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2009-07-15 (Wed)
   

 工藤泉はもうすぐ結婚をする。激しく人を愛した思い出ごと受け止めてくれる男性と。
 その彼と過ごした苦く甘い思い出は何度も泉の中で蘇る、そうする事で過去を封印するかのように。
 「彼」、高校時代の教師であった葉山とはお互い相思相愛であったが、はっきりとお互いその思いを確認する事なく泉は高校を卒業する。
 再度後輩の為に演劇部を手伝わされる事によりその顧問である葉山と再会する。
 変わらない葉山への思い。
 だが彼には泉へと全力で向かい合えない事情があった。泉はそれでも葉山を求めていたが。。。。
 

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 私は基本的に「恋愛小説」はあまり好きではない。
 何故なら「恋愛小説」はつまる所、
 「くっつく」
 か、
 「別れるか」 
 のどちらかのゴールしか待っていないからである。
 これでは結末が見えているミステリー作品を読んでいるようでなんとなく手が出しにくい。。。。
 
 そんな私が何故にバリバリの恋愛小説である「ナラタージュ」を読んだのか?

 もともと評判の良い作品であったのと、題である「ナラタージュ」の響きに惹かれたのと、表紙が素敵だったからである。
 題の秀脱さと表紙のクオリティの高さに「これはイケル」と直感した。

 「ナラタージュ」 
 初めてこのタイトルを見た時なんて語感の響きの良い素敵な言葉だろうと思った。恐らくこの本に出会う事がなければ私の人生で「ナラタージュ」なんて言葉は生涯呟く事はなかったと思う。
 良い作品は良い符号を持つものだ。

 恋愛小説をあまり食する事の無い私でも飽きる事なく読めた。決して奇をてらう物語ではなく、オーソドックスである。それでも読ませるのだから著者の島本さんは芸達者だと思う。

 私が一番印象深い言葉だったのが、
「たとえ誰かのせいで不幸になったとしても、人間は基本的に自由なんだから、その不幸から抜け出す努力をすべきなんだよ」 
 そうなんだよなあ~。キレイごと的な所もあるけど、人はそういう選択権を持っているはずである。それならそれを自分が選び取れるかどうかだなと思う。
 
 その選択権を半ば放棄しているのが泉の恋の相手である葉山先生だ。この葉山先生はいわゆるダメ男である。もっと別の言い方をすれば「中途半端ないいひと」である。
 完全な「いいひと」なら男性としての面白みはなく「お友達でいましょう」止まりで恋愛には発展しないと思う。
 冷たい人間ならまず期待させる言動をせず恋をしてもばっさりと断ち切られてしまう。
 泉の心のひだを誰よりも理解出来るのに、泉の思いには応えようとしない。でも何故かこういうダメ男はもてるのである。女性がその優しさに惹かれその弱さに母性本能を感じるのかもしれない。

 結局の所「好き」だというシンプルな思いは何より強いんだなあとしみじみ思った。ダメな男だろうがなんだろうが、
「好きなんだから仕方ない!!!」
というシンプルな真理をまざまざと突きつけられたような気がする。

 「ダメ男なんてよせばいいのに」という助言は馬の足に蹴られるしかないんだろう。

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| 島本理生 | COM(7) | TB(0) |
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