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2009-08-08 (Sat)
 二本木真美と加賀祥子は小学校の頃からの付き合いで「親友」以上の仲であった。
 むしろ「運命」というべき出会いであり、それは祥子の持つ「念動力」という秘密を共有し合う事によってより強固なものになった。

 2人の共依存的的な関係はある出会いによって転機を迎える。
 それは藤原綾子というテレパスの力を持つ女性との出会いであった。綾子は人の心が読めるが故に、深い傷と人間に対する憎悪を抱いていた。
 真美と祥子、お互い不幸な家庭に育った2人は擬似母子的な関係であったが、綾子という存在によってそれまで見てみぬふりをしていた「ゆがみ」があぶりだされる。。。。


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 掃除をしていて本を見つけるとどうしてつい読んでしまうのだろう。。。。

 この間部屋の掃除をしていたら「あなたにここにいて欲しい」の文庫本が出てきた。よせばいいのについ手に取り読んでしまい、案の定掃除は一旦中断である。この本が本棚に並んでいたら私は当分手にしてなかったと思う。
 「掃除をしていて見つけてしまった本」
 だからこそ読んだといえる。 これも何かの法則だろうか。

 新井さんの作品はびっくり箱という感じがする。
 とにかく独特の世界と感覚を持った作家さんで、読んでいて出てきた中身に驚かされることもしばしば。どうやったらこういう内容が思いつくのかとしみじみ思う。新井さんしか行けない世界のはしごをもっているみたいである。
 独特過ぎて合う、合わないがあるのだけど、合うと私のツボをぐっと押してくれるから読むのを止められない。 

 読んでいて一番染みた言葉である。
 「でも本当にー禍も、幸福も、糾った縄のようなものー」
 「一体何が禍で、一体どれが幸福なのか、果たして誰にわかるだろう」
 

 
 私は心の病になって本当に苦しんだし、つらかった。
 「ええい、もういいや」と全てを投げたしたくなった事が何度あったことか。

 でももし心の病にならなければ、今私が見ている世界の景色は随分違ったものになっていただろう。
 心を病むことがなければ「生きている」ということが本当は凄い事なのだという事は死ぬまでわからなかったと思う。
 病む前の私にとって「生きている」というのは最低限の当たり前のことだった。
 「生きている」事が当たり前と思うのか、奇跡と思うのか、どちらで捉えるかによって人生は随分違ったものになる。

 結局幸福も不幸も存在しているものではなく、選択するものなのだ。勿論「全ての事柄は気持ちの持ちよう」などと人生訓をたれるつもりはない。

 でも「選択する権利」は常にこの手にあるのは憶えておきたいと思う。

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| 新井素子 | COM(4) | TB(0) |
2009-04-15 (Wed)
   

 「惑星ナイン」
 地球から移民してきた人達「キャプテンリュウイチ」「レイディ アカリ」を中心とした人達が祖となり創り上げた惑星。
 繁栄を誇ったかに見えた「惑星ナイン」も400年の時を経て遂に「最後の子ルナ」を迎える。
 たった一人残されたルナはその絶望と孤独の中でコールドスリープによって眠りについた人々を次々と起こしていく。


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 新井素子さんには学生時代にお世話になった。
 彼女の作品を初めて読んだ時、私としては褒め言葉なんだけど、
 「こういう文章で小説書いてもいいんだなあ」 
 と思った(ホントに、ホントに褒め言葉なんだけど)。
 まさに「新井素子節」という感じの独特のノリの文章だった。

 大人になると読書傾向が変わった事もあり、新井さん自体も寡作な作家さんになったので彼女の作品を読む機会は減った。
 久々に再会したのがこの本だった。

 ある批評家の方がこの作品を「これは小説ではなく大説だ」とおっしゃっていたけど首がもげそうな位にうなずいた。
 本当に凄い作品に出会うと感想はただただシンプルになる。
 読み終えた時は「××××だから感動した!!!」とか「○○○だから号泣した!!!」とかそんな形容詞のついた感想は沸いてこず、ただ「凄い」という感想しか出て来なかった。言葉が感情に追いつかないというか、取り残されるというか。
 涙、涙で目が土偶になった。

 どんな作品も「無から有を生み出す」以上、その作品には創作の神様の愛が宿っていると思う。
 だとすればこの作品はとりわけ創作の神様が愛情を与えた作品なんだと思う。

 「最後の子」としてただ一人残されたルナ。彼女は復讐とそしてどうしても問いかけたい思いを胸に眠りについた人々を起こしていく。
 起こされた人々にしてみれば目が覚めると「私の知らない世界」でいきなり老婆のルナを見て驚く。
 自分の想像もしてなかった世界で目覚させられた人達と、ルナの物語が一つずつ繰り広げられる。
 そのどれもがしっかりとしたバックグラウンドが織り上げられており読ませてくれる。 「創造力」というものの凄さを改めて見せ付けられた。新井さんの頭の中を是非覗いてみたいという誘惑に駆られた程だ。

 ルナは問う、
 「最後の子供になるかもしれないのに、何故ママは自分を生んだのか?」 
 自分の今味わう孤独と絶望と不幸は、ママが自分を生んだからだとルナはなじる。自分の不幸を嘆く。怒る。だがその問いに誰も明確に答えられない。
 目覚めさせられた人達は事情があるが故にコールドスリープで眠りについたのであり、やがて彼女達もまた「ルナを残していく者達」となる。。。。。

 そして惑星ナインを創り上げた祖、女神と言われた「レイディ アカリ」を遂に目覚めさす。
惑星ナイン存続の為に、後半の人生、人格、あらゆるものを犠牲にし女神に奉れられた「レイディ アカリ」。
 その結果ともいうべき「最後の子ルナ」。
 始まりと、終わりの2人が惑星ナインの最後の物語を綴る。
   
 ラストでようやくルナは自ら答えの一つに気づく。それは誰かに教えられたのではなく体験を通して自分で感じとったものだ。

 もしかしたら人が生きている意味はどこかに神様の答えが用意されているのかもしれない。
 私はその答えがどこにあるかわからないが、
でも生きている意味があるから生きているのではなく、その答えは「生きている」事自体にあるのかもしれない。
 
 そう思わせてくれた物語だった。

 *ちなみに私は新井さんの「あとがき」が作品と同じ位好きだった。

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