メンへラの読書日和
心の病を抱えつつ、でこぼこ人生を踏みしめながら読んできた数々の本の読書記
2010-02-10 (Wed)
17歳のアミは頭脳明晰な美少女。
だが自分の居る世界に馴染めない疎外感を埋めるように知的障害を持つ兄タクヤと近親相姦の関係を持つ。
壊れた家族の中で無条件に受け入れてくれるのがお互いしかなかった故に。
気づいた両親に2人は引き離されるが、兄との関係を続ける資金長達の為に売春をしていた。
ある時アミは自分の出生の秘密を知る。
再度障害児を生むことを恐れた母親は見知らぬ男性の精子で妊娠しアミを生んだのである。
更に兄の子を妊娠している事に気づいたアミは精子ドナーを探す。
見知らぬドナーに兄との子供を生むぺきかどうかを決めて貰うために。。。。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ あらすじを読んでお気づきになられたと思いますが「売春、近親相姦、兄の子を妊娠、精子ドナー」等々、際どいフレーズが惜しげもなく並んでいます。
PTAのおっかさんの方々がご覧になられたら眉をひそめられた後に焚書扱いになりそうである。
私がこの作品を知ったのは「ダ・ヴィンチ」で紹介されていた記事を読んでなのだが「売春、近親相姦、兄の子を妊娠、精子ドナー」という文字に一本釣りされて読もうと思った。
際どいフレーズの内容にドキドキとワクワクしながら読み始めたが、読み終えた時に不思議なほどに嫌悪感も不快感も感じなかった。思っていた以上にえぐい内容にもかかわかずである。
むしろ作品全体に漂う「深い孤独感」に共鳴した。こんな内容なのに自分の肌にフィットする作品であった事に驚いた。
この作品に出てくる人物達は欠損人間ばかりである。人間的に何かが損なわれているというか欠けているので「世界と上手くいかない」人達なのである。
多分私も何かどこかが欠けている(損なわれている)人間なので共鳴したんだと思う。
損なわれているという意味では「孤独感」というよりは「喪失感」という言葉の方が近いのかもしれない。
失われている者である自分には響いた。
解説者の宮台真司さんが上手い。
アミは「世界を受け入れていない閉ざされた世界の住人だから、ひどい親も売春客も存在の希薄な影絵しか過ぎない(一部略と言い換え)」というのはお見事な作品の切り口である。
この作品は12、3年前に書かれた作品だけど当時の売春等をやっていた飛んでいる少女達の見事な実像を浮かび上がらせていたと思う。
売春等してもその事で大して傷付くわけではなくその行為が自分を侵食しない。一言で言うのなら「あっけらからん」か。
私からしたらそういうのは凄く不思議に思うのだけど、そういう時代も確かにあったんだなと思う。どんな原因でそういう結果が生み出されたのか全然わからないが。
でも売春をしていた女子高生から作者の桜井亜美さんに多数の共感の手紙が届いていたというのだから、「あっけらからん」としていても心のどこかの凹みにがあるから彼女の作品がはまったというのは伺いすぎだろうか?
読み終えた時、グロテスクを重ねた際の先には純粋な何かが潜んでいるのかなと思った。
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2010-02-06 (Sat)
芙美子の継母である照代が急死する。いつも控えめで芙美子や弟の良い継母であった。
いつかその恩に報いようとは思っていたが、多忙を理由に中々親孝行らしきものが出来なかったのが悔いとなった。
人妻でありながら年若い愛人との関係を続けた美しい実母のさよ子。
さよ子の事故死後、年若い愛人は後追い自殺をし2人の恋物語はピリオドが打たれる。父親は看護婦であった照代を後添えとしたのであった。
照代の遺品を片付けている時に芙美子は古い新聞の切り抜きを見つける。
その記事には事故で亡くなったとばかり思っていた母のさよ子の死因が載っており、それまでの記憶が思い違いであった事を知る。
そして新聞記事をきっかけとして自らが封印した恐ろしい記憶をよみがえさせる。
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小池真理子さんは作家でご主人の藤田宣永さんと「夫婦公論」(溺れる)でペンによる長調八兆のおもしろ夫婦バトルを繰り広げられているが、舞台を変えられてもペンさばきはさすがである。
個人的に小池さんは長編も短編もどちらもとても上手い作家さんだと思う。
ただ長編に関しては耽美的な物が多いので好みによって合う合わないがあるけど、短編はキレがありひねりの効いたオチが素晴らしい作品が多い。
一時期「小池中毒」なる病に罹り短編を中心にかなり作品を読み漁った。
中毒というの一度罹ると自らの力では抗い難いものがり、罹ったなと思った時には既に遅く、沼地のように足を取られどっぷりとその世界にはまってしまう。ブルトーザーのごどく小池作品を網羅していった。
今はやっと中毒から抜け出している。
中毒というのは楽しい反面しんどい事もあるので今は穏やかな日和である。
その元小池中毒患者である私が今回ビックアップした短編は作品の出来としては「スペシャル」という程ではない。どちらかというと地味目の作品である。
他に傑作短編が幾つも有るし、同作品に収められている他作品の方が完成度も面白さも上の作品もある。
それでも私が小池さんの数多くの短編の中でもこの「封印の家」が特に気に入っているのは、ラストの着地点の光景が好きだからである。
読み終えた時、
「ジーン」
と言葉のままに感動しちょっと(恥ずかしながら)泣けた。
主人公の芙美子は実母さよ子よりも継母の照代の方が好きだったし絆も感じていた。
だがやはり母親ではなくあくまでも「照代さん」であった。物心がついてからの再婚でもあり、照代はとても慎ましいので自分という存在を強くアピールする事もなかったせいもあり一定の距離感が常にあった。
芙美子がラストで照代が自分に注いでくれた愛情の深さを知る事になる。芙美子自身も忘却していた「罪」を唯1人知っていた照代はその秘密を誰にも漏らすことなく自分を見守り育ててくれたのだと。
その下りが悲しくも切ない。
何故なら自分にとって真の母親が誰であったか知った時に感謝すべき相手はもういないのだから。
地味な話ながら要所、要所にさりげない磨きをかけ、ラストで光らせる小池さんの職人技である。
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2010-02-03 (Wed)
取調室の一室である舞台が用意されていた。
ネット上の擬似家族の「お父さん」である所田良介が何者かに殺されてしまう。その数日前に絞殺体として発見された今井直子。一見無関係と思われた事件であったが共通の遺留品が発見される。
容疑者と思われるネット上の家族であったHN「お母さん」こと三田佳恵、「ミノル」こと北条稔、「カズミ」である加原律子がそれぞれ取調室に呼ばれる。
そしてマジックミラーの向こうには所田良介の1人娘一美がいた。犯人かもしれない人間を彼女は見ており確認の為に呼ばれたのである。
三人の取調べが順番に始まり舞台は開演する。
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宮部みゆきさんの紡ぐ物語は良い意味で裏切ってくれる事が多いので面白い。
この作品を読み終えた時も、
「こりゃ、一本取られました」
と思った。
ネット上の擬似家族というのが一つのモチーフとなっている。ようするに現実で自分の望む家族を持てない不満をネット上で理想の家族ごっこを演じる事で補うのである。
「わあ〜不健全だ、こりゃ」
と思った。キナ臭いがプンプンする。
勿論ネット上の人間関係が偽物だとは思わない。例えばメンタルを抱えた人達にとってネット上での人間関係は福音だと思う。また互いに顔の見えない距離感が自分の素の部分をさらけ出し易いので深い人間関係を作れる場合もある。「距離感」が気持ちの潤滑油となるのならそれはめでたい事である。
だがその「距離感」を逃げ場所としたらそれはどうなんだろうか。
理想の家族ごっこなんて結局は幻想である。単なる一時しのぎのカンフル剤に過ぎない。
「距離感」を美味しい所どりの道具にしてしまったら、いつしかその距離感がおかしくなってしまうと思った。
やはり寂しさを現実世界で適度に飼いならす方法も用意していた方が幻想に飲み込まれなくて済む。
解説の言葉で「家族の絆とは、癒しなのか?呪縛なのか?」と言う言葉があるが、これはズバリとこの作品の核心を突いている。
本来なら家族の絆は癒しではあるとは思うというか、そう願いたい。でも必ずしもそうではない現実もある。
親子であっても合う合わないは確かにあり、合わない場合は絆が呪縛になってしまう場合もある。
そういう時は親と子という関係は他人でないが故に一層の悲劇を生み出しやすい。絆が呪縛となった時の怖さを感じた。
ラストは切ない。
犯人は加害者ではあるがでも本質的には被害者なのだから。
若い時は自分が見ている世界のみが真実だと思いがちだけど、角度を変えてみれば物事には別の真実もあるのだとわかるはず。
そうすればまた違った選択も出来たはずだと思うとやりきれない。
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2010-01-31 (Sun)
ひとりの女性が失踪し、切断された右腕が発見された。やがて犯人はTVに電話出演し、殺人ライヴを予告する…。
宮部みゆきの長編ベストセラー小説を、日本映画界の鬼才・森田芳光監督のメガホンで映画化したミステリー大作。犯罪における加害者の立場と被害者周辺の双方を両立して描いていく。
理由なき犯行の恐怖性や、TVやインターネットなどのメディア批判、そして原作とは異なるラストの展開に賛否が飛び交い、結果として大ヒットを記録した。徹頭徹尾森田マジックともいうべき、彼の演出技術の集大成的作品に仕上がっており、また主演・中居正広の、これまで見せたことのないクールな一面も大いに作品のプラスとなっている。その他、木村佳乃、藤井隆、津田寛治など総じてキャスト好演。なかでも山崎努は名作『天国と地獄』をも彷彿させる貫禄の名演だ。ーAmazonより
宮部みゆきの大ベストセラーを森田芳光監督、中居正広主演で映画化した話題作。東京の下町で豆腐屋を営む有馬の孫娘が行方不明に。その10ヶ月後、ある公園で切断された右腕が発見される。そんな中、生放送中のワイドショーに犯人らしき男から電話が…。「キネマ旬報社」データベースより
感動した映画ばかりを紹介してきた。だがここら辺りで変化球を投げてみようと思い、
「何故私はこんな映画を見てしまったのでしょうか?」
と論議したくなる映画も紹介しようと思う。
「模倣犯」が映画化されると知った時に私は危惧した。
この小説は上下二段で上・下巻という大長編である。果たして約二時間位のサイズにどうやって収めるのかと思った。勿論かの不朽の名作「風と共に去りぬ」も大長編だが、上手く仕上げているから必ずしも難しいわけではないと思う。
ただ「模倣犯」というのは非常に深い話で、あらすじのひとつひとつがその作品世界を作り上げている感じが個人的にはしたので、割愛とか継ぎ足し変更というのは難しいのではないかと思った。
見たら、
「案の定でした」
気持ちよい位に想像通りアカン作品であった。
演じている役者さんは悪くない。
主人公の冷徹なピース役のSMAP中居正広さんは客寄せパンダ的な意味合いも含めて選ばれたと思うが、だからと言って決してミスキャストではなかった。ハマリ役とまでは言わないが、とても難しいというか捉えがたい役柄をそれなりにこなしていらっしゃった。
ピースに敵対する役回りになる有馬老人は山崎努さんが演じられていらっしゃるがさすがの名優、重厚さを持って原作のイメージを裏切ることなくむしろ「この人しかいない」と思わせられる演技は素晴らしい。
とにかくこの作品はストーリー展開とか人間関係の粗さが目立ってしょうがなかった。原作のあらすじをついばんでいるだけというか。
私は原作を読んでいるからストーリー展開に付いていけたが読んでいない人は理解されたのだろうかと思った。
森田芳光監督は原作者である宮部みゆきさんご指名らしいが、カントクは一体どうされちゃったんだと思う位の酷い出来である。一応名コックだと思うけど(「ハル」という映画は好きである)調理の仕方を思い切り間違われている。自分の腕を過信されたのかアレンジのし過ぎのような気がする。
森田監督は作りこみ過ぎるよりシンプルに仕上げられる方が良い作品を生み出されるのではないか。
ラストを見た時、
「なんじゃ、こりゃあ!!!」
とかの有名なセリフをパクリたくなってしまう位の酷さに唖然とした。
私は決して原作至上主義者ではない。基本は映画は映画、原作は原作、上手く結婚出来たら万々歳位にしか思っていない。ただこの映画に関してだけはあまりにも原作を冒涜し過ぎている気がした。原作のテーマ性というか伝えたい事を映画では微塵も伝えていない。
よくつまらない映画を見たら「時間と金を返して」と思うが、あまりの酷さにそれはそれで語り草のネタになりそうなので元は取れてる強がってみる。
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2010-01-30 (Sat)
「孤独」を7つの表情で表現した短編集
「トニー滝谷」
トニー滝谷は本名でありれっきとした日本人である。
彼は絵を描くのが大好きでイラストレーターとして成功を収めていた。37歳になるまで幾人かの女性とも付き合ったが結婚を考えた事はなくその必要性を感じなかった。
だがそんなトニー滝谷が恋に落ちる。相手は15歳も年下の「彼女」でとても自然に優美に服をまとう事の出来る女性であった。
結婚し幸福な生活を送っていたが事故で「彼女」は亡くなってしまう。後に残されたのは部屋に納まりきらないサイズ7の服とサイズ22の200足近い靴であった
トニー滝谷はサイズ7、靴のサイズ22の妻と同じ体型の女性アシスタントを求める求人を出す。
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私にとって村上春樹さんは帰っていく港のようなものである。
色んな作家、色んな作品を読んでもやはり自分の心の体温にフィットするのは村上さんである。
だからと言ってバイブルのように常にむさぼっているわけではない。実の所は彼の作品を読むのは年に数回位なのだ。
それは村上ワールドは魅力的であるが故にあまり浸るべき世界ではないからである。彼の持つ心地よい孤独感に飲み込まれてしまうかもしれないからだ。
だから適度に距離を持ってたまにその世界にお邪魔するのが私と村上さんの関係性である。
今回も久しぶりに、
「帰ってまいりました」
と村上ワールドを堪能した。
トニー滝谷は孤独が苦ではなかった。母親は早世し父親はしょっちゅう家を空けていたので、孤独な環境が前提でそれは拒否出来るものではなく彼自身と人生に深く染み込んでいた。
そのトニー滝谷が愛する女性と巡りあった事によって「孤独」の持つ本当の意味を知る事になる。
自分の「孤独」の深さを知り、それまで単に自分が「孤独」という存在に気づかなかっただけなのだと知る。
私も孤独に強い方だと思う。「孤独耐久大会」というものがあれば楽々入賞レベルではないかと思う。多分一ヶ月位誰と会わなくても喋らなくてもあまり苦にしない。
元々の性格もあるだろうし、孤独に強くなければ生きづらくなるから強くなったとも言える。
でもこの作品を読んだ時私が孤独に強いのは本当の意味での孤独を知らないからなんだなと思った。本当の孤独というのは他人との関係性の中に存在するものなのである。ひとりで孤独は当たり前なのだから。
愛する者を失う孤独、他人との関係性で生まれる孤独に強ければ本当に孤独に強いと言えるのだろう。
この作品へのコメントで虚無感を感じると書いてあったが同意見である。
愛する者を無くした喪失感ではなく、喪失感より更に深い絶望を感じる虚無感が胸に来る。
孤独だったトニー滝谷が愛する者を得て人生の孤独な時期が終了したのにその人を失い、今度は更に深い孤独へと陥る。
ラストの一文がほんとうに切なく怖い。
トニー滝谷には幸せになって欲しかった。
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