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2009-03-30 (Mon)
 
作家鷺沢 萌さんのwebサイトで繰り広げられるドタバタ騒動がまとめられた一冊。


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 私は鷺沢萌さんの良い読者ではなかったと思う。
 何故なら彼女の作品はエッセイしか読んでおらず、小説は全然読んでいなかったから。
 とにかくあまりにもエッセイの類が爆裂に面白過ぎて小説に興味が向かなかった(同じタイプの作家さんに原田宗典さんがいる)。

 彼女の書くエッセイ類は天下一品の面白さである。色々エッセイの類は読んだけど、笑えるエッセイなら断トツである。
 あのお美しさからは想像出来ない言動と、そんな彼女を取り巻く愉快な仲間達とのドタバタなやり取りにどれ程笑わせてもらい腹筋を鍛えられただろう。

 鷺沢は本当に美人だ。女優さんなみと言っても過言ではない位。初めてお写真でお顔を拝見したと時はその美しさに失礼ながら、
「修正かなあ~」 と思っていた。
 でもテレビで一度見た時写真通りの美しさだったので本当に失礼だが、
「ほんもんなんだあ~」 と感動した。
  (上記の本の画像をクリックすると鷺沢さんのお顔がより詳細に拝見出来る。恐らく晩年(この言葉は切ないなあ)の頃のお写真だけど十分お美しさは残っている)。

 超美人で、頭も良くて、若くしてその才能を認められ、良い仲間に囲まれた彼女は、私から見たら 
 「神様はあげる所には幾つものプレゼントを贈るんだなあ~」
 と、自分の所に贈られたプレゼントの数の少なさにたそがれてしまう事がある。

 そんな鷺沢が自殺されたと聞いた時は本当にショックだった。
 それは神様からたくさんのプレゼントを貰っていたのにというわけではない。
 彼女のエッセイをたくさん読んで色々な困難や試練があっても、最終的にはポジティブを選び取る人だと思ったから。
 それは死後に出されたこの本を読んで改めて間違いではなかったと思った。
 皮肉というか奇遇というか、自殺に関してのコメントがありそれはポジティブなものだった。勿論ポジティブだから大丈夫とは思わない、むしろ苦悩を持つからこそ明るい場合もある。
 でも言葉の持つトーンの明るさは本物だと思う。
 だったらどうして自殺されたのかとも思うが、もうそれは本人にしかわからないし、いやひょっとして本人にもわからないかも知れない。
 ある瞬間死にさそわれたのかもしれない。ただそれだけなのかもしれない。

 年を重ねて心の病を持っていると、自殺された方に「生きてて欲しかった」とは言えないんだよなあ。
 心から言ってあげたいけど、多分言えない。。。。
 何故なら、そのつらい人生を生きるのは本人なのだから。
 「死ぬ気があれば何でも出来る」という言葉があるけど、死でしか帳消しに出来ない事もあるというのも知っている。
 
 でもこの先彼女の新作を1つも読めないのはしみじみ寂しいと思う。

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| 鷺沢 萌 | COM(2) | TB(0) |
2009-03-29 (Sun)
   

 弁当屋で働く靖子のもとへ別れた元亭主富樫がまた金の無心にやってきた。
 相手にしなかった彼女だが、しつこく自宅まで押しかけて来てそこで悲劇が起こる。
 大喧嘩の末、娘の美里と共に富樫を殺害してしまうのだ。
 呆然とする母子に手を差し伸べたのは隣人に住む高校の数学教師である石神。
 それまで何の交流もなかった隣人の申し出に戸惑いもあるが、異常事態の最中結局は流されるようにその申し出を受け入れる。

 やがてこの事件に絡むのが天才物理学者の湯川。旧友の天才数学者である石神との殺人事件の事実と真実を巡るやりとりが繰り広げられる。。。。


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 私は天才フェチである。
 だから天才が出てくるものは堪らない。
 「天才」というのは神様から大きな大きなプレゼントの箱を貰った人だと思うが、私自身はその箱を貰う事はないけど、その大きな大きなプレゼントの箱の中身を見るのが好きなのだ。

 天才物理学者と天才数学者が出るだけ聞いただけで、
 「いただきます」 
 と読んでしまう。

 ミステリーとしては東野さんらしい手堅さで楽しめた。
 個人的には昔のというか、まだこんなに大作家になる前の、ミステリー作家という括りだけを持っていた頃の東野さんの作風を感じて懐かしい感じがした。

 この作品では靖子の人物像に関して色々言われてるみたいだけど(石神が献身する相手としては魅力が足りないとか言われたい放題。。。)、私はああいう人物像で良かったと思う。
 聖女でもなく悪女でもなく、ただごく普通の幸福を願う女性だからそラストの悲哀がより一層際立つ感じがした。

 むしろ私がつつきたいのは石神の思い。
 内容(「BOOK」データベースより)の「命がけの純愛が生んだ犯罪」とか「これほど深い愛情」という言葉を見ると、 
 「はて、誰の事を言ってるんだろう?」
 と思ってしまった。

 石神の思いを恋と呼ぶには軽すぎるけど、純愛とか愛情とかの言葉は似つかわしくない気がする。
 何故なら愛と呼ぶには一方方向過ぎるというか、重すぎるというか。
 孤独な石神にとって靖子母子の存在は救いだったのだろうけど、なんかひとりよがりな気がした。
 お互いにちゃんとした交流が有り人間関係があって石神が靖子へ愛情を抱いたというのなら理解出来るが、人間関係が有ったわけでなく(殺しの隠蔽を申し出て初めて言葉を交わしたわけだし)ただ見つめていただけというのが何か血肉を伴わない感情のような気がした。

 私が靖子だったらこんな風に愛されて嬉しいという感情は沸かないかなあ。ありがたいという感謝の思いは持つけど。
 男性と女性では石神の思いに対する見方は違うかも。
 男性は一人の女性にあれだけ献身できる事に男冥利を感じるかも知れないが、女性にしてみれば惚れた男性に命がけで愛されれば本望だけど、よく知りもしない男性からそんなに深く愛されても重いと思う。


 石神の思いは「行き過ぎた騎士道精神」のような気がするんだよなあ。
 彼の思いは結局誰も幸せにしなかった。

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| 東野圭吾 | COM(6) | TB(0) |
2009-03-28 (Sat)
 

 「私」は家政婦をしながら女手一つで息子を育てていた。
 ある日、風変わりな博士の元へ派遣される事になる。
 博士は数学者であったが事故により、一日80分しか記憶がもたない。翌日訪問しても彼は全て忘れており毎日毎日が初対面のやり取りから始まる。
 
 あらゆる事柄から取り残されたように過ごしているように見える博士であったが、彼は愛する数学の世界でその美しさを愛で生きていた。
 そんな博士に「私」も少しずつ数学の世界の美しさに目覚めていく。息子のルートと共に。。。

 私と息子のルートと博士の限りない優しさを含んだ日々の物語。


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 この作品が私の小川作品デビューだけど、よくぞこういう物語を産み出してくれてありがとうと思った。
 おとぎ話というかメルヘンというかとにかく「美しい物語」である。
 大往生のあかつきには一緒に棺に入れてもらいたいと思っている。

 題にある通りにこの作品は数学(というか数式)が重要なモチーフとなっている。 
 誰もが一度は通る道だと思うが学生時代試験の度に、
 「一体こういうのが将来何の役に立つのか!!!」 
 と思いながら数学の勉強をしていた。とにかく数学が嫌いだった。本当に嫌いだった(まあ数学が好きだという人はめずらしいと思うけど)。
 学生時代に苦労して憶えたサイン、コサイン、素数etcは全てどこに行ったのか(遠い目)。。。。。

 でもこの作品を読んで数学って本来は美しいものなんだと思った。
 数学の話しが幾つか出てくるけど「へえ~そうなんだ」と驚く不思議な内容が多く、数学が全くダメだった私でもその美しさが理解出来た。
 私って結構かしこかったんだなあ~と錯覚した位。
 学校の勉強もこういう感じで教えるのなら、数学嫌いは減ると思うなあ。

 「私」と息子のルートと博士は何気ない日々を楽しく生きている。些細な事柄をいとおしんで今を生きている。
 でもそれは博士の持つ記憶障害というあやうさを含んでいるのでどこか切なさもある。
 三人の愛おしくて切なく日々がただただ美しく綴られ「ああ、どうかこの平安な日々が続きますように」と願いつつ読んでいた。

  博士はある観点から見たら不幸だけど、別の観点から見たら自分の愛する世界のみに生きているのだから幸福とも呼べる。
 結局幸福も不幸も存在するのではなく、どう捉えるのかなんだろう。
 この作品を読んで、こちら側が見ようという意思を持てば世の中は美しいものを見せてくれるのだと思った。

 とにかくジャンルの違う様々なモチーフを一つの物語として織り上げた小川洋子恐るべし!!!と感じた一冊だった。

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| 小川洋子 | COM(6) | TB(0) |
2009-03-24 (Tue)
   

 何者にもなれない無力感をもてあます大学生の笙は、ある日父親から叔母松子の亡き後の部屋の片付けを押し付けられる。
 笙がそれまで叔母がいる事を知らなかったのは、それは松子が人生を踏み外し散々家族の者に迷惑を掛けてあげく結局何者かにむごたらしく殺されてしまった為に秘されていたからだ。
 最初は好奇心からGFと松子の人生を追っていくうちに、その過程で様々な事を見て思い、笙は少しずつ成長して行く。

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 この作品は映画化されていたのを知っており(見てないけど)、これが原作本だと知り興味があったのと題にインパクトがあって読んだ。

 上下二段の分厚い本だけど内容を集約すると、
 「一人の女性がこれでもかこれでもかと落ちまくる」
 作品である。
 すがすがしい程シンプルに要約出来るけど、それが読みやすい面白さにつながっていると思う。

 松子は教師なので当然勉強は出来、器量良しなので生徒にも人気があり、手先も器用である。嫌われるどころか好かれる要素をたくさん持っている。
 美点と欠点の数を秤にかければ間違いなく美点の方に思いっきり秤は傾く。
 ただ世の中には美点の方が多く欠点の方が少ないけど、その数少ない欠点が致命的な弱点になるという人はいる。
 松子もその典型で彼女の欠点は物事を煮詰めて考えない。とにかく衝動的である。
 煮詰めすぎて病気になるのはダメだけど、もう少し深く物事を考えて行動すれば気持ち良い位に転落しなくても済んだのになあ~と思う。

 自分が乗っている列車が「不幸」という行き先に向かっているのであれば、その方向を変えるか、行き先が定まらないのなら一旦止めるかすれば良いと思うのにそのまま突っ走ってしまう事がある。
 一旦暴走した列車は自分でも止められないのかもしれない。多分そもそも方向転換や止める事が出来るのなら最初から転落はしないのかもしれない。
 それを弱さというのか性というのか運命というのかはわからない。
 読んでいて落ちまくる松子に切なさを感じた。
 どういう状況でも、方向は間違っていても、一生懸命に生きる松子にイトオシサを感じた。

 この作品は読む前から「女性の転落人生記」というのは知っていたので、暗くドロドロしたイメージを持っていたのだけどそんな事はなく、
 「しゃ~ないなあ、松子さん」という感じでカラッと読める。
 それは作者がそのようなトーンで描いているのと、甥にあたる笙を視点にしているせいもあると思う。
 この作品は松子の転落人生記であると同時に、笙が松子の人生を辿りながら自分の人生を見つめて行き成長していく物語てもある。
 全然ベクトルの違う軸が物語を織り成しているのでモチーフの割りに暗過ぎなくしている感じがした。
 
 ちなみに映画見てないけど、松子の役が中谷美紀さんというのはGJだと思った。

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| 山田宗樹 | COM(0) | TB(0) |
2009-03-22 (Sun)
   

 並木俊介は受験の合宿の為に妻の美菜子と義理の息子章太が滞在している別荘へ向かう。
 そこで彼は思わぬアクシデントに見舞われる。 ある用件でやってきた並木の愛人である高木英里子が妻の美菜子に殺されてしまう。 
 混乱している並木に一緒に受験の合宿に来ている他の家族、関谷や藤間が殺人隠蔽の協力を申し出る。
 申し出に感謝しつつも訝りながら、現状ではその提案を受けいれるしかないので共に隠蔽工作を行うが。。。


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  色々読んできた東野さんの作品の中でも、この作品は地味な感じを受ける。
  ストーリー自体も凝っているというわけではなく、予定調和的である。
  勿論作品自体の質は高いのだけど東野さんの作品は粒揃いが多く、並の作品ではもう満足できない体になってる(この日本語変だな)。
 この作品は大粒、中粒、小粒でランク付けするなら小粒という感じかな。

 でも私の中ではこの作品は印象深い。それはラストが気に入っているから。
 決して意外なラストではなくああこうなるんだなあという終わりなんだけど、個人的にはこのラストの為に本編があるんじゃないかと思った。

 ラストまで並木は真実を追究し冷静にというか冷徹にというか、周囲の者(それは彼の妻も含めて)を追い込んでいく。。。。
 もとをただせば愛人作った並木が悪いんだけど、そういうのをおかまいなしに追いつめていく。

 所が最後の最後で並木は「情」の為に、それまでの考えを捨て彼にとってある意味困難の多い道を選択する。
 ラストでそれまで努力しても持てなかった「情」を彼はようやく得る事になる。試練と共に。
 それまでクールで冷静な並木がそういう選択をしたという事が(そういう選択をせざるおえなかった要素はあるけど)心に残った。

 やっぱりシメって大事だなと思った作品だった。

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| 東野圭吾 | COM(2) | TB(0) |
2009-03-21 (Sat)
 

『天才刑事』とやっかみと賞賛を受ける麻生は、大暴力団の幹部が何者かによって殺された事件を担当する。
 その事件の最中に、彼が10年前に婦女暴行未遂で逮捕した青年山内と再会する。当時は泣き虫なインテリ青年だったが、再会した彼は悪魔のようにズル賢い、男娼上がりの美しいやくざへと変貌を遂げていた。
 一体、何があったのか?
 やがて麻生は事件捜査の過程で、山内の転落のきっかけとなったあの事件が冤罪である可能性を知る。

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 これは間違いなく柴田よしきさんの最高傑作だと思う。
 出会う事なく大往生する事にならなくて良かった。出会えて幸運だったと思えた本。
 
 この作品を読むまで実の所、柴田さんから少し遠ざかっていた。その当時は私と柴田さんの作品の巡り合いが悪かったせいか、あまり自分の中に残る作品がなかった(今は相性バッチシなんですが)。
 だから最初も「ふんふん」といった具合に読み進めていたが、だんだん「おおお」と物語の世界に吸い込まれるように夢中になっていった。

 たくさんの登場人物が出てくるがどの人物も魅力とそれぞれの物語を持っており読み応え十分。
 加えてストーリーの運びが上手で過去と現在を行ったり来たりしながら、幾重にも張り巡らせた人間模様が、様々な複雑で魅力的な模様を見せる。それが巧みだ。

  読んでいて何よりも心を揺さぶられたのは、何の罪もない、何の責任もない事で、地獄の底を這いずり回らなければならなかった人間の深い孤独と絶望が柴田さんの見事な筆力によって胸に迫り切なかった。
 本当に切なかった。

 「人が人を裁く」事の難しさとその矛盾  

 本来人を裁く事が出来るのは神様だけなんだろうけど、勿論そうは言ってられないので人が裁くシステムが存在しているけど、人間だから絶対に間違いを犯さないという事はそれも絶対無理なわけで。でもそのシステムは必要なんだよなあ。どうしても。
 私は今まで「疑わしきは罰せず」というのには反対だった。「え~、それじゃ確実な証拠なければ罪に問われないのはズルくないかあ」と思っていた。
 でもこの作品を読んで、罪ある者が裁かれないのも怖いけど、もっと怖いのは罪なき者が裁きを受ける方がずっとずっと怖いのだと知った。
 
 この作品は基本はミステリーだけど、ミステリーとしてだけでなく「恋愛小説」としても楽しめて、一粒で何度も美味しい作品である。
 BLな所があるのでそういう類が全くダメな人は難しいとは思うが、「人が人を思う気持ち」というものがとても愛おしく思った。全てを抱え込んで愛し合う事を選んだ2人がとても愛おしく思えた。

 読後、暫くはこの物語の世界から抜けれんかった位衝撃の一冊だった。

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| 柴田よしき | COM(0) | TB(0) |
2009-03-20 (Fri)
   

 米カルフォリニア州史上ワースト3の児童虐待を受けた著者のデイブ・ペルザー。
 母親からは名前ではなく「It(それ)」と呼ばれて凄まじいまでの数々の虐待を受ける。
 しかも父親は見て見ぬふり。
 それでも生き抜いた彼が自らの体験を赤裸々に語った闘いの記録。


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  これは「米カルフォリニア州史上ワースト3の児童虐待」という言葉に興味を持って読んだ。

 想像以上に凄い虐待の数々。
 一時期「幼児虐待」というテーマに関心を持ち、その手の書物を色々読み漁ったけど、虐待の酷さは郡を抜いているというか抜きすぎているというか。。。 酷すぎて逆にリアリティを感じにくいくらい。
 これでワースト3なら上の2位、1位はどんな虐待なのか想像しにくいというか想像するのが怖い。
 「アメリカって広いなあ~」と皮肉でなくそう思った。

 私は子供はいないし、これからも持つ事はないので「親」の立場の気持ちはわからない。
 でも、お腹を痛めて生んだ子を何故そんなに虐待出来るのか全く理解出来ない。それなら生まなければいいのにとさえ思う。 まさか虐待する為に生んだわけではないはずなのに。

 「子供にとって親は神」
 だと思う。

 生まれて初めて出会う他者との世界が親との関わりなのだから、その親に拒まれたり虐待を受けたらその後の人生で 重い荷物を背負いながら歩なければいけなくなる。
 「なんだかなあ~」とやるせない。それは子供のせいじゃないのに。

  父親は見てみぬふりだけど、家庭内で虐待があった時もう一方の親はデイブの父親のような態度をとる事が多いようだ。本当に八方塞。
 改めて「親の愛は海より深い」とか「子を愛さない親はいない」ということわざ(?)はこの本を読むと、包む人によっては単なるキレイなラッピングでしかないと思えてくる。

 不思議なのは実の母親から信じられない程凄まじい虐待を受けながらも、著者のデイブの心のベクトルは光の方へ向いている。
 それが「奇跡」のように感じる。
 変な言い方だけどこれだけの虐待を受けたら、歪んだり、ひねくれる方が当たり前のような気がする。 その方がむしろ正常のような気がする。
 もし私だったら。。。。と想像すると、どこかに私の名前が刻まれたお墓が浮かんでくるもんなあ。

 それだけに様々な苦難を乗り越えてそれを人生の深い彩とした彼にはただただ拍手を送りたい。

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| ノンフィクション | COM(0) | TB(0) |
2009-03-17 (Tue)
  

 「僕」は34歳のフリーライター。
 「僕」は4年前の大きな喪失を乗り越え、ようやく「生きる出発点」に戻ってきた。
 もう一度、現実と自分をつなげる為のマイペースな行動を始める。

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 この作品は一連の「羊」シリーズと呼ばれる作品達のアンカーである。
 シリーズ4作品の中で、この作品が一番乗れたというかしっくりハマれた感じがした。

 いやあ、この作品はよく人が死ぬ。ホントに死んでいく。
 でも村上さんの手によって書かれた死は文中の言葉にあるように「こっちの汽車からあっちの汽車に乗る」如く、変な重々しさがない。
 「死」というものは「生」と区分されているのではなく、同じ位置にある別の場所なのだと感じる。
 同じ位置にあるという意味では「生」も「死」もその本質は変わらないものかもしれない。

 「僕」は自分の親しい人が次々と死んでいく、すなわち「入り口から入って出口から出て行く」のをただ見届けるしかない。
 それでも「僕」は出口から出ようとしない、ひどい孤独感や喪失感を味わっても「ここにいる」のである。
 そして「ここにいる」為にに愛を求めてそれを得る。

 この作品の中で私が結構好きな描写が僕と恋人がする時に 、

 「彼女は時計を外してテーブルの上に置いた。靴を脱いで床に揃えた。ブラウスのボタンをひとつずつ外し、ストッキングを脱ぎ、スカートを脱ぎ、それらをきちんと畳んだ」

 「僕」の恋人はやや神経質である。だからいちいちキチンとするのだ。
 私は結構こういう細かいこだわり好きである。僭越ながら村上さんとひょっとしたら趣味が合うかもしれないと思った。
 勿論村上さんがここの下りを趣味で書いているわけではないだろうけど、でもこういうの嫌いじゃないだろうなあとなんとなく思った。

 趣味というよりこだわりなのかもしれない。

 作品の随所に「村上春樹」のこだわりが見える。
 それは生き方から料理まで。自分もまたこだわり屋なので「僕」に共鳴しながら読んでいた。

 ラスト付近はハラハラしてしまう。
 「あ~、あ~~」
 と思わず絶叫してしまった。ハッピーエンドをこぶしを握り締めながら望んだ。

 ラストの言葉は「僕」の喪失の迷路を象徴するかのようなセリフで終わってほっとした。

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| 村上春樹 | COM(0) | TB(0) |
2009-03-14 (Sat)
  

 佐伯は50代になったばかりで広告代理店の営業部長として多忙な日々を送っていた。
 だが少しずつその日常の中で齟齬が生じるようになっていく。クライアントとの約束の日時を頻繁に間違えたり忘れる事が多くなり、日常の中で少しずつ記憶が零れ落ちていく。
 そして病院で診てもらった所「若年性アルツハイマー」と診断される。。。

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 最近物忘れが多い。。。。。。 特に短期の記憶力が今イチなのである。
 テレビでお年を召した方が眼鏡をあちこち探していて、実は眼鏡を上にずらしていたという落ちがあるシーンに「やんわりと微笑ましく笑う」事があるが、まさか自分がこんなにも早くに「やんわりと微笑ましく笑う」側から「やんわりと微笑ましく笑われる」側になるとは思っていなかった(やっちゃいました。。。)。

 自分は「若年性アルツハイマー」なのだろうかと思い、ネットで色々と検索していてこの作品を知ることになった。

 ネットで調べたどんな知識よりもこの作品が私に「若年性アルツハイマー」というものを教えてくれた。
 この病気は今まであたりまえに憶えていた事、自分の事、愛する者の事、それら全てを除々に忘れていく。
 そして「生きる」という本能すらも忘れて死へと向かう病気だと知り衝撃を受けた。

 「生きる」というのは人間の基本的な本能だと思う。
 例えどんなに死にたい人でも、道で転べば自分を守る為に地面に手をつくし、物が飛んでくれば無意識的によける。 生きる本能というのはそういうものだ。
 自分が今まで培ってきた「記憶(思い出)」だけでなく、生きるという本能すら忘れてしまうなんて本当に悲しい病気だと思った。

 とにかく著者の萩原さんの作家としての想像力というか創造力というべきか、それには感嘆させられる。
 ご本人が若年性アルツハイマーに患っていらっしゃったのではないかと思う位(当然ありえないけど)、この病を患う事になった患者の苦悩、恐怖、悲しさがくっきりと浮かび上がっている。
 「ぼくたちの戦争」を書いた人と同一人物だと気付きその柔軟性に驚いた。

 是非一度読んで欲しい。

 *ちなみに私の物忘れは単に年を取ったせいみたい。。。。

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| 萩原浩 | COM(2) | TB(1) |
2009-03-14 (Sat)
   

 宮本夫妻の一人息子時生が難病を患い、今まさに息を引き取ろうとしていた。
 その時宮本拓実は初めて妻にある打ち明け話をする。
 ずっと昔時生に会った事があると。

 それは20年以上前、まだ拓実が自分の人生を本当に生きていない頃だった。。。。。

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 これは何故か最初そんなに期待していない作品だったけど、読み始めると涙がうるうるして来た。
 思っていた以上に面白くて自分の中に残る作品となった。
 
  文庫本の帯に書いている、
 「あの子に聞きたい 生まれてきてよかった?」   
 この言葉は切な過ぎる。
 親としての苦しすぎる闘病の末に若くして命を亡くさせるという宿命を負わせた痛みを感じる言葉だ。

 でもこの世には「生まれてきて良かった」そう思えるものも確かに存在している思う。
 それは短い命とか長く生きたというのは関係なしに。

  この作品を読んで、失う可能性の大きい子供を誕生させる事によって苦しみが待っていたとしても、その子供がいた事の幸福は決して苦しみで損なわれないのだとしみじみ感じた。 
 誰かを愛し、その人を失う事によって、どれ程の孤独感、喪失感を感じ、苦しむ事になっても、例えその人と出会う以前よりもずっと孤独になったとしても、最初からその人がいない世界よりもいる世界の方がずっと愛おしいんだなあと思う。

 勿論自分が実際そうなった時にそう思えるかはわからない。
 あまりの苦しみや孤独感にのたうちまわるのかもしれない。
 でも出来ればそうでありたいと思う。

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| 東野圭吾 | COM(0) | TB(0) |
2009-03-10 (Tue)
    
  これは表題作 他2編からなる。
  権藤たまこ15歳。
 外に別の家庭を持って不在の父親と、自分の事しか見えていない家出マニアの母親を両親に持つが、それなりの慣れとコツで生活していた。
 たまこは気の合うおじいちゃんと過ごす、のんびりと老夫婦のようなまったり生活が大切で、2人とも母親が家出をすると解放感から浮き立っていた。
 そんなたまこの「現実」は中学校を卒業したら若干ぽけ始めたおじいちゃんとの生活を守る為、バイト先の正社員になる事であった。

 守られるべき時期にいる存在でありながら、守られていない存在の者達の寄せ合う生活はどうなるかーーー。


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  この作品は心の病で暫くダウンされた山本さんが暫くぶりに産声をあげさせた作品である。
 待ちに待った山本文緒印の作品だけど、読み終えた感想は、
 「さすがです!!!」

 やはり山本さんは読み手を裏切らないと思った。
 この作品の良さをきっちり伝える言語が出て来ないのがもどかしい。。。。

 たまことおじいちゃんは共に守られるべき時期にいる2人だ。それなのに守るべき両親は自分達の事しか考えておらずその役割を放棄している。
 大人ではなく、まだ子供のたまこが持てる武器が少ない中でクールを装いながら一生懸命自分の愛する者、世界を守ろうとしているのがなんとも切なくいじらしい。
 そんなたまこを見守る第三者がいい味を出している。決して親身ではなく適度の距離感があるけど、その距離感がとても上手く書けている。ホントにさすがです。
 逆にその距離感が正しいんだろうなあと思う。

 ラストがある意味残酷なんだけど、それが故に作品にとってハマる終わり方になったのが良かった。

 彼女の作品は世の中にある「こり」や「あく」を優しく描く作品が多かったけど、「プラナリア」辺りから若干その趣が変化しつつあるような気がする。
 私的意見だけど「世界にひっそりと息づいているイトオシイものの存在」を山本文緒さんの味付けで描いている。

 これからも山本文緒印の作品を読みたいので、あまり無理をされないように書いて欲しい。

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| 山本文緒 | COM(0) | TB(1) |
2009-03-08 (Sun)
 

 「根拠なしのポジティブ」が売りの健太はいつか何者かになれる事を夢見て、愛するミナミと大好きなサーフィンがある「今」を楽しんでいた。

 吾一は国の為に死ねる事を何よりも誇る軍国少年であった。

 現代を生きる健太と昭和19年代を生きる吾一があるきっかけで入れ替わってしまう。
 2人の道筋はいかに。。。。


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 これはよくお邪魔するブログで紹介されていた本で面白そうなので読んでみた。
 タイムスリップとか入れ替わりとかは失礼な言い方だけど使い古された小道具という感じで、それでも萩原さんの文章や会話の面白さを楽しんで読み進めていた。

 それぞれ入れ替わった2人が今まで存在していなった時代で右往左往しながら、それなりになんとか生きていく姿がコミカルにテンポよく書かれていて上手いと思った。
 がっ、がっがっ、
 ラストあたりから想像していたものとは違う流れに
 「おやおやおや」
 とテンションが上がってきた。

 とくに戦争時代にタイムスリップした健太のラスト付近の話は、全く戦争未体験世代の私の胸を打つ仕上がりだった。
 「こうくるかあ」 
 という想像していなったボールが飛んできた気分だ。
 当たり前だけど昔の人もひどい時代であっても、その中で一生懸命生きていたんだなあと改めて認識した。
 
 思っていたより話しの収束がキマッテおりじ~んと来た。読者に委ねる終わり方もなかなかのもだと思った。

 この作品が萩原浩デビューになるけど幸福な初対面だと思う。

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| 萩原浩 | COM(0) | TB(0) |
2009-03-07 (Sat)
   

 河合隼雄さんはだいたい人はこの位置から物事を見ないよなあという位置から見て本質を掴み取る方。
 よしもとばななさんはこの世の中に存在する真実をわかり易く的確に表現する事にかけてはピカ一な人。

 この2人の対話集

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  この2人の対話集が面白くないはずがないと思ってたけどやっぱり面白かった。
 この世の中のからくりというものがすっきり頭に入ってきた感じだ。

 私は村上春樹さんも好きだけどよしもとばななさんも好きだ。
 村上さんとはまた違ったトーンをお持ちのよしもとさんと河合先生の対話はこれまた味わい深い音色を2人で奏でてて、前記紹介の「村上春樹、河合隼雄に会いに行く」と読み比べたら面白い。

 興味深かったのはよしもとさんの「作家になる」という思いである。 才能も大事だけど「必ずなる」という思いがそれ以上に大事だと。
 全く同意見である。
 物事に対しては「才能」も勿論大事だけどそれ以上に「強い思い」が現実を強く引きつけると思う。

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| よしもとばなな | COM(0) | TB(0) |
2009-03-07 (Sat)
   

当時しかるべき時期を迎えていた村上さんが心理学者である河合隼雄に題字通り会いに行く

 
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  このお二方の対談であれば読まずにはいられないという具合なナイスなタイトルだと思う(そのまんまだけど。。。)。
 個人的に村上さんは言うまでもなく、河合さんとも私は同じ「感覚」を持っている気がした。
 この方の書く文章は「ストン」と入ってくると言うか、なんか感覚的な部分がハマル感じだ。
 読んでいてひたすら気持ちの良いトーンに浸っているという感じがした。
 
 あの村上さんが気持ちよく語ってらっしゃるなあというのがホントに伝わってきた。
 なんか同じポイントを持っている者同士の響きあいという感じ。 

 お2人共決して物事に対してストレートな見方ではなく、一般の人とは違う見方をしている感じがした。
 その見方が正しいかどうかよりも、一応ノーマルとされる見方に対する別の見方という位置において
色々考えさせられた。

 *蛇足だけど一度このお二方の対談を生で見た事がある。
  河合先生はイメージ通りという感じだったけど、村上さんは思っていたよりも声が低いというか渋いというか(決して高い声音の人とは思っていなかったけど)そこがやや意外だった。
 村上さんはシャツに短パンというイメージだったのでスーツ姿で出て来られた時は
 一瞬誰かと思いました(いや、似合っていたんですがイメージというのは恐ろしい)。
 

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| 村上春樹 | COM(0) | TB(0) |
2009-03-04 (Wed)
 

 「私」は3ヶ月に一度の割合でとてもたくさんねぎを刻む。
 それは、人と接すると余計に一人を感じる孤独が来た時の対抗手段として。
 そういう時「私」はひたすらねぎを刻む。泣きながら細かく細かくねぎを刻む。
 そして「私」は刻んだねぎを、お味噌汁や冷奴にどっさりかけて食べる。
 そうやって「私」は自分を取り戻していくー。


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 これは21編の短編からなる作品集でまさに「江國ワールド」。
 特に私的には「ねぎを刻む」が一番ハマった。

 私もねぎが大好きだ。
 お味噌汁や冷奴だけでなく、丼物やおかゆなどにかけて食べるとまさしく
 「ご飯がすすむくん」状態(ところでこの商品まだあるんでしたっけ?)
 冷蔵庫に保管している「刻みねぎ入りタッパー」は外せない。。。

 人と会うと、人と話すと、余計に1人になる孤独は確かにある。
 その孤独は自分1人のものだ。誰にも溶かせない。
 だからこそ「私」はねぎを刻むのだろう。
 自分1人だけのものである孤独とやっていくために。

 「私」が泣きながら刻みまくったねぎをどっさりかけて食べて力を取り戻していく部分に、日常性のもつ偉大さをちょっと感じた。
 美味しい物食べたり、楽しい事をしたり、当たり前のことが自分を支える根幹のようなものを地道に造っていくんだろうなあと思う。

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| 江國香織 | COM(10) | TB(0) |
2009-03-01 (Sun)


  「和泉」と弟の「春」は半分だけ血のつながった兄弟。 「春」の実父は「和泉」の母親をレイプした犯罪者であり、「春」はその結果誕生した子であった。
 だが二人の父親は「春」を我が子のように可愛がり、家族も極めて仲が良かった。

 やがて母親は無くなり二人の父親も癌におかされていた。
 そんな中連続放火事件が続き、またその現場には謎の落書きが残されるという奇妙な出来事が起こる。

 事件が交錯する中、「和泉」と「春」はそれぞれの手段で「過去のそして現在に至るまで潜む悪意」というべき「春」の実父に辿り着く。

 様々なパズルのピースが揃った完成された結末は。。。。


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 伊坂さんの作品の中で私はこの作品が「一番好きだな」と思う作品である。
 彼は稀有のストーリーテラーなので、この作品より面白いものもあるし、完成度の高い作品もあるけど、それでも私にとってはこの作品が一番好きだなと思わせる魅力のある作品である。

 多分それはこの作品が持つ「癒しのようなユーモアがある」せいだと思う。
 「深刻なことは陽気に伝えるべきだ」
 と本文にもあるように、深刻なモチーフだけど作品世界には不思議な明るさがある。その作品の持つ光明のような明るさが好きだ。

 主人公の和泉は半分しか血のつながらない春を大事に思っている。だがその春は母親がレイプされて出来た子供であり、犯罪を憎みつつも、その犯罪が故に春は存在しているという矛盾。
 この矛盾がなんともいえなかった。
 仲の良い家族でありながら、その影に「犯罪」という悪意が潜んでおり、家族それぞれがその悪意を自分なりに抱えている。
 その姿に読み応えがあった。
 
 もともと伊坂さんは文章が巧みでセンスがあるけど、今回はそれが作品世界を明るく照らしていると思った。

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| 伊坂幸太郎 | COM(0) | TB(0) |
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