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2010-04-14 (Wed)


 乙武さんは先天性四肢切断という障害を持って生まれた。原因は不明で生まれつき手足がない。
 だが彼は自分の障害を個性として認識し、理解のある両親とたくさんの仲間達に囲まれて明るく楽しく日々を生きてきた。
 不真面目で、頑張っていない、わがままな障害者。
 そんな乙武さんの誕生から早稲田大学時代の日々をユーモラスに、そして本出版後の苦悩を綴った社会人時代のエピソードを加えた超個性的な姿を持った青年の物語。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  「五体不満足」というタイトルを見た時そのショッキングさに「やられた」と感じた。と同時に「上手いタイトルだな」とも思った。
 普通親御さんが我が子誕生の時に願うシンプルな思いは五体満足に生まれてきて欲しいというものだろうけど、その当たり前ではない乙武さんの障害(個性)をこれ程端に表現しているタイトルに凄いインパクトを感じた。
 このタイトルだけでこの本がどういう趣旨のものかが伝わってくる。GJである。
 
 誕生した乙武さんが母親に対面出来たのは一ヵ月後。出産直後の母親に手足のない赤ん坊と対面させるのはショックが大きすぎるだろうという病院側の配慮があったようだ。
 対面の日はショックの為に倒れるかもしれないと空きペットまで用意されたらしいが、母親が手足の無い乙武さんとの初対面で口にした言葉は「かわいい」という光を持つ言葉だった。
 私は決して運命論者ではないけど、この言葉こそがその後の乙武さんの人生の輝きを象徴しているような気がする。
 Amazonの解説を書いている方の「この下りは神話でありそれを支えとして彼は強い自己肯定能力を育んだ」(抜粋・要約)という言葉が秀脱。 
 はじめの物語は本当に大事だ。ただ必ずしも幸福なスタートを用意されているわけではないのだろうなとも思う。
 障害者の手記というのは概ね「障害を克服して」等の乗り越えて的なものが多い。
 でもこの本はそうじゃない。障害があってそれが故に不便な思いをしてはいるけど、どこにでもいるようなごくごく普通の青年が日々の生活の中で楽しんだり、悩んだり、苦しんだりするそういった普通の青年の物語という感じを受けた。
 乙武さんが子供時代、彼と野球やサッカー等で遊ぶ時は「オトちゃんルール」なるものを作り当たり前に一緒に遊んでいたそうだ。彼の周囲の人達はどうしても乙武さんに出来ない事があれば「やってあげる」のではなく「当たり前」の事として手助けされている。
 それ故ご自身が障害者である事を自覚する機会も必要もなかったという言葉が凄い。読んでいて障害というのは個性なんだなあと再認識させられた。 
 乙武さんにとって「障害」というのは乗り越えたりするものではなく、個性として認識されているものなのと思った。
 だからこそ「障害は不便です。だけど不幸ではない」という言葉を伝えられるのだろう。
 勿論この本には書かれていないが全く苦悩がなかったわけではないんだろうとは思う。
 不幸というのは降って沸いてくる場合もあるけど、通常は不幸な状況にあるのは自分が不幸を選択しているからだと思う。個人的に幸福も不幸も基本は選択するものだと思っているので。
 不幸な自分を選択しなかった乙武さんはあっぱれ!!!である。

 実はこの作品を読まれた方の「私も前向きに生きよう!!!」と感動したという意見を読むとなんからしくないなと感じる。
 「感動」という思いが心の目を曇らせ、この本に書かれている大事な部分を見落とさせてしまう気がする。
 この本は前向きに生きる力を与える本というより、こういう障害者もちゃんといるんだよ、障害を持っていてもこういう生き方もあるんだよというの伝えてくれる本ではないかと思っている。

 ちなみに乙武さんの顔をテレビで始めてみた時「竹野内豊」に似たイケメンだと喜んだ私である。

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2010-03-24 (Wed)
 

  救命救急センターに運び込まれた自殺未遂者約20人に聞き取りをしたノンフィクション。
 自殺時に彼らは何を考えていたのか?死ねなかった彼らは今何を思うのか?
 自殺で死ねなかった人々の心の吐露を丁寧に掬い取っている良書である。


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 ここ最近の記事を読んだら「自殺」に関するものに触れている事が多いのに気づいた。
 多分今の私は「死」を通して「生」に触れてみたいと思っているのかもしれない、「生」そのものではなくて。
 なんというか「生」の本当の姿は「死」を抱き合わせないと見えてこないのではないかと思っている。
 色々もやもやした思いがあってここ最近は「生を見つめる強化月間」となっている。   
 
 こういう言い方が適切かどうか解からないが読み物として素直に面白いと思った。本気で自殺しようとした人とそうでない人との違い、自殺と突発事故の違いなどの指摘がなかなか興味深い。
 タイトルだけ見たらバックに縦線が幾つも入ってるような暗さを悲哀や連想させるがそんなことはなく、「自殺」というものをひとつのモチーフとして扱うクールな体温が作品世界を沈み込ませていない。
 普通「自殺」を扱うと情緒的な感じになるが、これは「解体全書」的な検証している感じが新鮮であった。
 こんな角度から捉えた「自殺」というのは私は初めてである。

 自殺を試みた人の生の声がダイレクトに伝わってくる。
 意外だったのが本気で自殺する人のほとんどが突発的で遺書等残すのは稀らしい。
 死に取り付かれた時は色々自殺の方法を考えても、その瞬間自分の目の前にあった物や頭に浮かんだ考えで実行してしまう。この方法で死ねるかどうかではなく楽になるのはこれしかないと思いつめるようである。死ぬ事意外には何も考えない完全に気持ちが視野狭窄となってしまう。
 正直今までカッターで手首切るよりも包丁で心臓突き刺した方が確実だけどなあ思っていたがそういう状況になるからなのかと納得した。
 計画的に自殺するのは存外難しいなあと思う。余程気持ちが追い詰められるような状況にならない限りはなかなか自殺は実行出来ないないだろう。

 一番興味深かったのが「交通事故が人間の生命を呆気なく奪い、自殺者の生命は感心するほどしぶとい」という言葉である。
 これはしみじみと納得してしまった。元々自殺する人は本来は生への欲求は強いのだと思う。「生きたい」という思いが真逆の方向にいってしまうだけで。
 そういう無意識的な生への執着心が「生」の側にひきとめるのではないかと思う。
 一方交通事故とかの場合は本人自身が全く「死」というものを意識しておらず、不意打ちのような形で出くわすから呆気ない気がする。ひっかかりが用意されていないというのだろうか。
 皮肉な言葉である。

 ラスト近くで書き手の方が取材をした1人で後に友人となった美由紀さんが、
 「生きてて良かった」
 と言う。
 この言葉は書き手の方数年に及ぶ取材の一つの結果を物語る言葉だと思う。
 そして私もこの言葉に救われた思いがした。
 著者も書かれているが自殺未遂されて「生きていて良かった」と思われた方全員にそう実感出来る奇跡が訪れたわけではないと思う。それでも生き残られた多くの方がそう思える時がもたらされるのだという事実が希望の実だなと思う。


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2010-03-13 (Sat)
   

 天才バッティングコーチと言われた高畠導宏。
 才能が有りながらもケガの為に短い現役生活を退いた後、打撃コーチとして才能を遺憾なく発揮し様々な名選手を育てていく。
 彼の教え方は臨機応変の型に嵌らないやり方で、その選手にとってのベストな練習法と打撃方法を教え、褒めて伸ばす事に主眼を置いたものであった。
 そんな彼が50代半ばで甲子園での全国制覇を目指すために高校教師へと転身する。だが監督業に就く目前にガンが発見され還らぬ人となる。
 常に選手の影として自分を語ることなく野球人生に邁進した姿を後輩であった著者が愛情を込めて綴る。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~    正直に書こう。
 「私は野球が大嫌いである!!!」
 何故なら私が幼少時の折はビデオという文明の機器が登場しておらず、見たいテレビ番組はことごとく父親のナイター観戦に潰された。。。それ故私にとってプロ野球シーズンの4月から10月は魔の期間であった。見たいテレビ番組があっても野球の為に見れず何度も涙した幼い頃の自分を思い出す。

 だから「野球」という単語は私にとって鬼門なのだが、いつも遊びに行かせて頂いているとこさんのブログ「ぶんげいたんさく」に紹介されていた記事を読んで興味を持った。

 野球を「ボールをバットで打つスポーツ」という認識しかない野球オンチの私でも十分堪能出来る作品であった。高畠氏の人生を語ると共に野球の歴史の一部もかいま見せてくれる。
 特に「諜報戦」と言われた時代の野球の話は面白かった。
 とにかく相手チームのサインを如何に盗むか、そして盗んだサインを上手く味方に伝え、また自分達のサインも相手にさとられないようにするかという文字通り「スパイ合戦」が昭和40年代から50年代に盛んに行なわれたものらしい。
 盗聴器や発信機まで登場し、一球事にサインを変えていくという不毛な消耗戦とあいなった。
 だが投手の投げる球種がわかっていても打てない時は打てないというのがスポーツというものの面白さの一面だなと思った。

 この本はあとがきに書いている通り、今自分の生き方に悩んでいる迷っている人、夢をあきらめそうな人そういった方々へ必ず何かを残してくれる。
 「才能とは逃げ出さない事」「平凡の繰り返しが非凡になる」 
 高畠氏が野球人生に誠実に邁進された中で掴み取った言葉の数々は確かな事実として心に染みる。
 私も拙い人生の中であきらめない事こそが才能だと感じている。例えどんなに才能があったもあきらめたらおしまいだからだ。
 でも「あきらめない」というのは特別仕様の才能ではなく、誰もが心意気次第では才能に出来るものだという部分に希望がある気がする。
 
 高畠氏の50代半ばのトラバーユというのはさすがに驚いた。
 もう50代といえは多くの人は諦観というかまあ熱いエネルギーのようなものは削ぎ落とされている年代と思う。
 それで新たな事を始めようとされるのだか凄いと思った。その源は「情熱」なのだろう。
 ある本に「人は何歳からでも始められる」という言葉があったがそれを思い出した。
 情熱とあきらめない気持ちがあればその人生の終わりの一滴まで味わい尽くせるんだなとしみじみ思った。

 でも野球はやっぱり好きにはなれないが。

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2010-03-03 (Wed)
   

 酒鬼薔薇事件が起こった28年前に、15歳の少年Aが高校の同級生加賀美洋君をナイフでメッタ刺しにして殺害するという事件が起きていた。70年安保闘争で大学のバリケードがあちこち封印されていた時代であった。仲の良い友人同士と見られていたが加害者の少年Aは洋君からいじめを受けていたと動機を語る。だが当時の同級生等の証言からはいじめというよりふざけのようなものはあったかもしれないが、それは殺意を抱かせるものではないという声が多い。
 現在多発する動機不明の少年犯罪の発芽のような事件であった。

 事件に興味を持った著者が残された洋君の家族、父親の毅さん、母親のくに子さん、妹のみゆきさんに事件から30数年後の固く閉ざされていた心の思いを聞き取っていく。
 

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 私がまだ少女時代と読んでもバチが当たらない10代の頃(もう少しいって20代前半)少年犯罪というのはあまり聞いた事はなかった気がする。
 また犯罪というものはだいたいにおいて理解出来る動機があった。それはお金の為であったり、恨みであったり、愛情のもつれであったりと。
 だが『酒鬼薔薇事件』というのは少年犯罪でしかも動機が意味不明という衝撃的過ぎる事件で、多分この事件がその後の少年犯罪のエポックメイキング的なものになった思う。
 その事件より更に前の学園闘争でワーワーやっているようなまだまだ熱き時代に、その後の動機意味不明少年事件の発芽ともいうべき事件があったのは驚きであった。

 こういった事件の被害者は突然それまで生きていた慈しんできた世界から放り出されるのである。そしてそれまでとは全然違う苦悩に満ちた世界で否応無しに生きざる終えなくなる。
 そしてそれは永遠に終わる事のない悪夢の物語なのである。
 如何に被害者家族が地獄のような思いの中で歯を食いしばるように日常の時間をやり過ごしているかがわかる。よく言われる「時間が解決する」という言葉は深すぎる傷に対しては効力はない。
 被害者家族の生の声がダイレクトに伝わってきた。
 
 一番印象深かったのが「憎めない程の深い憎悪」というのがあるという事である。あまりにも深い憎しみの為その業火によって自分自身を滅ぼさない為に憎しみを抱かないようにしている。それ程深過ぎる傷だという事だ。
 それは本当に本当に悲しいと思う。  

 これは本当に何という人生の皮肉の在りようかと思うが、著者が加害者の少年Aの行方を捜した所なんと彼は弁護士となって町の名士となっていたのである。国家によって守られて教育を受け、しかも彼の犯した事件は少年法によって前科にはならないのである。
 彼は一度も謝罪に来る事はなく少年Aの親御さんが払うべき慰謝料は未払いで、勿論弁護士となったAは代わりに払うわけではなく反省している様子もないし優雅に暮らしているらしい。
 一方被害者の母親であるいく子さんはご主人亡き後年金でほそぼそと生活をしている。
 人生というものがあまりにも皮肉な構図で浮き彫りにされていて現実というのは時に本当に残酷である。

 少年法が「更正」に主眼を置いて作られたものとしたら加害者Aは立派に更正したという事になるのだろう。
 だがしかし、被害者抜きの更正なんて本当の更正なのだろうか。被害者の加賀美一家は30数年過ぎても癒される事の無い傷を抱えたまま苦しんでいる。彼らを置いてきぼりにしたままでいいはずがない。
 勿論被害者が完全に癒される事は無いにしろ彼らにもちゃんと光を当てて欲しい。行政は加害者だけではなく被害者にも同等に手を差し伸べるべきだと思う。

 少年犯罪の少年達の多くは心に闇を飼っている。
 心に希望を灯す事が出来たら、それを抱かせる社会の器が必要だなと思う。
 

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2010-01-23 (Sat)
 

 将棋の真剣師「小池重明」
 彼の強さは破格であり「新宿の殺し屋」「将棋の化け物」と呼ばれた伝説の将棋士。
 だが才能とは裏腹に人生は破滅的であった。人妻との駆け落ち三回、恩人のお金を持ち逃げしたり、寸借詐欺騒動を起したりと波乱万丈の人生を駆け抜け44歳の若さで生涯を閉じる。
 晩年の小池と親交のあったSM作家団鬼六が伝説の将棋士の人生を彫り起す。


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 上記のあらすじを読まれた方は「真剣師とは何ぞや?」と思われた方もいると思う。真剣師とは現金を掛けて将棋や囲碁をする人達の事である。
 ふとしたきっかけで「小池重明」という伝説の真剣師を知りその人物像に興味を持った。
 著者の団鬼六さんの作品は未読ではあるけどSM作家というのは知っていたので正直読む前は全然畑違いを耕されていて大丈夫なのかと思ったが、さすがに筆一本でおまんまを食べられているだけあって読む者に訴えてくる内容である。

 夢破れた将棋士達の姿を書いた「涙のスイッチ」でも述べたように私は将棋を全くしらない。
 でも読んでいてとにかく小池さんはとてつもなく強いのだという事はわかった。例えが古くて恐縮なのだがスーパーサイヤ人になった悟空のようなに無敵の強さなのである。
 あまりの強さに「こんなのあり?」というようなある種マンがのような作りめいたものを感じさせる。でも実話なのである。

 どれ位強かったのかというと当時将棋連盟の会長だった大山康晴氏は小池さんに負けている。
 大山康晴氏と言えば公式タイトル獲得期間、将戦優勝、通算勝ち星が歴代1位という偉大な記録を打ち立てられた方で、5つの永世称号を保持。Wikipediaで大山康晴氏の内容を読むと小池重明さんとは違った意味の正当派な伝説の将棋士と言える。
 驚くのは大山氏と対戦当日は前夜につまらない事で喧嘩し留置場から対戦場へ駆けつけたのである。二日酔いのままで対戦して大山氏の消費時間の半分以下の消費時間で勝っている。
 また団鬼六氏と出会った時2年間将棋を指していなかったのに、団氏が用意した対戦相手であるアマチュア名人のタイトルを取った相手に圧勝。
 これだけ強い人なのに自宅に将棋道具を置いていなかったそうだから驚きである。
 
 でもこれ程の才能がありながらも人生の勝ち組には成れなかった。
 もうそれは小池氏がほんとど生活破綻者と読んでもよい位ダメ人間だったからだ。困ったちゃんを通り越して呆れ果てるレベルなのだ。
 だが団氏曰く「人間としては出来損ない」だけど「その出来損ないに出来ている所が人間的魅力」だと。
 子供っぽくどこか憎めない要領のよさもあり、散々迷惑をかけられても面倒見つつ続けるスポンサーは常に居たようである。
 男の人は小池さんのようなアウトローって好きなんだろうなと思う。彼の破天荒なアウトローを忌避する部分もあるが、どこか自分はそういう風に生きられない故の憧れもあるのではないか。
 少なくない人達に愛されていたというのが救いである。
 
 ある本で天才と言うのはコップの中の水を傾けたようにどこかが浅くなってその分深くなる部分が出来るだけで、余分に才能が与えられているわけではないというようなセリフを読んだけどそれを思い出した。
 小池さんの将棋士としての破格の天才ぶりと、それに反比例するようなダメ人間ぶり。
 真面目にきちんと生きれば才能にふさわしい地位や名誉を手に入れられたとは思うのだけど、でもきっと小池さんにそういう生き方は無理なんだろうなと思った。そういう「性」なのだろ。こうすれば幸福を手に入れられるとわかっていてもそれが出来ない。
 団氏が書いているようにそういう「性」はある種の天才の持つ宿命なのだろう。

 天才フェチな私だが小池重明さんのような破滅型の天才は悲しくなるので好みではないなと思った。

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