の貴之は結果的に唯を裏切った形にはなるが、愛情自体は裏切ってはいないのである。
 彼が何もかもわかった時は後戻り出来ない状況が出来上がってしまっていた。
 ある事件に巻き込まれてしまいどうしようもない運命の流れの中彼なりに懸命ではあったのだ。

 お互いに愛情を持ちながらも抗いがたい運命にもまれてしまう二人が哀しい。

 唯は貴之をあきらめたらきっと楽だっただろうなと思う。
 あきらめないというのは結構しんどいもんである。私自身「あきらめない」ことがこんなにもしんどいものとは思わなかった。
 あきらめたくない事に出会って初めてあきらめないことのつらさを感じている。
 それまでは割と簡単にあきらめていたのでわからなかった。

 だから文中のこの言葉は心に赤チンを塗ってもらった気がする。
 「もしかしたら明日、いや、今日にでも、あなたの人生に差し込むかもしれない光を、わたしは信じたいと思います」
 「あきらめない」ことに悩み続けながらも、その光を私も待ってみようかなと思う。

 唯の「待ち」続ける人生に光が差し込むラストシーンにホッとした。

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| 柴田よしき | COM(4) | TB(0) |
2009-09-27 (Sun)
 
 この度本の整理をしていたら映画「さよなら銀河鉄道999」のフィルムコミック本が出て来た。
 懐かしさのあまり読み直した。

 「銀河鉄道999」。。。。

 この言葉はある年代にとっては堪らない懐かしさを感じると思う。私はまんまストライクゾーンである。
 「銀河鉄道999」という言葉でご飯三杯はお代わり出来る。

 これは題字通りの「銀河鉄道999」のラストムービーになる。
 改めて読んだけど面白いしそして泣けるのである。もう30年近く前の作品だけど全然古さを感じさせないというのが驚きである。
 子供でなくなった、もう大人になったしまった今の自分が読むとシビレを伴うような郷愁を感じる。

 テレビではごく普通の顔の鉄郎が映画ではイケメンになるのはお約束だと思うけど、子供時代はほぼ同年代だったので同級生の感覚で共感しながら見ていたけど、今はすっかりお姉さん(という言葉がまだ許されるか。。。)なので保護者というか見守るべき立場というかそういう目線で見てしまうのがおかしい。

 この作品で初めて鉄郎の父親が出てくる。母親は何度も作品に反映されていたけど父親は皆無であった。
 結局鉄郎は敵として現れた黒騎士を実の父親とは知らないまま戦いそして勝利する。
 ラストにこんな隠し玉を用意していたのが心憎い。
 メーテルとは結局別れる事になる。
 子供の頃はそれが凄く納得出来なかったのだけど、今こうして読み返すとこれで良かったんだなと思えるのが年を取った証拠なのか。

 そしてラストに映画シーンに残る名セリフが輝く。

 「そして 少年は大人になる」

 ラスト読み終えて「参った」と本当に思った。ラストの一滴まで味あわせてくれる。
 そうだ、そうだ、時は流れて帰っては来ない。
 素晴らしすぎるファイナルシーン。 

 子供心にレールを走らず、空という宇宙を走るという列車にロマンを感じていた。「あの列車に乗って見たい」と思った子供は数知れずだろう。
 そしてメーテル。多分子供心に初めて見た「キレイなお姉さん」だったと思う。男の子でメーテルがメーテルが嫌いだという男性にあった事がない。

 読みながら当時の懐かしい思い出が幾つも蘇ってきた。

 子供の頃によく遊んだおもちゃ箱を見つけた気分だった。


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| 未分類 | COM(14) | TB(0) |
2009-09-26 (Sat)
 

 「借金女王」「プチ整形」「デリヘル」と様々な形容詞をお持ちのあの中村うさぎさんが読者より寄せられたお悩みに真摯に答え、解説者曰く「比類なき人生のテキスト」と言わせしめた人生相談集。


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  若い時は悩むのがお仕事とは言え、昔の私は風が吹いても悩むという位悩みすぎる人間であった。
  そんな私が悩み事の集大成とも言うべき人生相談の本を見逃したりはしない。
  人生相談の本を読んでは他人様の悩み事をつまみに「自分自身の悩みを解決する鍵」を探していた。

 そんな私があの中村うさぎさんの人生相談集であるこの本を読んだ時、相談者の心のひだに即した数々のアドバイスにひれ伏してしまった。

 中村うさぎさんといえば、
 「ああ、あの痛い人」(すんません、うさぎさん) 
という感想をもたれる方が多いと思う。かくいう私もその1人であった。
 だけどこの本は今まで読んできた人生相談集の中でも群を抜く超現実的なアドバイスで驚いた。
 彼女に対する見方が180度変化した。

 たいてい悩みのアドバイスというのは活入れ型、ポジティブにまとめる型、みのもんたのように話聞くだけで「結局何の解決策も言っていないじゃん」型のように使えるのか使えないのかわからないもの少なくない。
 でもうさぎさんのアドバイスはとにかく実践的なものばかりであった。 

 特に私がシビレたのが不要分のゴミを捨てられないA子さんの相談事である。
 その女性はもともとは整理整頓される方であったが、30代で会社をリストラされたり、恋人に振られたりしてしまい、その「捨てられた自分」をゴミに自分を投影して捨てられないという悩みであった。
 中村うさぎさんは言う
『「整理好きなA子さん」がゴミが捨てられないという変化は古い自分からの変化。
 それまでにないささいな変化こそが人生の転機の小さなサイン。
 自分の中で確実に起こっているゴミが捨てられなくなったという新しい変化は今のあなたにそれが必要なのだから当分ゴミに囲まれ暮らしなさい。ゴミが増えても人は死にません。
 今までにない自分が現れたのなら新しい自分に好きなようにやらせなさい。そこで発見したことが次ぎへのステップになる。
 おめでとうA子さん、あなたの人生の転機を心から祝福します』(以上要約) 


うさぎさんのアドバイスが正しいかどうかはわからない。ゴミを捨てられない事が人生の転機というのはオーバーだと思う人もいると思う。
 でもうさぎさんも書いてらっしゃる通り人生の転機というのは劇的なものやピンチに遭遇するだけではなく、日常のごくささやかな気持ちの変化の中に小さな小さなサインが潜めている場合もあるはずである。
 
 この本を読むまで中村うさぎさんというのは何もわかっていないで単にバカをやっている人だと思っていた。
 そうではなくてこの人は世の中の仕組みをちゃんと知ってバカをやっている人なんだと思った。

 何もわからなくてバカをやる人と、何もかもわかっていてバカをやる人はどっちが不幸なのかなとふと考えた。  

 例えどちらもだとしても、それでもうさぎさんは自分の選んだ生き方に自分に対して責任を持つ方だろうなと思う。

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| 中村うさぎ | COM(6) | TB(0) |
2009-09-23 (Wed)
 

 「LAST」をテーマにした7つの作品集。

 「ラストホーム」
 渋井聡の転落の始まりは何度目かになる職を辞めたことであった。
 すぐに仕事がみつかると高をくくっていたが、不景気と40歳になった何の特技も職歴も持たない聡は仕事にありつけなかった。
 貯金もなく家賃を払えない彼はあれよあれよというまにホームレス暮らしとなる。
 フリというあだ名をつけられ、雑誌拾いの仕事をしながら、お山の仲間と共に生きる日々はそれまでにない価値観を聡は見つけていく。。。。。
 だがやはりお山にも「厳しい現実」があった。


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 石田さんの作品は私にとってはくじ引きにも似た感覚を味わえる。
 当たるか外れるかという作品が多いので、当たりを引いた時は「ラッキー」と小粒に喜ぶ。
 この作品集はまあまあ当たりの部類であった。
 
 この「ラストホーム」はこの作品集の中でも地味な作品である。正直この作品よりも面白いものがあるし、考えさせられる作品もある。
 でも私は一番この作品が好きである。
 主人公は一般のものさしで言えばホームレスとなった事により転落するのだが、彼は転落したはずの生活にそれまでの生活で得た事のない安らぎを得る。

 世の中となかなか仲良く出来なかった主人公はいつもひとりだった。
 それが共に暮らす仲間を見つけ、初めて自分の居場所を持てたことを彼は純粋に喜び現状に満足しているのである。
 その「喜び」がほのかにじんわり伝わって来てくる。
 「幸せって何だっけ?~何だっけ?~♪」
 と読んでいて懐かしいフレーズを思い出した。

 ただホームレスとなった彼等は様々な事情で家族を社会生活を捨てている。
 それでいながらその生活を楽しんでいるというのはどこかボタンの掛け違いのような間違いもを感じる。
 でも、
 「間違っていても幸せならそれでいいじゃん」
 と言われたら、
 「おっしゃるとおり」  
 と退散するしかない。
 どんな形であるにせよ、それが自分なりの幸せの形ならそれでいいんだろうとは思う。
 
  
 この「LAST」をテーマにした作品を読んでいてふと「自分のLASTは何だろう」と思った。
 私にとっては『LAST DAY』になる。

 心の病の苦悩から解放されて心が自由になる日の「LAST DAY」。
 苦しさに負けていつかあの空の向こうへ逝きたくなるかもしれない日の「LAST DAY」。

 私の人生の双六のマスはどちらの「LAST DAY」になるか、サイコロは慎重に転がしたい気分である。

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| 石田衣良 | COM(7) | TB(0) |
2009-09-20 (Sun)
   

オーグスト(ニック・ノルティ)とミケーラ(スーザン・サランドン)のひとり息子ロレンツォが難病の副腎白質筋ジストロフィーに冒されてしまった。専門医(ピーター・ユスチノフ)にも見放されたわが子の命を救うため、夫婦は何の医学的知識も持たないにもかかわらず必死の努力の末、ついに新薬“ロレンツォのオイル”を生み出していく…。
医学生出身で「マッドマックス」シリーズで知られるジョージ・ミラー監督が、この衝撃と感動の実話を映画化。いわゆる難病映画にありがちなお涙頂戴的な要素は薄く、むしろ病気に向かって闘い続ける夫婦の闘争本能のドラマとでもいうべき、異様なまでの迫力に満ちた秀作である。夫婦役の二大名優の、これがベストともたとえたくなる熱演にも拍手したい。-Amazonより



 
 この映画が「事実」の原石で創られている作品ということで、数々のエピソードが「事実の重み」という後光を持っている。

 ロレンツォが患うことになった難病は遺伝病の一種で男の子だけがなる病気である。だいたい5歳前後に発病して例外なく2年以内に悲惨な死を遂げてしまう。
 当然ご夫婦は絶望し悲嘆にくれる。
 凄いのはあらゆる治療法を探したり祈ったりと様々な手立てを尽くしはすると思うが、まず普通は「探し求める」というレールの上を走る。
 でも彼等は自分達が治療薬を生み出すという「レールを作り出す」為に立ち向かっていくのである。
 
 このご夫婦は医学博士でもなんでもないのである。ご主人は銀行員で奥さんは専業主婦。
 全く医学知識に縁もゆかりもないお二方が愛する息子の為に新薬を研究し遂には生み出すというのは魔法のようなおとぎ話だが、くどいようだけど実話というのが驚きすぎる。

 この映画を見て改めて思ったのは、
 「強い願いや思いは現実世界を変えていく」 
 のだと思った。
 数々の困難がありながらもあきらめず前進する彼等には、世界がまるで手助けするかのように突破口がやってくる。
 「あきらめない」ことは決して容易いことではない。現実の困難さにそれを手放したくなる方が多いだろう。
 でも「愛する息子の命を救う」為に彼等は希望を捨てない。
 信念こそが困難を乗り越えていく為の糧なんだろうなと思う。
  
 ただただ感動するだけでもないのも事実である。
 母親がとにかく子供を守るという強固な意志を持って、介護人を次々首にしたり、妹ともめたり、患者会の人間と衝突する辺りは狂気と紙一重の親のエゴとも呼べなくはない。 
 おまけにこの病気は症状が激烈で子役の熱演もあって見ていて正直「生きてて欲しい」と願うのは酷だなと思う部分があった。
 結果的には治療薬を生み出すという着地点でそれらはチャラになるけど。
 勿論子供を愛するが故というのは理解しているが、どこまでが親のエゴで、どこまでが子への思いなのかその線引きは難しい。

 ロレンッオのオイルとロレンツォ君の後日談だけど、ラストではロレンッオのオイルによって救われた子供たちがたくさん笑顔で登場する。
 こういうラストを見ると奇跡の万能薬のように思われるがそうではないようである。
 このオイルの効き目がない患者もあり、それ故ご夫婦は一時期苦しい立場に立たされたようでもある。
 ただ勿論全く効き目のないものでもなく、それは数年前に立証されている。
 特に発症前に飲めば効果があるそうだ。

 ロレンツォ君は治療薬の投与が遅かったので完全治癒には至らなかったが、後2年の命と言われながらも30歳まで生きられたそうである。
 その事実に涙した。

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| 映画 | COM(10) | TB(0) |
2009-09-19 (Sat)
   

 作家「小海鳴海」こと生方景子は「残虐記」という手記を残して失踪してしまう。
 それは25年前に当時小学4年生の景子がケンジという男に誘拐、監禁され、暗くて狭いアパートで一年間暮らした日々と、解放後の大事な何かが損なわれてしまったその後の人生について綴られたものであった。

 最近出所してきた犯人からの手紙に書かれていた「ゆるしてくれなくてもいいです。私も先生をゆるさないと思います」という言葉が鍵となり彼女の押し込めてきた記憶が溢れ出した。

 閉じ込められた一年間、加害者の若い男と被害者の少女の間にはどんな時間が流れていたのか・・・・


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 桐野夏生さんの小説を読む時はある種の覚悟がいる。
 ご本人さんは美人さんな女流作家さんだけど、その肩書きに似つかわしくなく一筋縄ではない骨太な内容が書かれる。
 とてもめん棒で耳掃除をしながら寝っ転がって気軽に読むなんて似つかわしくないのである。 

 この作品は9年前に起こった「新潟少女監禁事件」が下敷きになっている。
 読んだ時に思ったのは、
 「作家の想像力はどこまで現実に迫れるのだろうか」

 勿論この作品に書かれている内容は実際の事件を下敷きにしていてもフィクションの世界である。
 だけど監禁された少女の心の有り様で、想像力よりあぶり出された幾つかの心情はなるほどと思わせるものが幾つもあった。

 「想像されることの屈辱」

 この言葉を見た時ハンマーで殴られたようなショックを受けた。
 事件を知った多くの者は「犯人に何をされたのだろうと」と想像してしまう。そこに悪意がなくても好奇心という羽が広がるのを止める人間はあまりいないと思う。
 私もその1人である。
 でもその事自体が傷つけてしまうという事実に初めて思い至った。 その無自覚さが少々怖かった 。

 少女は事件によって一番自分の何が失われたかの質問に答えなかったが、質問者の提示した答えに同意する。

 「僕は現実ではないかと思う」

 これ程過酷な経験をしていまうともう以前の生活には戻れない。
 その経験が自分という人間の人生の組織部分に組み込まれてしまう。
 「ケンジに誘拐されて与えられた経験は、どこに誰といても、私を孤独にするものだとわかった」 
 元の生活の現実から弾き出されてしまった少女が、今の現実と折り合いをつけていく過程は読み応え十分である。その切り込み方は切なく苦い部分を含むがその酷薄さもまた桐野さんだなと思う。

 色んなレビューを読むとこういう作品そのものが被害者本人と家族を傷付けるものだという声が少なくない。
 当然この本を被害者本人とそのご家族が読まれたら決して良い感情を抱かれないはずである。
 ただ私個人の意見としては事件が「作品」となった時点で現実と切り離されたもう別のものに生まれ変わっていると思っている。
 でもこの作品に確かに傷付かれる存在があるというのも事実で、そうまでしてこの小説を生み出す必要があるのかという問いにも明確には答えられない。芸術が人を傷付けるものであってはいけないとも思う。

 「芸術というのはどこまで許されるものなのか?」
 という問いを改めて突きつけられた作品でもあった。

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| 桐野夏生 | COM(4) | TB(0) |
2009-09-14 (Mon)
 

 29歳の「僕」は妻と別れたばかりであった。
 お互いを嫌いになったわけではないが、出口の見えない迷路にはまりこんだような生活にピリオドを打った。
 代わりに「とびきり素敵な耳」を持つガールフレンドが出来、彼女との日々を満喫する。
 だが右翼の大物政治家の秘書が現れある特殊な羊を探し出す羽目になり、平穏な日々は終わりを告げ喪失の始まりが幕を開ける。
 その羊を一ヶ月以内に探し出さない場合は「僕」には戻る場所がなくなる。
 「僕」は会社を辞め、とびきり素敵な耳を持つガールフレンドと共にその羊がいる北海道へと向かう。
 そして北海道は行方不明の友人である「鼠」がいる場所でもあった。
 羊をめぐる冒険は「鼠」を探す為の道程でもあった。

 「僕」と「鼠」のラストストーリー。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 
 この本を十数年振りに再読した。
 初めて読んだ時は「えっ、何ですか????」の感想を抱いていたことを思い出した。
 
 というのも私がそれまで読んできた本は「1+1=2」という内容のものばかりだったから。
 内容や言葉の意味が理解出来るというか、出された『答え』が理解出来るものだった。
 「1+1=2」の世界では「りんご」はりんごであり、「みかん」はみかんである。
 理屈というものさしで計ることの出来るものしか出てこない。
 
 でもこの作品は「1+1=」という答えは3でもあり5でもあり、とにかくどんな答えもありうる作品だった。
 内容自体が形而上的な抽象的なお話しなのである。羊男が出て来たり特殊な羊が出て来たり、村上ワールド御光臨いう感じであった。
 それらのキーワードに寓意や比喩が込められているのは理解出来るのだけど、その正体を見破るおつむの無い私はいちいち、
「これどういう事?」「これどういう意味?」「なんでこうなるの?」
と突っ込みながら読んでしまった。
 村上ワールドの持つ心地よい孤独感に包まれ味わいながらも突っ込みが辞めれんかった。
 
 でも久しぶりの再読で驚くほどすんなりと「村上ワールド」の堪能していた。
 「これはそういうもんだ!!!」
 と割り切って読めるようになったからである。
 年季の入ったハルキストとして意味や考える必要は特には無い、答えを見つけようとしなくてもいいんだと悟れるようになった。

 この作品で一番心に響いたのは「弱さ」である。
 「鼠」は自分の持つ弱さをこう語る。
 「もちろん人間はみんな弱さを持っている。しかし本当の弱さというものは本当の強さと同じくらい稀なものなんだ。たえまなく暗闇にひきずりこまれていく弱さというものを君は知らないんだ。そしてそういうものが実際に世の中に存在するのさ。」

 勿論私も「弱さ」を持っている。でも「鼠」の語る弱さとは違う種類のものだろう。
 彼の持つ弱さは努力で変える事の出来ない、飲み込まれてしまう存在なのかもしれない。

 でも「鼠」はこうも言う。
 「俺は俺の弱さが好きなんだよ。苦しさやつらさも好きだ。夏の光や風の匂いや蝉の声や、そういうものが好きなんだ。どうしようもなく好きなんだ。」
 私は自分の弱さを好きになれるかどうかはわからない。
 でも弱さがあるから悩み苦しみ、その苦悩があるからこその喜びであり楽しさであり、苦難を知り何気ない日常が愛おしいと思える気持ちは理解出来なくはない。
 自分の弱さを知り、弱さを愛せる「鼠」は強さも持つ人間だと思うのだけど違うのだろうか。。。

 弱さを強さへ変えるのではなく、弱さのままで受け入れて好きになれたらもっと楽に息が出来るのかもしれない。。

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| 村上春樹 | COM(8) | TB(0) |
2009-09-13 (Sun)
 

 グラビアアイドル如月ミキが自殺して、1年がたった。
 その一周忌に彼女の思い出を語り合おうとファン5人が集まった。しかし、ファンサイトの常連である彼らは、彼女がなぜ自殺をしたのかを知りたくてたまらない。そんなときひとりが「彼女は殺されたんだ」と言う。他殺説を繰り広げるうちに、ハンドルネームしか知らなかった彼らの素性が浮き彫りに。そしてお互いを犯人だと疑いはじめる…
アイドルの死をめぐり二転三転していくドラマが密室で繰り広げられるワンシチュエーションコメディ。主演の小栗旬、小出恵介、ユースケ・サンタマリア、塚地武雅、香川照之らが、脚本に惚れて出演を決めたというほど練られたセリフがこの映画最大のチャームポイント。笑いを散りばめながら、ひとりのアイドルの死が二転三転していく展開はスリリグでさえある。そして最後には、どこかホッとするカタルシスがある愛嬌たっぷりの作品だ。-Amazonより





 この映画はジャケ借りをした。
 なんとなくDVDを手にした時に面白そうと感じた。そしてその予感は大ビンゴ!!!
 こういう当りは「グリコのおまけ」のようにひっそり感のある幸福を感じる。

 とにかく「面白い」作品である。頭の先から尾っぽの先まで面白い。この映画を見て改めて「面白さ」というシンプルな感情の良さを再確認した。
 勿論考えさせられたり、何かを「残してくれる」作品も素晴らしい。
 でも「面白さ」だけに浸れる映画は頭のどこの筋肉使わないのでらくちんである。  
 
 まず演じる役者さんがどなたも良い味を出している。
 名演技というのとはまた少し違うのだけど、役柄を上手く自分のものにされているなあと思った。
 名優の香川照之さんは美味し過ぎる程に怪しいおっさんを演じているし、この映画で初めて小栗旬さんを見たけど美形に似合わない「オタク」という設定が妙にハマリ(美形が故にオタクとの意外性が美味しかった)、他の方もそれぞれのキャラを上手く魅せている。

 そして一番のMVPは脚本の素晴らしいさだと思う。とにもかくにも脚本がお見事!!!
 これ程の出来栄えは個人的には三谷幸喜さん傑作の「優しい12人の日本人」以来だと思っている。

 追悼会場の一部屋のみで繰り広げらるストーリー展開。
 お互いを犯人だと捜し始める内に集まったファン5人は実の所1人を除いて直接如月ミキに面識がありそれが徐所に明るみになる。
 その話がコロコロコロ転じていく様が実に面白い。
 ちゃんと笑いのツボを抑える合いの手もあって、「犯人捜し」という一種ダークさを持つ素材を上手くマイルドにしている。

 凄いのがラストスパート部分。
 ミキの死の原因が判明されるのだけど、それが今までストーリー上に張られていたたくさんの伏線が一挙にピタッとはまって凄いカタルシスが味わえる。
 よくまあ、あれだけのパズルのピースを全てはめてあのラストを創り上げたと感心する。
 ラストに唯一「ジーンと来る」というカードも用意されていて(このカードがミキの死の原因に繋がっているのだけど)「やられた!!!」と思った。
 それまでの展開から全く予測しないカードだったから。
 
 エンディングで初めて如月ミキちゃんが顔出しする。
 この如月ミキちゃんはB級どころかD級クラスのアイドルで、冷静な第三者が見ればどう考えても「売れんなこいつ」というアイドルなんだけど、彼等5人にしてみればそれでも「女神」なんだろうなとある種の悲哀というのがこれまたおつであった。

 超おすすめの一品!!!

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| 映画 | COM(8) | TB(0) |
2009-09-12 (Sat)


 31歳の女性にまつわる31通りの「ファースト・プライオリティー(最優先次項)」
 
「庭」
母親が急逝する。
あまりにも突然過ぎて家族は哀しむ為の現実感がやってこない程であった。
後に残されたのは母親の少女趣味の一軒家と、母親の趣味の庭、そしてその住人としては不似合いな定年を迎えた父親と独身の娘「私」である。
父と私は母親の死を乗り越えようとするも「母の家」であった場所は母がいなくなると居心地が悪く、二人とも別々に暮らす為に住む場所を探し始めた。
その矢先に母親が申し込んでいたイギリスへのガーデニング講座ツアーの申込書が届く。
暇なので飛行機と英語が大嫌いな父親が楽しみにしていた母親の代わりにホームステイをすると言い出すが。。。

「ボランティア」
私の夫は転勤族であり、だいたい二年事に転勤になった。それを承知で結婚したが、引っ越す度の雑事に、その度の新しい人間関係、慣れた頃に転勤という不毛な繰り返しは想像以上に「私」をすり減らし情緒不安定であった。
パートの不採用で落ち込んでいる「私」にある時知り合った盲目の男性からボランティアを薦められる。 最初は誰かの役に立てる喜びに満たされていたが、同年代の盲目の男性から「幸せな人間の暇つぶしの援助は嬉しくない」と冷たい言葉を浴びせられる。。。


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 山本文緒さん未体験の方で長編を味見するのは億劫だけど、つまみ食い程度に味わってみたいとう方がいたらこの作品集をお勧めすると思う。
 だいたい10ページ程度の超短編なので読み易いし、山本文緒さんの実力が出し切っているとは言えないけど、色々なお料理が盛りだくさんで、そのどれもがある一定水準以上作品ばかりなのでつまみ食いし易い。どれかはお口に合うお品があると思う。 
 
 「庭」は山本さんの作品の中でも色合いが若干違う作品だけど秀作だと思う。
 こういう作品を読むと山本さんはいつも書かれるアクとかツボを突くような作品だけではなく、正当な(という言い方も変だけど)読み物も上手いなと思わせてくれる。
 突然連れ合いを無くした無骨な旦那さんが淡々と生活をしているように見える。自分で掃除や洗濯をし娘とそれぞれの役割分担を決めこなしている。
 表面的にはそれなりにやっているような描写が描かれている。
 でもホームステイ先のおばあさんの電話で父親が「毎日夜になると子供みたいに大きな声で泣いていたのよ」と聞かされて娘の「私」は驚き涙するシーンはぐっときた。
 連れ合いを亡くした父親の包み隠された哀しみのひっそりとした表現、ラストでゆるやかに前向きに動き出しつつある時間の描写が、淡々としているんだけど情感のあぶりだし方が巧みだと思う。

 「ボランティア」は話の内容というよりもある言葉にやられた。
 夫がボランティアに関して愚痴る「私」に言う。
 「君がしているのは、人を救うことで自分も救われたいと逃げているだけ」 
 この言葉を読んだ時、
 「わっ!!!すいません」 
 と思った。
 というのも私はかつて「自分が救われたい」と思ってボランティアをしていたことがあるからだ。
 あの頃は「人を救いたい」という思いの傲慢さに気づかない程の子供だった。
 その思いが「実の所は自分が救われたい」という事にも気づかない位バカだった。
 この言葉がその痛い頃の自分を思い出させてくれてこっぱずかしいというか、頭をポリポリしたくなるというか。
 いきなりかつての自分の恥ずかしい無智さと遭遇するのは冷や汗ものである。
 今はさすがに「救えるのは自分しかいない」と理解出来るだけ賢くはなっているけど。

 上記作品以外も山本文緒食堂のお品はどれもいい味である。

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| 山本文緒 | COM(4) | TB(0) |
2009-09-07 (Mon)
   

 ロスで雇われ私立探偵をしている長岡は、所長でもあり親友の関口から『安田信吾』という青年を探して欲しいと依頼される。
 隠し撮りされた写真という部分にひっかかりを憶えつつも単なる人探しの枠を超える仕事ではないとその時は思っていた。
 だが捜索している内に信吾はかなりの危険人物である事が判明してくる。子供のような無邪気な笑顔のままで握手でもするかのように平然と人を殺すとして恐れられ、幾つもの殺人を重ねていたが捕まる事はなかった。
 そして長岡も初対面でとびきりの笑顔を見せられて銃を何発も撃ち込まれる。
 車の中にいて防弾ガラスに命を拾われたが、それが今回の一連の事件となる第一歩になった。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 犯罪を犯す人間はそれなりに理由があるのだろうと推察する。
 お金の為であり、人間関係のもつれであり、もっとも昨今は「なんですかそれ?」というような意味不明の理由もあるが、その人なりの必然性があるのだとは思う。

 が、世の中にはごはんを食べたり、寝たりするのと同じ意義で犯罪を犯す人間がいると思う。
 理由があるのではなく、ただの行為として犯罪を行う人間である。
 この作品は文中の言葉を借りるのならそういう「生まれながらの犯罪者」がいるかどうかというのが主軸のテーマである。

 私個人の意見は「生まれながらの犯罪者」はいると思う。
 体に障害を持って生まれる方がいるように、心に障害を持って生まれる人間もやはりいるのではないだろうか?
 環境とか周囲の人間関係等が影響を与えるのではなく、彼等はもとから人間として大事な何かが欠けて生まれてくる。

 だがある意味その人達も気の毒だとは思う、こういう意見は奇特なのかもしれないが。。。。
 何故なら「生まれながらの犯罪者」として生まれたのはその人達のせいではないから。
 だから改心するような心がない以上彼等は永遠にそのくさりから解放される事はない。
 そこにある種の「哀しさ」を見出してしまうのは安全な所にいる人間の甘さなのかもしれない。。。

  あくまでも私は第三者だが、この作品の安田信吾の親のように自分の子供「生まれながらの犯罪者」だとやりきれないだろう。  
  愛が届かないのだから、どんなに愛しきちんと躾て育てても人の心を持てないのだから。
  読んでいてそのやりきれなさがひしひしと迫ってくる。
 
 信吾の親である英明は他人の手で殺される位ならと、自らの手で始末をつける為に息子を追う。
 そして長岡はその殺しをやめさせる為に英明を追う。
 その長岡に英明は言う。
 「私はあの子を今も愛しているんだ」 
 子を愛するごく普通の親としてはどんな子供でもやはり愛を絶てないのかもしれない。それが哀しい。
 でも信吾にとってその愛はなんの意味も持たない様が残酷に描かれている。
 
 英明と語り合い、そして英明の代わりに信吾を追い詰めることになる長岡自身も少しづつこちら側とむこう側の「ボーダーライン」を超えそうになる。
 無論彼の場合は英明の思いに共鳴したような行為だが、如何なる理由があっても犯罪的な行為は結局の所信吾側の人間になりうる可能性を含んでいると思う。
 そういう皮肉というか危険性を示唆している箇所を盛り込んでいるのはさすが真保さんだなと思った。

 何れにせよ「生まれながらの犯罪者」には会いたくないっす。。。。。

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| 真保裕一 | COM(4) | TB(0) |
2009-09-05 (Sat)
   

 奄美大島の粗末な家で一人の老人が誰にも看取られる事なく亡くなった。
 彼は画号を「田中一村」という画家であった。
 無名であったが、一村が残した作品は何れも抜群の完成度を誇っていた。
 不遇の画家人生ではあったが己の信じる画業を一村は死ぬまで貫いた。
 そんな「田中一村」の生き様が綴られた伝記書。


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 tnk02.jpg

 私は絵を描くのも見るのも好きだけど「田中一村」という画家の存在は全く知らなかった。
 彼の存在を知ったのは「NHK日曜美術館」で田中一村さんの特集を見たからだ(私と同様の人間は多く凄い反響があったらしい)。

 「孤高の天才画家」というフレーズはスーパーで叩き売りでもしているような使い古されたフレーズではある。  でも一村さんの作品と生き方を見るとこの称号に全くブレる事のない方だなと思った。

 生涯独身。
 貧しい中をひたすら描くことに己の生涯を描けた人である。
 ゴッホに弟テオがいたように、彼にもまた姉喜美子という存在が献身的に一村を支えている。
 喜美子さんは女優の「原節子」にも似た美人さんだけど生涯こちらも独身であった。 きっと縁談は降るほどあっただろうと思うけど弟を支えるために断り続けたようである。
 一村さんが取った喜美子さんの写真はどれもよい笑顔で写っている。 
 
 ありあまる才能がありながらも不遇の為に遂に生前は世に出る事はなかった。
 個展すらも遂に生前は実現しなかった(死後に篤志の方が一村さんの個展を開き、それが彼の画業を世に知らしめる一歩となる)。
 不運もあると思うが、一村さんのとにかく己の信じるままに生きる「妥協」しない生き方が人生を狭めた気がしなくはない。
 もう少し「上手く泳ぐ」という生き方もあったと思うが、それが出来ないからこその一村さんなのだと思う。
 
 読んでいてふと、絵という芸術はどこまでを「作品」というのだろうと思った。
 個人的には画家の手による作品までが「作品」だとは思う。
 でも一村さんの生き方を見ていると、画家としての生き方もまた作品なのかなとも思う。
 正直な所一村さんが豪邸で贅沢三昧をして蝶よ華よと人生をまっとうしていたら、ここまで惹かれたかなあと自問自答してしまう。
 勿論そういう生き方をしても作品の評価は別だとはわかっているのだけど。

 一村さんは晩年奄美大島に移り住み、その地で自分の絵描き人生の総決算を試みる。
 だが結局は無名のまま奄美大島で個展も開く事なく孤独に亡くなる。

 幼少の頃は「神童」と呼ばれ、将来を嘱望されていた人の絵描き人生としては確かに不遇ではあると思う。

 でも逆の見方も成り立つのではないかと思った。
 その試練が一村さんにあの作品の数々をこの世に送り出させたのではなかったかと。
 不遇の人生で生まれた作品ではなく、作品が生まれるために必要な人生であったと。
 逆も真なり、もしくは逆こそ真なりというか。

 創作の神様に問うてみたい。

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| ノンフィクション | COM(7) | TB(0) |
2009-09-02 (Wed)
 

 兄の剛志は弟直貴の大学進学への資金欲しさに強盗に入り、結果としてそこの住人を殺してしまう。
 ある日突然強盗殺人犯となった直貴はそれ以後厳しい現実と立ち向かわなければならなくなる。
 どこにいっても付いて回る「強盗殺人犯の弟」というレッテル。
 そんな彼の元へには塀の中から月1で手紙が届く。最初の内はそれが支えではあったのだが。。。


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 東野さんは時折直球もどきを投げる時がある。
 この作品に「殺人」も「謎解き」も何もない。
 ただただ強盗殺人犯の弟となった直貴のやるせない差別される物語を主軸に進んでいく。

 テーマを浮き彫りにさせる為なのかこれでもかという位に直貴は差別され続ける。
 バイトは首になり、好きな人との結婚をあきらめ、歌手という夢も奪われ、就職も差別されてしまう。
 「加害者の家族」というラベルがべったりと貼られた日から、直貴の奪われ続ける人生が始まる。
読みながら、
 「はぁ~、気の毒だ。。。。」 
 とため息が幾つも出てしまう。

 兄が犯罪に手を染めたのは自分の為だとわかっているから完全には憎めない。
 ただ「差別される」という現実が少しずつの心をすり減らしていく姿は痛々しい。
 剛志は犯罪者として塀の中である意味守られる生活だが、直貴は兄がルールを破った現実世界に一人残されそのペナルティーを課せられ続ける。
 最初は支えであったはずの月一回の兄の手紙がだんだん疎ましくなり、恨む気持ちが沸いて来るのを止められないのも現実の残酷さだなとしみじみ感じた。

 この作品が凄いのは作品の中の言葉を借りるのなら「正々堂々と差別と戦う」物語ではない所がポイントだと思う。

 直貴は勤務先の社長にこう言われる。 
「差別は当然なんだよ」
「犯罪者はその事も覚悟しなきゃならん。自分が刑務所に入れば済むという問題でじゃない。罰を受けるのは自分だけではないという認識が必要」 

 これ等の言葉を素直に肯定するにはやはり抵抗がある。 だけど心をぐっと掴まれたのも事実である。
 何の罪も無い加害者家族への差別は不当だと思う。
 でもある観点から見たらその差別は「間違っていない」のかもしれないとも思う。
 どちらの「ものさし」を採用すればいいのか悩む。。。。。

  「何かが正しいのか?何が間違っているのか?」
というのは簡単には決められない。
 ある観点から見たら正しい事でも、別の観点から見たら間違っていることもある。
 結局誰にもそれは決め付けることは出来ないのかもしれない。
 それならばとことん考え抜いて自分の「ものさし」を決めたいと思う。

 考え抜いた価値観で決めた事ならば正しいか間違っているかはわからなくても、自分にとって悪い「ものさし」ではないと思うから。


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| 東野圭吾 | COM(5) | TB(0) |
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