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2009-06-28 (Sun)
 ヒトリゴトの「ネタ潰し企画」として私が今まで読んできたマンガの最終回Best3をやっちゃいました。
 下記最終回未読の方には若干「迷惑な企画」かもしれない。

 第3位 「うる星やつら」 高橋留美子

 
 このマンガの最終回を読んだのは実はつい最近である。
 「鬼ごっこ」で始まり「鬼ごっこ」で終わる最終回にシビレた。
 当然最初の「鬼ごっこ」とラストの「鬼ごっこ」はその意味が全然違う。最初の鬼ごっこは「地球の運命をかけたゲーム」だけど、ラストの鬼ごっこは「あたるとラムのふたりの思いをかけた追いかけっこ」である。
 意地でもラムに好きとは言わないあたる。言いさえすれば楽になれるのに。言わない、言えないのがあたるの愛情なのがじ~んと来る。
 「忘れるもんか」とラムに叫ぶあたると叫ばれるラムの姿に連載9年に及ぶ歴史が積もっている。
 あたるの「今わの際に(好きだと)言ってやる」というセリフは名セリフだ。
 これは映画化されているけど、映像の力と音楽の力とあいあまって素晴らしい作品に仕上がっている。機会があれば是非見て欲しい。

 第2位 「キャッツ・アイ」 北条司
 
 
 言わずとしれたドロボー美人三姉妹「キャッツ・アイ」に彼女等を追いかける刑事の俊夫。
 実は三姉妹の一人である瞳と俊夫は恋人同士で、俊夫は瞳がドロボーだという事を知らないという設定だけど、今考えればけっこうおまぬけな俊夫だと思う。
 これは本編ではなく、番外編が本当の意味での最終回となった。
 確かウィルス性の風邪に罹った瞳が記憶喪失になってしまい、全てを捨てて瞳を追ってきた俊夫を見ても「あなた誰?」とわからない。
 だが俊夫は「瞳ともう一度恋が出来る」と。そしてまた2人の新しい恋の物語が始まるでお終い。
 これは「こういう切り口があったんだあ」と感動とした。瞳が俊夫をずっと騙し続けたという過去はキレイに無くし、お互いなんのわだかまりもなくまた新しい物語が作れるとしたら確かに記憶喪失しかないけど、こんなに爽やかな記憶喪失の設定は初めて読んだ。
 

 第1位 「キャンディ・キャンディ」 いがらしゆみこ
 

 今まで読んできたたくさんのマンガ、これから溺れるようにマンガを読む事があってもこの一位は不動だと思う。
 最後の最後でアルバートさんが「丘の上の王子様」である事がわかるシーンは鳥肌がたった。
 完璧なラストシーン。めったに「完璧」という言葉は使いたくないけどこの作品は別格である。
 物語の着地点のお手本のようなラストだと思う。
 これは結局キャンディはアルバートさんとくっついたという事なんだろうなあ。

 <蛇足>
 今までのワースト最終回はぶっちぎりで「ハイスクール鬼面組」(怒)。
 夢オチはないだろう!!!
 

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| ヒトリゴト | COM(7) | TB(0) |
2009-06-27 (Sat)


 由美子は母親が交霊会の最中に父親を殺してしまい、母親も死んでしまうという大きな傷を抱えていた。あまりにも大き過ぎてその存在を感じられない位に。
 そんな彼女の所にいとこの昇一が訪ねて来た。昇一の母親と由美子の母親は双子であったが、ある時を境にして絶縁していた。数年ぶりの再会だった。
 昇一は母親の遺言で由美子を助けたいという申し出であった。
 由美子はそのことをきっかけとし自分の暗い過去をなぞる時間を昇一と過ごす。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  一時期かなりよしもとばななさんにハマった。
 図書館で借りられる本は片っ端から食していった。彼女の書く作品世界が好きだった。
 でもある時ふと、
 「よしもとさんの書く作品てどれも似たようなものでマンネリだな・・・・」
 と気づいた(中期辺りの作品からかなあ)。

 「ワンパターン」はなく「マンネリ」。ワンパターンとマンネリは違うと思う。
 例えば「サザエさん」は同じような内容をずっとやっているけどこれは「ワンパターン」だと思う。何故なら飽きが来ないから、マンネリは飽きてしまう。
 それから長い事彼女の作品を食する事はなかった。

 でも最近ふとよしもとさんの作品が読みたいなあと思うようになった。
 好きでずっと食べていた「かっぱえびせん」の味に飽きて食べなくなったけど、でもふとその味が懐かしくなってきたとでもいうのだろうか。
 偉大な作家の作品を「かっぱえびせん」と同列に語るのはなんだけど、私にとっては正にそういう心境であった。

 読んでいて懐かしさを感じた「ああ、ああ、この味だあ~」と。

 私にとってよしもとさんの作品は初期の頃はともかく、中期以降はストーリーを楽しむというよりはただただ彼女の用意した世界に浸るという感じである。
 その世界で心をじゃぶじゃぶ洗われているような感じだ。読み終えた時は自分の感受性がピカピカになっていて自分や周囲のものが1.5倍位愛おしく思える。

 彼女の作品を読んでいると世の中の大事な事、大切な事に改めて気づかさせてくれる。

  「生きているってこういうことなんだ、これでいいんだ~ただひさしぶりに会ったいとこと旅をしたりちょっといいホテルで朝ご飯を食べたり、それをこの体で消化したり~それでいいんだな、これが人生のほとんど全部の要素なんだ、そう思った」

 そうなんだよなあ~と思う。人生って何かを成し遂げる事がなくても、美味しいもの食べたり、友人とおしゃべりしたり、自分の好きな本を読んだり、そういう些細なでも確かに幸福な物事を心身で消化していく事なんだなと思う。それでいいんだよなあと思わせてくれる。

 「ああ、やっぱりこの味だ」
 と久しぶりの味わいを堪能した。
 マンネリを感じはしたけど、でも味わいはやはり一級品だと思う。

 また暫くよしもとさんの作品をやめられない止められないかっぱえびせん状態で読みそうだ。

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| よしもとばなな | COM(8) | TB(0) |
2009-06-24 (Wed)
 
数年前からプチブレイク中の「毎日かあさん」やっているサイバラこと西原理恵子さん。
 あいも変わらずの暴投な毎日をしっりネタにした作品集。
 サイバラ最高傑作(と言われている)「うつくしいのはら」収録。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  私はサイバラさんにとって良くない読者だと思う。何故なら彼女の経済活動に全く貢献していないから。

 私は本は「図書館派」である(節約派ともいえるか)。それは経済的理由と場所的な理由である。
 欲しい本をかたっぱしから買える甲斐があるわけではなく、買った本を本棚に入れて悦に入れるほど部屋の広さに余裕がない。
 だから私が本を買う時は「なんとしても私の側にいて欲しい!!!」時のみである。
 その私が唯一持っているサイバラさんのマンガがこの「営業ものがたり」である。

 このマンガを買ったのには理由がある。
 たまたま本屋で平積みされているこの本の帯を見かけた時そこには、
 「サイバラ、生涯の最高傑作、『うつくしいのはら』収録!!」 
 と書いてあった。
 正直その帯の内容を読んだ時は、
 「またまた、そういう事書いて買わせようとするなんて。最高傑作って幾つあるんだよ」 
 と思った。
 でもその本屋さんは見本で一冊だけビニールに入れていなかったのでつまみ食いをしてみた。 
  「本当だ。。。。」
 読んで驚いた。素晴らしさに驚いた。
  私は数多くサイバラさんの本を読んでいるわけではないけど、それでも「うつくしいのはら」が最高傑作と呼ばれるのにふさわしい作品とは思った。

 もともとサイバラさんの作品を幾つか読んでギャクマンガだけではなく、情緒的なストーリーマンガも上手い人だとは思っていたが、この「うつくしいのはら」は彼女の持っているそういう才能が最も質の良い形で作品化されたものだと思う。今まで読んだ作品のより上の世界のレベルの作品である。
 とにかく作品世界の物悲しさと「うつくしいのはら」という言葉の持つ美しい響きが対照的で胸に迫る。
超短編であらすじを書けないのが残念だ。
 
 以前私の好きな宇多田ヒカルちゃんがファンからの質問で「絶望の反対は?」の質問に「ユーモア(笑い)」と答えていた。
 私は希望だと思っていたけど(それも間違っていないのだろうけど)、最近はなんとなくその意味がわかるようになった。
 笑いは身近というか、「希望」よりは手っ取り早くポジティブになれるというか、活力になるというか。  
 「笑い」は希望の始まりのような気もする。

 サイバラさんの笑いに対する根性を見ていると、たいていの事は笑う事が出来ればなんとかなるもんだと思った。

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| マンガ | COM(8) | TB(0) |
2009-06-21 (Sun)
 なんと!!!!!
 下記のランキングでそれぞれ10位以内に入っていました。
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見た時は「蜃気楼か・・・」と思ったのですが錯覚ではないようです。
 感激です。感動です。感謝です(涙・笑)。
 歌番組「ザ・ベストテン」なら出演出来る順位です(持ちネタが古くてすいません)。
 
 いつも応援ポチして下さる方々に本当に感謝です。勿論柱の陰から読んで下さる方も、コメント下さる方にも感謝感謝です。

 これからもユーモアを忘れず、でもどこか「ツボ」を押せるような記事を頑張り過ぎない程度に頑張りたいと思います。
 どうかお付き合いのほどよろしくお願い致します。

| ヒトリゴト | COM(11) | TB(0) |
2009-06-20 (Sat)
 
「二十歳の原点」 の著者高野悦子と同じ名前を持つ「私」。
二十歳の高野悦子が孤独であったように36歳の「私」も孤独であった。その重みに耐えかねた「私」は死を思うようになる。
 そんな「私」の前に「一年死ぬのを待てば眠るように楽に死ねる手段」をあげるという「人物」が現れる。
 「私」の一年後のゴールを決めた最終滑走を始める。

 編集者の原田は自分が取材した男性二人が毒で自殺した事がひっかかっていた。
 元々多少「死」を思わせる取材対象であったので自殺自体は意外ではなかったが、どちらも彼が取材してから一年以上経ってからの自殺という部分が気になっていた。
 何故「その時」ではなく「1年後」だったのか?


 この物語は二つの視点で進んで行く。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  *若干ネタばれ有り

 孤独にも種類があると思う。
 自分や周囲のものを愛おしく思えるポジティブな孤独。
 高野悦子さんのような若さ故の孤独。
 そして「私」のように自分を見失い「死」に救いを求めるようなネガティブな孤独。

 私も「私」と同じような境遇の所もあるので「私」に共感出来る部分がある。
 30歳後半の独身女性は「オバ心」が揺れるのである。40歳になればふっきれる部分もあるのだろうけど、おまけに年のせいで若干身体にもガタも来るので迷いの時だと思う。

 だから「私」の最終滑走のルートに興味を持って読み進めた。
 読んでいていつか人は死ぬのだから期限はあるはずだけど、それでも確実に決めた期限は人によっては「幸福感」というか「どうせ死ぬのだから」という開き直りのような一種の解放感をもたらすものなのだなと感じた。


 この本を読んでの私の特に「ツボ入りました」部分は、恐らくこの本を読んでいる多くの人とは異なる部分だと思う。
 それは自分がメンタルを抱えている故なのだけど、
 「生きようと思えば生きられる人間の抱える絶望」
 「生きたくても生きられない人間の抱える絶望」 
 はどちらが深いのだろうかと。

 私が心の病の一番調子が良くない時で死に取り付かれていた時、後者の人達に対しては「申し訳ない」と思っていた。
 自分は体はピンピン(体は健康優良児だった)しているのに、それなのに死にたいと思うのは傲慢だと。
 前者の人間は後者の人間に対してある種の後ろめたさのような思いは抱えているような気がする。
 しかし後者の人間が前者の人間にプラスの感情を持つ事はきっと少ないだろうと思う(この作品でもここがポイントになっているけど)。
 不可避の可能性が高い死を目前にしている人達にすれば「生きようと思えば生きられる人間の絶望」は、この作品に出てくる登場人物の言葉を借りるのなら「贅沢なフィクション」と思うのかもしれない。
 でも前者体験者の私としては「生きようと思えば生きられる人間の絶望」は生きられるはずが故に、その「生への思い」を踏み潰すような絶望を抱えているともいえる。
 

 これは個人的な好みだと思う。
 「私」が孤独を癒し自分の居場所を見つけていくルートとして「ボランティア」というのは少々安易な気がした。  勿論それを素材として取り入れる必然性は理解出来る部分はあるのだけど、なんかこう面映いというかストレート過ぎるというそんなに上手くいくものなのか?というか。。。。

 突っ込みたい所はあるけど、でも揺れる「オバ心」に着地点としては悪くは無と思った。

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| 本多孝好 | COM(3) | TB(0) |
2009-06-17 (Wed)
   
双子の兄弟上杉達也と上杉和也。
 兄の「タッちゃん」は努力嫌いの劣等生。弟の「カッちゃん」は成績優秀で天才投手。
 そんな2人のお隣に住むのが美少女の浅倉南。
 幼馴染の仲良し三人組はやがて互いへの思いを強く意識する年頃となる。
 だが南を甲子園に連れて行く事を史上の目的としていた和也は交通事故で亡くなってしまう。
 代わりにその役割を担うのが達也。南を甲子園へ連れて行く為の道程が始まる。

 青春ラブコメの金字塔作品。


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 この作品は語る必要がない位の思われる名作中の名作。
 というわけで今回はこれにておしまい。
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 というのはアレなので勿論語ります。
 最初に読んだ時に「えっ、これ少年マンガ!!!少女マンガじゃないの??」と思った。
 私は「週刊少年ジャンプ」派だったので、少年マンガといえば「愛と勇気と友情と格闘」というこめかみに十字が浮かびそうな「熱さ」を持つものだと思っていたので「タッチ」の軽さに新鮮さを感じた。
 「軽み」とでもいうのだろうか、対象と距離があるクールさを感じた。

 ラブコメという分野を味わったのもこのマンガが最初だった気がする。
 「ギャハハハ」という笑いではなく、
 「ああ、そこそこいい感じ」  
 という感じでツボをひょいと押すような「クスリ笑い」がおつだった。

 最近改めて読み直したけどやっぱり面白い。
 当時は単に面白いという感想を抱いただけだったけど、こうして時間が経って見ると改めてあだち充さんのセンスの良さというかその技量に感嘆する。
 彼はエピソードと間の取り方が抜群に上手い。当時は気づかなかったけど。
 「タッチ」という物語はつまる所「南を甲子園へ連れて行く物語」である。
そう、あれだけ長いマンガもこの一行でまとめられる。でも何気ない日常を何かあるように描く普通の物語はストーリーに起伏あるマンガよりも難しい。
 職人技がそれとなく活かされているだなあと新たな視点で読んでいた。

 あだち充さんが最近のインタビューで「若者に世界不況なんて関係ない。大事なのは好きな子と一緒にいられるか」というような事をおっしゃられていた。
 この物語には多分私達が大事にしたいと思っている様々な事柄が濃縮されてるんだよなあ。。。
 
 最近、子供時代によく読んだマンガを読み返している。
 読み返すと当時の色んな情景が思い浮かんで来て懐かしさがこみ上げてくる。
 当然だけど当時感じた面白さはそのままでも、感じる所、ツボに入る所は微妙に異なる。それを感じる時、今までの時の流れの中で失ったもの、得たもの、それら全てをひっくるめての「今の思い」だなあとしみじみする。

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2009-06-14 (Sun)
 先日栗本薫さんが亡くなられた。
 彼女もまた「物語の紡ぎ手」と呼ぶにふさわしい作家さんだったと思う。

 私が彼女を初めて知ったのはクイズ番組『ヒントでピント』である(書いていて懐かしさがこみ上げてきた)。
 女性キャプテンを務めていたが、とにかく物知りで「頭の良い人だなあ~」と子供心に焼きついた。

 
 その後栗本さんの作品を読める年代になった。でも実の所は彼女の作品はたくさん読んでいない。
 「終わりのないラブソング」と「伊集院大介シリーズ」と「ぼくらシリーズ」のみである。

 「終わりのないラブソング」は完全無欠のBL小説である。おまけに挿絵が吉田秋生さんなら読まずにはいられない。
 でもこの作品の凄い所はBLだけで終わっていない所である。
 本来最も味方になるべき「家族」が、最も傷つける存在としての「家族」として描かれていた。
 BLで頭がお花畑の所にそういうモチーフを盛り込んでいて「考えさせる」という所に深みがあった。
 

 探偵が活躍する推理小説で一番好きなのが伊集院大介シリーズである。
 初期の頃の作品が好きで飄々とした風貌に似つかない鋭い観察力と推理力。
 でも一番私にとっての魅力は「ふんわり感のある優しさ」である。力みのない軽さを感じさせるキャラが特に気にいっていた。
 ただ中盤以降から趣を変えて伊集院さんが狂言まわしのような役割になってからは正直あまり面白くなくなったけど。

 そして栗本さんの代表作の「グイン・サーガ」は遂に手を出せなかった。
 あらすじをつまみ食いして「これは、いけそう」と思ったけど、「100巻はいく」というお言葉にビビッてしまった。
 一度踏み込んだら引き返せない壮大な世界に恐れをなしてしまった。きっと読み始めたら貧乏しても揃えていたと思う。

 氷室冴子さんもそうだけど、栗本薫さんも、日本女性の平均寿命から言えばまだまだお若い年で亡くなられた。
 物語の神様に深く愛されたお2人の作品が永久に読めないのは本当に寂しい。。。。
 


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| ヒトリゴト | COM(8) | TB(0) |
2009-06-13 (Sat)
 

 「SEVEN ROOMS」
「ぼく」と姉は目が覚めると、コンクリートで出来た灰色の壁の窓もない小さな四角形の部屋に閉じ込められていた。
 最初は誰が何の目的で自分達を閉じ込めたのかさっぱりわからなかったが、色々探っている内にそこには七つの部屋があり、毎日一人ずつ順番に殺され、また人が補充されるという行為が繰り返されている事を知る。
 やがて「ぼく」と姉にも期限の七日目がやってくる。。。。。。


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 *若干ネタばれあり 
 
 これは短編集だけど黒乙さんも、白乙さんも混じっていて、しかもどの作品も粒揃いなので「乙一」入門書にはちょうどいいと思う。
 白乙さんとはせつない系の作品の事で、黒乙さんはホラー系の作品の事である。

 ちなみにこの「SEVEN ROOMS」は
 「激黒乙様」 
 である。
 真っ黒、黒。
 それでも、いやそれだからこそこの作品が私には一番印象深かった。

 この作品世界においては毎日順番に無意味に残酷に殺されていくというのが絶対ルールとなっている。
 ただそれまでとは違うのは閉じ込められて殺されるのは若い女性であったが、少年の「ぼく」と高校生の姉という犯人がそれまで決められたルールから外れた行為をする事により、そこにほころびが出来る。

 乙さんの魅力は色々とあると思うけど、私にとっては「ちょうど良い残酷さ加減」が魅力の一つである。
 あまりにも残酷過ぎると気分が良くないしそもそも読む気がしない。
 でも黒乙さんの作品は例えて言うのなら、
 「残酷なシーンで思わず手で顔を覆いつつも、その指の隙間から覗いてみたくなる残酷さ」
 とでもいうのだろうか。

 人は美しくてキレイなものだけではなく、どこか陰や怖さにも惹かれる部分は確かにあると思う(だからホラーという分野があるのだし)。
 乙さんの残酷さは「受け入れる」と「拒否したくなる」境目のちょうど良いラインをなぞっている気がする。その辺りがシビレる。

 それと乙さんの書く残酷さにはどこか「物哀しさ」というか「哀切」というのか、「悲しさ」ではない「哀しさ」を感じる。
 その正体はなんなのか?
 答えを見出したくて読み続けているのかもしれない。

 それまで閉じ込められ何も出来ずに殺されていった女性達の無念を晴らすかのような、「ぼく」と姉の犯人を出し抜くラストは天晴れである。

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| 乙一 | COM(7) | TB(0) |
2009-06-10 (Wed)
   

 1998年の暮れに起こった事件。
 一人の女性が宅配で送られて来た青酸カリで自殺した。その青酸カリを送った草壁竜次(仮名)という青年も責任を取って自殺する。

 ネットという媒体を通して見知らぬ者同士が青酸カリのやり取りをしたこの事件。
 最初は死の商人的な扱いを受けた草壁竜次だが、ネット上で共にHPを運営していた彩子という女性が「彼は生きてもらう為にこそ青酸カリを渡した」という言葉が衝撃を与える。

 精神医療の現場に携る著者がこの特異な事件を真摯な思いで再構築したノンフィクション物語。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 この事件はかなり話題になったので記憶にある人も多いのではないかと思う。

 草壁さんがやった事を「正しい」か「間違っている」かの物差しで計るなら当然「間違っている」になると思う。
 じゃあ「絶対的に間違っていたか?」と問われたら、私は何も言えないだろう。
 彼自身も鬱病患者であり、薬でも医者でも治せない鬱病患者のみに青酸カリを渡すという基準を設けていたらしい。 

 「青酸カリを入手していつでも死ねるのだから、もう一日だけ頑張ってみようと自分に言い聞かせることによってしか生きていけない病人がいる」
 という人達に逆説的な意味で青酸カリを送った心情はとても理解出来る。

 何故なら心の病に理屈は通用しない。これ程理屈の通用しない世界も珍しいくらいだと思う。
 とにかく「死にたい」という気持ちがやってくると、どんな理屈も吹っ飛ばしてくれる。
 それまで曲がりなりにも十数年以上生き来て、楽しい事も嬉しい事も一杯あって、大切な人や物や事柄も一杯抱えていても、でもその時はそれらのものが何の意味も意義も持たなくなる。

 それは本当に悲しい。それまで培ってきた全てのものが無になるのだから。。。。

 ただただ地の底から死の世界へと引きずり下ろすような死への衝動が沸いてくる。
 もうその時その世界には何も存在しない。本当に一人なのである。

 この本はそういった人達の物語である。読んで初めてあの事件にはこういう景色があったんだと知る事が出来て良かったと思う。
 著者の矢幡さんはなかなか書く力のある方で、勿論彼の視点を通して書かれた事件の全貌だけどよくぞここまで迫っているなと感嘆してしまう。

 生前の草壁さんは、
 「私だってできることなら、普通に生きていたかった」
 という言葉を残している。
 この気持ちは本を抱きしめたくなるほど痛いほどよく理解出来た。
 とにかく調子の悪いときは「おはようございます」から「おやすみなさい」まで一日中症状に悩まされてその日を終える事がしばしば。
 「ああ、普通に生きたい」と心から切望していた。

 若い頃は「普通」という言葉はプラス方向の言葉として捉えてはいなかった。
 最近はようやく「普通」という言葉の持つ凄さを噛み締めている。

 フツーでいいんだよなあ。。。。。。。。。。。。。。。。(この句点の数が煩悩だな)。

 
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| ノンフィクション | COM(5) | TB(0) |
2009-06-06 (Sat)
 
 目が覚めると利根は自分の名前以外の記憶の全てを失い、見知らぬ世界にいた。
 そんな彼女の目の前には四人の女性がいた。記憶が戻るまでそれぞれの女性の所で交代でやっかいになる事になる。
 その世界で過ごしている内に四人の女性がどうやら小説やおとぎ話に出てくる登場人物だと気付く。 
 彼女達は皆幸福ではなく、彼女達の所をひとりひとり訪れその苦悩や悲しみに触れる内に、徐々に記憶が戻ってくる。
 それは利根にとって悲しい切ない記憶だった。
 現実世界の利根はひきこもりの孤独な少女で、ここはそんな利根が現実のつらさから逃避し創り上げた異世界であった。

 この異世界から抜け出す道を模索する利根に全ての記憶が蘇る。。。。
 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  
 「物語りの紡ぎ手」と思う作家さんの名前を上げろと言われたら「氷室冴子」さんは名前を挙げる作家さんの一人である。
 この作品はそんな彼女の作品の中でも最高傑作のひとつだと思う。

 若い頃は誰もが自分の持っている心の中の迷路を彷徨う。
 その彷徨う姿を小説(物語)に出てくる登場人物と絡めながら描いている世界は斬新であり魅力的である。
 その登場人物も通常の物語の設定のキャラとは違う味で描かれていて面白い。この物語にはこういう角度もあるかあ~と感じ入る。

 特に「シンデレラ迷宮」というタイトルは秀脱である。
 女性なら誰もが持っているシンデレラ症候群。そういうツボをつきまくるタイトルである。

 利根が王子様だと思っていた「あの人」は残念ながら彼女の王子様ではなかった。可愛そうな利根に同情した優しい、そして残酷な人だった。
 
 笑ってやって下さい。

「私も王子様を待っていました」 (ああ~言ったあ)
  
  でも別にそれは男性でなくても女性でも老人でも子供でも、極端な話し犬や猫でもいいから「不幸な(だと思っていた)自分」を救って入れる誰か、何かを私はずっと待っていた。救って欲しいと願っていた。

 でも待っても待っても現れず、待ちくたびれた私は結局「自分が王子様」になった。というかならざるおえなかったというか。。。

 私に与えられた物語は自分が王子様になって自分で自分を救う物語だった。
 でも結果的にはこれで良かったと思っている。何故なら自分を救ってくれる人間が現れたら私はその人に依存して生きていく事になったかもしれないからである。
 「依存」が悪いとは思わないけど、私には合っていない生き方だから。

 そして利根も自分を救ってくれる誰かを待っているのではなく、自分で迷路の出口を見つけていく。
 自分で自分を救うという新しい物語を創っていく。

 氷室冴子さんはある時から作品を書かれなくなった。
 彼女と同じコバルト文庫で活躍した山本文緒さんや唯川恵さん等が活躍されているだけに勿体無いと思った。
 実力はあったはずなのに書かれなかったのは彼女なりの決意があったとは思うけど。

 氷室さんが亡くなられたと聞いた時、残念と思うと同時にもう二度と彼女の生み出す作品に絶対的に会えない事の寂しさを感じた。

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| 氷室冴子 | COM(10) | TB(1) |
2009-06-03 (Wed)
 

昭和40年代の始めを生きていた美しい17歳の高校生一ノ瀬真理子。だがある時彼女は、突如25年後へと時間の流れをスキップする。
 目を覚ました時17歳の真理子は、42歳の桜木真理子という名前で夫と17歳の一人娘を持つ高校教師であった。
 失われた時、失われたものの大きさに愕然とする真理子であったが、それでも今いる場所で生きていく為に今日という日を生きようと模索し続ける。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 北村薫さんは名前と作風から女性作家だと思ってきたけど(多分そう思っていた人は多いと思われる)、初めて顔写真を拝見した時小ぶりな感じの男性なので驚いた(もっと上手い表現ないかなあ)。
 
 作品を読んでいると北村さんはどんな小さな事柄でも自分の世界を構築する様々な言葉、物、人を大事に愛おしんで来られたんだなあと感じさせる。正にこの作品もそういった事柄がにじみ出ている。

 でも正直に言おう。
 この作品を「北村薫」さんが書いていなかったら図書館で借りた本だけど私は読み終えたら、
 「投げていた」
 と思う。
 「北村薫」さんの持つ色合いが作品世界を包み込むからこそ、あのストーリーとラストを受け入れる事が出来たと思う。 

 だからと言って面白くないのではない。面白いのではある。

 ただ個人的な意見として真理子も彼女の家族も物分りが良すぎる感じが否めない。
 勿論それぞれが葛藤はあるけど私的には物足りなく感じる。 とりあえずは受け入れるという姿勢があっさり過ぎて。
 私が真理子の娘だったら、母親が「わたしは17歳」と言ってきたらまずカレンダーで今日が4/1でないかどうか確かめた後、病院へ連れて行く。
  
 真理子も、もう少し我がままでもいいんじゃないかと思う。
 42歳の自分の目の前にはかつての美しい自分に良く似た娘がいて、その娘はこれから自分がもぎ取られた美味しい時間を生きていく。その事に対する、失われたものに対する慟哭がもっとあってもいいような気がした。

 そこの辺りに歯がゆさを感じるが、これこそ北村薫印だともいえなくもない。

 でも真理子の目の前にある「今」を懸命に生きようとする姿勢には励まされる。

 「 17歳→42歳の時間のスキップ」 というのは残酷である。
 あらゆる可能性を持っていた未来は奪われ、限られた選択肢しか残されておらず、勿論ピチピチの肌は失われ、しわやたるみが出てきて身体も衰えている。 

 それでも真理子は「今」を投げ捨てない。

 「わたしはとにかく生きている。だから、頑張ろうとしているのだ。わたしの指揮官はわたし。指揮官が試合放棄をしていいはずがない」

 「昨日という日があったらしい。明日という日があるらしい。だが、わたしには今がある」
 

 この作品を読んでいて自分を愛し、人を愛し、今を前向きに生きられるのなら、人はどんな所でも、どんな事があっても生きていける のだなと思った。

 17歳の真理子がスキップした年齢に近づいてきて、目尻や、髪の毛にそれまで「見慣れぬ形跡」がチラホラと見え始めている。。。。
 真理子のように着地点としてそれらを受け入れていけたらいいなあととりあえず自分を励ましてみる。

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| 北村薫 | COM(3) | TB(0) |
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