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2010-05-22 (Sat)
 

 週刊誌の契約制の特派記者に身を置く蒔野は残忍な殺人者や男女の愛憎絡みの記事を得意としていた。
 センセーショナルな記事はそれなりの評価を得ていたがある事件をきっかけに冷や飯を食わされる。
 挽回の為に知り合いの刑事からリークされた事件で坂築静人と出会う。
 彼は人が死んだ場所を訪れて悼む旅を続けていた。蒔野は全く見ず知らずの人間の死を悼む彼を薄気味悪く思いつつも何故かその存在が心から離れなかった。
 そして夫を殺した女倖世は出所後に現場へ戻ったところで夫を悼んでいた静人と出会う。その行為が理解出来ない彼女はその真意を確かめる為に彼と行動を共にする。
 静人の母親坂築巡子は息子を理解したいと思いつつも死者を悼む旅を受け入られないでいた。そんな彼女に末期ガンという運命が訪れていた。
 静人とその悼む行為を拠点にそれぞれの死生観、人生を見つめなおしていく。

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 天童荒太さんのタイトルは私にとって漢字のお勉強になる事が多い。
 「永遠の仔(えいえんのこ)」の「仔」は本来は獣の子供に使う字のようで、生物の子供に使われるのは一般的な「子」が正当らしい(あえて獣の仔を使う辺りが絶妙なセンスだと思う)。タイトルに使われていて初めて「仔」という漢字とその意味を知った。
 この「悼む人(いたむひと)」の「いたむ」という字も「ああ、いたむって読むんだあ」と読み方を教わった。
 勉強になるタイトル達である。だから天童さんの小説はタイトルは気になる。

 勿論タイトルだけでなく作品も読み応えがあるものが多い。
 メッセージ性の強い作家さんたがそれが押し付けがましくなく、読み手をすっとその世界観に惹きこんでいく。
 小説家にも色々なタイプがいる。創り手のタイプ、紡ぎ手のタイプ、天童さんは『語り部』タイプの作家さんだと思う。
 幾つかの作品を読んでイタコ的な作家さんというか、物語という生命が「天童荒太」という人物を通してこの世界に出現させられているようなイメージがある。それ程物語に息づかいというか生命感を感じる。

  ただ残念ながらこの作品は恐らく私は生涯理解する事は出来ないと思っている。また正直理解したいとも思っていない。
 彼の「悼む行為」とは、
 「死者の魂の成仏を祈る冥福を祈るのではなく、亡くなった方が誰に愛され、誰を愛し、どんなことをして人に感謝されたかこの3点だけを知り、ほかの人とは代えられない唯一の存在として覚えておく」
 ことである。 
 静人は親友の突然死、仕事でボランティアとして関わった子供達の死、それらを上手く自分の中で消化しきれない苦悩がそういう行為に駆り立てた。
 でも私の視点からは静人の「死者を悼む行為」は自分の魂を鎮める為の自己満足に映ってしまうのだ。

 全くの第三者である静人が見ず知らずの他人の死を覚えておくという行為に共感を持てない。
 自分が死者という観点で考えたら自分の大事な人が自分を覚えておいてくれるのは嬉しいけど、見知らぬ人間に覚えてもらっても喜べない。
 関係性に何の実態も伴っていないものだから。互いに色んな交流を積み重ねた思い出があればこそだろう。
 それならまだ成仏を祈って貰う方がありがたい気がする。

 近しい者以外は死者を忘れていく、忘れられていく事への罪悪感へが悼む行為の根幹にあるらしい。
 でも生きている人間が前に進んで行けるのも忘れる事が出来るからだと思う。それに完全な意味で忘れる事は記憶障害にでもならない限りはないはずである。忘れるのではなく別の位置へ移動するだけだと思う。
 時折り何かの拍子で生者の記憶の中に蘇る。それでいいのではないか?

 あと静人は自分を心配する家族を言葉は悪いが見捨てた状態が納得し難い。死んだ人間も大事だろうが生きている人間はもっと大事ではないだろうか。
 「生死」を見据える事は大事だと思う。でもその概念を追い過ぎて本来大切にしなければならない事柄をないがしろにしていると感じる読み手は私だけだろうか?
 どうも静人の身勝手さがぬぐい切れない。

 読み手の死生観によって相当評価が変わってくる作品だろう。私の死生観ではこの物語の景色はキレイ過ぎる。


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| 天童荒太 | COM(6) | TB(0) |
2009-08-22 (Sat)
   

 双海小児総合病院の児童精神科ー別名「動物園」と呼ばれているーに入院している三人の子供達。
 優希、笙一郎、梁平は親からの虐待で深い傷を背負い、互いに慰めあう事で生きていた。
 そして彼等は「生き延びる為に」ある人物を殺す計画を立て実行に移す。その秘密を抱えたまま別れそれぞれの人生を歩む。 

 17年後、三人は導かれるように再会を果たす。
 だが彼等が受けた傷、負った過去は各々の人生に深すぎる影を落としていた。
 その影が交錯する事によってまわり始めた悲劇の幕開け。
 彼等の周囲で子供を虐待していた親の連続殺人事件が起こり、優希が必死に隠そうとしている過去を弟は手繰ろうとする。悲劇は更に次の悲劇へと繋がっていく。。。
 そして17年前の事件の真実も明かされようとする。

 親によって魂を踏み潰された者達の物語。


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 自分が「本が好き」で良かったなと思った。そうでなければこの作品と巡り合う事はなかったから。

 面白くて読むのが止められない状態を「やめられない、とまらない かっぱえびせん状態」と私は通称しているが、私がこの本を読むのを止められなかったのは「かっぱえびせん状態」というのではなく、もっと深い自分の内部から求める思いでページをめくり続けた。

 優希、笙一郎、梁平の現在と過去が交錯しながら物語は進んでいく。
 その過程で彼等が「親」から受けた虐待とその傷の為に苦悩する姿が「てんこもり」に描かれており、読んでいて苦しくそして切なかった。
 現在の連続殺人事件、そして過去の事件の真相を絡めているので「ミステリー」というくくりになるらしいけど(2000年の『このミス』№1)、「ミステリー」と言われなければ私は全くその言葉を思い浮かべなかったと思う。
 「ミステリー」というカテゴリーは物語のテーマをよりあぶり出す為の手段に過ぎないと思った。 

 とにかくこの本を読んで、
 「親は子供を愛してあげて欲しい、子供に愛情が確実に伝わる愛し方で」 
 と痛切に思った。
 子供にとって親から愛されるか、愛されないかで「その後の出会う世界が敵になるか味方になるか」 が決まってしまうと思うから。
 言い尽くされている言葉だけど「子供は親を選べない」。良い親の元に生まれるか、とんてもない親の元に生まれるかは「運」だと思うけど、その一言で語るのはさすがにやるせない。

 物語ではあるから、悲惨な内容もノンフィクションの持つ事実という重みはない。
 だけど、物語だからこそ「伝えられる力」を感じた。
 「家族」という存在は愛情によって包まれていれば「救い」だけど、そこに虐待が存在すれば「地獄」であるとしみじみ思った。 

 親からの虐待を受けた彼等は「自分が悪い」という自己否定を持ってしまうものらしい。だから愛されなかったのだと。
 そんな錘を持ったままでは当然生き難い。
 でも、それでも、人という生物が持つ生命に守られて、彼等は「本当は生きていたい」
と願う姿に生きようとする姿に涙をこぼした。
 優希、笙一郎、梁平が子供の頃に互いに掛け合い、その後の人生の支えにした
 「生きていても、いいんだよ」 
 の言葉に泣いた、泣いた。 

 とある作家さんが「どんな世界にも光の当たる場所はある」とおっしゃっていた。
 そうだとすれば虐待を受けた人達がその苦しみの世界を乗り越えた時、それは普通に生きていた人が得られない糧を手にする事が出来ると思う。

 そこに希望の灯火があると信じたい。

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