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2010-12-08 (Wed)


 西暦199X年、地球は核の炎に包まれた。だが、人類は死に絶えてはいなかった。暴力がすべてを支配する世界となった核戦争後の大地で、途中で出会ったリンやバットを連れ、北斗神拳伝承者・ケンシロウが暴徒を相手に拳を振るう。北斗神拳を共に修行した兄達、それぞれの宿星を持つ南斗聖拳の伝承者達が現れ、ケンシロウと激闘を繰り広げていく。-ウィキぺディアより

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私は小学生から中学生の頃に「ジャンプ黄金期」を過ごした人間である。
多分30代半ば以上の人でマンガ好きの人ならあの白熱の時代を憶えてらっしゃるだろう。
 なんせほぼ同時期に「キャプテン翼」「ドクタースランプ」「キン肉マン」「キャッツ・アイ」「ウィングマン」」(書いていて興奮してきた)「きまぐれオレンジロード(知ってる人は知っている。この作品は趣味で書いちゃいました)等マンガ史に刻まれるような作品が連載されていたのである。
 もうあんな時代は体験出来ないとだろう。それ程までに奇跡の時代であった。

 「北斗の拳」もだいたい同時期に連載されていたけど実はリアルではファンではなかった。小学生に「北斗の拳」は大人びており「キン肉マン」のようなわかり易い設定の方に燃えた。
 私がこの作品にハマルきっかけとなったのが夕方にテレビアニメの「北斗の拳」の再放送を見てからである。
 何かの陰謀なのかどうかわからないが当時の私が住んでいる地域では夕方に「北斗の拳」の再放送が多かった。年齢が上がって人の心の機微に燃えられるようになってからすっかり魅了されてしまった。
 あれだけハマっていた「キン肉マン」はもうすっかり読んでいないけど、「北斗の拳」は文庫版で全巻揃え今でもたまに愛でている。

 私がこの作品に惹かれる理由の一つは出てくる男達が「漢な男達」だからかなと思う。決して待っていればやってくるかもしれないと夢想するような王子様タイプではない。あくまでも「応援しております」と柱の陰から見守るような謙虚な姿勢で孤高タイプの男達である。私は孤高の男に弱い。。。。。

 基本彼らは「ロマンチズム」を飼っているが、それに溺れたり酔ったりするのではなく殉じる生き方である。男には男にしか飼えない「モノ=性(さが)」があって女性には永遠に持つ事が出来ないんだろうなという気がする。その辺りが女性である私には切ないような眩しいような感じがして好きなんだろうなあと思う。
 それと情のある作品というのだろうか、決して人間の感情が上手く書けているという旨味ではないのだけど。人の感情の複雑な部分を削ぎ落として割とシンプルに表現している。それが無駄なものが少ない分ダイレクトにぐっと来る。感動系というわけではないのだけど、心に響いてくるという感じ。

 再読して改めて細部の創りこみがセンスあるなあと思う。「一子相伝」とかはなんだかありがたみがあるし、「北斗神拳 」「南斗聖拳」等言葉だけでワクワクさせてくれそうな。「お前はもう死んでいる」というセリフなんか「参りました」というような決めセリフ。そういうパーツを生かした作品のパッチワークが上手い。 ウィキペディアに「北斗の拳」は「作品の一部がギャグとして捉えられることについて原哲夫は必然的に表現している」とあったがなるほどと思った。ギャクからは縁遠いような絵と内容だけど常にそういうポイントも上手く作品の一部として取り入れてマッチさせている。

 未読な方は是非とも堪能して欲しい。

*余談だけど数年前にイベントの一巻でラオウの葬式が行なわれたという話に笑い、子供の頃にファンだった男性が会社を忌引きしてわざわざラオウの葬式に参加した話に爆笑した。

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2010-09-18 (Sat)


  進学校に通う望江はもうじき大学受験を控えたいたが、周囲のクラスメイトのように必死に勉強する意義を見出せないでいた。
 それでも親友の悦子との時間は大切な一時だった。その悦子が自殺未遂を計る。親友の深刻な悩みに気付く事の出来なかった自分に失望し、優しいが気を使わざる終えない義父との関係にも疲れていた。
 ある時望江は同じ予備校に通う弘紀・彩・勇進・進と知り合うが、彼等もまた居場所がなかった。
 5人は新たな自分と出会う為に「みみずくの里」と逃避行を決意し満点の星空の下決行する。
 

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 以前愛おしさ満員御礼「アーシアン」で温故知新プログラムを実践中と書いたが、昔のマンガを読み直すとついつい年寄りじみた「昔は良かったな。。。」という感想が出てくる。
 最近のマンガをあまり読んでいないのもあるが、やはり私がマンガオタクの頃は良品が多かったと思う。昔のマンガを読みながら良い時代を過ごさせて貰ったと30秒位遠い目をした。

 この「すすきのみみずく」は月刊マーガレットで連載されていた。今はわからないが当時のマーガレットは「やや大人びた足が地に着いた恋愛物」が主軸だったと思う。その中でこの作品は若干異質なカラーであったが隠れた名作である。
 恋愛が無いわけではないけどそれはパセリ程度でメインディッシュは「青春成長物語」である。
 この作品に出てくる5人は誰もが若い時に迷う「自分の心の森」で彷徨っている。どこにも居場所がなく、自分との折り合いが悪く生きづらさを感じている。
 その彼等が家も学校も捨て「みみずくの里」で電気もガスも無いログハウスで共同生活を送る。当然他人同士なので摩擦や衝突があるが、その中でそれぞれの「自分らしさ」を培っていく様がポップなタッチで描かれながらもメッセージ性豊かな作品である。

 とにかくキャラが立っている。
 不器用だけど気が強い望江。超難関高校に通っているお調子者の弘紀。古いものが大好きなレトロこと勇進。男に好かれるのが大好きな美人の彩、いじめられっ子の進。
 この5人がお互い言いたい事を言い合っているのを読んでいると「仲間」という感じで羨ましくなる。気が合う友達でもなく、恋愛感情のある恋人でもなく、血のつながりのある兄弟でもなく、ある意味それよりずっと作るのが難しい絆のある関係。そういうのは幾つになっても憧れを持つ。

 この作品を読んでいると、 とても良い意味で「考える人」になるのである。
 登場人物達の言葉に若き日の自分を重ね合わせたり、思い出したりしながら、色々と考えていた。
 主人公の望江は原始的な生活の中で、自分が料理一つも満足に出来ない何も出来ない人間である事に気付く。何も出来ないのに理屈をこねたり説教したりしてそんな自分が家族の中で一番まともな考えをしていると思っていた。
 「なんでもできる人間になりたいな あたりまえのことが」  
 望江のこの言葉は今の私には響いてくる。若い頃は人から称賛される褒められるそういう事が出来るようになりたいと願っていた。でも本当は普通の当たり前の事が出来る「人間としての根幹の基礎力」がしっかりしているのはもっと大切なんだろうなあと思っている。
 ラスト近く先に外に出た望江が自分の傘だけ取り出す彼女に母親が「こういう時は先にお母さんに傘を渡すものよ」と教えるが、こういうのは学校で習うどんな公式や歴史よりもずっとずっと大切だろう。
 ある意味こういうささやかな良識は自分の大事な何かを密やかに支えるものかもしれない。

 やがて彼等の逃避行も終わりを迎える時がやってくる。
 非日常の世界から日常の世界に戻ってきたからと言って、自分がいた元の世界が変わるわけではない。当たり前だけど。
 でもそれまでとは違う視点を持つ事によって自分の旅を続ける道しるべとなっていく。迷いながら傷付きながらもそれを糧として逃げず歩き続ける。

 やはり若者の成長物語は幾つになっても読んでいて心洗われるものだ。その一時の輝きに惹かれて止まない。

 
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| マンガ | COM(0) | TB(0) |
2010-08-21 (Sat)


  長年地球を監視続けた「天使」。
 一万項目のマイナス次項がチェックされた時、アーシアン(地球人)は彼等に滅ぼされる運命になる。
 天使の中で唯1人突然変異で黒い髪と黒い翼を持つ天使であるちはやは、アーシアンを守る為にプラス項目をチェックする正の調査員に立候補する。そして負の調査員である上級天使の影艶と共に地上へと舞い降りる。
 前半は彼等とアーシアンとのエピソード、中盤以降は同性でありながらも互いに好意を抱くちはやと影艶の関係性にスポットが当たりながら(同性愛は死罪である)、天使達を絶滅に追い込む可能性のある「黒色ガン」綴られている。


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 いつも私のブログにお越し下さる方の中には「あれっ?おりえさん、最近マンガの記事多くない?」と勘付かれた方がいると思う。この猛暑の中図書館に行くと溶けてしまいそうなので、我が家にある本(ほとんどマンガ)を再読中。 「温故知新」プログラムと名付けて邁進中。 

高河ゆんさんの代表作と言えばこれもう「アーシアン」だろう。この作品は単行本(でいいのかな)で5巻まで出ているが、最終回前の数話はどういう理由かはよくわからないがかなり長い間単行本に収録される事なく放置されたままになっていた。結局別の出版社から新たに書き加えられた外伝を含む全ての話が収められた完結版が出版された。
 その完結版を立ち読みしたのだけど外伝の絵は相当変化していて(ある意味この外伝が真のラストになるのだと思う)、別人が書いているような絵柄の変わり具合に私は途中で読むのを辞めてしまった。
 それ故完全な形で作品を読み終えていない視点で書かれている事をご了承頂きたい。

 高河ゆんさんは「やおい系」マンガ家として有名な人であった。だからそちら系統が苦手な人は「アーシアン」は厳しい思う。ただこの作品はその括りで拒否されるにはあまりにも惜しい傑作である。
 彼女の作品を読んで凄く感じたのは、
 「誰かが自分を愛してくれる世界、自分が誰かを愛している世界の愛おしさ」
を描くのが抜群に上手い人であるという事である。
 「人を愛する事」というテーマを薄めないカルピスの如くかなりストレートに表現されているが、そういう場合に付き物の「クサさ」とか「ある種のいやらしさ」は全く感じられないのがアラ不思議。
 人を愛するという思いが純粋に表現されていて堪らない愛おしさを感じ、意味も無く沸々とパワーが沸いてくる。
 扱い方を間違えれば陳腐で安くなりそうな「愛」というテーマを、まるで魔法のように輝いて魅せる彼女独自の色合いを持った表現世界と言葉の使い方はある意味神業とも言えるだろう(私がファンだった当時はである)。 
 
 どのエピソードも秀脱なのだが、この作品で私が一番好きなエピソードはバイオヒューマノイドである多紀の物語である。
 多紀はマッドサイエンティストに作られた人工生命体。博士からは人形だと偽物の命だと言われるが、今自分が確かに生きている命は本当に偽物なのか?彼は「自分は何者なのか」と問い続け人間になりたいと願う。
 幼い少女を救う為に高層ビルの非常階段を腕一本で支え千切れた腕の痛みに苦悩しながら「もし俺が壊れたら人が死んだ時と同じ場所で眠れるのか」と呟く多紀に、ちはやが「それは眠れるよきっと多紀はアーシアンだから」と言ってあげるシーンは胸に響く。
 「自分が何者であるか」という問いかけは私達だって同様だろう。あくまでも人工生命体という視点から綴られているが、多紀の自分探しの物語はある意味私達の物語とも言える。
 彼には犬機能というのがプログラムされておりそれ故絶対に博士に逆らう事が出来ない。殺されかけてもなぶられても博士の事は好きなのである。こういう設定の巧みさに彼女の創り手としてのセンスの良さを垣間見る。
 そんな多紀が守りたい愛しい子を見つけ、その思いに支えられながら自分を人間として認知していく様は切なくも愛おしい。
 
  「愛おしさ」が一杯詰まった名作である。

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2010-08-07 (Sat)


ロサンゼルスに住むアンダーソン一家は5人家族。
 心優しいフレディパパとマリア様のようなシェレンママ。
 美人な男性でゲイの長男ケイ、お人形さんのように可愛らしいおしゃまな次女トレーシー。
 そして主人公の男勝りでおっせっかいが服を着て歩いているような長女のフィー。
 ある時5歳のジョナサンが訪ねて来て「パパの隠し子です」ととんでも発言をする。てんやわんやの大騒ぎになるが、そこは普通ではないアンダーソン一家。思いもかけない展開が用意されている。
 愛すべきアンダーソン一家のホームコメディ。


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 最近漫画の世界から離れているので正直渡辺先生がどれ位メジャーなのか今イチわからんが、スマートな笑いと嫌味のない適温な「深イイ話」の魅せ方が本当に本当に上手い漫画家さんだと思う。 
 ウィキペディアを見たら活躍年数の割には作品数はそう多くなく、意外にも寡作な漫画家さんだったのに若干驚いた。自分では彼女の作品をあまり読んでいないような気がしたがどうやらほとんど完食していたようである。
 これなら若干エバっていえるが「ファミリー」は彼女の作品の中でも傑作の部類だと思う。

 この作品は本当に面白かった。
 とにかく笑いと適温な「深イイ話」の絶妙なブレンド具合が「ブラボー!!!」なのである。互いのエッセンスが上手く織り合い相乗効果となって作品世界を紡いでいる。
 特に渡辺センセ笑いは頭の「かしこさ」から生み出される知恵の実のようでセンス抜群なのである。きっと頭の回転の速い人なんだろう。その笑いは単に「面白い」だけではなくてどこか「笑いは人生を豊かにするもの」に通ずる部分を感じる。勿論説教臭さは全然無いんだけどなんとなくそう感じるというか。
 渡辺先生の作品は「笑い」が作品世界のバックボーンとなっていると思う。

 そして「深イイ話」も決して島○紳○氏のような「感動の押し売り」タイプではなく本当に適温なのである。
 人の心の機微をHOTではなくCOOLなスタンスで描かれているんだけど、そのドライさが本当の優しさというか暖かさを醸し出している。
 この辺り匙加減の上手さは作り手としての力量というより、ご本人の性格のアンテナの良さからくるものではないかと思う。

 渡辺先生の作品に出てくる登場人物達は総じてキャラクターが魅力的である。
 特にアンダーソン一家はこういう家族に憧れたもんである(遠い目)。「サザエさん」とか「ちびまる子ちゃん」は全く憧れた事はない非国民だったのに
 アンダーソン一家は皆愛すべきキャラクターで個性豊かで楽しい。彼らの喜怒哀楽の物語は「家族」の絆という言葉よりも、もう少し語義をフランクにした感のある「ファミリー」という言葉の方がピッタリな感のある個々としての人間同士の繋がりを感じさせる。
 そういう部分に憧れたのではないかと思う。

 個人的にはラスト辺りに収められている「時の絆」の話が大好きである。
 捨て子のキムと育ての親のハービィー。父と娘はキムが子供から大人へと成長するに従い、二人の関係性も変化していく。人と人の絆、愛する事の切なさと怖さと愛おしさ。渡辺センセの持ち味が一番ドラマ性豊かに表現されている一級品だと思う。

 相当古い作品だけど全然古びていない。本物は常に新しいという言葉をを再認識させられた。
  
 
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2010-07-31 (Sat)


 大原さんちの奥さんとダンナさんはゲイバーで知り合い交際二ヶ月でゴールイン。ダンナさんは専業主夫で奥さんが働いている。
 「これまでの人生で一番長続きしたのが小学校に通っていた六年間」というおちゃめなダンナさんだが、神経症で潔癖症や強迫神経症等様々な症状を飼っている。
 そんなダンナさんの病故のかなり変わった生活ぶりを、愛情とユーモアを込めて綴られた最近はやりのマンガエッセイ。
 
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 ブログタイトルに「メンヘラの読書日和」と謳っているので勿論私は心の病である
 だがメンヘラだという事は記事によく盛り込んでいたが具体的な病名は多分書いた事が無いと思う。
 ここら辺りで私のツレアイをご紹介をしたい。
 主症状は「抑うつ神経症」「強迫神経症」でようするに神経症である。ここからの病気に対する捉え方はあくまでも私自身の解釈という事で読んでい頂ければと思う。
 神経症は病気と言えば病気ではあるが、でも以前ある本に神経症は「心のあり方の悪い癖」という表現を用いていたがこっちの方ドンピシャだと思う。「心のあり方」なんて医者や薬でなんとかなるもんじゃないので基本的に中々治り難い。
 心は自分のものでありながらそのお付き合いは難しい。

 大原さんちのダンナさんは私とお仲間である。でも私よりツワモノだ。ダンナさんは視線恐怖症にパニック障害に縁起恐怖に潔癖症等等。。。
「すんません、私の荷物少なくて」
 と謝りたくなる位の症状の数々にちょっと驚いた。
 視線恐怖症なので外出する時は必ず顔が見えないほど帽子を深く被り、顔にピッタリフィットする大きなマスクをつけるという怪しさ満点のスタイル。
  指に油がつくと発狂しそうになるので箸でホテトチップスはお召し上がりになる。
 一番ウケたのが食器洗いのスポンジがグラス用、肉用、魚用、普通食器用等用途によって7つのスポンジを使い分けて洗っているのはたまげた(ちなみに私は洗うスポンジはひとつだけである)。
 メンヘラとしてはベテラン選手である私でも驚く位症状が多岐に渡っており結構重症の部類だと思う。

 でもご本人はこれだけの大荷物を背負いながらも人生を楽しそうに生きてらっしゃる。勿論大変そうではあるが。
 健常者よりも生命力がありそうで、人の懐にスッと入っていける器用さをお持ちで好かれ上手である。多分芯の所に余裕がありメンタルに縛られる事なく上手く付き合えているのかなと思う。
 ユーモアを込めて描かれているのでオブラードに包まれているが実際奥さんは大変だろう。でもダンナさんのメンタルを距離を持って眺め個性の一つとして受け入れていらっしゃるのが微笑ましい。
 お2人のお互いのライフスタイルをありのままに受け止める関係性がイイ感じに書かれている。
 
 作品中に家の鍵をかけたか何回も確認するシーンが出てくるがこれは私にも覚えがある。
 1、2回程度の確認なら慎重な人で済まされるだろうけど、何回も何回も確認してしまうのは異常である。でも確認しても確認しても不安なのである。
 「意味ないとわかっているけどやめられない」
 と食べれないかっぱえびせん状態。意味のない事にこだわり時間を消費する本当にむなしくてつらいのである。私も大原さん家のダンナさんも心のひずみがそういう形で現れるのだろう。
 でもダンナさんのキャラの面白さにどんな荷物背負い込んでいても「今自分がいる世界と上手く付き合っていく」スタンスって大事だなと思わされた。

 いい意味でメンヘラのイメージを裏切ってくれるプチ良品である。

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