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2009-08-30 (Sun)


遂に!!!ヒトリゴトのネタ切れの為映画の紹介をします(基本DVDで見てます)。  

 1939年イタリア、トスカーナ地方。主人公のユダヤ系イタリア人グイドは、いつも陽気で人々を楽しませる達人。グイドと「お姫様」のドーラは恋に落ち、息子ジョズエをもうける。しかし、間もなくナチスの強制収容所へ…。そこでもグイドは幼い息子に悲惨な現実を悟られないよう、ひたすら笑顔で陽気に振舞い、嘘をつき続ける。
ユーモアと悲哀が混ざり合い、人生のすばらしさを謳いあげた作品。イタリアの名優ロベルト・ベニーニ演じるグイドの、体を張った豊穣な愛が美しい。ラストは涙、涙、涙…。
ベニーニは、監督・脚本・主演という三役を見事にこなし、アカデミー主演男優賞、外国語映画賞、カンヌ国際映画祭グランプリを受賞した -Amazonより  
 



 この作品のタイトル「ライフ・イズ・ビューティフル」というタイトルは平々凡々だけど、見終えた時はこのタイトルしかないなと思った。ある意味皮肉なタイトルでもあるのだけど。

 全編上質なユーモアで貫かれている。
 前半は人生を豊かにするためのユーモアであり、後半は厳しい現実を乗り超える為のユーモアとなる。
 この脚本を主演の人が書いたというのはAmazonのあらすじを見て初めて知ってびっくりしたけど、とにかくスマート且つウェットに富んだユーモアでしかも暖かい。

 後半との対比の為か前半はとにかく明るい。息子役の子役が反則技な位キュート
 おおまかなあらすじを知っていたので後半の悲劇を思うとその明るさが切なかった。

 中盤辺りから悲劇がグイド一家を捕まえる。

 強制収容所に息子と共に収容され、妻も別の収容所へと連れて行かれる。
 でもグイドはこの世界でも決してユーモアを捨てない。
 強制収容所での残酷な現実から愛する息子を守る為に「これはすべてゲームだ」と現実世界をゲームに見立てる。
 だからといって勿論彼等を取り巻く過酷な現実は変わらない。
 それでも愛する息子の為にに「ユーモア」を持って、息子の世界だけは笑いで再構築しようとする父親としての愛情に涙。
 とにかく涙、涙、涙・・・・・の物語である。

 私が今まで見た映画で泣いた映画というのは基本は「泣けるアイテム」があったからである。
 勿論この映画にもあるのはあるけど、 骨格は「ユーモア」という泣ける非アイテムが作品を織り上げている所が逆により涙を誘ってしまうのである。

 ラストはある程度予測するものだったが、最後の最後まで「ユーモア」を捨てずに息子の世界を守りきった姿に爆裂涙。 
 ネタバレになるから言えないが、涙腺ふぢ切れるかと思う位泣いた。

 更に最終場面で「おおっ!!!」と唸らせる締りになり、心憎い程のラストシーンであった。

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| 映画 | COM(8) | TB(0) |
2009-08-29 (Sat)
   

 私と夫はまるで同居人のような結婚生活を送っていた。
 子供は作らず、部屋は別々、自分の食い扶持は自分で稼ぎ、家事も各々でやる。
 変化のない私と夫の生活はレールをぐるぐる回っているようであった。
 結婚した当初は何の問題もなかった生活様式だったが、十年経ってある夫の一言にショックを受け今の生活に疑問を感じる。
 停滞していた2人の関係に微妙な変化がさざ波のようにやってくるが。。。。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
山本文緒さんが好きだと書きながらも、よく考えると私は彼女の作品の記事を2つしか書いていない事に気づいた。
 というわけで図書館の山本文緒さんのコーナーで目を瞑ってチョイスした本のがこの本だった。

 8つの作品はどれも様々な形の問題を抱える夫婦が出てくる。何れも一筋縄ではいかない物語で読み応えがある。
  「次はどんな問題を抱えた夫婦だろう」と、ワイドショーを見ているおばちゃんの感覚で読んでいた。

 どれもが静かな「怖さ」というものを感じさせる。「恐怖」の怖さではないのだけど、この「怖さ」はよく考えたら夫婦は元々は「他人」というある種の脆さをを描いているが故の怖さなのかなと思う。 
 既婚者が読まれたらどういう感想を抱かれるのか興味深い。

 私は一人身なので夫婦の機微というものはよくわからない。
 だから読んでいて「へえ~」てな感じだった。
 「夫はすでに私の一部である.他人ではないので会っても淋しさはまぎれない.淋しさを紛らわしてくれるのは「他人」であることを私は知った。」 
「そういうものなのかあ。勉強になるなあ」
 と、私にとっては結婚のテキスト本みたいであった。

 基本は元々好きでいっしょになったもの同士が、結婚という日常の時の流れの中でこっそりと自分の心に「檻」を貯めていく。その心の檻に気づいた時孤独になるのかもしれない。
 帯に「一緒にいるのに寂しい。幸せなのにかなしい。満ち足りているのにやるせない」
 というフレーズがあったが上手いなと思った。商売上手だなとも思ったけど。

 読み終えた時ふと、
 「ひとりの孤独とふたりの孤独のどちらがより孤独なんだろう」 
 と思った。
 やはり誰かといる孤独の方か。
 ひとりの孤独は当たり前だけど、誰がいての孤独は言い訳が聞かない気がする。
 本当の「孤独」は「誰か」がいる時に発生するものなのだなと思わせてくれる内容だった。 
  
 山本さんの作品はひっそりとして置きたい包みの部分を広げて魅せる。
 だからこそ苦い時もあるが、その苦さの向こうにある救いをもたらせてくれるのが好きだ。

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| 山本文緒 | COM(4) | TB(0) |
2009-08-24 (Mon)
   

みかげは両親を早くに亡くし、最後の肉親である祖母を亡くした。
 内に孤独を抱えたまま、毎日みかげは一番好きな場所である台所の側で眠っていた。
 それがその時の彼女に出来る孤独を慰める方法だった。

 祖母の知り合いという田所という青年がある日突然やって来た。そしていきなり田所家での同居を提案する。
 そこには田所青年と超美貌のお母さんえり子さん(本当はお父さん)と素敵な「台所」があった。
 みかげは神様からの贈り物のようなその場所で生きる力を取り戻していく。

 他二編


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 よしもとばななさんもまた孤独を描く人である。
 よしもとさんの描く孤独はどこまでもあくまでも優しい孤独だ。

 他二編も含めこの本に収録されている作品の主人公は皆「愛する者を喪った」人達である。
 でも「死」というダークなものも彼女の優しい孤独の筆で描かれた作品世界では、日常の一コマに当たり前のように納まっている感じを与える。
 だからこそ読み手にとってとっつきやすい「死」だと思う。ここら辺りが多くの人に受け入れられた要素だと感じ入った。

 愛する者が死んでも日常の世界の景色は変わらない。
 空は変わらず青く、夕焼けは美しく、日差しは暖かい。
 でも自分の世界の色彩は変わる。 その落差が切ない。

 少しずつ流れ行く時間の中でみかげは最後の肉親を亡くしたという孤独と傷を慰めていく。
 変わり者の田所青年とえり子さんの労わりと、美味しい食べ物と、そうじをしたり、テレビを見たりの当たり前の「現実」がみかげの時を押し流していく。
 当たり前だけど愛する者が亡くなってもお腹は空くし、眠たくもなる。
 日常の健全さというものを感じた。

 でもそんなみかけも突然涙がぽろぽろこぼれ、ただ涙をしたかった自分に驚き、そして願う時がある。
 「神様、どうか生きて行けますように」 
 この言葉にはドキリとしてしまった。
 何故なら最近、私も同じ事を願ったからだ。
 「よしもとさん、なんで知ってんの?」
 と聞きたくなる位驚いた。

 なんとか前を向いて光の当たる場所を踏みしめて歩いているが、本当はその世界にぽっかりと暗い穴が空いている事を知っている。
 普段はその穴の存在はわからないが、なんでもないふとした時にその穴の存在が浮かびあがり飲み込まれそうになる。
 だから「神様、どうか生きて行けますように」と呪文のように願う。
 私は大往生がしたいのだから。

 ここに書かれている内容はごくごく普通の日常の物語である。びっくりするような出来事なんてない。
 でもばななさんが書く日常はなんでもない事なのに何かを感じさせる物語になる。
 私が「ラーメンを作ってそして二人で食べた。美味しかった」と書けば単なる感想文になるが、ばななさんが書けば「目で読むヒーリング」となる。
 癒されまくりだった。

 心のキューピーコーワみだいだった。

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| よしもとばなな | COM(7) | TB(0) |
2009-08-23 (Sun)
 「好きな歌手は?」と聞かれたら、「宇多田 ヒカル」と答えると思う。

 と言っても最近の曲は全然聞いていない。というより音楽自体を全然聞いていない。
 けれどたま~に、思い出したように聞きたくなる時がある。
 ベスト版までのアルバムは持っているので、チョイスして聞きまくる。

 彼女の音楽の何が好きだと聞かれたら「孤独感」と答える。
 私は「孤独感」を感じる作品が好きだ。ただネガティブな孤独は好みではない。
 涙に埋もれながら孤独に浸るのは若い時の「はしか」の時期にかなりやったのでもう飽きている。
 やはり前向きな「孤独感」がいい。彼女の作品はそういう世界観を感じる。

 以前ヒカルちゃんの記事を読んだ時に、
 「一人ぼっちじゃないから孤独なんだ。だれかの存在を感じるから孤独だし、相手がいるから壁や溝を感じるんだ」 
という言葉を読んだ時目からうろこが落ちたのを憶えている。
 「目からうろこが落ちる」ということわざは知っていたけど、まさかそういう状況にめぐり合うとは思わなかった。

 そうだよな、本当の孤独というのは第三者があってこそなのかもしれないと思った。ひとりの孤独は当たり前なのだから。
 この記事は確かヒカルちゃんが17、8歳の時のものだったと思うけど、この年齢でそれがわかるというのは元々の才能か苦労しているかのどちらかだ。
 出来れば前者であって欲しいなあと思った。

 そろそろ最近の曲も聞いてみたいなあ~と盛り上がりつつある。
 

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| ヒトリゴト | COM(8) | TB(0) |
2009-08-22 (Sat)
   

 双海小児総合病院の児童精神科ー別名「動物園」と呼ばれているーに入院している三人の子供達。
 優希、笙一郎、梁平は親からの虐待で深い傷を背負い、互いに慰めあう事で生きていた。
 そして彼等は「生き延びる為に」ある人物を殺す計画を立て実行に移す。その秘密を抱えたまま別れそれぞれの人生を歩む。 

 17年後、三人は導かれるように再会を果たす。
 だが彼等が受けた傷、負った過去は各々の人生に深すぎる影を落としていた。
 その影が交錯する事によってまわり始めた悲劇の幕開け。
 彼等の周囲で子供を虐待していた親の連続殺人事件が起こり、優希が必死に隠そうとしている過去を弟は手繰ろうとする。悲劇は更に次の悲劇へと繋がっていく。。。
 そして17年前の事件の真実も明かされようとする。

 親によって魂を踏み潰された者達の物語。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 自分が「本が好き」で良かったなと思った。そうでなければこの作品と巡り合う事はなかったから。

 面白くて読むのが止められない状態を「やめられない、とまらない かっぱえびせん状態」と私は通称しているが、私がこの本を読むのを止められなかったのは「かっぱえびせん状態」というのではなく、もっと深い自分の内部から求める思いでページをめくり続けた。

 優希、笙一郎、梁平の現在と過去が交錯しながら物語は進んでいく。
 その過程で彼等が「親」から受けた虐待とその傷の為に苦悩する姿が「てんこもり」に描かれており、読んでいて苦しくそして切なかった。
 現在の連続殺人事件、そして過去の事件の真相を絡めているので「ミステリー」というくくりになるらしいけど(2000年の『このミス』№1)、「ミステリー」と言われなければ私は全くその言葉を思い浮かべなかったと思う。
 「ミステリー」というカテゴリーは物語のテーマをよりあぶり出す為の手段に過ぎないと思った。 

 とにかくこの本を読んで、
 「親は子供を愛してあげて欲しい、子供に愛情が確実に伝わる愛し方で」 
 と痛切に思った。
 子供にとって親から愛されるか、愛されないかで「その後の出会う世界が敵になるか味方になるか」 が決まってしまうと思うから。
 言い尽くされている言葉だけど「子供は親を選べない」。良い親の元に生まれるか、とんてもない親の元に生まれるかは「運」だと思うけど、その一言で語るのはさすがにやるせない。

 物語ではあるから、悲惨な内容もノンフィクションの持つ事実という重みはない。
 だけど、物語だからこそ「伝えられる力」を感じた。
 「家族」という存在は愛情によって包まれていれば「救い」だけど、そこに虐待が存在すれば「地獄」であるとしみじみ思った。 

 親からの虐待を受けた彼等は「自分が悪い」という自己否定を持ってしまうものらしい。だから愛されなかったのだと。
 そんな錘を持ったままでは当然生き難い。
 でも、それでも、人という生物が持つ生命に守られて、彼等は「本当は生きていたい」
と願う姿に生きようとする姿に涙をこぼした。
 優希、笙一郎、梁平が子供の頃に互いに掛け合い、その後の人生の支えにした
 「生きていても、いいんだよ」 
 の言葉に泣いた、泣いた。 

 とある作家さんが「どんな世界にも光の当たる場所はある」とおっしゃっていた。
 そうだとすれば虐待を受けた人達がその苦しみの世界を乗り越えた時、それは普通に生きていた人が得られない糧を手にする事が出来ると思う。

 そこに希望の灯火があると信じたい。

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| 天童荒太 | COM(4) | TB(0) |
2009-08-19 (Wed)
   

 主人公の櫛森秀一は17歳の高校生。
 女手一つで育ててくれる母親と優しく素直な妹を何よりも愛し大事にしていた。
 そんな三人の平穏で幸せな生活も破綻する。母親が10年前に再婚し、その後別れた曾根が家にやってきて好き放題に振舞い自分達を苦しめる。民事不介入の警察も、狡猾な曾根には法も効力を持たなかった。
 母親も妹も餌食になると思った秀一は愛する家族を守る為「完全犯罪」に挑み、曾根を葬る決意をする。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 
  貴志祐介さんの作品は「黒い家」→「十三番目の人格 - ISOLA」→「青の炎」の順で読んだ。
 全二作は特異なテーマを抜群のストーリーの面白さで織り上げており、素晴らしい才能と巡りあえたことを喜んだ。
 がっ、私はぜいたくにも「これで深みがあれば完璧だな」とのたまった。勿論何れも深みがなくても文句無しの作品の出来栄えなんだけど。
 でも「青の炎」を読んだ時、全二作には無かった深みがあった。元々抜群のストーリーテラーだけにそれが加わった事によって、
「正しく鬼に金棒」 
という感じて瞠目すべき作品である。

 主人公の秀一が殺人を決意するのはただただ愛する母親と妹を守るため。その自分の愛する世界を破壊されていく苦悩と悲しみ。 秀一は頭の良い少年だけど、それでもまだ高校生の彼が手が届く世界の範囲は決まっている。
 そんな彼の苦悩がひしひしと胸へ迫ってくる。「あ~誰かどうにかしてやってぇぇ」と読みながら何度も思った。 自分の愛するもの守ろうにも、まだ子供の自分では守るべき武器が少ない。そのくやしさと孤独が切ない。この作品を読んでいると何度も切ないと呟いてしまう。
 結局秀一は自分の使える武器の最も切れ味のある「殺人」という手段を選択してしまった。
 
 彼自身は完璧だと思っていた殺人計画も思わぬことで綻びが生じる。そしてその綻びを繕う為に更なる殺人を重ねる。最初は家族を守る為の殺人がどんどん思わぬ方向へと転がっていくのは読んでいてつらい。きっとこの先の景色は悲しいものになるだろうなと予兆してしまうからだ。
 作中の言葉を借りるなら「自分の瞋り(いかり)の炎」で結局は自分も焼き尽くす事になってしまったということか。
 
 ただ秀一は純粋な少年というわけでもない。頭の良い少年が陥りがちな若干の他人の見下しやうぬぼれ感も持っている。頭の良い人間が陥りやすいの「机上の理論」」の為、殺人計画も詰めの甘さが有り露見してしまう。
 他のレビューを読むとその秀一の性格に不満な方も割りといるようだけど、私的には今時の高校生という感じがして逆にそれが良かった。ただ純粋だけではウソくさい。
 むしろ若干うぬぼれやの秀一が人を殺してしまったという「事実」の重みに苦悩する姿が泣けてくる。 
 向こう側の世界へと超えると、もう絶対にこちら側には戻れない。より深い孤独の中で彷徨う秀一を見ていると「守られる側」にいるべきだったのにと思う。 

 ラスト辺りから警察に追い詰められるシーンはこれまた切ない。
 愛するものを守る為に秀一は秀一なりの精一杯の選択だったのに、結局誰も救われずむしろ自分を含めた愛するものを不幸へと導く結果を招いてしまう。結局秀一のやったことは何の実りもなかった。
 その辺りのやるせなさが容赦なく描かれいて、
 「貴志さん、金棒振りすぎだよ」
 とのたまりそうになった。 

 ラストは驚きの結末を迎える。
 このラストが故にこの作品は一歩上の作品の完成度になった。多分秀一が愛する家族を守るにはこのラストしかないのだとは思う。

 頭から尻尾の先まで「切なさ」が詰まっていた作品である。

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| 貴志祐介 | COM(6) | TB(0) |
2009-08-16 (Sun)
 よしもとばななさんは好きな作家さんの一人である。 一時期むさぼり読んだ記憶がある。
 だけど別記事にも書いたがある時「マンネリだな」と思ってぷっつり読まなくなった。まあ食べ飽きたというのだろうか。
 でも最近また読み返している。結構間が空いて再度読み返しているので、最初に読んだ時の感想と違っているのが面白い。
 
 よしもとさんの凄いなあと思う所は世の中の「真実」をわかり易い言葉に置き換える事が出来ることだと思う。
 読みながら、
 「そう、そう、そう」 
 とよく呟いていた。
 勿論作家さんはたいていそういうのが上手いけど、よしもとさんは別格な気がする。
 とにかく「わかり易い表現」というのか、世の中って難しくなく簡単なもんだなと思う。シンプルなことが積み重なって出来ている世界なのかなと。そのシンプルさを上手く作品で書かれている。
 「サルにもわかる真実」という感じて読んでいると自分は結構かしこいのかもしれないと思った。 
 
 村上春樹さんが私の孤独を癒し、山本文緒さんが私のこりをほぐすとすれば、よしもとさんは心の栄養剤という感じである。作品自体が細部まで癒しの素というか読んでいると妙に活力が沸いてくる。
 「よしっ、頑張ってみるか」と。

 今再度読み返すという事は、多分今の私に「よしもとばなな」の世界が必要なのかもしれない。
 

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| ヒトリゴト | COM(4) | TB(0) |
2009-08-15 (Sat)
   

 この物語は「私は、かつて晩年を迎えたことがある」で始まる。

 10歳の夏休みに伯母の家で飼われていた「チロ」という犬に手を噛まれる。
 噛まれたことでもショックな私に更に追いうちをかけたのが、テレビで犬に噛まれた人間が半年後の潜伏期間後に狂犬病になって死ぬマンガを見てしまったこと。
 「私」は自分も狂犬病になって死ぬと思い込んでしまう。
 そして私の「晩年」が始まった。。。。
 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~   「ぼくは勉強ができない」の記事でも書いたけど山田詠美さんはタイトルの付け方は抜群だと思う。
 どのタイトルも彼女ならではのセンスの良さで、図書館で彼女の本のタイトルを目にすると、
 「お持ちかえり!!!」
 したくなる。今回お持ち帰りした本がこの「晩年の子供」である。

 この作品風に書き出すと、
 「私は、かつて晩年を意識したことがある」 

 「晩年」という程強いものではないけど、最初に「死」というものを自分に標準を当てて考えたのは「ノストラダムスの大予言」を知った時だと思う。
 恐らく1990年より前に生まれた人なら意識した人もいると思う。
 「1999年に地球は滅亡する」 

 単なる都市伝説に過ぎなかったけど、それでも子供時代にその予言の存在を知った時は、「私は27歳で死ぬのか。。。。」 とセンチメンタルになったものだ。死ぬには若すぎるとも思った。
 どなたかもおっしゃっていたけど、「ノストラダムスの大予言」を意識して育った世代とそうでない世代では何か決定的に違うものがあるというのは同意する。
 信じるとか信じないは別としても、その予言によって大なり小なり自分の「死」という意識を持たされてしまう。
 その意識は麻疹のような流行病っぽいけど、それでも何も知らない意識には戻れない。

 「晩年の子供」を読みながら久しぶりに「ノストラダムスの大予言」を思い出した自分に笑った。
 2000年代に入ってからはとんと思い出すことがなかったので。
 
 主人公の「私」が狂犬に噛まれてもうじき死ぬとと思い込み、自分を取り囲む小さな世界で悲しんだり、苦しんだり、いとおしんだりして心を使っている様はなんとも言えない懐かしさを感じる。
 そういえば子供の頃は本当にまだ未開拓な自分の狭い世界の中で些細なことであれこれと思い悩んだものだ。
 自分の世界が大きく開かれる前の子供時代というものは、ばからしさといとおしさの紙一重でもある。
 
  「私」が飼い犬に噛まれても予防注射を打っているので狂犬病になることはない事を知り、悩んだ数日間をバカバカしく思いとっととそんな記憶を脱ぎ捨て日常に還っていく様は子供の持つ現金さという感じだ。

  「ノストラダムスの大予言」が単なる与太話としか思わなくなってからは私はとっとと晩年の意識は脱ぎ捨てたけど、バカバカしいと思いつつも1999年を通り過ぎた時に妙に安心感を持ったのも事実である。
 
 私の本当の晩年の意識の終焉はミレニアムの夜明けと共である。

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| 山田 詠美 | COM(5) | TB(0) |
2009-08-12 (Wed)
  日本歴史上、あまりにも有名な「2.26事件」。
 首謀者である青年将校達21人が死刑に処された時、14人の未亡人が残された。
 夫の死後、彼女達はどのように生きたのか。。。。
 
 正しく「妻たちの2.26事件」の物語。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 今回の記事は女性から見た2.26事件という事で書きまくった。長い。。。。
 
 歴史というものはたいてい表舞台にいるものにしかスポットが当たらない。
 そこにスポットライトが当たれば当たるほど影は濃くなり、その影に存在するものは省みられる事が少ない。
 「妻たちの2.26事件」というタイトルを見た時、当たり前の事だけど首謀者である青年将校達にも妻達がいて彼女達の人生もあった事を思い起こした。
 タイトルはシンプルだけどダイレクトに響く。

 青年将校達は死刑にされた事により彼らの物語はピリオドを迎える。
 だが残された妻達は物語が続いていくのである、それも「謀反人の妻」という重い十字架を背負って。
 声高に苦労を語られているわけではなくむしろどの方も淡々とした語り口調だけど、逆にそれが言い尽くせない、言葉へと変えることの出来ない深い感情を思わせる。
 妻達の生きてきた物語は私が思っていたよりも不幸なものではなかったが、やはり形は違えどどれも悲しい物語だった。
 
 2.26事件というものを調べると「甘さ」という言葉が浮かんでくる。
 それは時代の持つ熱病に浮かされた部分もあるだろうし、若さ故の(ピチピチではないけど)視野の狭さもあると思う。
 彼等が冷静に、洞察力を持って物事を見れば真実は幾つも見えていたはずだと思う。だが自分達本意に物事を捉えすぎた感は否めない。

 もうひとつ感じる甘さは彼らのほとんどが若い未亡人を残すことになった事実である。
 彼等の平均年齢が29歳なのだから妻も当然若いのは当たり前なのだけど、革命を決意する前の結婚はともかくとして革命を意識してからの結婚をされている者が少なくない。事件の数ヶ月前とか、ひどいものは半月前の結婚というものもある。
 革命というものを起こす以上万が一のことを想定すれば妻帯は避けるべきではないかと思った。昔と今では女性の地位は違うと思うけど、それでは彼らにとって女性とは妻とはなんだろうと考えさせられた。

 男と女の価値観が違うことは百も承知だけどあえて言いたい。
 国も大事だと思う。でも自分の身近にいる「愛するもの」を守ることはずっと大事ではないだろうか。
 勿論時代が軍人という職業がそれを許さなかった部分はわかるのだけど。
 でも妻達の自らが選び取ったわけではない、強いられた苦難のある人生の物語を幾つか読んでどうしてもその思いを抱かざるおえなかった。
 「愛するもの」を犠牲にしてまで守るべき国は誰の為の国なのだろうか。。。。

 青年将校達の思いは純粋ではあったと思う。でもその行為は誰も幸福にしなかった。
 
 皮肉なことに夢破れた彼等に残されたのは家族という実体のある現実である。死を前にしようやく彼らは目の前の存在と向かい合う。
 どの遺書も妻への子供への家族へのほとばしるような愛情が綴られている。
 死を前にした夫の激情の愛故か、未亡人となった多くの妻達は再婚をせず、縁薄い夫の記憶と共に長い寡婦の人生を選択されている。

 ある青年将校が妻へ残した遺書に記した言葉、
 「死ぬるまで恋女房に惚れ候」
 こんな言葉を残されたら女冥利ではあると思う。
 でも、
 「俺を忘れて再婚してくれ」 
 という言葉を残す方が優しさのような気がする私は鬼畜なのだろうか。
 彼等が残した呪縛のような愛情が縛り、そして支えだったんだろうなと思う。

 著者の澤地さんはこれが処女作とは思えない筆力である。
 言葉を的確につかみ取り、それを文字にし、史実、感情を鋭く切り取り本質へと迫る。
 この人だからこそ、これ程の力を持って影に隠れた妻達の姿に光を当てる事が出来たのだと思う。

 是非、「妻達の生きていた」物語を読んで欲しい。

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| ノンフィクション | COM(6) | TB(0) |
2009-08-09 (Sun)
 山本文緒さんの好きな作家は「村上春樹」さんと「よしもとばなな」さんと聞く。
 自分が好きな作家さんが、自分と同じ作家さんを好きだというのが嬉しい。
 特に「村上春樹」さんと「よしもとばなな」さんが好きと聞くと同じ感性を持っている感じがしてさらに嬉しくなる。
 「お友達になれるかも」
 と儚い幻想を楽しめる。

 山本さんの書く作品のどんな所が好きかと言われれば、
 「女性の持つアクとかこりを書かせたら天下一品な所」
 である。
 多分こういうのを書かせたら彼女と肩を並べられる人はいないと思う。

 それを割とシビアに書かれるので、読んでいて軽いほろ苦さがある。
 でもどんなにシビアに書かれていても、登場する人物達に山本さんのクールなそれでいて温かい眼差しを感じる。
 その辺りが特に女性に人気が高い理由だと思う。 
 不思議と読んでいると、自分の中のどこかにあったこりがほぐされる感じもある。精神マッサージみたいなもんである。

 山本さんは再婚され、熱望していた芥川賞を受賞された後に、うつ病になってしまい暫く休筆されていた。
 普通に考えたら人生の好期だと思うが、自分の望みのものを手に入れられて満たされたことによりそれまで見なかった問題点と対面されることになったのかなと思う。

 病後に書かれた「アカペラ」はやっぱり病む前の作風とは変化されていた。勿論まだ病後は一作しか発表されていないの偏った見方になると思うが、以前あったクールさが影を潜め作品世界自体が優しさを感じられる。
 そして作風がより自由な感じになられた気がした。そして私はその味付けも気に入っている。


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| ヒトリゴト | COM(9) | TB(0) |
2009-08-08 (Sat)
 二本木真美と加賀祥子は小学校の頃からの付き合いで「親友」以上の仲であった。
 むしろ「運命」というべき出会いであり、それは祥子の持つ「念動力」という秘密を共有し合う事によってより強固なものになった。

 2人の共依存的的な関係はある出会いによって転機を迎える。
 それは藤原綾子というテレパスの力を持つ女性との出会いであった。綾子は人の心が読めるが故に、深い傷と人間に対する憎悪を抱いていた。
 真美と祥子、お互い不幸な家庭に育った2人は擬似母子的な関係であったが、綾子という存在によってそれまで見てみぬふりをしていた「ゆがみ」があぶりだされる。。。。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  
 掃除をしていて本を見つけるとどうしてつい読んでしまうのだろう。。。。

 この間部屋の掃除をしていたら「あなたにここにいて欲しい」の文庫本が出てきた。よせばいいのについ手に取り読んでしまい、案の定掃除は一旦中断である。この本が本棚に並んでいたら私は当分手にしてなかったと思う。
 「掃除をしていて見つけてしまった本」
 だからこそ読んだといえる。 これも何かの法則だろうか。

 新井さんの作品はびっくり箱という感じがする。
 とにかく独特の世界と感覚を持った作家さんで、読んでいて出てきた中身に驚かされることもしばしば。どうやったらこういう内容が思いつくのかとしみじみ思う。新井さんしか行けない世界のはしごをもっているみたいである。
 独特過ぎて合う、合わないがあるのだけど、合うと私のツボをぐっと押してくれるから読むのを止められない。 

 読んでいて一番染みた言葉である。
 「でも本当にー禍も、幸福も、糾った縄のようなものー」
 「一体何が禍で、一体どれが幸福なのか、果たして誰にわかるだろう」
 

 
 私は心の病になって本当に苦しんだし、つらかった。
 「ええい、もういいや」と全てを投げたしたくなった事が何度あったことか。

 でももし心の病にならなければ、今私が見ている世界の景色は随分違ったものになっていただろう。
 心を病むことがなければ「生きている」ということが本当は凄い事なのだという事は死ぬまでわからなかったと思う。
 病む前の私にとって「生きている」というのは最低限の当たり前のことだった。
 「生きている」事が当たり前と思うのか、奇跡と思うのか、どちらで捉えるかによって人生は随分違ったものになる。

 結局幸福も不幸も存在しているものではなく、選択するものなのだ。勿論「全ての事柄は気持ちの持ちよう」などと人生訓をたれるつもりはない。

 でも「選択する権利」は常にこの手にあるのは憶えておきたいと思う。

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| 新井素子 | COM(4) | TB(0) |
2009-08-05 (Wed)
   

 その運命の日、高松翔は母親とケンカをし仲直りすることなく学校へと向かった。
 何事もなければ繰り返される日常の1コマとして埋もれる出来事であった。

 翔達が授業を受けている最中に物凄い地響きが起きる。
 何が起こったのか学校の外を見ると建物も何も無い、ただただ砂漠のみが広がっていた。
 そこは破滅した未来であった。
 なんらかの事情により大和小学校のみが荒廃された未来へとタイムスリップしてしまう。
 常識を超えた出来事に先生達は耐え切れず、自殺する者、気が狂う者、と次々にいなくなる。
 後に残されたのは子供達だけであった。
 食料危機、伝染病、対立など様々困難が次々と降りかかる。
 それでも彼らは絶望的な状況の中で協力しあい今を生きていく。。。。


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 マンガ界アニメ界の天才と言われれば私は下記のお三方を挙げる。
 100年に1人現れるかどうかの天才手塚治虫。
 100年に1人の天才宮崎駿。
 そして何十年に1人の天才楳図かずお。

  天才と言われるマンガ家の中でも楳図かずおさんの作品は「この人以外にこういう作品は書けないよな」 という作品世界を持っている所が凄い。
 勿論手塚さんも宮崎さんも独自の世界を持っていらっしゃるが、楳図さんはより強くその思いを抱かせる創り手だと思う。
 
 基本的に天才の作品というのは神様が大切にしている「デザイン」を「かたち」にしたものだと思っている。
 そのデザインを見つけられるのは「天才」と呼ばれる人達のみ。
 楳図さんは神様のある部分のデザインを 独り占めにしてるんじゃないかと思う。
 
 ただ作品世界と同じく、絵柄も独特過ぎる。とにかく「濃ゆい」というか、めんつゆみたいに薄めたい気分である。
 食わず嫌いな人も少なくないと思うが、でもそれはもったいない。
 特にこの「漂流教室」は天才の傑作で読んでいてシビレまくる。これだけでも読んで欲しいと思う。

 前回の記事で取り上げた「バトル・ロワイアル」が「殺し合いゲーム」なら、この作品はサバイバル物語と言える。 破滅した未来の地球に放り投げられた子供達。次々と降りかかる困難に向かい合いながら成長していく。 どんな世界であっても子供は「希望」だなと思う。
 ラスト辺りで困難続きで理性を失ってく辺りがやや観念的になる所はあるけど、成長物語というのはオーソドックスで強いなと思う。

 1巻から思っていた「子供たちは元の世界に戻れるのか?」

 ラストでその疑問の答えが出るが、確かな希望を提示して終わる。
 ただ希望のある終わり方なんだけど、ある観点から見たら結構残酷な終わり方でもある。
 こういうラストは1mmも予想していなかった。  
 でもこのラストが一番この物語にふさわしいと納得させられる。
 やはり楳図さんしか書けないラストである。

 改めてある位置において楳図さんはしかいない唯一無二の存在だと思った。

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| マンガ | COM(6) | TB(0) |
2009-08-01 (Sat)
   

 大東亜共和国ー国が国民の思想を管理している体制。
 その大東亜共和国で毎年行われる「プログラム」。
 それは防衛上の必要から行う戦闘シュミレーションという名目で、中学三年生を対象に選ばれた学級内で生徒同士を戦わせ、設定時間まであるいは最後の一人になるまで戦い続けるという「殺し合いゲーム」。

 今回の対象となったのは主人公七原秋也のいるクラス三年B組の42人。
 自分が生き残る為に殺す者、自殺する者、戦おうとする者、「殺し合う」という極限の状態で交錯する様々な人間模様。

 誰が一体生き残るのか。。。。。


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 この「バトル・ロワイアル」は映画化され、その内容の過激さでかなり有名になった作品である。

 私がこの本を読むきっかけは映画が散々「殺人ゲーム」と騒ぎ立てられていたので、怖いものみたさというか、覗き趣味というか、とにかくえさにつられたという感じである(ちなみに本を読んでから映画を見た)。
 
 読む前は「殺し合いのゲーム」の物語という事でドキドキしていた。物凄く陰惨な内容を思い浮かべていた。
 「読んだ後暫く肉料理が食べれかも。。。」
 といらぬ心配までした。

 だが読んでみると全然そんな暗さは全くと言っていい程無い。「殺し合いゲーム」というテーマで陰惨さを感じさせないというのはある意味凄い。 
 恐らくそれは作者のポップな文体のせいもあると思うが、作品自体が「マンガ」調だというのが大きいと思う。
 マンガを小説にしたという感じである。マンガ好きな人なら乗れる作品だと思う。

  作品に登場する人物達が皆魅力的で、生徒達それぞれのバックグランドと人物描写がしっかりと描かれていて惹きこまれるように読んだ。
 イケメンのスポーツ万能な七原秋也。
 奪われ続け、奪う側にまわった美少女相馬光子。
 最初から人間として大切な「何か」が欠けている超天才少年桐山和雄。
 超中学生級のパソコンの知識を持つプレイボーイ三村信史。
 等など。。。
 決して人間が描けているわけではないが、本当に魅力的には描かれている。 

 この作品を読んでいて一番感じたのは「切なさ」である。
  まさかこの味をこういった作品で味わえるとは思わなかった。
  「殺し合い」というテーマ自体は奇抜というか陰惨だけど、書かれている内容は当たり前の人間模様だった。むしろその特異なテーマによってあぶりだされる感情がきっちりと書き込まれている。 
 生きるために、自分の信じるものの為に、自分の守るためのものの為に、懸命に生きている姿が描かれており、でも彼等がどんどん死んでいってしまうのが切なかった。
 
 とにかく読む前に抱いていた印象とは全然違う内容に驚いた。
 なんだかコーヒー味と思って食べたあめ玉が実はレモン味だったという感じである。

 文句なく「面白い」と読める作品なのでお勧めである。

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| 高見広春 | COM(6) | TB(0) |
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