メンへラの読書日和
心の病を抱えつつ、でこぼこ人生を踏みしめながら読んできた数々の本の読書記
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2010-07-07 (Wed)
歌舞伎町で起こった大抗争から2年。この町の勢力図は様変わりをしていた。
牛耳っていたのは北京の崔虎、上海の朱宏、そしてただ1人今も昔も変わらない、いや昔以上の力を持つ楊偉民。 それなりの均衡を保っていた勢力図に変化が起きようとしていた。
崔虎の手下の大幹部が何者かによって殺され、その事件が発端となり周囲へと様々な波紋を起こしていく。
警察を不祥事で首になった元刑事の滝沢は崔虎から犯人探しを命じられる。
やむを得ず引き受けたが滝沢であったが、楊偉民子飼いの秋生という若い殺し屋の存在が彼すら想像もしなかった展開へと発展させる。
そして前作の主人公であった劉健一は自分が殺した女との約束を果たすために楊偉民への復讐の機会を狙っていた。
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「不夜城」を読んだ後続編の「鎮魂歌」を読みたくてたまらくなった。休日に図書館へ行くつもりだったが読みたいという熱情に動かされ仕事帰りに遠回りして、さらに雨の中を自転車を漕いで借りに行き、借りたその日に読み終えたという私にしてはめずらしい位に仕事率の高い一日となった。
読んで改めて思ったが「面白い!!!」
一度読んでいるのに「面白さ」という色あせない。その辺りがこの作品の持つ力と魅力だなと感じた。
「鎮魂歌」は内容を簡潔にまとめると、
「自分の手で自分の女を殺さざる終えなかった劉健一がプッツンと来たお話」
である。 言葉って便利だなあと思う。長い物語もこの一文で簡潔にまとめられる。
前作「不夜城」では劉健一はしたたかに立ち回りなんとか暗黒街で生き残っていたがあくまでもチンケな故買屋に過ぎず、楊偉民の掌で動き回る、彼と健一の間には越えられない高い壁が歴然とあった。
たが楊偉民の計略により健一は自分と同じ種類の人間だった恋人を自分の手で殺すハメに陥り、それをきっかけとして彼の内部に潜んでいた狂気を呼び覚ます。
本のトップに村上春樹さんが訳された「心臓を貫かれて」の一文を載せているが、読み終えた後に再度読むと粋なだなあと感心する。
「あいつは頭の単純な、血も涙もないモンスターなんかじゃなかった-中略-どこかですっかり狂っちまったんだ。ほとんどはあいつの自業自得だった。それは認めるよ。でも全部が全部あいつのせいじゃなかった。そんなことあるものか」
彼は前作では「悪いやっちゃ」だったけど今作品では「モンスター」になってしまう。
人は自分の根幹を揺るがすようなつらい出来事があった時それを癒す事が出来ないのだと思う。
よく癒せない傷は無いと言われているけど私はそうは思わない。癒しがたい深過ぎる傷はありえると思う。
そういう時、心を癒せない変わりに自分の内部を絶望によって侵食し心そのものを無くす事によって、自分の心の痛みを切り離さないと生きていけないのかもしれれない。
そう考えると「モンスター」にならざる終えなかった健一が切ない気もする。でも一方そういう状況になってしまったのは全部が健一のせいではないにしろ、最終的にその結末を「選択」したのもまた彼でもある。
物事の選択権というのは常に自分側にあると思うので、その結果は自分自身で引き受けるしかないのではないだろうか。
その「モンスター健一」の犠牲となるのが元刑事の滝沢と殺し屋の秋生で有り、彼らの視点で話が進められる。
彼等は結局健一と楊偉民の抗争ゲームに投入された駒であり堕とされていく。哀れだなあと思った。
勿論堕ちていく人間側にも相応の落ち度はあるけど、駒として動かされたに過ぎないとしたら堪らんだろう。
レビューにも書かれていたが馳さんは「堕ちていく人間」を書かせたら天下一品である。
「まっさかさ~ま~に堕ちてDESIRE♪」
という感じで堕ち方にも芸がありカタルシスを感じさせてくれる。
しかしプッツンした人間は怖いのである。
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きみやすさん、こんばんは!!!
「大人の怪物君」のテーマソング、即興とは思えないくらいも優れた仕上がりに笑わせて頂きました。
>>他者(秋生・滝沢・天文等)の視点を
通すことによって
より一層、彼の“怪物性”が際立つような気がします。
そう、そうなんですよ。前作「不夜城」は健一が主人公で彼の内面がねっとりと、しっかりと書かれていましたが、「鎮魂歌」はそういう内側は一切書かれず「外側から見た健一」しか書かれていないのが「わからない不気味さ」とでも言うのか、モンスター性を高めています。
>>あとはやはり、劉健一と楊偉民の物語というのか
復讐ではなく、サバイバルと嘯きながらも
捻じれた親子の物語のように思えて仕方ありません。
それはビンゴだと思います。ようするにこの2人は似たもの同士なんですよね。それが故に相容れないというか。楊偉民のおっさんも天文みたいに使い物にならない人間を溺愛する位なら健一を認めて自分の後継者として育てれば良かったのにと思いました。
親子喧嘩は家の中だけにしろと思います。
『長恨歌』は馳さんご自身がやる気がないのが伝わってくる作品なのが残念です。まあ大人の事情が色々あって書かざる終えなかったのでしょうが。
「大人の怪物君」のテーマソング、即興とは思えないくらいも優れた仕上がりに笑わせて頂きました。
>>他者(秋生・滝沢・天文等)の視点を
通すことによって
より一層、彼の“怪物性”が際立つような気がします。
そう、そうなんですよ。前作「不夜城」は健一が主人公で彼の内面がねっとりと、しっかりと書かれていましたが、「鎮魂歌」はそういう内側は一切書かれず「外側から見た健一」しか書かれていないのが「わからない不気味さ」とでも言うのか、モンスター性を高めています。
>>あとはやはり、劉健一と楊偉民の物語というのか
復讐ではなく、サバイバルと嘯きながらも
捻じれた親子の物語のように思えて仕方ありません。
それはビンゴだと思います。ようするにこの2人は似たもの同士なんですよね。それが故に相容れないというか。楊偉民のおっさんも天文みたいに使い物にならない人間を溺愛する位なら健一を認めて自分の後継者として育てれば良かったのにと思いました。
親子喧嘩は家の中だけにしろと思います。
『長恨歌』は馳さんご自身がやる気がないのが伝わってくる作品なのが残念です。まあ大人の事情が色々あって書かざる終えなかったのでしょうが。
こんばんは。
おりえさんの記事を読んで
思わず、自分も読み返してしまいました。
そのあと、勢い余って『不夜城』もまた読んでしてしまいました。
それにしても、
大人の怪物くん(笑)
♪カーイカイカイ カーイカイカイ
ユカイ ツウカイ
健一くんは
流氓社会のプリンスだい!
楊偉民には弱いけど
ヤクザ 警察 何でも来ーい
何でも来ーい
怨念集中
ピーキピキドカン!
たちまち 街中大混乱~♪♪
・・・・すいません。
つい、出来心で・・・
それはさておき
やっぱり、面白いですね。
本当に“二年前までは、しがない故売屋だった
上海や北京の連中に媚を売って生きてるだけのチンピラ
だった”はずの彼。
前作『不夜城』では“兵士としては最低”とまで
評された彼が、いかにして目的を遂げるのか。
そのために、どのように変貌したのか。
他者(秋生・滝沢・天文等)の視点を
通すことによって
より一層、彼の“怪物性”が際立つような気がします。
あと、今回のラストの一文もまた、良いんですよね。
ここにたどり着くために、この話はあったんだなぁ・・・
としみじみ思ってしまいます。
巻頭の引用文も
読めば読むほど、納得というのか。
『心臓を貫かれて』も読んで思ったのですが
「この環境じゃあ・・・真っ当に育つことの方が難しい」というか、
「出てくる奴、出てくる奴、救い難い奴ばっかり」なんですよね~~。
あとはやはり、劉健一と楊偉民の物語というのか
復讐ではなく、サバイバルと嘯きながらも
捻じれた親子の物語のように思えて仕方ありません。
実は、夏美(小蓮)の顔が浮かばないのも
もはや、夏美の死は
単なるきっかけでしかなく
自分の人生を強引に介入、変化させた癖に
自分を認めない父親に対する
必死の抵抗のようにも思えてきます。
(まー、それにしてもハタ迷惑な
人死にの多い、親子喧嘩ですな)
『長恨歌』・・・ああ、アレはどうでもいいです(笑)
おりえさんの記事を読んで
思わず、自分も読み返してしまいました。
そのあと、勢い余って『不夜城』もまた読んでしてしまいました。
それにしても、
大人の怪物くん(笑)
♪カーイカイカイ カーイカイカイ
ユカイ ツウカイ
健一くんは
流氓社会のプリンスだい!
楊偉民には弱いけど
ヤクザ 警察 何でも来ーい
何でも来ーい
怨念集中
ピーキピキドカン!
たちまち 街中大混乱~♪♪
・・・・すいません。
つい、出来心で・・・
それはさておき
やっぱり、面白いですね。
本当に“二年前までは、しがない故売屋だった
上海や北京の連中に媚を売って生きてるだけのチンピラ
だった”はずの彼。
前作『不夜城』では“兵士としては最低”とまで
評された彼が、いかにして目的を遂げるのか。
そのために、どのように変貌したのか。
他者(秋生・滝沢・天文等)の視点を
通すことによって
より一層、彼の“怪物性”が際立つような気がします。
あと、今回のラストの一文もまた、良いんですよね。
ここにたどり着くために、この話はあったんだなぁ・・・
としみじみ思ってしまいます。
巻頭の引用文も
読めば読むほど、納得というのか。
『心臓を貫かれて』も読んで思ったのですが
「この環境じゃあ・・・真っ当に育つことの方が難しい」というか、
「出てくる奴、出てくる奴、救い難い奴ばっかり」なんですよね~~。
あとはやはり、劉健一と楊偉民の物語というのか
復讐ではなく、サバイバルと嘯きながらも
捻じれた親子の物語のように思えて仕方ありません。
実は、夏美(小蓮)の顔が浮かばないのも
もはや、夏美の死は
単なるきっかけでしかなく
自分の人生を強引に介入、変化させた癖に
自分を認めない父親に対する
必死の抵抗のようにも思えてきます。
(まー、それにしてもハタ迷惑な
人死にの多い、親子喧嘩ですな)
『長恨歌』・・・ああ、アレはどうでもいいです(笑)
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