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2009-11-25 (Wed)
  

  脳神経に障害を持つ7人の患者達の物語。
  事故の為に全色盲となり周囲が白黒の世界にしか見えなくなった画家。
  激しいチック症状を持ちながら抜群の腕を持つ外科医。
  「火星の人類学者のようだ」と呟く自閉症の動物学者等。
  彼らが障害をアイディンティティとして受け入れ、困難と呼べる人生を生き抜いてく姿が著者の温かみのある目線で描かれている。


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 この作品に出てくる人達は脳に障害を持っている。
 その障害が故に困難と苦悩が伴い、一般というものさしという基準でみれば特殊な状況で生きていくことになる。
 でもだからといって彼らの世界が閉ざされてしまうわけではなく、障害を補う形で別の新しい「世界」が用意されるんだなあと思わせてくれる。
 障害や欠陥が潜在的な力を引き出して新しい能力が備わる。人間の持つ生命力というのは幾らでもチャンスというものを用意していて懐深いのである。 
  
 私が一番印象に残ったのが表題「火星の人類学者」の主人公であるテンプル・グランディン。
 彼女は自閉症の中でも高い知能を持つアスペルガー自閉症で博士号を持ち事業を経営するという経歴の持ち主である。
 テンプルは病が故に愛情とか感動といった「人間の深い感情」というものを持てない。
 自閉症の少年の母親が亡くなった時の「自閉症だからあまり悲しくない」という言葉がこの病気の悲しさを端的に物語っている。
 人の言葉の真意や言葉に現れない感情などわからないテンプルは何年もかけて「膨大なライブラリー」をつくり、それを心の中で再生して人の行動を認知する。
  だから彼女にとって他人とは異邦人や宇宙人のようなものである。

  テンプルの悲しさが響いてきた。
  自分が異質で特殊な世界に生きているという自覚はつらいものがあると思う。
  多分だいたいの自閉症者はそういう意識はなく自分の完結した世界で生きられていると思うが、彼女はなまじ高い知識とある種感受性(という言葉が適切かわからないが)があるので「知っている」のである。
  知っている事が幸せなのか、知らない事が幸せなのかは迷う所だけど。
  読んでいて障害故にそういう感情は持てないだろうけど、障害を超えた部分(くさいセリフなら魂)では多少感知されている気はした。
  
  でもそうであってもテンプルは、
 「もし、指をパチンとならしたら自閉症が消えるとしても、わたしはそうはしないでしょう。なぜなら、そうしたらわたしがわたしでなくなってしまうからです」
 とも言っている。
 そう言えるのは彼女の聡明さなのだろうか。

 私は心の病が指パッチンで消えるのなら、
 「是非お願いします」
 と頭を垂れる。
 心の病が私のアイディンティティではあるとは思う。もし心の病がなければ私は今とは全然違うタイプの人間になっていたと思う。
 でも現時点は受け入れているわけではなく、共存しているという方が正しい。消えてくれるのなら余計な荷物は背負い込みたくないというのが本音である。人生未熟者なのかもしれない。

 障害を持つ世界が健常者の世界と比べれば異質であったとしても、障害が生み出した世界なりの安らぎも喜びもあるのだという事実は救いである。

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2009-11-22 (Sun)
 

 7歳児程度の知能しかもっていないサム(ショーン・ペン)は、娘ルーシー(ダコタ・ファニング)とささやかな生活を続けていたが、彼に養育能力がないと判断したソーシャル・ワーカーがふたりを引き離してしまう。サムはやり手の弁護士リタ(ミシェル・ファイファー)を頼り、裁判でルーシーを取り戻そうとするが…。
ショーン・ペンをはじめとするキャストの優れた演技とそれらのアンサンブル、アップのモンタージュを巧みに重ねながら、それぞれの人間の感情をドラマとともに盛り上げていくジェシー・ネルソン監督の繊細な演出などにより、障害者を主人公にした感動の映画というよりも、現代社会に失われた大切な想いを持ち得る男によって周囲の者たちが影響され、癒されていくという、さわやかで後味のよい「愛の映画」に仕上がっているのがいい。ビートルズに敬意を表した設定の数々も素晴らしい効果を生んでいる。-Amazonより





 この作品は本当に、
 「お久しぶりね♪〜」
 と口ずさみたくなる位に久々に映画館で見た。

 まず主役のお2人の演技に脱帽。
 この映画のキーマンは娘ルーシー役のダコタ・ファニングちゃんだと思う。
 映画館の大スクリーンのアップにも堪えられる位に本当に美しく、子供らしい愛らしさに満ち(多分ここ重要)、なおかつ素晴らしい演技で、
 「関係者の皆様、映画の成功おめでとうございます」 
 と即効で思った。
 それ位この作品においてダコタちゃんの存在はデカイ。

 サム役のショーン・ペンは「マドンナの元ダンナさん」という知識しかなく演技もこの作品が初見だった。
 今回の記事を書くに辺り彼の画像を検索して見たがサムの時とは全然別人。。。。
 憑依型の役者と評されていらっしゃるようだけどさもあらんと思った。
 本当に知的障害者をなりきって演じていらっしゃる。

 娘のルーシーが自分の精神年齢と代わらない父親と親子であり友達でもある愛情にどっぷり浸っていたが、ある日父親が多くの人達と「違う」という事を認識するシーンは切なかった。
 それまでは父親と自分の二人称の世界だったのに、その認識により他者という外側の世界を認知する事になる。
 そして父親の知能を越してしまうことに抵抗があるルーシーが勉強にわざと手を抜いていく葛藤に、健常者の親ならそういう苦悩を持つ事はないんだろうなと思うてしもうた。 

 副題が「Love Is All You Need 愛こそすべて」となっているが、私は「うん、うん、そう、そう」と素直に頷く事は出来ないけれど、サムが障害が故に出来ない事が多くても自分の出来る範囲で精一杯ルーシーを愛情一杯に育てているのにそれを障害を持っているから養育能力がないと判断し行政が2人を引き裂くのはどうかなと思った。
 親御さんが障害を持つが故に不自由する事も苦悩する事はあると思う。でもだから「ダメ」というのは全然違うはず。 
 子供は自分がいる世界でそれなりにやっていくと思うし、そういう苦労が豊かなアイディンティティを育てるかもしれない。
 それなのに行政が養育不可と決め付けるのは、「偽善」というべきなのか「偽悪」というべきなのか考えさせられた。

 この映画は障害者の方をテーマにした時にありがちな重さというのがあまり感じられない。
 その為にキレイ事と感じるてしまう部分はあると思う。ファンタジーだという感想を持つ方もいるが確かにそういうカラーはある。
 でもこういうテーマで暗めの絵の具をあまり混ぜることなく描かかれた絵は、素直に琴線が洗われるような気がして悪くないなと思った。。。。
 
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2009-11-21 (Sat)
 

 F県警捜査一課には生え抜きの捜査三班が揃っていた。
 「理知」朽木を班長とする一班、「冷血」楠見の二班、「捜査の勘」村瀬の三班。
 彼等は『事件』を互いに食い合いしのぎを削り競い合っていた。
 それぞれの班が取り扱った事件六つの物語が収められた短編集。

 「第三の時効」
  事件は15年前に起こった。
 夫の留守中にエアコンを取り付けに来た幼馴染の武内にゆき絵は汚されてしまい、その現場に帰宅したばかりの夫が遭遇しもみ合った挙句夫は殺されてしまう。武内は逃亡し、その後ゆき絵は妊娠の事実を知らされる。
 夫の子かそれとも武内の子か?苦悶の果てに夫の子と信じて彼女は女の子を出産する。
 そして三年前に逃亡中の武内からゆき絵へ電話が入る。
 「あの子、俺の娘だろ?」
 海外へ七日間滞在した時効の進行停止の「第二の時効」がもうじき迫っていた。
 事件発生の第一の時効は過ぎ、第二の時効を知らなければゆき絵に連絡してくるか会いに来るもしれないと踏んだ警察は彼女と娘のありさの周囲を見張る。


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「タッ、タッ、ターン、タッ、タッ、ターン、タッ、タッ、ターン、」
 (音痴なのでメロディー拾えてないのですが一応太陽にほえろのイントロ)

 このメロディーが流れると自分の中の血がちょっと騒ぐ。
 警察物というのは何故か血をたぎらせてしまう。古今東西テレビでも警察ものが多いのはやっぱり好きな人が多いからだろう。
 日常の中の非日常というドラマ性がたぎらせる要因だと思う。

 そんな私にとって「横山秀夫」という作家さんは熱い血を呼び起こしてくれる作家さんである。
 警察小説という分野の中で彼は群を抜いた書き手ではないかと個人的には思っている。
 話の面白さ、緻密さ、意外なオチ、そして何より体温を伝えるような人物描写と人間模様の表現。
 横山さんは元々警察関係のお仕事をされていたのかとさえ思う程の臨場感に驚く(調べたところ元は記者さん)。
 だから周囲の未読の知人に、
 「お買い得だよ!!!」 
 と布教活動をしていた。

 どの作品も秀作だけど「第三の時効」が際立っている。登場人物、設定等の道具仕立ても興味をそそるものだけど、これはオチが効きまくる。
 「えっ!!!w(゚ロ゚)w」  
 と予測もしなかったオチである。 
 幾つも張り巡らせた糸が最後にビンっと貼ってその図柄に驚かされた感じだ。
 横山さんが書かれた短編の中でも最高傑作の一つだと思う。 

 横山さんの書く男性像は男くさくて、カッコいい。
 でもカッコいいと言っても、頑固な人間、自己中な人間等一筋縄でいかない人間ばかりではあるが、でも隠れヒューマンな人間像が多い。
 表面上は、
 「関係ないっすね」
 というような無関心を装っていて一皮向けば人間の情を覗かせる。
 一歩手綱を間違えた方向へ向けると私があまり好きではないロマンチズムへと転化しそうだけど、それを絶妙な匙加減で「粋な」男達にしているのが横山さんの魅力だなと思う。

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2009-11-18 (Wed)
 
 前原滋子は9年前の忌まわしい連続殺人事件に飲み込まれ天職と思っていたライターの仕事から遠ざかっていた。
 だが結局書く事を捨て切れなかった彼女の元へある依頼が持ち込まれる。
 萩谷敏子という最近1人息子を交通事故で亡くした女性がもしかしたら息子には特殊な能力があったかもしれないという内容のものであった。
 何故なら息子が残した絵の中に描いた時点では未来の内容や、また知りえるはずのない事件の事実が描き込まれているからである。
 その絵の中で彼が死んだ後に発覚した事件で、両親が娘を殺して床下に埋め火事になって初めて時効後に出頭した事件を示唆する内容があった。
 人の良い滋子は我が子を亡くしたばかりの敏子にほだされた形で調査に乗り出すが意外にもそれは、長い間触れることの出来なかった過去の事件と向かいあうきっかけとなった。


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 宮部さんは打率の良い作家さんである。
 作家によっては作品の出来に大波小波があり、読む前に「今回は当りかな外れかな。。。」と気を揉まなくても良い安心感があるのがありがたい。

 私はとりわけ宮部さんの書く登場人物が好きである。
 どこにでもいそうなという感じというわけではないのだが、息遣いというのか体温というのがにじみ出ている登場人物達に惹きこまれる。
 よく出てくるタイプがきちんとした人間としての芯を持つ温かみのある人物と、真逆に残酷というか大切な何かがくりぬかれているような人物も出てくる。
 その温度差のある人間模様が私のツボを押してくれる。

 この作品で一番印象的だったのが、
 「身内の中に、どうにも行状のよろしくない者がいる。世間に後ろ指さされるようなことをし、警察のご厄介になる。そういう者がいる時、家族はどうすればいいのか。出来損ないなどは放っておけ、切り捨ててしまえばいいのか」
 という問いかけである。

 これは難しい。。。。。

 「はい、これです」
 とすぐに答案用紙に答えを書いて提出出来ない。
 まあ強いて答えるなら、私自身はどうしようもないろくでなしであるならば切り捨てる方が良いとは思う。
 そうしないと関わる人達の人生や生活が踏みにじられてしまうし、書いているように切り捨てなければ得られない幸福もあると思うから。
 身内とか家族という言葉に呪縛されて自分の大事なものを損なう必要はないはず。切り捨てて得た幸福がよりそうしなかった場合より偽物だとは思わない。
 ただ親戚とか兄弟姉妹であれば最悪は縁を切ることが出来るだろうけど親子の場合はそう簡単にはいかない。

 この作品にはある事情により実の娘に手をかけた両親が出てくる。
 愛情をかけて一生懸命育てた我が子がほんの些細なズレでどうしようもない流れに飲み込まれ手の届かない暗闇へと行ってしまう。
 一旦流れに飲み込まれると流される本人自身にもその流れを止める事が容易ではなくなる。
手にかけた両親は究極の切り捨てともいえるが、ひょっとしたら鬼畜となった我が子を取り返す行為でもあったのかもしれないのかなとも思う。
 でもやはり殺してしまったら全てがパアーなんだよなあ。一縷の希望も存在しなくなる。

 私は「お母ちゃん」をやった事がないからわからないけど、子育ては喜びや幸福を得られるだけではなく、歯車が狂えば深い暗闇に陥る可能性は常にはらんでいるのかもしれないと思った。
 
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2009-11-14 (Sat)
 

 木村明則さんの作るリンゴは「奇跡のリンゴ」と言われている。
 それは限りなく不可能に近いと言われている無農薬栽培で作られているからだ。
 リンゴ農家の人にとって農薬栽培は常識以前の内容であり、専門家さえ今もって不可能に近いと言われている。
 木村さんの作るリンゴは「樹の実」と呼ぶにふさわしい食べ応えであり、普通切ったリンゴはそのままにしておくと腐るのに、木村さんのリンゴは腐るのではなく枯れて甘い匂いを放つ。
 だがその成功にたどり着くには八年にも及ぶ苦闘があり、一度は死さえ考えた事もある。
 そんな木村さんの無農薬栽培チャレンジへの記録。


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 私は今まで書いてきた記事の中で幾度なく繰り返し書いている内容がある。
 それは「あきらめない事の大切さ」である。その為には信念が必要であり、希望を捨てないことだとよく書いている。
 何故何度も書くかというとそりゃあもう自分があきらめない事の難しさに苦しんでいるから自分を励ます意味で書いている。 
 そんな私はこの本を読んでカンフル剤を打たれた気分である。

 私はこの本を読むまで無農薬栽培リンゴがこんなに難しいものとは知らなかった。
 現在私達が食べているリンゴというのは農薬を使う前提で品質改良された代物らしい。だからリンゴというのは農薬の力無くしては病害虫と戦う事が出来ないか弱い乙女のようである。
 それなのに農薬を使わなければ当然リンゴ畑は、
 「えらいこっちゃ」
 になっていまう。
 木村さんのリンゴ畑は病害虫の巣窟となりリンゴの木は枯れ何年も花を咲かせなくなる。

 無農薬栽培実現の為にあらとあらゆる方法を試すがなかなか結果が出ない。努力しても努力しても手応えがないと信念があってもつらいし、自分自身の精神が磨り減っていく。
 その苦しさは私も現在暗闇の中を模索している最中なので理解出来る。ただ私の場合は養う家族がいないから自分一人の課題に出来るが、ご家族がいた場合どうしても巻き込まざるおえない所が更におつらかっただろうなと思う。
 なんせ日本が高度成長時代の最中で青森のリンゴ農家といえば裕福なはずなのに、木村家だけが戦後さながらの「現代版貧窮問答歌」のような極貧生活を送っていたらしい。
 それでも一家全員に理解があった事は糧になったと思う。

 やがてそんな木村さんにも「疲れ果てる日」がやってくる。
 思いつく限りの策を試したがどれも結果を得られず万策が尽きたと思った時、死ぬためにロープを握り締めて山の中に入っていく。
 そして死のうと思った場所で木村さんは無農薬栽培のヒントを目にする。森の木々や植物は農薬の助けなく育っているに気づくと、死ぬ事も忘れてへ再度チャレンジする。
 これが小説なら私は迷うことなく、
 「話がうますぎる!!!」
 と突っ込みまくる。
 だが河合隼雄先生の対談集の記事日本一の聞き上手で「外から見る限り「偶然」としか呼びようのない「うまい」ことが起こる。不思議としか言いようがないし、また「当然」とも呼びたいことが起こる」と書いている通り、本当にうまいことって起きるもんだなと思った。
 恐らくどんな些細な希望でも捨てず努力し続けていると目に見える形での結果にすぐ繋がらなくても、自分の望む世界の細胞はちゃんと創られているのかなとも思った。

 この本を読んだ時自分の考えは間違ってはいないんだなと。あきらめる事無く前向きに努力し続ければ必ず願いが叶う「いつかの日」がやってくるのだと思う。
 ただその過程の苦しみをどう折り合いを付けていけばよいのか悩んでいた。
 でも私が苦しむのは「努力」だからなのかもしれない、木村さんがおっしゃるように「バカ」になれば心の雑音は気にならないのかもしれない。

おバカキャラになれるだろうか?

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