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2009-04-29 (Wed)
 

 ノンフィクション作家として有名な柳田邦男氏がはからずも心の病との格闘の果てに、自死をし、脳死に至った次男の洋二郎さんとの11日間を綴った書


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 人にも出会いがあるなら、本にも出会いがあると思う。
 私にとってこの本は正に運命の出会いだったと思う。自分の一番苦しい時に出会い、この本がなければ私の人生最悪の時はもっとつらいものになっていただろうと思う。
 ありがとう、ありがとうの「命の恩本」である。

 この本と出会った時、心の病が一番調子の悪い時だった。
 よく死にそうな状況を、
 「棺おけに足を突っ込んでいた」 
と表現する場合があるけど、もうその時はそんなのは通り越して、
「棺おけに全身突っ込んで後は蓋を閉めてハイさようなら」 
という位へろへろだった。 生きているのが不思議なほど最悪の調子だった。
 毎日、毎日「死にたい、死にたい」と考えていた。

 そういう時にこの本に出会った。
 
 洋二郎さんは心の病との格闘に疲れ果て、最終的には自死(自殺)を選ばれた。
 彼は神経症主体の心の病で、彼の抑うつ神経症や強迫神経症等の症状が私とよく似てた。
 それだけに骨の髄まで洋二郎さんの孤独、苦悩、絶望感が染みて来た。染みまくった。
 最終結論は「死」ではあったけど、それでもその到着点に至るまでの洋二郎さんの一生懸命に行き抜こうとした姿勢に励まされた。
 「私もへろへろしているだけじゃダメだ!!!」 
 となんとか底から這い上がろうと思った。 

 洋二郎さんを理解しようとする父である柳田さんも、少数の友人も誰も彼を止められなかった。
 心の病の切なさはどれだけ自分を愛してくれる者がいても、その愛する者がどうやっても行く事の出来ない位遠い弧絶した世界に心を病む者はいる。自分だけしかいない孤独の世界にいる。
 色々と手を尽くしても愛する者をこちら側に引き戻せなった柳田さんはさぞおつらかっただろうと思う。
 自分を愛してくれる、また自分が愛する人がいても心の病においては完全な救いにならない。心の病はどんな理屈も吹っ飛ばしてくれる。

 洋二郎さんの日記も載せられているけど、そこには頻繁に「死にたい」という言葉が出てくる。  
 
 かなり調子が良くなった今ならわかる。
 彼は本当は生きたかったのだと。私も「死にたい、死にたい」と思っていた時、本当はその思いと同じ強さで「生きたい」と思っていた気がする。死にたいは生きたいの同義語のかもしれない。
 某漫画で「本当に死にたがっている人はいない」という言葉があったけど、その通りだと思う。

 まだまだ完全調子ではなく、時折来る大波、小波に、
 「あれぇ~」 
 とさらわれそうになるが、なんとかこちら側にふんばりたいと思う。

 あの苦しみを経て今の自分は生まれたと思う。この本を読むと自分の原点に立ち返る。

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| 柳田邦男 | COM(5) | TB(0) |
2009-04-26 (Sun)
 灯油を使いきろうと室内の洗濯の時に使ったりしてなんとか使い切ったと喜んでいました。
 が、今日昼寝時にちょっと寒くなりこたつを使いました要領が悪いです。

 私にはやりたい事があり、今はそれに向かって歩いています。
 でもなかなか手ごたえがなく、少々バテ気味。。。。。
 自分のやり方や間違っていないというのはわかっています、これは確実に。
 自分のやり方が間違っていないと思うのなら、このまま努力を続ければきっと何時かは願いが叶うのだろうと思います。 強く願い、努力の方向が間違っていなければ必ず願い事を引き寄せると思うので。

 でも何かしらの結果を得ないとやっぱりめげてしまいそうになるんですよね。やっぱり、
 「にんげんだもの」

 自分が正しいとわかっていても、今イチな流れの渦中にいる時はどうすればいいのかなあと悶々としています。
 やり方が正しいのか間違っているのか悩むよりは楽なんでしょうが。
 まあ、でもどういう波の渦中にいても自分の信じたやり方で自分ができる事をするしかないんだろうとは思っていますが。。。。

  それでもあきらめない事の、続ける事の難しさをしみじみ味わっています。

  あっ、いつもより真面目な内容だあ。
| ヒトリゴト | COM(2) | TB(0) |
2009-04-25 (Sat)
   
  とある事件が起きた。
 人気作家日高邦彦が何者かによって自宅で殺された。この事件の担当刑事となる加賀はすぐに犯人の目星をつける。
 だが逮捕された犯人はなかなか動機を語ろうとしない。単なる殺人事件は思わぬ様相をおびていく。
 犯人の真の動機は一体何なのか?驚きのラストへと向かっていく。
 


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 青田買いの喜びというのは自分が目につけた人が大成した時に、
  「ふふ、私はブレイクする前から目につけてたもんね。やっぱり私の見る目は正しかった。」
  と一人悦に入って喜び、他人に些細な自慢が出来る事だと思う。

  私にそんな喜びを与えてくれた一人が東野圭吾さんだった。

  私が東野さんと出会った時は活字中毒真っ盛りの時だったけど、ミステリー分野は未開の地であった。
 というのもそれまで数冊ミステリーは読んでいたけれど、それらのラスト(というか謎解き部分)が私的には納得いかないものが多かった。何か肝心の謎解き部分が、
 「後だしジャンケン」 
 の感じがして不完全燃焼気味だった。私の読解力がないせいかもしれないが「伏線ってどこに有ったんだ!!!」「なんでいきなりこういうオチ???」とストレスが溜まること、溜まること。。。。。

 ある時友人に「東野さんはフェアで面白い作家さんだ」と薦められて読み始めた。
 東野さんと出会って初めてミステリーが面白いと思った。よく使われる「カタルシス」を始めて味わえたミステリー作家さんだった。
 私にとって一番の喜びは何より「フェア」であった事。きちんと伏線がはられていて、それがちゃんとラストで納得出来る事。
 謎解き部分で、
 「おお!!! 」
 と思えるのは幸せだとしみじみ感じていた。

 この悪意という作品は私が東野さんと出会った頃に読んだ作品だけど、とにかく話しが二転、三転(いやもっとかな)してその回転に乗るのがたまらない面白さだった。
 本当にストーリーと構成がよく練られている。最後ので着地点で全ての伏線がピタッと決められた時は、
 「お見事!!!」  
 と敬服した。ラストでタイトルの「悪意」の真の意味がわかり唸らされた。

 出会った頃の東野さんはミステリーファンの中ではその実力も知られていたけど、今イチブレイクしきれないでいた。
 作品の質の高さと面白さは文句なしだったけど、キャラというか作品世界のインパクトが薄めで、ファンであった私でもその当時有名だった島田さんとか綾辻さんの作品と比べると薄味かなあと思っていた(正直キャラの薄味というのは今でも思う部分はあるけど)。

 こんな大作家になるとは。。。。ホント目を細めて喜んでいます。
 他人に東野さんを勧める時は「ブレイクするかなり前から評価していたけどね」という一言は忘れません。

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| 東野圭吾 | COM(2) | TB(0) |
2009-04-22 (Wed)
 「N・P」という題の小説。
 それは幾つかの短編小説からなっている。98番目の日本語訳をしている時、主人公風美の恋人は自殺する。「N・P」を日本語に訳した3人目の犠牲者となった。
 恋人の死の数年後、風見は「N・P」の作者の子供である双子の姉弟咲と乙彦に再会する。
 4人の男女は不思議で夢のように楽しくて、ほんの少し怖さの混じった夏を過ごす。
 

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 私は3度目の正直でよしもとばななさんにハマった。

 最初に読んだ「TUGUMI」を理解するには私のおつむが弱くて、
 2つ目に読んだ「哀しい予感」はばななさんと私の感性が異なりすれ違い、
 この「N・P」でやっとばななさんの魅力の虜になった。

 私はこういうどこか「死」を感じさせる作品が結構好きだ。「死」を通して「生」を見たいからなのかもしれない。 でもばななファンでもこの作品が合わない人が割りと多いらしいのでちょっと驚いた。
  私はやはり「マニア」なのかもしれない。

 読み進めていくうちにだんだんとドキドキとして来た。何かが起こりそうな、またその何かに向かって物語りの方向軸が突っ走っているような気がした。

 この「N・P」を読んでいて私は何度も心に響く言葉に、
  「うっ」 「うっ」 「うっ」
 と唸っていた。特に、
 「その人がその人である事の不幸」 
 には最大級の「うっ」で唸ってしまった。

 このセリフを読んだ時自分の中にある爆弾(不発弾)の存在に気付かされたからだ。
 確かに自分にも「私が私である事の不幸」はあるとはっきり認識してしまった。出来れば気付きく事なくお墓に入りたかったと思うけど。

 私の自分である事の不幸は「妙な所で頑固な所」かなと思う。
  もう少しこの部分を変えれば、もうちょっぴとは幸せになるかもしれないし、もっと人に好かれるかも知れないとわかっていても、やっぱりここはという所はどうしても変えられない。
  多分変えるにはあまりにも長く今の自分であり過ぎたし、やはり私は私でしかなれないからだ。

  でも「その人がその人である事の幸福」もあると思うので本質的には帳尻が合っているのかもしれない。

 読み終えた時、
 「やられちゃった」 
 と呟いてしまった。
 でもこの「やられた」は「ガーン」という意味よりも、感嘆の意味を込めてである。気持ちよくばっさりとやられた気分なのだ。

 こういう部分がばななさんの魅力だと思う。
 この作品だけでなく他の作品にも言える事だけど、ばななさんは普段はっきりと自覚していない事を的確な形で表現してくれる。それは時折り人の核心に触れる事もある。
 それが「ひゃあー」と怖さを感じさせるのではなく、「うん、うん、そうなんだよなあ」とうなずいてしまう。 ばななさんの独特の味付けが素材を優しい味にしているからだと思う。

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| よしもとばなな | COM(2) | TB(0) |
2009-04-19 (Sun)
  誰にでもささやかな「ああ、勘違い」の記憶を持っていると思う。
  今までこっそり隠していたけど一度言ってすっきりしたいので書いてみた。
  
  私は「サザエさん」を割りと長い間「継母の継子イジメのドラマ」だと思っていた。

  というのも当初「サザエさん一家」の家族構成を完全に勘違いしていたからである。 
  サザエさんとマスオさんの子供が、カツオ、ワカメちゃん、タラちゃんだと思っていた。
  でもサザエさんはいつもカツオにはつらく当たっているので、カツオはサザエさんの本当の子供ではないと思っていた。
 まさか波平さんとフネさんがサザエさん、カツオ、ワカメちゃんの両親だと思わなかった。何故なら兄弟にしてはサザエさんと、カツオ、ワカメちゃんとでは随分年が離れているし、カツオとワカメちゃんの両親としては波平さんとフネさんが年を取りすぎているので、てっきり祖父母だと思っていた。

 だから日曜の家族団欒の行事の一つとしてテレビで「サザエさん」を見ながらいつも
 「ああ、カツオ君大変だよなあ」
 としみじみ彼に同情していた。
 さすがに大きくなるにつれてサザエさん一家の家族構成が理解出来るようになって私の勘違いだと気づいたけど、自分が長い間皆とは違う世界の中で生きていた事に少々ショックを感じた。
 みんながにこやかな思いでサザエさんを大家族のホームドラマとして見ていたのに、私はその世界にはおらず違う世界にいた事に少し寂しさを感じた。。。。

 もう一つしこりになっている「ああ、勘違い」がある。
 私は中学生まで京都は九州地方にあると思っていた。何故そう思っていたのかは最早不明だけど、京都と聞くと私の頭の中には九州地方の地図が思い浮かんでいた。
 ある時友達と「京都」の話しをしていて「あれっ、どうも違うぞ」と内心思いつつも表面は知らん振りしながら話しを合わせた後、こっそり地図で京都を確認したら近畿地方にあったのを見た時は自分の中の一つの世界が音を立てて変化したような驚きを感じた。
 決して文学的な表現を無理に使ったのではなく、本当に「ぐいっ」という感じで、長い間自分の世界の決まった場所に存在していたパーツが崩れて全然違う場所に移った感じがした。
 じゃあ、それまでの社会科の時間はどうやって潜り抜けていたのかというと、恐らく京都が九州地方にあると勘違いしたままでも何の問題もない授業だったので長い事勘違いが訂正されなかったのだと思う。

 個人レベルの勘違いは振り返れば懐かしい思い出ではあるんですけどね。
 ああ、書いてすっきりした。
| ヒトリゴト | COM(2) | TB(0) |
2009-04-18 (Sat)
   

 「頼子が死んだー」
 その一行から始まる西村悠史の手記。西村夫妻の一人娘頼子が何者かによって殺された。
 警察は通り魔の犯行として片付けようとするが西村は頼子を妊娠させた男が犯人と信じ、その男を突き止めて殺す。
 そして自らも命を絶とうとして愛する妻海絵に自分の思いを伝える為の手記を残す。

 事件は終わったかに見えたがとあるきっかけでこの事件に関わる事になった名探偵法月綸太郎は「事実」を追い求めていく。

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 どこかの料理本のようなタイトルだけど、私はどんなラストであっても「夢落ちでない限り」は(だからハイスクール○面組は嫌いなんだよなあ)作者がその物語(作品)の為に用意したものとして、
 「ごちそうさまでした」
 と受け入れる事が出来るけど、この作品は読み終えた時、
 「・・・・・・」。
 となった。
 なんかお口直しが欲しくなった。

 とにかく私的にはラストのあと味が悪すぎた。

 この作品は一人娘を殺された父親の西村が復讐するというある種の美談が表の顔だけど、当然作者の法月さんは裏の顔をご用意している。それも丁寧に。。。。
 読み進めるに従い、表の顔の仮面がぽろぽろ剥げて来て、裏の顔が姿を見せるカタルシスがなんとも面白かった。2つの顔の落差の残酷さが物悲しいけど、それもまた味わいがあった。

 ただ、主要人物たちの「思い」というか「気持ち」に首をひねってしまう部分がある。彼らの心理描写が私には理解しずらかった。「なんでそう思う?」とカクカク首をひねっていた。
 そこが惜しい部分でもあるが、そうでないと話が成り立たないし、ストーリーの面白さがその不満を上回っていたので、「まっ、そういうもんだ」という事で納得させた。

 そしてラストで、
 「・・・・・・」。

 ラストのあと味が悪いからと言って、決して物語のラストとして破綻しているわけではない。これは好みの問題になるんだと思うけど、
 「単に手加減のないラスト」
 なのである。
 ああいうラストだからこそ、この作品の持つ残酷さがより一層際立つという事で称賛する声があったとしても私はそれには頷く。ある意味作者の法月さんは潔ぎ良いのかもしれない。

 ただ、あまりにも苦すぎたラストだった。苦いのは苦手だ。
甘さや辛さよりも「苦さ」はより残る。
 
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| 法月綸太郎 | COM(4) | TB(0) |
2009-04-15 (Wed)
   

 「惑星ナイン」
 地球から移民してきた人達「キャプテンリュウイチ」「レイディ アカリ」を中心とした人達が祖となり創り上げた惑星。
 繁栄を誇ったかに見えた「惑星ナイン」も400年の時を経て遂に「最後の子ルナ」を迎える。
 たった一人残されたルナはその絶望と孤独の中でコールドスリープによって眠りについた人々を次々と起こしていく。


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 新井素子さんには学生時代にお世話になった。
 彼女の作品を初めて読んだ時、私としては褒め言葉なんだけど、
 「こういう文章で小説書いてもいいんだなあ」 
 と思った(ホントに、ホントに褒め言葉なんだけど)。
 まさに「新井素子節」という感じの独特のノリの文章だった。

 大人になると読書傾向が変わった事もあり、新井さん自体も寡作な作家さんになったので彼女の作品を読む機会は減った。
 久々に再会したのがこの本だった。

 ある批評家の方がこの作品を「これは小説ではなく大説だ」とおっしゃっていたけど首がもげそうな位にうなずいた。
 本当に凄い作品に出会うと感想はただただシンプルになる。
 読み終えた時は「××××だから感動した!!!」とか「○○○だから号泣した!!!」とかそんな形容詞のついた感想は沸いてこず、ただ「凄い」という感想しか出て来なかった。言葉が感情に追いつかないというか、取り残されるというか。
 涙、涙で目が土偶になった。

 どんな作品も「無から有を生み出す」以上、その作品には創作の神様の愛が宿っていると思う。
 だとすればこの作品はとりわけ創作の神様が愛情を与えた作品なんだと思う。

 「最後の子」としてただ一人残されたルナ。彼女は復讐とそしてどうしても問いかけたい思いを胸に眠りについた人々を起こしていく。
 起こされた人々にしてみれば目が覚めると「私の知らない世界」でいきなり老婆のルナを見て驚く。
 自分の想像もしてなかった世界で目覚させられた人達と、ルナの物語が一つずつ繰り広げられる。
 そのどれもがしっかりとしたバックグラウンドが織り上げられており読ませてくれる。 「創造力」というものの凄さを改めて見せ付けられた。新井さんの頭の中を是非覗いてみたいという誘惑に駆られた程だ。

 ルナは問う、
 「最後の子供になるかもしれないのに、何故ママは自分を生んだのか?」 
 自分の今味わう孤独と絶望と不幸は、ママが自分を生んだからだとルナはなじる。自分の不幸を嘆く。怒る。だがその問いに誰も明確に答えられない。
 目覚めさせられた人達は事情があるが故にコールドスリープで眠りについたのであり、やがて彼女達もまた「ルナを残していく者達」となる。。。。。

 そして惑星ナインを創り上げた祖、女神と言われた「レイディ アカリ」を遂に目覚めさす。
惑星ナイン存続の為に、後半の人生、人格、あらゆるものを犠牲にし女神に奉れられた「レイディ アカリ」。
 その結果ともいうべき「最後の子ルナ」。
 始まりと、終わりの2人が惑星ナインの最後の物語を綴る。
   
 ラストでようやくルナは自ら答えの一つに気づく。それは誰かに教えられたのではなく体験を通して自分で感じとったものだ。

 もしかしたら人が生きている意味はどこかに神様の答えが用意されているのかもしれない。
 私はその答えがどこにあるかわからないが、
でも生きている意味があるから生きているのではなく、その答えは「生きている」事自体にあるのかもしれない。
 
 そう思わせてくれた物語だった。

 *ちなみに私は新井さんの「あとがき」が作品と同じ位好きだった。

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| 新井素子 | COM(0) | TB(0) |
2009-04-12 (Sun)
 昨日はずいぶん暖かい日でした。
 おかげで洗濯物もよく乾き、布団も干せ、「あ~ぽかぽか日和だあ~」と春を満喫できました。
 それもそのはず温度計で25℃位あったのを見て途端「今からこの陽気だと夏はどうなるのか。。。」
 と、少し不安な思いで空を見上げていました。

 「ヤッターマン」の映画がヒットしているらしいですが、「ヤッターマン」という言葉に懐かしいと感じる一人ですね。

 はじめはドロンジョ様を深キョンがやると知った時「えー彼女じゃあ美人(というか可愛)過ぎないか」と思ってました。
 というのも子供の頃ヒーローが今で言うイケメンかどうかというのは関心のある事だったけど、悪役の容姿なんて気にも留めてなかったので、20年以上振りにドロンジョ様のお顔を拝見した時「美人だったんだあ」と新鮮な驚きでした(おまけにスタイルも良かった)。

 タイムボカンシリーズに子供の頃本当にお世話になりました。
 基本的にコンセプトは一緒の金太郎飴シリーズだけど結局ラストシリーズまでは見ていました。

 後「世界名作劇場」もお世話になったくちです。
 「トムソーヤの冒険」、「小公女セーラ」、「ふしぎな島のフローネ」(これはOPの歌サビの部分は未だに歌えます)。多分こういうアニメで見なければ「世界名作」なんて私の頭が選んだとは思えない。
 ただ「フランダースの犬」はアニメで主人公が死ぬラストなんてそれまで無かったので、結構トラウマになりましたよ。あれは。

 今思えば勿論これ等の作品が面白かったからずっと見ていたというのもあるけど、なんとなく家族団欒という構図にアイテムとしてこれ等は存在していたので自然と見ていたような気がします。

 でも子供の頃の記憶はかなり偏っていると思うので、今これ等のアニメ見たらどれだけ自分が勘違いしているか確かめてみたいです(多分重要な所は勘違いしていないとは思うけど)。
| ヒトリゴト | COM(6) | TB(0) |
2009-04-11 (Sat)
   
 大学生の江崎澄雄はあらゆる幸福とみなされるものを与えられていたが、彼の心は乾いていた。それは9年前に自殺した母親の死体を発見したのが澄雄であった事も起因していた。
 退屈しのぎに携帯の出会い系サイトにアクセスし、そこでジュリアという亡き母親に良く似た少女と知り合う。
 まるでお互いが欠けていたピースのような二人はたちまち恋に落ちる。だが2人の恋は前途多難であった。
 何故なら澄雄とジュリアではあまりにも生活環境に天と地ほどの差があった。。。。。


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 本の冒頭に結末が掲載されているけど、この作品は若い男女の心中までの物語である。

 私が10代か遅くともお肌の曲がり角の25歳頃までに読んだら、この2人に寄り添う感想が持てたと思う。
 が、30代も半ば過ぎて読むと、
 「おばさん、つっこんでもいいかなあ~」
 とナナメの感想を持ってしまった。
 ひょっとしたら、
 「年のせいというより性格の問題」 
 なのかもしれない(いずれにしても深く考えない方がいい気がする)。

 澄雄の父親は日本有数のお金持ちで彼自身天国に近い超高級マンションに住んでいる。望めばあらゆる幸福を手に入れられるが、彼自身はその与えられた役回りに馴染めないでいる。
 何者かになりたいと思いつつも、具体的にどうすれば良いのかわからない。

 そんな時に隙間風のように母親に良く似た少女と出会えば当然恋に落ちる。

 ただ、読んでいてやっぱり澄雄はおぼっちゃんなんだなあと思う。
 自分達の恋の行方に立ちはだかる困難に彼なりに一生懸命取り組んでいるのだろうけど、そりゃあラストに心中するのだから澄雄が現実処理能力バリバリでは物語は上手く進まないのだろうけど、なんとなく彼の言動に歯がゆさを感じる。
 「しっかり、しっかり、頑張って」 と背中を叩きたくなる。
 結局澄雄は自分の知っている世界の物差しでしか計れない。
 
 一方ジュリアは万年厄年じゃないかという位についていない。
 母親は病死し父親はろくでなしの為家は貧乏。アルバイトでやっと貯めた学業資金も父親にかっぱられる。
 典型的な不幸な美少女というジュリアだが、個人的にジュリアというキャラは好きにはなれなかった。
 キュートで不幸に一生懸命耐える姿はけなげだと思うのだけど、
 「身を引けば全てまるく収まるのだから、身を引いて女の株を上げればいいのに」
 と冷めた感じで読んでいた。
 これは自分が女性だから男性の方に肩入れしてしまうからなのかなあ。

 つっこみまくって読んだ作品だけど、懐かしい空気を思い起こさせてくれた。自分が自分だけのスポットライトを浴びていた若い頃を思い出した。
 勿論こんなにドラマチックではないが、自分の世界に浸りきっていた青い自分を少し思い出した。
 2人はそのスポットライトを浴びたまま死を選んだ。

 スポットライトの眩しさはもう記憶の彼方である。。。。。

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| 石田衣良 | COM(4) | TB(0) |
2009-04-08 (Wed)


佐倉涼平の自覚している欠点は脳みそと口の距離が近く、おまけに手も近い事。
 大手代理店もその欠点の為に辞める事になったがなんとか食品会社に運よく就職出来た。
 が、結局上手く立ち回れず早々とリストラ要員の強制収容所と言われる「お客様相談室」へ流される。
 恋人にも出て行かれ面白くない涼平であったが、蓄えを持たない彼にとって今辞める事はおまんまの食上げであった。
 強力な面子の中で仕事のいろはを教えられ少しずつコツをつかんでいき、それなりに強制収容所での生活を過ごして行くうちに、本当の意味での「仕事をする」というのを身につけていく。。。
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 ジャケットに一目惚れして買う事を「ジャケ買い」というのなら、今回はさしずめ「題借り」になるだろう。
 「神様からひと事」という題に惹かれて図書館で借りたのだが、こういう題に惹かれるあたり自分は今少し疲れているのかなと思う。

 題のイメージから自分にどんな感銘を与える作品かなあと読み始めたのだけど、
 「ちょっと、違うかな」
 更に読み進めて、
 「多分、違うかな」 
 もう少し読み進めて、
 「やっぱり、自分が思っていたのとは違う」 
 と気づいた。

 それなら読むのを辞めるべきなのかもしれないけど、一度読んだ本か若しくはどうにもこうにも自分に合わない本でない限りは最後まで読む事にしている。
 なんか途中で読むのを辞めたら、それまで読んできた時間が無駄なような気がするからである。
 違うかなと思って読む方がよっぽど無駄ではないかと思われるが、自分基準ではとにかく最後まで読み通してダメなら「ダメだった」という結果を残したいのである。

 でもさすがに萩原さんの作品だけあって当初思っていたのとは違うけど楽しめた。
 「神様からひと事」のタネ明かしは、ようは「お客様は神様である」の神様なのである。

 私は「お客様相談室」ではなかったけどコールセンターに勤務していた事があるのだが、そういう仕事も含まれていたので読み進めるうちに内容にかなり親近感が沸いた。
 顔が見えないと強気になる人は結構いるのである。対面で話しをしたら多分こうは言わないだろうなと感じていた。
 この本に出てくる電話をしてくる困ったちゃんのお客様はまだおとなしめで、現実はもっともっと凄いお客様がいた。 まさしく事実は小説より奇なりである。

 涼平はコツを掴むのも早く根性はあるので有能なのだけど、物凄く良く言えば「やんちゃ」なのである。その為に長いものに巻かれる事が出来ずはみ出してしまう。
 その涼平がはみ出し者の集まりである「お客様相談室」でやっとはみ出さなくて済むというのがなんとも面白い。マイナスとマイナスを掛けてプラスになった感じかなあ。

 そこでもまれながら仕事をしているうちに、彼がそれまでのどこか「かっこつけ」で仕事をしていたのが、足に地がついたというか血肉になるような仕事の仕方になるのが印象的である。
 まっ、結局「やんちゃ」な所は変わらずそこがラスト辺りで爆発である。
 サラリーマンなら一度はこうしてみたいだろうなという思いを代弁している。

 萩原さんの作品はこれで三作目であるが、未だにこの方の作風がつかめない。
 「ぼくたちの戦争」→「明日の記憶」→で、今回の「神様から一言」の順に読んできたが、読んだ順番が良くなかったのか。。。。。

 それとも正しい萩原作品の読み方というのがあるのだろうか?

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| 萩原浩 | COM(2) | TB(0) |
2009-04-06 (Mon)
 ようやく春が来ましたねえ。

 私は寒い時は着込んだりこたつにもぐり込んだりして、よっぽど寒くない限り石油ファンヒーターは使用しませんでした。
 一時期よりは石油が安くなったといえ、寒いからと際限なく使うのももったいないというケチ心で辛抱していたのですが、辛抱しているうちにいつの間にか春が来てしまいました。。。
 いや、別に私の好みと関係なく季節は巡るもんですが、今度は残りの石油を使い切らないといけないので、そう寒くもないのに石油ファンヒーターを使用するという少しお馬鹿な状況に落ちいってしまいました。
 冷蔵庫並みの寒さの時も割りと我慢していたのに、春眠暁を憶えそうな気候の時に使うのは気がひけます。
| ヒトリゴト | COM(2) | TB(0) |
2009-04-05 (Sun)
   

 刻々と移り変わる時間の中で様々な事が起こり、流れ、変化していく。
 その発端の物語は「デニーズ」で本を読む少女から始まる。 


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 私にとって村上春樹さんは「目で読む作家」さんではなく、「感覚で味わう作家」さんである。

 それは普段の生活の中で姿を見せる事のない「何か」で、いつもは私のどこかにひっそりと隠れている。
 それは友人とも家族ともどんな親しい人であっても共有する事のないもので、村上さんの作品を読む時に、
 「やあ、こんにちは!!!」 
 と姿を見せる。
 その「何か」は孤独感とも言えるし、もっと違う呼び名があるのかもしれない。
 私はその「何か」を決して嫌悪しているわけではなく、むしろ愛おしいものとして捉えている。
 村上ワールドに浸っている時だけただただその存在を味わう事が出来る。

 が、この「アフターダーク」は全くハマれなかった。。。。。
 自分がリンク出来る場所を見つけられなかった。。。。。
 今まで読んだ本の中でも幾つかは合わない作品もあった。でもハマれない作品はなかった。
 「そんなはずはない!!!」 
 と期待を込めて頑張って最後まで読み通したがとうとうハマれなかった。
 読み終えた時、
 「・・・・・・・・」 
 とまた、たそがれてしまった。

 その事に私は少しビビッてしまった。
 村上さんも当然の事ながら年を重ねられて、その中で様々な事柄から変化されて来てそれが作品にも反映されてきた。
 今までは私はその変化にちゃんとついていけたけど今回はダメだった。
 それは村上さんが私の好まない方へ変化されたのか、それとも私自身が気づかない間に自分が変化してしまったのかはわからない。
 でもハマれなかった事で何か自分大切な場所を失ったような気がした。その事が割りと悲しい。
 勿論そう結論付けるのは早すぎるのかもしれない、単なる村上さんの寄り道なのかもしれない。

 新刊が読みたいような、ちょっと怖いような複雑な心境である。

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| 村上春樹 | COM(0) | TB(0) |
2009-04-04 (Sat)
  

 花の中学生の赤木榛名は将来有望な新体操選手。
 そんな彼女の心の支えは子供の頃、自分を命がけで助けてくれた「こぶだらけのヒーロー」の少年。
 ある日新体操をやる為に自宅に同居する事になる少年北野太一がやってくる。彼との初対面は最悪の出会いであった。
 榛名はスケベでデリカシーのない太一が嫌いであったが、この太一こそが「こぶだらけのヒーロー」の少年である事を知る。
 自分を助けた時に負った傷によって太一が思い十字架を背負っており、そしてその十字架を乗り越える支えとしてかつての自分との約束を胸に秘めている事を知る。
 そんな太一にその約束の相手が女である自分である事を打ち明けられない榛名であった。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 私はジャンプ黄金期に子供時代を過ごした。
 その当時掲載されていた漫画は「キン肉マン」「キャプテン翼」「北斗の拳」「キャッツアイ」etc・・・・(書ききれん)。
 よくぞあれだけの才能が一雑誌に集まったものだと今振り返ると思う。もうああいう時代は二度と来ないだろう。

 その大群の中ではだいたい同時期に掲載されたこの作品は豆粒というか米粒位の存在(作者の方すんません)だが、昔たくさん読んだジャンプ掲載の漫画の中ではこの作品と「北斗の拳」しか現在手元に本を置いていない。私にとってはそれ位愛着のある作品である。

 私は作者が泣かせようという意図が見えた瞬間、
  「その手に乗らないもんねえ~」 
 と泣く気が失せるタイプだ。なんか冷めてしまう、その意図がやらしいなあ~と思って。
 だけどこの漫画は泣かせる気まんまんの作品である。 
 泣かせようという意図が見えるというより、隠さない。ある意味くさいくらいてんこ盛り。
 超直球に、
 「いや、あっぱれ!!!」 
 とある意味感心してしまう。
でも逆にそのストレートさがいっそすがすがしくてうるうると泣けてしまう。 

 ネタばれになるがこの漫画は 「一人の少年が終わりを迎える物語」である。
 当然の流れとしてお互い好意を持つがそれも終わりがやってくる。
 何故なら少年が少女を命がけで助けた時に負った大傷が、やがて少年の命を奪う事になるから。
 もうこのシチェーションだけで白旗を揚げてしまいそうになる。私はあらがいがたい切なさというのにめっぽう弱い。
  読み進めていくうちにどんどんその終わりの時がやってくる、それが切なくて切なくて。
  面白いから読み進めるけど、それは終わりを知るという事になる。まんまと作者に乗せられてうるうる泣いてしまう。

  乗せられたい方にはおすすめです。

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