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2010-10-09 (Sat)
 

 水無月は神様へ祈る。
「どうか、どうか、私。これからの人生他人を愛しすぎないように。私が私を裏切ることがないように。他人を愛するぐらいなら、自分自身を愛するように」

 離婚の痛手を負いただ「もの」のように無感情に生きる水無月はバイト先のお弁当屋で小説家創路と出会う。彼の小説のファンであった彼女は思いもかけない流れで創路の愛人となり運転手兼アシスタントとなる。
 創路は傲慢で我侭だがどこか憎めない愛嬌もあり、それまでの自分とは違う一面を引き出す彼に水無月は全力で尽くす。
 だが創路は女癖が悪く数々の愛人がおり、他の愛人を蹴落とす画策する。
 水無月あれ程苦しみぬいた恋愛の世界に自分を再び溺れさせていく。

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 この作品は小説家山本文緒さんの出世作だろう。吉川英治文学新人賞受賞され、かなり絶賛された作品である。
 が、私は正直な所この作品はそれ程好みではない。
 山本さんは女性特有の「こり」を書くのがべらぼーに上手い人だけど、「恋愛中毒」は傷付いた女性の深いこりをずっと「こりこり」といじくっているような感覚がして、その感覚が好きになれないのだと思う。
 ただお話は文句無しに面白い。それまでの主に感性で読ませる作品世界に作家としての技量の巧みさが加わった感じである。この作品辺りから一皮剥けて一気に才能が花開らかれた。

 タイトルと初めの方に出てくる水無月の「どうか、どうか、私。これからの人生他人を愛しすぎないように~」という文言と「あの山本文緒である」からして「きっとこの作品ただものではないんだろうなあ」と若干身構えながら読んでいた。
 中盤までは水無月が送る愛人生活のフツーの描写の傍ら、彼女の破綻した結婚生活と折り合いの悪い両親の描写が織り込まてれ終盤辺りの狂気の萌芽の呼び水となっている。
 水無月は「被害者意識」の強い人間で、世界と仲良く出来ない周囲は敵だらけだと思うあまりお友達になりたくないタイプである。
 そういう彼女に共感は出来ないのだけど、解かり合えない相手との人間関係のやるせなさというか脱力感が上手く書けていてそこに私は惹き込まれた。
 嫌悪感と同情を抱かせる匙加減のバランスはお見事。

 せっかく身構えながらつらつら読んでいたのに、普通の女性のお話なのかと思っていたら終盤辺りからビックリの展開が私を待っていた。普通の人の仮面を脱がせ狂気を表現するやり方が上手いと思った。ある種ミステリーのカタルシスである。
 水無月の恋愛への溺れっぷりが半端なく見事な溺れぶりである。
 他の愛人達のように「保険」をかけたりせずただ真っ直ぐに愛する。そういう愛し方は不器用で賢くないのだろう。愛し方があまりにもいびつだけど、どこかその不器用さに同情にも似た愛おしさも感じる。

 ただ水無月の愛し方は果たして恋愛なのか?それとも自己愛なのか?
相手が痛がっているにの気付かない位強く好きな人の手を握り過ぎ、結果本人は意図していないのに相手をとことん追いつめ傷つける。そういう愛し方は他人が好きというよりは本当は自分が物凄く好きなんじゃないのかなと思う。相手を見ていないのだから、自分しか見ていない。
 恋愛というのは多かれ少なかれ自己愛の部分はあるけど、オーバーラインを超えたら狂気というか執着に近くなる。
 じゃあ本当の意味で他人を愛する、自分を愛するというのはどういう愛し方なの?と問われたら、今の私には正直わからないけど。
 
 山本さんの作品は女性特有のこりやあくを鋭く書き出しながらも、ある書評の言葉を借りるなら「慈しみ」があった。この作品には「慈しみ」があまり感じられずその辺りも私好みではない要因だと思う。
 ただ1人の女性が不器用に愛する様を冷徹に書ききった部分が山本さんなりの「慈しみ」なのかなとも思う。
 
 
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| 山本文緒 | COM(6) | TB(0) |
2010-05-29 (Sat)
 

 桐島椿は23歳。
 美貌の椿の絶対的な価値観は「美しさ」。
 ボーイフレンドはいるが自分に幸福を与えてくる条件の良い男性との結婚を虎視眈々と狙っている。
 性格不美人の為に女友達はほとんどいないがそんな事は痛くも痒くもなく今の享楽を謳歌していた。
 そんな椿のあこがれは美しさと毅然さを持った祖母であった。祖母のようになりたい、なれるという思いが誇りでもあった。
 美しい女性である椿に怖いものはないはずだったが、尊敬する祖母のボケ、父親の破産と病気等により、自分がかつて手にしていた享楽が失われつつあった。
 物事の歯車が上手くいかなくなり急激な環境の変化に取り残される椿はもがき苦しみつつも、なんとか玉の輿に乗ろうとして逆転を狙うが。。。
 

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 山本文緒さんの作品は苦味のようなものがありそれが彼女の味の一つになっている。
 生きている事の灰汁(あく)のような痛みとでもいうか、そういうものを上手く料理に取り入れるというか混ぜ込むのがとても上手。レシピの上手さでどこかクセになる苦味に仕上がっているとでもいうのか。
 で最近初期の頃の作品である「きっと、君は泣く」を再読した時がこれはクセになる苦味どころか、あまりの大苦さにおののいた。

 いつもの事だが私はこの本の内容の大半は忘れていた。
 最初は普通の物語だなあと思っていたら中盤辺りからの思いもかけない展開の連続に驚いた。
 びっくり箱を開くとまたびっくり箱が出てくるという感じで一体何事へと向うのだろうという面白さがあった。下戸なので酒は飲まないが気分的にはちびちび飲む感じて再読しようと思ったがあまりの面白さに辞められず一気に読み終えた。
 初期の頃だから当然まだ最近の作品に見られるプロとして魅せ方の技巧さはないけど、だからこその勢い感というかテンションの高さがある(それが故に風呂敷広げ過ぎではあるが)。
 個人的にはどこか低温感情な感じがする山本さんにもこういう作品あったんだなあと思った。

 私は美人ではない。
 それ故残念ながら美人の人生というのがどういうものかよくわからない。美人だったらきっと人生違っていたんだろうなあと遠い目をして思う。
 美人で生きるってこういう感じなのかあと思いながら読んでいた。
 個人的に「美しさ」も生まれ持った能力と言う意味では「頭が良い」とか「早く走れる」という類と同様の才能だとは思っている。
 だから椿は山本さんの作品の主人公でめずらしく共感しずらいタイプだが、自分の才能は「美しさ」と徹底しているのはある意味あっぱれだと思える。
 ただお友達にはなりたくないけど。 

 この作品は帯にも書いている通り「美人だって泣きを見る」話である。
 個人的には泣きを見る以上で号泣を見るという感じだ(こういう言葉があるのかわからないが)。
 主人公椿の絶対的な価値は「美しさ」である。その美しさで人生を美味しい思いをして生きてきた。それが故に当然他人様への想像力に欠け同性からは好かれないがそんなのお構いなしであった。
 だが「美しさ」は内面の美しさというか魅力を伴わない限り若さを失うとダメになってしまうものである。
 椿はまだ20代前半だが若さを失いつつある自分を取り巻く世界が少しずつ冷たくなっていくのに気づき、そういう状況で迷子のような焦燥感を持つ椿がなんだか愛おしく思えてくる。努力の方向はあれだけど自分の欲望に一生懸命だからだろう。
 
 椿の支えは自分とよく似ている美しい祖母であった。年を取っても威厳と張り詰めた美しさを持つ祖母の存在が彼女の価値観を強固なものにしたが、その祖母の美しさは結局は実りを伴っていなかった事を知り愕然とする事になる。
 自分のまわりの環境の変化にそれまで信じていた価値観では支えきれなくなり、それが崩壊していくのは本当に怖いなあと思う。でも自分が今いる場所が激震する中でも結局椿が椿である事は変わらないというか変えられない彼女の馬鹿さが、何故かかっこよく思えたりするのもやはり山本マジックかなと思う。
 その馬鹿さはある意味「強さ」にも似ているからかもしれない。全ての強さに価値があるとは思っていないがたくましさを抱かせる。根っこの所で女性はたくましく出来てるんだろう。
 
  
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| 山本文緒 | COM(2) | TB(0) |
2010-01-27 (Wed)
 

 手塚汐見は結婚6年目の専業主婦。子供は無し。
 多忙の為に夫はほとんど帰って来ず、暇な時間をパチンコへ行ったり昼寝をしたりとただ貪っていた。だがそんな汐見の世界も少しずつ変化して行く。一匹の同居猫が加わり、彼女が勝手にあだ名をつけたお隣の「ルフォン」という中学生の男の子と義父のダニーという中年男が登場する。
 それまで自分とって都合の悪い事や感情を見てみぬふりをしていたが、変化していく日々の中でだんだんと自分自身に嘘がつけなくなっていく。


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 「眠れるラプンチェル」は山本文緒さんの作品の中でも特に女性に人気の作品で、私も好きな作品ある。
 この作品が女性に人気が高いのは乙女心をくすぐってくれるからだと思う。
 私はよく記事で男性はロマンチストで女性は現実的と書くが、でも乙女心は不滅なのだ。
 
 一般的に28歳の女性が13歳の男の子に恋をするという設定は犯罪っぽいけど、物語の道具仕立てが上手くそういう不快感を抱かせない。むしろ応援したくなるというか、どうか今のままのプチ幸福に浸らせてあげて欲しいと願った位である。
 もう一つくすぐってくれるのが「ルフォン」と「ダニー」と「汐美」の三人が汐美の家に平日に寄り合い水道管ゲームやファミコンをしたりビデオを見たりして、汐美が作った手料理を皆でつつく光景。心に寂しさを抱えたもの同士が寄り合ってワイワイしているというのがなんかほっこりくるのである。
 だがあくまでもそれは期間限定の光景というのがわかっているから一層そういう描写をほっこり感じるのだと思う。
 
 勿論この作品は乙女心をくすぐらせるだけではない。なんせ著者はあの山本文緒さんであるからして。それだけでは終わらせていない。

 主人公の汐美は言わば夫に飼われている状況である。時折飼い主である夫が帰ってくるのを待ち、飼っている猫のように住む場所と食べ物を与えられてただただ時間が通り過ぎていくのを待つ。その生活を退屈さを自由である事を満喫していると自分に思い込ませている。そうしないと生きていけないからだ。
 かつて愛し合ったはずの夫婦関係はとっくに壊れて夫は他人より他人であったのに。汐美は「家」という名の牢獄に閉じ込められている。
 そう、汐美は山本さんお得意の「生きている鈍痛」を持つ女性である。
 他作品よりはマイルドな味付けをしているが、
 「ああ、やっぱり山本文緒さんだ」
 と思った。味を変えられたのかなと思ったが単に砂糖を入れたからだと納得した。

 でも結局汐美は死んだふりのまま生きていく事は出来なかった。扉をぶち破って外への世界へ向っていく。
 汐美は牢獄に閉じ込められていたけどそれは夫が閉じ込めていたのではなく、彼女自身がその世界に自分を閉じ込めていたのではないだろうか? 外へ出る扉は開かずの扉ではなくいつだって開ける事が出来たような気がする。
 青い空の下にある外の自由な世界では何も持っていない(と思っている)自分は生きていけないと思い込み、留まっていたのだと感じた。
 その気持ちはわかる。死んだふりのまま生きていく事の方が楽なのかもしれない。でもやっぱり私も青い空の下で深呼吸し生きている実感を味わいたいと思うだろう。

 読んでいて人は悩んでいるとその視野の狭い世界だけしか見えなくなる事が多いけど、ちゃんと別世界への扉はいつだって用意されているのだと教えて貰った。

 ただ個人的に乙女心は刺激するが男のロマンは刺激しないので男性の方にはウケが良くないのではないかと思う。
 
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| 山本文緒 | COM(4) | TB(0) |
2009-12-30 (Wed)
 

 病を抱えた女性の10の物語

 「シュガーレス・ラブ」
 フードコーディネートの佐伯はもうすぐ会社を辞める予定であった。
 アルバイトとして入り出世し30代で主任まて登りつめたが、会社は古い体質で男尊女卑の傾向があり女性の出世も限界があった。
 だがフリーとなって仕事を広げて行こうと思っていた矢先にフードコーディネートとしては致命的な味覚障害になる。
 甘い物以外は何を食べても味がせず、まずいこんにゃくを食べている感じがした。

 本当と嘘のグレーゾーンを使って錯覚の中で真の自分の姿を隠して生きていた。
 それでいいと思い生きていたがそのつけがまわってきたのか、時折襲う虚無感に必死に歯を食いしばるが。。。。

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 この作品集はいみじくも文庫本の解説者が書いているように「王子様なんか来ないと知ってしまったシンデレラ達の物語」である。
 この下りを読んだ時、
「解説者の人は良い仕事してるねえ~」
と思った。
 そうなのだ。
 この作品集に出てくる多くの女性は王子様なんか待っていません。多分、王子様を待つには彼女達の現実はシビアだからだと思う。夢想出来るうちはまだ悩みにも余力がある。
 現代病とも言える心の病等をテーマに「灰かぶりのままのシンデレラ達」の物語が綴られていて面白い。 

 「シュガーレス・ラブ」の主人公佐伯が嘘を辞めた時の、
 「別に死にはしない、何をしたって生きていける」
 とシーンは爽快感がある。気持ちの深呼吸と言う感じで。
 悩み事というのはそれにどっぷりはまっている時は視野が狭くなってしまうけど、でも視点を変えたり、突き放してみると案外楽になれる部分もあると思う。多くの悩み事というのは存外そういうもんかもしれない。
  
 彼女だけでなく他に出てくる女性は皆それぞれの不幸を抱えている。不幸と呼ぶ程でもないかもしれないが、心の痛みを持っている。
 勿論その痛みが完治するわけではないが、でも痛みを抱えたままであっても掴み取れる幸せに前向きに向っていこうという様には元気付けられる。
 「私も頑張ってみるかね」
 とちびまる子風に自分に活をいれたくなる。 

 この本を読み終えた時、若干の不幸というか苦労を抱えている方が人生は深みがあるんだなと思わせてくれるのが嬉しい。
 100%の幸福よりも10%位の不幸を抱えている90パーセンの幸福の方が本当は幸せなのかもしれない。   
不幸があるからこそより幸せが実感出来る。不幸ありがたやではないが、 仲良くしても良いかな位には思える。

 ほころびだらけでもつまずきまくりの「灰かぶりのシンデレラ」のままでも生きてていいんだと思わせてくれる山本さんの作品はやっぱり好きである。

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| 山本文緒 | COM(4) | TB(0) |
2009-10-17 (Sat)
   

 手毬は幼い頃は確かに幸福な世界にいた。
 可愛らしい少女は家族に愛され隣人の初恋の少年もいて、彼女の世界には幸福のみが存在していた。
 それが壊れるのはそれまで姉と呼んでいた女性が母親だと知らされ、彼女と共に暮らすようになってから。母親は常に「女性」であり、自分本位の女性であった。
 突然手毬は幸福から弾き出された世界で生きていく事になる。。。。。
 
 手毬という1人の女性を7歳から10年ごとに67歳までを本人や彼女の家族が視点となり、運命に流されながらもその流れにあがらうよりしなやかに流され生きた女性の半世紀。 


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 山本文緒さんのタイトルの付け方は、
 「たいへんよく出来ました」 
 というスタンプを押したくなる位ツボに入るものが多い。
 それはセンスが良いというより、的を得たタイトルという言い方がふさわしいかもしれない。
 この作品を読み終えた時「落花流水」というタイトルがとても心に響いたのを憶えている。

 この作品は山本さんの数々の作品の中でも趣が違う。
 山本さんの記事で何度も書いているけど、芥川賞受賞前の作風は女性特有のこりとかあくを映し取るものが多かったけど、今回の作品はそういう枠から外れて人間の「生」の営みというかそういうものを感じさせる仕上がりになっている。

 主人公の手毬は幸福な世界から弾き出され居心地の悪い世界と折り合いをつける為に、自分の気持ちを隠し他人の顔色を伺う術を身に付けていく。
 この作品が面白いのは綴られる手毬の流転の人生が終息に向うに連れ、そういうものから彼女が自由になっていく所である。
 少女期~中年期辺りの手毬は面白味がない女性だと思っている。
 「あんまりお友達になりたくないなあ」  
 と思う。
 真面目で優しい女性だが、それは今いる世界と仲良くやっていく為に塗りたくった仮面であった。
 そんな彼女が幼い頃の初恋の男性と自分の家庭を捨てて駆け落ちした辺りからぐっと自分に素直に生きる。
 「いい人」ではなく自分のことしか考えていない潔さにとても魅力を感じる。
 それから自由になった手毬は本当に魅力的である。
 周囲に迷惑をかけた自分が罰を受けるべき人間とわかっていても彼女は後悔はしていない。 
 読み進む内にだんだんと、 
 「お友達になってみたい」 
 と思うようになった。

 晩年は色んな事情から手毬はひとりきりになってしまう。
 でも彼女は強がりではなく、毎日何故か穏やかな幸福感に浸っている。
 それは手毬が自分に正直に生きたからだろう。
 「悲しい時はその理由を考えるが、幸福なのに理由を考える必要はなかった」
 そりゃそうだ、幸福が存在しているのではなく、そう思う気持ちが幸福なのだ。

 ああ、手毬を見習いたい。 

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