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2010-12-18 (Sat)


 とある静かな空気がおいしいというのが取りえの田舎町でとんでもない事件が起こる。
 小学校4年生のエミリという美しい少女が作業員を装った男性に暴行を受けた上殺されてしまう。声を掛けて来た犯人を見たのはその時エミリちゃんと遊んでいた同級生の4人の少女。だが彼女達は何故か誰も犯人の顔を覚えておらず結局捕まらなかった。
 そして中学二年生の夏4人の少女達は町を離れるエミリちゃんの母親に呼び出され、犯人の顔を覚えていない事を罵倒されキツイ言葉を投げつけられる。その言葉は少女達のその後の人生を縛るものとなり彼女達は人生を狂わせて行く。。。


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 *若干ネタバレ有り

 湊かなえさんの作品はこの「贖罪」と「少女」の2作品しか読んでいない。2作品しか読んでいないのに「湊かなえの世界」を語っていいのかなと思いつつも、他の作品を読みたくても図書館派の私はどえらいこと待つハメになる。それ故とっとと語ってしまうが、なんとなく彼女の作品は語りたくなる何かを持っている。

 「残酷性」がある。その残酷さは「黒乙」と呼ばれる乙一さんのような酷薄的なでもどこか怖いもの見たさで指の隙間から覗き見したくなるような魔力を持つものではなく、どこかクールというか突き放しているとでもいうのか。 どこかジワッと来る、そして自分のどこかの感覚部分にこびりつくような感じの残酷さ。

 この作品も「残酷性」を味わえる作品である。
 大人になった元少女達が「過去」に引きづられ飲み込まれてしまう、それが数珠繋となった短編連作で最後にエミリちゃん事件の真相が判明するというセット内容である。
 元少女達の「どんなが落とし所が待ってるのかしら?」という湊さんのサド振りを割りと楽しんだ。
 でも「ある人物」だけは気の毒で気の毒で仕方無かった。ラストで本当に「サラッ」と書かれているのだけど、この真実はきつすぎる。私が「ある人物」だったら生きる事に耐えられないと思う程。
 元少女達の残酷話はそれはそれ「まあ湊さんだからなあ」という感じでお家芸だなと思いつつ読んでいたけど、「ある人物」の残酷さはスペシャルである。
 こういうのをサラッと絡めるのは湊セオリーなのかと思う。

 登場人物の書き方も面白かった。とくに「いるいるいるこういうタイプ」と思ったのは殺されたエミリちゃんのお母さん。 
 エミリちゃんのお母さんは自覚の無い「困ったちゃん」タイプ。自分を支点として周囲に波紋を起こしてしまう。本人は悪気も無いしそういうつもりではないのだろうけど、結果論周りを振り回してしまう。で、当の本人は自分は被害者等とのたまえるおめでたいタイプである。
 まっ、その「困ったちゃん」だからこそ起こったエミリちゃん殺人事件なんだけど。。。。

 また湊さんのサド振りが楽しみたいので他の作品を予約しようかどうか「告白」の予約状況600人待ちを見て悩む。
 

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2010-09-22 (Wed)
 

 自分にとっての大切な何かの為に一生懸命に生きる6人の物語

 「ジェネレーションX」
 野田は後数年で40代を迎えようしていた。かつて「新人類」と呼ばれた世代であったが、その自分が若者にジェネレーンションギャップを感じるようになりつつあった。
 野田はクレーム処理の為に石津という青年とお客様にお詫びをしに行く事になった。車で向う途中仕事中なのに助手席でひっきりなし私用電話をする石津にあきれつつも得意先の社員なので我慢をする。
 聞くとも無しに聞こえてくる会話の内容から石津が友人を集めているようなので同窓会でもやるのかと思っていたが、そうではなく。。。。


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 最近本を読んでいて「こういう本は若い頃に読んだら全然味気なかったろうなあ」と思う事が割りとある。この「風に舞い上がるビニールシート」もそういう感想を持った本の一つである。
 やはり若い時はわかり易い輝きに目を奪われてしまい平凡な価値に気付きにくい。
 この短編集は「大切な何かのために懸命に生きている人達」の日常を等身大に書かれた作品集だか、若い時ならその「日常性」に退屈しただろうなあと思う。
 ようやく年を重ねて日常性の偉大さに気づいてその退屈さ満喫出来るようになった。本当の幸福というのは「=退屈なもの」なのだ。
 色んなご馳走を食べまくってやっぱり卵かけご飯が一番上手いんだなあという心境である。
  
 森さんがこの短編集の中で一番思いを込めているのは表題作の「風に舞いあがるビニールシート」だと思う。でも私という人間にはこの短編はキレイゴトな感じがして馴染めなかった。それは内容がと言うより書き方かな。もう少し情緒的な部分削ぎ落とされた方が個人的には余韻があった気がする。勿論作品自体は素晴らしいので好みの問題かな。
 特にタイトルになっている「風に舞いあがるビニールシート」の意味を知った時は上手い言葉の紡ぎ方だと唸った。

 私が作品的に一番好きなのは「ジェネレーションX」である。
 ちょうど主人公の野田と同じ世代だから共感し易い立場にあるし、終始軽くてノリのある物語だけどちゃんとアクセルとブレーキを上手く切り替ているストーリー展開が実に面白い。
 若い頃のバカさ加減も年を重ねるに連れて心の内に仕舞い込んで行く。まあ、それが大人になるという事だろうけど。
 青年石津のまだ現役のバカさ加減に笑いつつも、でもそんな彼が大人になって行く姿に寂しさと微笑ましさ感じた。
 そして自分ではまっとうな大人になったつもりの野田が仕舞いこんだ青臭さを一時解放する姿に萌えた。そんな彼等のやり取りが「眩しいねえ」と思った。そう思う自分が年を重る事によって確実にその輝きを失いつつあるのだという事も自覚した。
 
 個人的に一番心に残ったエピソードは「犬の散歩」に出てくる牛丼の話である。
 牛丼を毎日毎日食べる位に牛丼大好きな人がいて、世界のすべてを牛丼に置き換える人の話が興味深かった。
 例えば映画料金が1600円なら牛丼を四杯食べられるからよほど面白い映画でないと牛丼四杯分の価値は無く、3000円のTシャツを買うお金があったら牛丼が7杯食べられるから、その7杯分の牛丼を犠牲にする価値がそのTシャツにあるかと真剣に悩むという話は面白さの中にある種の真理が据えられているような気がした。
 牛丼を通して世界を捉えるなんで一見バカバカしいけど、自分の世界にぶれない軸を持てるのは生きる拠り所を持てるのだなと思う。
 自分にとっての牛丼何かふとと考えてしまった。
 
 森絵都さんは初めての作家さんである。淡々とした中に響くものをお持ちの作家さんだと思った。
 卵かけご飯を堪能させてもらった短編集であった。

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2010-05-26 (Wed)
 

  ハンドルネーム「南条あや」。
 高校三年の頃に彼女がHP上で綴った心の病の体験談が人気を博し、メンタルヘルスのネットアイドルのような存在となる。
 彼女は重度のリストカッターで何度も自殺未遂をし大量の向精神薬を飲む薬マニアだった。だが友人達とカラオケに興じたり遊んだりする普通の女子高生でもあった。
 そんな日々が彼女の明るさと同時に孤独と包まれた文章で綴られている。
 やがて南条あやさんは卒業式から20日後に大量の向精神薬を飲み18年の生涯を閉じることになる。
 この本はあやさんの死に至るまでの三ヶ月分の日記と死の前日に婚約者へ送った詩等が掲載されている。
 

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  この手の本を読むと高野悦子さんの「二十歳の原点」(自分だけのスポットライト)と山田花子さんの「山田花子 自殺直前日記」(計れないものさし)をどうしても思い浮かべてしまう。
 皆さん若くして自らの命を絶たれている。
 何れの本も私がもう帰る事の出来ない思春期という名の「特別な独り舞台の世界」が書かれている。そこは旬の若さを持つ者だげ許されている場所。
 勿論あやさんの場合は心の病という負荷があったにしろやはりその世界の危うさに足をすくわれたような気がする。
 若さといのは華々しいものもあるが、反面深い暗闇の落とし穴もある事に外側からその世界を見た時に気づかされる。自分はよくその暗い穴に落ちなったものだとそれは多分に幸運の部類に属するのだろう。

 あやさんの書く文章は「上手い」という言葉よりは「惹き付ける魅力のある」文章という言葉の方が似合っている。
 書いている内容はリスカットや自殺未遂の話もよく出てくるがどこか深刻さを突き放したような明るくポップな文章で「メンヘラ」という言葉からイメージしそうな悲観さを感じさせない。
 それはあやさんの性格というより人に見せる文章という前提で書いた彼女の頭の良さの表れのような気がする。
 でもその中にほんの時折癒しがたい孤独感と絶望感を垣間見ると切なくなってくる。
 演じている隙間からのぞく彼女は医者が言う「心に不安を抱きながらも自分を自ら励ます能力に乏しい」人なのだろう。
 そういう人物は境界線人格らしいが、もっと色んな視点から自分を取り巻く世界を俯瞰出来れば少しは楽に生きられたのかなと思ってしまう。

 「メンヘラの読書日和」というタイトルにもなっているように私は「メンヘラ」である。
 でも同じメンヘラであった南条あやさんのリストカットという行為は理解しずらい。。。何故なら私はとっても痛みが苦手だからである。
 子供の頃は学校での予防接種の時には大好きな給食も喉を通らず何度も逃亡したい衝動に駆られた。カッターなどで誤ってちょっと手を切ると倒れそうになってしまう位痛みに弱い。
 だからあやさんのように何度も静脈を切ったり、注射器で採血遊び等の行ないは絶対私には不可能である。一度成仏して生まれ変わらない限り出来そうも無い。
 心を病む事の苦悩、絶望や孤独感は心の底から共感出来るのだが。。。。

 とにかくリストカット行為の詳細部分は気分が悪くなってくる。
 ゴミバケツに大量の血液を流して捨てに行ったりする事もあるというのは驚きである。当然ながら出血のし過ぎて耳鳴りがしたり不眠症になっている。
 それでいながらも出血のし過ぎで死にそうになった時、死にたくないと思い助けを求めている。
 リスカットしたい衝動を抑える薬や言葉を心から切望している言葉を綴っている。
 アマゾンのレビューで同じリストカットされる方が「自分を傷つけることで「自分」を守り、「自分」がここに生きていることを確認するのです。」 とあったがそうまでしないと「自分」という存在を確認出来ないその自己認識の希薄さは私には不思議である。 少なくとも私の心の病は一番調子の悪い時でも自己肯定は希薄だったけど自己認識は当たり前過ぎて考えたこともなかった。
 しみじみと同じメンヘラであっても抱える病気の内容が違うとマリアナ海溝並の深い溝が存在してしまうんだなと思った。
 
 あやさんは家族も友達も恋人もいたけど孤独だった。
 真の孤独を知るとそこから解き放たれる事はないんだなと思った。

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2010-01-02 (Sat)
 皆様あけましておめでとうございます。
 本年も変わらぬご愛顧をよろしくお願い致します。
 ますます寒くなっていますが(うちではこたつと石油ファンヒーターが活躍しております)、お体ご自愛下さい。
 今年一年がより一層皆さんにとって幸多き年でありますように!!!
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2009-12-30 (Wed)
 今年の2月にブログをやり始めて、色んな方と出会い交流させて頂きました。
 こちらのブログに書き込みして下さった方、訪問して下さった方今年は本当にお世話になりました。
 また来年もよろしくお願い致します。
 では良いお年をお迎えください。
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